28 (黒鋼の連勤術師)
とある大学病院。
ミハルは このクソな環境で ひたすら働く…。
もう何日も まともに寝ていない…今の時代、この国に労基と言う物は無く、長時間労働が当たり前のブラック労働が基本だ。
急患は そうそうなく、通常だと1日に3件ほどに スケジュール調整がされ、大体 1~2時間で終わる手術が大半だ。
ただ、何の嫌がらせか私だけ神経が磨り減る6時間レベルの長時間の手術を1日に複数ぶち込むと言うイかれた行動に出てやがる。
外科医は繊細な動きを要求される職人だ…なのにロクに眠らせないのは非常にイカれている。
更に言うなら私は実戦経験が豊富で資格の為に日本の留学しているとは言え、まだ医学生だ…普通なら この難易度の手術を過密スケジュールで やる事なんてない。
明らかに ここの外科医達は、女の私が気に食わないのか、医療ミスをさせようと必死で頑張っている。
「あ~これ、ここが怪しい…これはCT検査だね…頼むよ」
私はレントゲンのフィルムに光を当てながら言う。
患者の病名は肺がんで、3ヵ所の同時の切除をする高難易度 手術だ。
のだが、1つ見にくい所に隠れている…4ヵ所目か?がんの場合、すべて取り除かないと別の臓器に転移し、更に手術が必要になる…。
この土壇場で時間の掛かるCT検査…今日もレントゲンのミスが発覚する…。
通常、こう言う検査は数日前に行われ、手術当日の午前中に行われる事はない。
これはレントゲンの提出を手術ギリギリまで遅らせる戦法だ。
この場合だと時間が迫っているし、面倒だからとCTスキャンをせずに手術に臨み、結果、がん細胞の切除を取りこぼす。
で、貴重な時間を削る罵倒の嵐が始まり、次の手術までの時間を削られ委縮した精神は、次のミスを生み、更なる罵倒が始まる。
『人の命を何だと思っているんだ?』だと?アンタが指導名目で、正確な情報を現場に送らず、医療ミスを誘発させて罵倒を繰り返すマッチポンプをしてると言うのに…。
この為、最新機器 満載の この病院だが、事前の情報が一切信じられず、現場での高度なアドリブが必要となる。
更に厄介なのは 今日の執刀医だ。
この医大の医院長の息子であり、期待の新人外科医だ。
正式に外科医になってから僅か3年で、何度も高難易度の手術を成功させており、医療ミスは0…その実力は極めて優秀とされる。
通常なら外科医になってから3年で高難易度は任されない…まだ1時間程度の低難易度手術を繰り返す時期だ。
まぁそれにも カラクリがある訳だが…。
手術室。
「それじゃあ、オペ行きま~す。
吸って~吐いて~吸って~吐いて~。
安心して おやすみ下さい…」
私は患者の口に酸素マスクを付けて優しく言う。
酸素マスクは近くのガスタンクに繋がっており、亜酸化窒素80%、酸素20%の混合気体になって患者の身体に流れ、痛覚神経をブロックし、速やかに眠りに誘う。
麻酔の点滴は 即効性が低いとされ、過密スケジュールの この現場では あまり使われていない…コスト的には ガスより液体の麻酔の方が安いんだけどな。
患者が眠ったと思った所で頬を軽く叩き、反応が無い事を確認する。
で、尿道カテーテルを突っ込み、輸血の点滴、バイタルモニタを私が顔を見上げた時に見える位置に置く。
通常、こう言うのは 麻酔医が担当するんだが、どこで意図的な やらかしがあるか 分からないので、すべて私が再度チェックをし、自分の管理下に置く。
この手術室に仲間はいない…私の他は すべてが敵だ。
私の横にはキャスター付きの棚が置かれ、その上には メスなどの刃物類にハサミ型のピンセット鉗子が乗せられている。
私が患者の上にあるライトの位置を調節し、上を見上げると上の階のガラス張りの窓から白衣姿の医院長と、その隣には 弱々しい様子の息子の外科医がいる。
「それじゃあ、サクっと行きますよ」
私が砕けた口調で電気メスを持ち、作業に掛かる。
まだ日本に普及している最中だが、この病院には 最近導入された ばっかりの電気メスがある。
これは、電気で切ったり、熱で組織を焼いて止血する事が出来る優れもので私はこれを良く使い、金属のメスは殆ど使わない。
ただ これも 古臭い外科医に嫌われる理由で、彼らは金属メスを使う従来の方法を使いたがり、患者の出血量を増やして負担を掛け続ける…彼らにとって患者より自分のプライドの方が重要だからだ。
「開閉完了…患部の切除に入るよ…」
私は迷いなく 患者の中にある がん細胞を見つけ、電メスで切除する。
「1つ目切除…出血が始まった…電メスで組織を焼く…止血完了…」
鉗子にガーゼを巻いて、患部から漏れた血を拭きとって行く。
今回の患者は 執刀医がやらかしたのか、がんの転移が3回目であり、体力から考えて、正確に、そして 最速で片付けないと いけない。
こう言う時は 手振れが 一切無い この義体の腕が非常に重宝する。
「あ~ここか…見にくいから、見逃していたのか…。
よし、切除に入る…」
なるほど…レントゲンやCTスキャンに慣れてないから見落としたのか…。
私が最後の1つ…多分転移の原因を切除している最中に後ろから新人で天才外科医の息子が入って来る。
「あとは こちらで やります。」
「またですか…後1分程待って下さい…今 切除、出血を止めます…完了。
後は縫合だけです…お任せします」
「……」
私は医院長の息子を見る。
緊張した顔、手も震えている…明らかに天才外科医とは思えない素人…。
それが優秀な外科医の取り巻きを付けて私から患者を奪う。
私が手術に失敗すれば 私の責任となり、私が成功させれば あの息子の成果となる…それが天才外科医である彼のカラクリだ。
私が台から離れ、交代すると上のガラス窓から証拠映像となる カメラの撮影が始まる…外科医が見れば一発で縫合のシーンだって分かるし あれはテレビ用かな?
