19 (熱気球オリンピック)〇
パリの近くでは、万博と同時にオリンピックが行わており、陸上、水泳、サッカー、テニス、ゴルフ、ラグビーなどの球技に、フェンシング…。
釣り、ボート、自動車、自転車、馬とギャンブルが捗りそうな種目に、射撃やアーチェリー。
珍しい所だと綱引きと熱気球のレースだろうか?
それらが毎日の様に繰り広げられ、世界初の女性選手を含めた997人の選手が毎日 自分達の技術を競っている。
そして、いくつかのレース競技に関しては 国の代表だけでは無く、企業や一般参加が認められている競技もあり、パリ全体は何処も毎日がお祭り騒ぎだ。
今日は熱気球のレースが行れる予定で、広場には大量のカゴとそれに取り付けられた、まだ空気が入れられていない しぼんだ 気球の布が見え、その1つにクオリアと何人かの技術スタッフがいる。
クオリアは、クラウド商会所属の熱気球の選手で、これから パリからロシアまで1925kmを おおよそ35時間かけての飛行する予定だ。
「まさか…クオリアが参加しているとはな…」
ナオがクオリアに言う。
「そもそも、ここに来たのは気球を飛ばす為だからな…」
「時速300kmを出せる航空機が もうあるってのに、熱気球か?」
「そう…アナログは、アナログの良さがある。
風の影響をモロに受けるから、風を予測して気球を制御する技術が必要なんだ。
私達は気球から入る所をいきなり航空機を作ってしまったからな…。
この気球はトニー王国の気球クラブが開発した物だ。」
「オレがいない間に、そんなのが出来ていたのか…」
「後はパラグライダーも始まっているしな…やっと航空機関連の娯楽が増えて来た。」
「まぁ…エアトラとAI学習が落ち付いたからな…」
垂直離陸が出来るティルトウィングのエアトラは、サポートAIであるコパイの学習が進んだ為、目的地さえ入力してしまえば、離陸から着陸までを完全に自動操縦で行ける。
最近だと操縦桿の代わりに キーボードとトラックボールマウスが搭載され、もう操縦と言うより コパイに指示を送っていると言った感じだ。
大半の作業をAIを使って自動化したお陰で、他の航空機より 圧倒的に簡単に資格を取れるようになったが、AIの性格的に コパイは 機体が安定した乗客が快適な軌道を好むので、ドックファイトなどの戦闘機動が取れないと言うデメリットが存在している。
つまり、戦闘機にはデータを転用が出来ない訳だ。
なので、今は無人の小型ドローン戦闘機用のAIを学習させていて、テスト中となる。
DLの戦闘戦術や部隊運用も着実に進歩して来ているので、本番には十分 間に合うだろう。
熱気球の競技に参加しているすべての気球に熱が入り 膨らんで行く。
クオリアの気球は、限界まで圧縮した酸水素のタンクを4本積んでいて、外部からの酸水素で膨らませている。
「あれ…普通の気球と違うな…」
クオリアの気球は 普通の気球と構造が違い、難燃性で軽いガラス繊維の布で出来ており、真ん中に十字で仕切られ、4つに分割されている。
「前後左右の温度差で 方向をある程度 調節出来る様にする機構だ。」
「なるほど…安全性も高そうだな。」
クオリアの熱気球は、歯数が12の銀色の歯車の形のトニー王国のマークがデカく描かれていて、その下に『Cloud-Company』とクラウド商会の名前が書かれている。
まだトニー王国の名前は表に出ていないはずだが、一応ここが初のオリンピック出場だ。
「では行って来る」
クオリアは ホースを外して外部から内部燃料に切り返る。
「帰りは?ロシアに行くんだろう?」
「ああ、ゆっくりと観光しながら戻るから1ヵ月は掛かるかな…。」
「気球で戻って来れないのか?」
「向かい風になるから、雨の時の低気圧を上手く利用して帰る必要が出て来から難易度は各段に上がるし、1週間以上は 現地で待たないと行けなくなる。
例え、上手く帰ってきたとしても ずぶ濡れだな。
それじゃあ…」
