23 (戦死者の霊に報いる為に)〇
第一次世界大戦が勃発した。
愛国心の強いフリッツ・ハーバーは 軍に従軍を志願するが 却下され、銃の代わりに 研究所と実験機材を与えられ 研究員となった。
私は 軍からガソリン凍結防止用の添加剤の開発を命じられた。
フリッツ研究所では、日夜実験を行い、ガソリン凍結の問題を解決するための方法を見つけ出した。
私は その才能を評価され、私の研究は 大いに注目されることとなった。
ある日、とある階級の高い軍人が研究所を訪れた。
「こちらにどうぞ」
フリッツと軍人は ソファーに座ってコーヒーが出される。
軍人はコーヒーを一口飲み、落ち着いた所で、厳しい表情で話し始める。
「フリッツ、お前には 重要な任務がある。
我が軍の為に 敵を一掃出来る 毒ガスを開発して欲しい。」
「それは、ハーグ陸戦 条約で 禁止されているでは?」
フリッツは少し躊躇する。
「ハーグ陸戦 条約では『毒、または 毒を施した兵器の使用』だ。
確かに毒ガスは該当するが、これは使用では無く、開発、製造だ…違反はない。
それに、劣勢になったフランス側が 戦況をひっくり返す為に条約違反をして 毒ガスを放つかもしれない。
これは もしもの時の為の備えだ。
フランスが毒ガスを放った後に こちらが毒ガスの研究をしても 間に合わないからな。」
軍人が言う。
私は ドイツが好きだ…愛国心も強いと思っている…だから 国が勝つ為なら あらゆる事をする覚悟だ。
今は善戦しているが、連合国側の参加国が増えた場合、数で 劣っている 我が軍が かなり不利な戦いになるだろう。
その為、効率良く敵を殺し この数の差を ひっくり返すには、毒ガスが効果的だ。
私は理性では そう思いつつも それが人道に反するものである事も理解していた。
とは言え、これは 実質の強制だ。
軍や政府からの支援で成り立っている研究所に拒否権は無い。
「分かりました…開発をしましょう…塩素が使えるますかね…。」
今ドイツでは 塩素が生産過剰で余っている…塩素ガスなら毒ガスとして機能するだろう。
私は前向きに考え、想定される課題を頭に思い浮かべた。
私は 前任者である ネルンストの失敗の資料を手に入れて 新たな方法を考案する必要があった。
私は アンモニア合成などの時に作った つながりを活かし、毒ガスの材料を確保するために様々な手段を講じた。
私は 物理化学、電気化学の研究所を巻き込んで 新しい毒ガスの開発に取り組み、そして完成させた。
しばらくして…。
「これが…か」
軍人がガスタンクを抱えながら言う。
「ええ…塩素ガスです。
塩素ガスは、人体の、眼、鼻、気管、肺などに ダメージを与えます。
ただ、手榴弾のサイズでは効果は 薄いです。
塹壕内のガス濃度を高めるには、ガスタンクの栓を開けた状態で塹壕内に入れる必要があります。」
「分かった…我が軍の大規模な反攻作戦になる…毒ガスの開発者の協力が必須だ。
ガスが効果的に使える様にするのと 再侵攻の為に各部隊との綿密な連係を取りたい。」
現在 戦線は 膠着状態になっており、連合国軍は人、物資を西部戦線に大量に送りつけている。
対して、海上輸送が制限されている現状では 前線への補給は上手く行っていなく、兵士達は 苦しめられている。
現在の状態が続いた場合 遠からず、連合国軍側は こちらの数十倍の物量と死者を出して、西部戦線を突破するだろうと 想定されている。
この物量を巻き返すには、もう毒ガス位 しかない。
毒ガスで戦線を押し上げ、その時間を使って海上の補給問題を解決する。
今の状態で使える手はこれしかない。
「分かりました。
私に今回の作戦の立案に関らせて下さい。」
「上に掛け合ってみよう。」
同盟軍は フリッツの案の元、毒ガス作戦を展開した。
低空飛行しているドイツ軍の爆撃機が フランス軍の塹壕に大量のガスタンクを落とし、その一部が 塹壕内に侵入。
ガスタンクから大量の塩素ガスが噴き出し、塹壕内の兵士は 目が開けられ 無くなり、せき込み、気管、肺などが損傷し、実質 戦闘不能。
ガス濃度が高い場所では 兵士が呼吸困難になり 死亡する。
効果は てき面…フランス軍は 同盟軍側が化学兵器を使う事を想定していなかった らしく、相手の不意を突けた我が軍は、膠着状態だった前線を4kmも前進させる事が出来た…作戦は 大成功である。
