05 (ドロップ缶を持った少年)〇
1946年6月。
戦後のボロボロになった日本…。
ハルミは、今では 時代遅れのデザインの幌馬車のバギーを走らせ、日本のあちこちを巡っている。
日本は 戦争で備蓄していた石油を完全に使い果たし、飛行機や車が機能不全になって物流網が崩壊。
なので 今の車は 木炭の熱で動く 非力な木炭車が主流だ。
この幌馬車の燃料である酸水素は、トニー王国軍と離れている今では補給が難しい。
ただ、日本は水資源と山が豊富だ。
水と水力発電機を使えば、現地で水を電気分解して酸水素が確保出来る…。
まぁ発電機の出力の問題で、時間が かかるのだけど…。
物資も人員も薬も 何もかも足りない…特に医者の損失は大きい。
若い医者は衛生兵として前線に送られて死んでいるので、年配のベテランか まだまだ未熟の新人しかいない。
そこで誕生した苦肉の策が『インターン制度』だ。
これは、医学部卒業後に1年の「実地修練」を経なければ国家試験を受けられない様にする制度で、更にインターンの間は「学生でも医者でもない」という中途半端な身分のまま、ほぼ無報酬で医療行為を行わされると言うインターン生のみ ならず、患者をも危険にさらす制度になった。
ただ それでも医者の質を無視して現場に投入しないと この戦後の医療需要を満たせない。
現場では あらゆる薬品が不足しており、患者の主な症状の栄養失調は 今の状況では治療する事が難しい。
ただ、野草…特に たんぽぽが自生している所では、まだ望みがある。
患者の身体は 皆 やせ細っており、抵抗力の低下から感染症を発症する人も多く、現場の医者をサポートしつつ教育して行く日々だ。
1946年10月。
今は 金が無い貧乏は 医師に診て貰う権利すらない。
その為、私は基本的に無料で診断…出来れば 治療をしている。
大規模な感染症は、金が無い貧乏人を媒介にして広まっていくからだ。
なので 今日も駅前に幌馬車を置き、簡易診療所の開始だ。
隣では 浮浪少年が靴磨きの仕事をしていて、周囲には物乞いも多く、出勤した駅員が 駅の近くで餓死した死体の衣服を脱がして裸にし、火を点け、焼却処分している…そして死体が着ていた衣服は売られる…まさに羅生門…それが ここでの日常だ。
「やっぱり どこも公衆衛生がヤバイな…」
「おい女医さん…コイツ助けられますかい?」
駅員が私に言う。
駅員に連れられて患者の元に行くと、そこには 白いTシャツに膝が破けて見えている緑色のズボンを穿いた裸足の少年が柱に寄りかかっている。
少年の横には…これは施しだろうか?笹で包まれた おにぎりが置かれている…が、食べた形跡がない。
あれ?このおにぎりってミドリムシのソイフードだよな…定期的に ここら辺に落としている支援物資か?
私は すぐに少年の腕を掴み 脈を調べる…。
心拍、脈拍共に低下しており、ペンライトを少年の目に当てると瞳孔が縮まる…。
ただ、眩しい時に まぶたを強く閉じたりする反射行動がなく、彼の目から一切の生気が感じられない。
「コイツ…施しを受けてるってのに食べないんですよ…。」
「食べる体力すら残っていないんだろうな…」
私は聴診器を服の上から当てながら言う…やっぱり、消化器官が衰えている…。
これじゃあ この おにぎりを食べても胃が受け付けず 吐くか、ロクに食べ物から栄養を吸収出来ずに 下痢になってしまい、栄養が身体の外に出てしまう。
「治せるが これはヒドイな…重症だ。」
「金が掛からない範囲で頼みまっす」
「いや、見殺しにする気はないだけど…これはドロップ缶か?」
糖分を効率良く補給出来るドロップ缶は 飢餓対策 有効だ。
ただ 一般労働者の月収位まで高騰しているドロップ缶を何処で手に入れたのか?