クオリアは 気球の温度を上げて ゆっくりと上昇して行き、次々を熱気球が上がって行く。
空が様々なイラストが描かれている熱気球で埋め尽くされ、オレ達は手を振ってクオリアを送り出した。
「さてと…」
クオリアは、圧縮された酸水素のバルブを開いてバーナーへの供給量を増やす…。
更にバーナーには、ガスコンロの様な摘みが付いており、火の火力を細かく調節出来る。
気球の内側の温度が上がった事で、上昇が始まり、巡航高度に着く前に摘みを閉めて、温度を下げて巡航高度に気球を固定する。
後は気温に合わせて温度と高度を維持しつつ、風に流されてロシアに向かうだけだ。
上空は夏だと言うのに肌寒く、他の気球のパイロット達は 防寒対策にコートを着ている。
私は各温度計や高度計を見ながら そのデータを頭の中に記録して行く。
気球は内側と外側の温度差を調節する事で上昇をしたり下降したりする。
上昇がしたいならバーナーで中の空気を過熱させ、下げたいならリップラインを言う紐を引いて上部にある排出弁を開放する事で中の空気を逃がして降下する。
左右の移動は基本出来ず、気温や風の流れに合わせて適切な高度を維持するのが、パイロットの仕事になる。
この気球はガラス繊維製なので、断熱効果が高く、熱が逃げにくい為、燃費は良いが 降下時の性能が低い。
なので如何に排気弁を使った降下をせずに自然冷却で高度を下げるかが、この気球の性能を引き出す為の課題となる。
現在、私の気球は6番目…。
前にいる機体は 私より上の高度を取っている。
確かにあそこなら風の流れが早く速度も出せるが、気温も低い為、高度を維持する為の燃料も多く取る事に なってしまうだろう。
速度と気球の断熱性能、そこから導き出される 燃料消費量を考えた場合、この高度が最適だ。
後ろには私に追走する形で気球が並んでいるが、彼らの気球の断熱性能から考えると、もう少し下の方が燃費が良い。
レース開始から6時間…。
そろそろ脱落機が出始めて来た。
降下した時に空気が抜けすぎて、余計に燃料を消費してしまった者…。
単純に気球に布の強度が足りず、布に穴が空いてしまい降下して行く気球…。
更に隣の気球との間隔を詰め過ぎたせいで、細かな風の流れに修正が間に合わず、気球が激突して落ちる者…。
原因は色々だが、空気が抜けた気球はゆっくりと落ちて行くので、大体が軟着陸となる。
まぁこの辺りだと 交通機関も限られているし、帰るのが大変だろうが…。
そして夕暮れ…大半の気球は高度を限界まで上げ始めた…寝る為だ。
日が沈んで夜になると周りの気温が下がり、パイロットが寝ている中でゆっくりと気球が降下していく。
私と同じ高度を保っている気球は、2人乗りで交代交代で寝ている。
常に気球の面倒を見れるのは2人乗りのメリットだが、常に60㎏程度の重りを追加で乗せる事となり、その燃料消費量は、1人運転で夜間を寝ている気球の燃料消費量を上回る…気球はどれだけ軽いかが重要だからな。
「脱落はしないだろうが…抜かれる事も無いだろうな。」
私も1人パイロットだが 体重が80㎏もあるので、1人パイロットの中では重い方になる。
それを補う為にガラス繊維を使って軽量化している訳だが、先頭とは あまり差を縮められていない。
「ふむ…目立ったミスでもしてくれない限り、勝つのは難しいかな…。」
私は前の気球達を見てそう言うのだった。
2日目 夜明け…。
名前が分からない山脈から太陽が顔を覗かせ、日の出が始まる。
パイロットが起き始め、私の気球の高度より下がっていた気球達がバーナーに火を入れて 次々と私の上の高度に上がって来る。
私は計算された巡航高度を維持しつつ、相手がミスするのを ひらすら待ってる。
昼…。
ボイラーから黒い煙を出して空気を温めて進んでいる気球の高度が落ち始め次々と脱落が始まる…原因は燃料不足だ。
黒い煙の正体は 粗悪な石炭を燃やして出来た不完全燃焼だ。
つまり、燃やした時の小さなエネルギーロスが、石炭の消費を早めて予定より早く燃料が尽きた事になる。
