10 (身近な高度暗号)〇
チクタク、チクタク
メンバーのデスクで エニグマの暗号をひたすら解こうとしている。
チクタク、チクタク、辺りは静かで時計の音だけが聞こえている。
ジジジジジジ…。
午前0時を鳴らすベルがなり、今日の私達の仕事が 無意味になる。
「あ~今日の仕事も終わりだ…。」
コーネルが頭をかきむしりながら言う。
午前0時になると エニグマの初期設定が変わり、また1からやり直しだ。
「お疲れ様…」
ジョーンがコーヒーを出してくれる。
エニグマは 3つのローターと反転プラグの暗号器から作られており、総当りの場合の暗号の数は159の18乗…。
159の後に0が18個続く数だ…不眠不休で総当りして 5兆年ほど掛かる計算になる。
しかも苦労して解いた5兆年後には エニグマの初期設定が変わっているので、解けたとしても 全く意味が無い。
なので、初期設定が変えられる 24時間以内に…いや、最初の暗号文が届くのが午前6時なので18時間以内で解かなければ ならない。
「チューリングは?」
「倉庫で『ボンベ』のセッティングをしています。」
ボンベとは エニグマを解読する為に編みだされた機械で、主にチューリングが 解読の効率を上げる為に カスタマイズしている。
が、当然ながら まだ成果は出ていない。
「またか…チューリングが こっちを手伝ってくれれば、仕事がいくらか進むと言うのに…」
私は座られていないチューリングのデスクを見つつ言う。
「この暗号は人の手で 解くのは不可能です。
私とアランは クリストファーの改良を行っていますが、着実に計算速度が 上がって来ています。
私達の成果は リセットされる事もありませんし…。」
ジョーンが良質な紅茶が入ったカップをテーブルに置きながら言う。
「確かに…ん?クリストファー?チューリングは ボンベに名前を付けたのか?」
「ええ…彼の亡くなった 友人の名前だそうです。
学生時代に変人だった彼を救ってくれた人物のようで…」
「そうか…それで、ジョーン…そのクリストファーは 5兆年分の計算を出来ると思うか?」
「無理でしょうね…彼だけでは…。
今のクリストファーは、無限の可能性がある問題を解いているので結果が出せません。
だから、人の手で想定される可能性を減らさないと行けないんです。
私達が探索する可能性を狭める事で、クリストファーが計算して解けるレベルまで数を落とします…そうすれば 私達の勝ちです。」
「気の長くなる話だな…。」
「確実に年単位の仕事になりますからね。
それに その頃には終戦しているかも…。
さあ帰って眠りましょう…明日も6時から仕事ですから」
ジェーンはそう言い、部屋を出て行った。
そんな絶望的な生活にもメンバー達は慣れる物で、次第に徹夜も しなくなり日常生活の一部となった…。
昼休み。
「腹が減った…ランチにしよう。
オレ達は ランチに行くけど…アラン?」
エニグマ解読のメンバーの1人であるマシューがデスクで設計図を引いているアランに言う。
クオリアはアランを見る。
私は食事が出来ないので、いつも一人飯と言う事になっている。
「何だ?」
「オレ達は ランチに行くけど…」
「分かった。」
「っオレ達は ランチに行くけど!」
マシューは繰り返す。
「だから 分かったって…」
「チッ…一緒にランチに行こうと言っているだろう!!」
「違うなキミは これからランチに行くと言った…一緒に行こうでは無い。」
「あ~そうかいよ…。
じゃあ他に腹が減ってる人は?」
アランが手を上げる。
「は?アラン…キミは ランチに行かないんじゃなかったのか?」
「キミは『腹減っている人と聞いた』だから僕は手を上げた。
サンドイッチとスープが欲しいな。」
「なぁ何でキミは そんなに自分勝手なんだ?」
「自分勝手?僕が?そうなのか?」
「そう…オレ達はチームだと言うのに キミは いつもスタンドプレー。
それに いつもオレ達が付き合わされる。」
「付き合わされている…それじゃあ それは スタンドプレーじゃない…。
それに クリストファーの事については 僕が一番知っている…。