私は缶のキャップを外し、手に向けて缶を振る。
「なっ遺灰?」
ドロップ缶から 手の平に遺骨と遺灰が落ちる。
「身内の誰かが死んだのか?…となると後追いか?」
身内が死に…自分を後を追って死ぬ事で死後の世界で会おうとする…そんな考え方だ。
私は遺骨と遺灰を丁寧にドロップ缶に戻し、しっかりとキャップを閉め、少年に握らせ、少年は弱々しい握力でドロップ缶を握りしめる。
「そっちの価値観なんて知ったこっちゃねぇな。
こっちからすれば 自殺は大罪だ。
死んでラクになろうと思うな…私が生かして地獄の人生を味合わせてやる!」
私はそう言うと、少年を両手で持ち上げる…軽いな…。
「助かりますかい?」
「ああ…確実にな…。
その おにぎりは この子は食べられない…そうだな…靴磨きの少年にでも渡してくれないか?」
「分かりやした」
少年を幌馬車の中に運び、寝かせる。
治療方法は 簡単で栄養剤の点滴だ…これでまず 消化が出来るまで回復させて、後は 離乳食から始める。
針を腕に刺して点滴に繋いで はい、終わり…と。
「とは言え、生きる気が無いヤツは 回復したら また自殺を始めるだろうな。」
ここで治療してやる事は出来るが、彼のその後の生活を支えてやる事は出来ない。
そこまで やろうとすれば、患者の数が 何十人、何百人と増えて行く。
平時なら ともかく、今の私のキャパでは これ以上は 救える命も救えなくなる。
保育院に送るか?…現在 保育院は2ヵ所…。
千島列島と小笠原諸島で、小笠原諸島の保育院は 今、ナオが造っている所だ。
そこに送れば とりあえずは安全か?
『こちらハルミ…ナオ、応答できるか?』
私は量子通信でナオに連絡を入れる。
『こちらナオ…ハルミからの連絡なんて久しぶりだな。
それで?』
『そちらの保育院の状況は如何なっている?』
『ああ…正式に エクスマキナ教会の所属になった。
クオリアの所に避難していた ヤツが 何人か来ているが?もしかして新しい孤児か?』
『ああ…しばらく こっちで治療するが、回復したら まとめて頼めるか?』
『OK…エアトラで回収するから 30人位 まとめて来てくれると有難いんだけど…。
適当に孤児を探して見てくれるか?今の時期 大量に出ているだろう。』
『分かった探してみる…ありがとう…』
『まぁ…10年後の投資だと思えば安いよ…。
今後は優秀な人材が大量に必要だからな…それじゃあ、集まったら連絡入れてくれ、じゃあ』
ナオはそう言うと通信が切れた。
「さてと…ひとまず受け入れ先は 確保出来たな。」
私はそう言い、駅前で幌馬車の簡易診療所を始めるのだった。
翌日…。
駅の柱の前で少女が膝を付き、涙を流していた。
あの少年が寄りかかっていた柱だ…少女の手には笹で包んだ ソイフードのおにぎりが握られている。
「もしかして、ここに おにぎりを置いた人か?」
「そう…でも、しんだのね…。
ぜんぜん、握り飯 たべようとしなかったし…。」
「なんで助けようとしたんだ?
オマエだってガリガリじゃないか?腹減ってキツイんだろ。」
「うん…。
でも これは『飢餓状態の人に優先して食糧をまわせ』って書いてあったから…。」
「トニー王国軍の支援物資か…律儀だな…。
普通 身内で独占しないか?」
「たすけあい だから…」
「そっか…あの少年なら今、私の診療所で治療中…。
あってみるか?」
「もしかして、お医者様?」
「そっ私はハルミ…トニー王国の医師だ。」
「とにーおうこく…あっナオせんせーの?」
「なんだ ナオを知っているのか…。」
「うん、ピカドンから たすけて もらったから…」
「あ~てことは、ナオが広島で助けたって言う楓ちゃんか…。
てか、良くここまで これたな。
よっと…はい、この中…」
楓が段差を上って幌馬車の後ろから入る。
中には あの少年が寝かされており、その周りには 薬などの医療用品が積まれている。
「そいつ…全然、口きかないんだよ」
声帯は無事だし、ストレスから来る吃音症の可能性もあるんだが…そもそも声帯を動かしてない。
少年は腹の上でドロップ缶を持ち、死んだ目でじっと幌馬車の天井を見つめている。
眠っている場合、眼球がクルクルとランダムに移動し始めるので 覚醒状態だと言う事は確かだ。
だが、呼吸などの生命維持は普通に行えているが、自発的行動が無く 魂が抜けきっている。
症状的には植物状態…頭に栄養が行かなくて脳の何処かが損傷したか?