ただ、トニー王国を始めとした連合国が毒ガスを使用した同盟軍を批難…。
当初は 効果的だった毒ガスだが、連合国軍側に ガスマスクが配備され、兵士達に毒ガス対策が広まると急激に戦果が減って行き、連合国軍側も本格的に毒ガスを使い始めた。
ある日、新しく配属された新人の研究員達が 毒ガスを作る 私の行動に疑問を抱いていた。
「ハーバー博士、毒ガスは ハーグ条約に違反するのでは ないですか?」
若い研究員の1人が 最もな事を尋ねた。
フリッツは深く考え込んだ後「フランス軍が最初に毒ガスを使用したからだ。
我々もそれに対抗する必要があるのだ。」と答えた。
「でも、それって催涙弾ですよね。」
無駄に賢いな…。
「こちらが勝ってしまえば 後世に記録される歴史書に フランス軍が 催涙弾では無く 毒ガスを使用したと変える事も出来る。
重要なのは 何としても戦争で勝つことだ。
負ければ、今度は 向こうに都合の良い歴史を押し付けられる。
それはヨーロッパの歴史を知っていれば分かる事だろう。」
「理屈は分かりました…ですが、あなたの考えには 共感 出来ません。」
「それで良い…毒ガスが間違っているのは 確かだからな。」
フリッツは苦笑いしながら言う。
私は次なる毒ガスとしてマスタードガスの開発に着手している。
これは 吸えば 呼吸器にもダメージを与えられるが、ガスマスクをしても皮膚からの吸収で体内に侵入し、皮膚の炎症などの耐え難い痛みを兵士に与え続ける。
しかも 遅効性の為、気付いた時には手遅れの状態になり易い。
毒ガスは人道的では無い?
私に対しての批難は ちゃんと受け止めよう…その上で勝つには 必要だから私は毒ガスを開発している。
ただ 国際的な批難を浴び続ける妻クララは、私の毒ガス兵器の開発に反対し続けた。
「フリッツ、もうをやめて…。
あなたは国の為に尽くしたわ、もう あなたの手を汚す事はないわ」とクララは必死に訴える。
「私がやらなくても 誰かが 私の研究を引き付ぐし、そして その引継ぎの時間だけで 前線で大量の兵士が死ぬ。
結局、汚す手を誰かに押し付けるだけで 変わらない。
それにドイツが敗戦すれば、この国はもっと悲惨な事になる。」
その後 私は クララが待つ家に帰る事も無くなり、研究室で寝泊まりを行い、クララの言葉に耳を貸すことは 無かった。
それが いけなかった。
クララは 周りから批難を受け続ける生活で ストレスを抱え、私への抗議の遺書を書いて自殺した。
その話を研究所で聞いた私は 涙を流せたが、彼女の葬式に出席する時間で 現場で死ぬ現場の兵士を思うと 葬式には出席が出来ず、私は研究室で毒ガスの開発を続行した。
私はクララを愛している…彼女の為なら 1000人の兵士を犠牲にしても 良いと考えている。
だが、1万の兵士と クララの命では 兵士の命を優先してしまう。
私の時間は 現場の兵士の人の命で出来ている。
私がコーヒーを飲む時間の開発の遅延で何人が死ぬか、私が眠っている間に現場では何人 人が死ぬのか…。
私は 1000人の兵士の命を犠牲にして 時間を作り、新しく出来た 彼女の墓の前まで辿り着く。
「すまない クララ…。
でも、私は もう後には 引けないんだ。
今まで犠牲になった兵の命を無駄にしない為に…」
クララの死に苦しみながらも 研究を継続する決意を固めた。
戦況は悪化の一途を辿る。
(この戦争で勝てる見込みはない)
私の理性はそう告げている。
だが 霊感能力は 無いはずなのだが、私の背中には 死んで行った数十万の兵士の霊が見え、それぞれが 自分の犠牲を無駄にしない様にと 私に訴えて来る。
ただ その中にクララの姿は無い…彼女には まだ 許して貰えていないみたいだ。
10人救う為に1人を犠牲にする…100人救う為に10人を犠牲にする…1000人を救う為に100人を犠牲にする。
10万…20万…と、犠牲者の数が どんどん増えて 私の肩が 霊により重みが増していく…。
彼らの命に報いる為にも 私は 毒ガスの開発を止める事が出来ない。
もし ドイツが敗戦してしまったら、国の為に犠牲になった すべても兵士が無駄になる。
それだけは、何としても防がないとダメだ。
今日も私の研究で 死体を積み上げ、肩が重くなるのだった。