皆に手伝って貰うにしても 僕が絶対に必要…。
この仕事は 他の人には 任せられない…」
「はぁ…分かったよ…それでクオリアは?」
「私もいい…後で私がアランの食事を買って来よう。」
「了解~それじゃあ行くよ…」
皆はランチに行き、私は外に出てアランのサンドイッチを買って来る。
倉庫。
「皆は 時々、僕が分からない暗号を使う…」
アランが 片手にサンドイッチを持ち、クリストファーの調整をしながらクオリアに言う。
「暗号?」
私は 椅子に座って 見ていた アランが描いた設計図から目を外し、アランの方を見る。
「そう…さっき だって『オレ達は ランチに行くけど』の暗号文に対して皆は暗号を解読して『一緒に食事に行こう』だと理解していた。
この暗号を解読 出来なかったのは僕だけ…多分 解読キーを僕は持っていなかった。
僕も解読キーを持っていれば、一緒に行ったのに…。」
「暗号ね…。」
あ~そうか…アランは ナオと同じで アスペルガー症候群だっけ…。
「なあ…高度な暗号を解く為に一番必要な事は何だと思う?」
私は アランが理解しやすい様に暗号からのアプローチに切り替える。
アランは 昔のナオと同じで、言葉をそのまま受け取り、言葉の裏を見ていないんだろう…なら、こちらがアランを理解して、思考を誘導すれば良い。
「暗号の中に何かの共通点を見つける事…。
それが高度暗号の最初の一歩…」
「違うな…相手の文化を理解する事だ。
重要なのは『相手が如何言う思考をして、この文を作ったのか?』だ。
解読の為の鍵は そこにある。
私がトニー王国の暗号を解いたのは、数学では無く 民俗学の観点から解いたからだ。」
「う~ん…『オレ達は ランチに行くけど』の暗号は、相手の立場に立てば解けると?」
「そう…今も一見 別の話題である暗号の会話から、アランは類推して その結論に たどり着いた…ちゃんと鍵を受け取れた訳だ。
後は アランが言う様に、日常的な相手の発言から来るパターン解析と統計論で この問題は解ける。
で、この暗号をちゃんと受け取れていれば、それがチームワークになる。」
「僕は それは無理だ。
僕は 数学的な パターン解析と統計は出来る…。
が、如何やら僕が見えている物は 皆と違うらしい。
見えている物が違うなら 同じ結論にならない。」
「ふむ…」
私の名前の由来でもある クオリアの問題だな。
「でも…クオリア…キミが 皆を観測して それを解読して僕に伝えてくれれば良い。」
「私を解読機として使うと?」
「そう…僕は変人で…皆が考え付かない事をやれる。
でも、僕は 普通の人みたいには 振る舞えない事も知っている。
なら、誰かの力を借りるしかない…僕は万能じゃないから…。
僕はキミが出来ない事を出来るが、キミは僕が出来ない事も出来る…それが人だと僕は思っている。」
「私は自分が万能だと思っているが、私もアランと同じ意見だ。
分かった 私がアランの解読機になろう…。」
私が握手をする為に手を出す。
「?」
「契約の握手だ。
応じてくれれば契約が成立する。」
「よろしく」
私達は しっかりと握手をした。
翌日 午後12時…。
「さて、昼休憩だ…皆は如何する?」
「行く」「私も…」「……ふう…アランは?」
「如何する?僕はランチを取る。」
「そうか…」
皆が立ち上がり、食堂に向かおうとする。
「あ~アラン…ランチに誘われているぞ」
「そうなのか…それじゃあ、僕も一緒に行こう。」
私がアランに伝えると、アランは ちゃんと言葉を返して来た…大丈夫そうだな。
「アランがオレ達と一緒にランチを取るなんて初めてじゃないか?」
「いや…サンドイッチを届けて貰った時、ここで皆で 2度食べた。」
「そうか…クオリアは?」
「ここにいる…」
「アランもそうだが、キミも付き合いが悪いな。」
「こっちは小食なんだ…一人前も食べれない。
この食糧危機の世の中で 食べ物を廃棄する事だけは 回避したい。」
私は皆を毛嫌いしていない事を伝える。
「そっか…それじゃあ 行って来るよ。」
「楽しんで来ると良い。」
私がそう言うと皆が 研究所の外に出て行った。