3ヵ月以内に回復しなければ、治る確率が ぐっと下がり、6ヵ月で ほぼ望みなし…。
トニー王国では 植物状態が6ヵ月続いた場合、治療コストの問題から 安楽死させられる…トニー王国では 医療費が無料の都合上、線引きは絶対に必要だからだ。
「おっ…」
楓が近寄ると視線を動かして楓を見る…。
興味がある物と興味のない物を区別していると言う事は、意識が ちゃんとあるな…。
楓が少年の手を丁寧に握り始める。
「わたしは、かえで…あなたの おなまえは?」
「…すぇ…すぇ…たぁ」
少年が苦しそうに声帯を動かして発音する…これは植物状態じゃなくて ストレスから来る 吃音症だな。
「すぇいたー?う~ん せいた?」
コクッ…楓の言葉に首を縦に振る…こちらじゃ出せなかった反応だ。
「よし、回復は順調だな…楓、そのまま一緒にいてくれないか?
出来れば軽く身体を動かせてくれ」
「わかった」
私はそう言うと、外で並び始めている患者達を見に来るのであった。
爆撃により 更地にされた瓦礫を子供達と一緒にどかし、長い棒で円を描いて真ん中にHのマークを描く。
「このマークは何?じゅじゅつ?」
楓が私に聞いて来る。
「呪術?あ~魔法陣の事か?
まぁこれは 目印かな…」
集めた子供達は全部で30人…内、年齢1ケタの女児が多い…。
女の場合、子育てや家事など賃金が発生しない仕事が殆どなので、金を稼ぐ事は困難…。
女は夫の給金に依存しないと生きて行けず、女単体で生きていけるのは遊郭…つまり性産業位で、それも老化と言うリミットが必ず存在する。
なので、食料難になっている親が 口減らしをする場合、働き手になれる男児より、働き手になれない女児が優先して売られる訳だ。
パタパタパタ…。
小笠原諸島から飛ばして来たエアトラだろう。
斜めに向いていたプロペラが真上に向き、着陸態勢に入る…。
「皆、退避だ…ここに降りて来るぞ」
「わっわっわわ…」
子供達が一気に散らばり、瓦礫の後ろに隠れる…戦争を生き残っただけ あって、その行動は非常に手慣れている。
エアトラが瓦礫を吹き飛ばしながら地面に着地…エンジン出力を最小まで落とし、後部ハッチが開く…。
「お疲れ…さぁ乗って…あまり時間が無いよ」
降りて来たナオが言うと子供達が次々と乗り込んで来る。
「はい、これ…プロフィール」
ナオが書類を受け取りペラペラとめくる。
「うん極端に体重が重いヤツはいないな…てか軽過ぎ…。
ハルミは これから如何するんだ?」
「原爆の健康被害と追跡調査もとりあえず出来たし、私は千島に戻るかな。
私がいなくても如何にかなる 様に教育して来たとは言え、6ヵ月も開けている訳だからな~」
「分かった…じゃあオレは とっとと行くわ。
ご近所さんに ご迷惑を掛けちまうからな…」
「ああ…子供達を頼む」
私が そう言うとナオは後部ハッチから乗り込み、ハッチが上がって閉鎖する。
私は距離を開けて しばらくして突風を吹きだし、周りの瓦礫が風で吹っ飛ばしながら 小笠原諸島に進路を向けて上昇して行くのだった。