同じ石炭のボイラーでも品質の良い石炭を積んでいる気球は、完全燃焼状態の白い煙を出してロス無く完全に燃えている。
この気球達は もうしばらくは 持つだろう。
私の前を進んでいる気球は、液体である生成された工業用アルコールを使っており、重量当たりのエネルギー密度が更に高い。
で、私が使っている酸水素は、気体なので軽く、これよりもエネルギー密度が高いが、酸水素は気体なので、タンクの中に限界まで圧縮して入れたとしても限界があり、液体燃料に比べてあまり量を積み込めない。
これが液体水素になれば、燃料的には圧勝なんだが…。
夜…。
昨日と同じ様に高度を限界まで上げて 眠り、ゆっくりと高度を落として行く。
ただ、空気が薄く 30時間の長期フライトは 人の頭に疲労を与えるには十分の環境で、頭痛などの症状も出始めており、小さなミスを度々起こしている。
この分だと到着時間は 日付を跨いだ午前1~2時…後5~6時間のフライトだ。
足が大分 遅くなっているが、石炭式のボイラーを積んだ気球が3機残っていて、私の前にはアルコールを使っている気球が4機…。
30時間前は空を埋め尽くす程の気球があったが、今では生き残りは8機だけになっている。
他の気球の動きを見る限り、ここにいる8機は このまま完走 出来るだろうな。
そして深夜…残り1時間…。
石炭ボイラーの気球の脱落は無し…足は遅いが十分に燃料は足りている。
アルコール式も脱落は無し…1位は水平線にポツリと小さくいる状態でかなり距離が離れている。
「そろそろ仕掛けるか…」
私は気球の後方の2つのバーナーに火を入れ、前方のバーナーには火を入れない…。
こうする事で、気球が前のめりに傾き、更に私を乗せているゴンドラを前に傾け、気球の速度を上げて高度が上がって行く。
今までひたすら高度を維持し続けて来たが、ここで初の上昇だ。
加速しつつ斜めに上昇を行い、前側の空気を抜いて調節をしつつ斜め下に落下する。
落下速度を使って更に加速し、前にいた気球を2機上から追い抜く…現在3位…。
気球の調整をしつつ、更にもう一回…加速をしつつ上昇…。
前に見える2位の気球の下を潜り抜けて上昇し、これで2位。
1位は…降下姿勢に入っており、もう追い越す事は出来ない。
「時間切れか…」
私は空気を抜きつつ、浅い角度で降下を始め、ライトが照らされ、深夜の1時だと言うのに観客がそれなりにいる夜の草原に滑り込む形で着陸をした。
観客の中の記者がカメラを構えて 電球のフラッシュを光らせ、フィラメントが切れた電球を素早く再装填して次々とライトに照らされている気球の写真を撮って行く。
1位はフランス…一応メンツは保てたみたいだな。
2位が私…その次は 私がギリギリで追い抜かした2機の気球が降りて来ており、3、4位がブリテン…続いてアメリカの2機…。
しばらくして、石炭ボイラーの気球が降りてくるが、こちらを追い抜こうと熱を入れ過ぎたのか、冷却が仕切れず、私の気球の頭を通り過ぎ少し離れた所で乱暴に着地した。
「えーと2位の方は?」
「クラウド商会です。」
「国では無く企業ですか…」
「ええ、完走は出来るとは思っていましたが、正直 2位になるとは驚いています。」
私は記者に言う。
多分、一般企業の参加を許可したのは、見栄えを重視した盛り上がり要因であって、まさか 2位になるとは想定外だったのだろう…。
「さて、まずは撤収作業かな…」
気球の空気を抜いてしぼませ、気球を折り畳んで行く。
後は馬車に乗せて 機関車の荷台に運び パリまで輸送だ。
エアトラなら1925kmなんて2回ガスを補給して6時間程度で到着出来る距離な訳だが、この時代の陸送なら1週間は普通に掛かる…1925kmは まだまだ遠い。
私達 気球のパイロット達は、夏だと言うのに肌寒い この地域の民間の家に泊まり、潤沢な空気の有難味を感じつつ ぐっすりと眠るのだった。