まぁ女の私が ポンポンと手術を成功させちまうんだから、男どもも自分の立場を守る為に必死なのだろう。
私は患者さえ助かれば 名声なんて いらないと言う立場なのだが、こうもボロクソに扱われるとな…。
240連勤目。
なんでコイツは暢気に寝ているんだ?…麻酔で眠らされているだけだ。
コイツが死ねば、次の手術まで6時間は眠れる。
いや、6時間 眠る為に患者を殺すのか?
「あ~やばいな…」
麻酔で寝むらされている患者にブチ切れ始めた。
医療資格の為に必要な実務時間は とっくに超えているし、これで日本国内で診療所を開ける。
ただ、こう毎日ギリギリでスケジュールを組みやがるので、退職する機会その物がない。
今、私がここを止めれば これから手術する事になる患者が、別の担当に回される…その負担は相当だし、医療ミスが起きて患者を殺す事もあるかも しれない…他の社員の負担を考えてズルズルと退職を引き延ばす ブラック企業あるあるだ。
とは言っても、マジで患者をブチ殺しそうと考え始めたからな…これは危険だ。
「うん?順調だと思いますが…」
「いや、こっちの精神がだ…そろそろ睡眠時間 確保の為に患者を殺したくなってくる。」
「まさか…」
「今日で240連勤目だよ、すまんが明日からの仕事、肩代わり頼むわ…もう無理、患者をブチ殺しかねない。」
「240!!この労働環境で医療ミスをせずに、良く生きていられますね?」
「もう 潰れない この身体が嫌になるよ…後、度重なる嫌がらせもな…。
そんじゃあ、後は縫合だけ…任せるよ…退職届出してくるから…」
「あっちょっと…次の手術は?」
そう言い、私は無知やり手術室から出て行った。
医院長室。
「は?退職だと?仕事は?」
「医院長の裁量にお任せします…退職すれば私にはもう関係ありませんから…」
「他の外科医もキミと同じ状況で頑張っていると言うのに これだから女は…根性なしめ…」
あのな…精密作業が必要な外科医で嫌がらせ付きの過密スケジュールで240連勤をして、しかも医療ミス無し…こんな、条件を満たしているのは、この大学病院の中で私だけだよ…私が根性なしだと言うなら、この大学病院の人間すべてが根性なしだ。
「それで、ここを止めて次の仕事は如何する気だ?
せっかく手に入れた医療資格だ…まさか主婦って事はないだろう?」
女は仕事をせず 家を守っていろと言った感じの顔だ。
まぁまだ専業主婦が主流の時代だからな…。
「出会いがあっても、睡眠時間の方が重要でしたからね…。
ここを退職したら診療所を建てるつもりです…元々、その つもりで日本に来ましたから…」
「女が診療所を?看護婦じゃなくてか?そんなの不可能だろう。
と言うより、ここより設備も人材も無い 診療所で何をするつもりだ?」
「普通に総合ですよ…診察や薬の処方から 外科手術まで…一通り出来る診療医です。」
「はぁああ…私も キミの実力は、それなりに評価している…。
だが、自惚れるな それは ここの最新の医療機器を使っての事だ。
設備が不十分で情報のアクセスにも乏しい診療所で、果たしてキミは やって行けるのか?
それに ここで後 数年 頑張れば、立派な 女外科医として立派なキャリアを積めるだろう…給料も上がるはずだ。
これなら一生独身でも十分に生活出来るだろう…」
だけど、そのキャリアの大半は オマエの息子に行くからな…。
「ご心配どーも…。
ですが、私は使えない預金残高の数字に興味はありませんから…。
この通り、今日付けで退職を致します。」
「今日付け?
キミの仕事の引継ぎは如何する?患者を見殺しにする気か?」
「それを管理するのは医院長である あなたの責任です。
就労規則では 1ヵ月前に辞職の意志を示す事になっていますが、半年前にも一度退職する旨を伝えていますからね。
そこから ズルズルと ここまで引き延ばされたのですが…」
「だがそれは今では無い…」
「労基に報告するなら ご自由に…報告 出来ればですが…」
「チッ…ここまで、女で、しかも人ですら無い オマエに目を付けて 育てて来たのは私だ。
なのに 今、ここで辞めるのか?それは裏切りだ」
「確かに…あなたのお陰で注意深くなりました…麻酔も輸血もバイタルも すべて、自分で確認する様になりましたから…」
今までも 基本一人で手術をして来たが、ここまでメンバーが信じられ無くなるのも珍しい。
「さて、私はもう行きます…後、息子さんには 気を付けて下さい…。
あの子、縫合は 綺麗で良いのですが、人を傷つける事に慣れてませんね…やさしい子…そして臆病…多分、無理やり医者にされたのでは ないでしょうか?
それと勉強しているだけあって 知識量は非常に高いので 内科向きです。
あの方は職人ではない…学者です。」
「………そうか…何か有ったら連絡をしてくれ…可能な限り協力はしよう」
「助かります…では」
私は医院長にそう言うと部屋を出て行った。
外…久しぶりに見る空…暖かい日差し…。
「さて、まずは家に帰ってぐっすり眠るか…」
休みが出来て真っ先にする事が寝る事か…本当に毒されているな…。
そんな事を思いながら、失踪していたと思っていた近所の おばちゃんに出会い、私は家のドアを開け、埃被った室内に入るのだった。




