18 (コストプッシュ型インフレ)〇
港の町、隔離病院…。
トニー王国に入って来た移民は、まず隔離病院で 1ヵ月程過ごす。
この期間内に 感染症を持ち込ませない為の検査や治療、最低限 国で生きていく為の教育を受ける事になる。
普段は これも国民に任せているんだが、今回の6人は ハルミが担当している。
病室には6人部屋になっており、ストレッチャーが置かれている。
その上には 難破船から回収した移民達が乗っており、腕には針が刺され、点滴で栄養を送り続けている。
ここ数日、点滴を使って体力治療に専念した事で 順調に回復出来ており、ゾンビ状態だった声も普通に話せる様になり、ソイフードが食べられるまでになった。
感染症も1人増えて2人になったが、今は症状も完全に収まっており、後1週間 抗生物質を飲ませて、体内の病原菌に薬の抗体を作らせずに完全に消滅させれば 大丈夫だ。
「うんめぇなコレ…」
「ああ…こんなに美味いものが あったなんてな。」
しばらく食べ物を食べていなかったからだろう…。
船員達は 誰でも それなりに好評な、ハンバーグとカレー味ポレンタを涙を流しながら バクバクと食べている。
「それで…事情を聞きたい。
何があった?」
船長が書いた航海日誌から ある程度の想像は出来ているが、乗組員に聞く。
「原因は老朽化と過積載だ。
オレ達は ブライトンからニューヨークまでの物資の輸送をしていたんだが、滑車に使っていたマストが老朽化で 引き上げる荷物の重みに耐えられ無くて 床が抜けて折れた。
それでも 時間は掛るが 海流で陸地まで辿り着けるし、皆が使うルートだ。
救助もされる思っていたんだが、今度は食料の問題に直結した。
普通なら航行期間の2倍の食料を積み込むんだが、食糧庫には 航行期間ギリギリの食料しか無く、運んでいる物資は 食べられない物ばかり…。
で、食料難が発生した。
始めは何てことない、ケンカから始まり、最後は何とか統率を取っていた船長が積み荷の銃で殺された。
そこからは地獄だった。
オレ達は 生き残る為に食糧庫の中に入って外から鍵を閉めた。
あそこは壁が鉄で出来ているから 外の争いには巻き込まれずに済んだ。」
「そう…それにしても、食料はギリギリで過積載…。
一体、貿易会社は なんで そんなトチ狂った事をしたんだ?」
「それは、税金と関税の問題だ。
今まで無税だった 茶、紙、塗料、鉛、ガラスなんかに関税が掛かる様になった事で、貿易での利益が大幅に減った。」
「それは 自国で作れないのか?」
「ああ…アメリカでは 作れないから輸入するしかない。」
「なるほど…で、それらを買って利益を上げるには 大量の物資をイギリスに持って行って売らないといけないって事か」
「そう…船を遊ばせておけないから、陸に降りても休む間もなく、荷物を積んで また移動…」
「それじゃあ、船のロクな整備も出来ないんじゃないか?」
「ああ…ただ船の損失に関しては 保険が降りるからな。
それで ある程度の損害を抑えられる。」
「あ~ブリテンが戦争に勝ったってのに、やっている事は 敗戦国がやる増税って…」
「なんで、何処の船も過積載で大変なんだ。
多分、今頃、会社が破産してるじゃないかな…」
「分かった…その情報は、皆と共有しておかないとな…。
ありがとう…随分と役になった。
あっそう言えばアンタの名前は?」
「マリオだ」
「おお良い名前だな。」
「そうか?イタリアじゃ あり触れた名前だぞ」
「将来、何でも出来る配管工になれるかもな。
それじゃあ、私は行くよ…お疲れ」
クラウド商会 ケベック支店
町は物価の上昇でインフレになっており、物の値段が急激に上がっている。
通常 インフレと言うのは、物を欲しいと思う需要に対して、物を作る供給能力が低い場合に起き、限られた商品を売る為、値段を引き上げて買ってくれる人数を絞り、それでもと金を出してくれる人に売る。
そして、企業側は 更に儲ける為に その金で人材、機械などを買い、多くの物を生産出来る様にする…。
で、儲けた従業員が買う側に周り、高くなった物を買ってくれる…これが普通のインフレの流れだ。
だが、今回のインフレは コストプッシュ型インフレ…。
コスト…つまり、原材料の価格が上がる事で、本体価格も上がってしまい会社も従業員もロクに儲けていないのに インフレになってしまう現象だ。
今回だと 未来の税金を担保に 戦争を行って勝ったイギリスが、戦後の大量の借金を返す為に税金を上げる必要があった からだ。
具体的には 始めに印紙税の導入がイギリスで決まって、あらゆる印刷物に税金が取られ、植民地であるアメリカからの苦情で 取りやめたが、今度は関税を強化して来た。
この為、わざわざ 命を賭けて海上輸送を行っても、関税で利益が取られてしまう為、最終利益が低く、船のメンテナンスなどに金を回せない状況になって来ている。
結果、命を賭けて低賃金で苦労してアメリカに運んで来ても、関税のせいで商品の値段が高くなるので、庶民には手が出せない高級品になって売れなくなってしまい、これに対抗する為には 低賃金、重労働、過積載の後先 考えない運用方法で船をイギリスとアメリカを最短で往復し続ける死の行進をするしか なくなる。
このままだと アメリカ国民が 輸入品を買わなくなるので、貿易船が機能しなくなり、壊滅するだろう。
金を払う事で労働力を生み出せるのでは無く、労働力があるから金を生み出せる。
ここら辺の貨幣感を間違えていると、国家自身が国家を衰退させる自爆営業が始まる。
と言う訳で、イギリスは自国に十分な生産能力があり、踏み倒しても問題無いと言うのに、律儀に借金を税金で払い、労働者の失業による生産能力の低下と言う国の弱体化が起き、関税なんて可愛く見える程の損害を貿易産業に与えてしまうのだった。
「こんにちは…仕事の依頼があってきました。」
「はい、こんにちは…ってジョン・ハンコック?
また何か?」
ナオがハンコックに聞く。
「至急、クラウド氏に取り次ぎを…」
「今、クラウドを呼んできます」
確か クラウド 倉庫でリストの確認作業をしているはずだ。
「何だ?ナオ…お客か?
ん…ハンコック議員?」
クラウドが奥から やって来る。
「ええ…」
「仕事の依頼ですか?」
「そうです。」
「分かりました…商談室へ…」
商談室にある対面式のソファーにハンコックが座り、それを確認した後に ナオとクラウドが座る。
「さてと、今度は 何の物資を運べばいいですか?」
クラウドがハンコックに言う。
「このクラウド商会は どんな危険な地域にも行き、イギリス軍、フランス軍 問わず、難しい…と言うより、無茶苦茶な補給計画を成功させ続けて来ました。
私の娘との結婚や、商業的な繋がりから クラウド商会を信用して仕事を頼みたいと思っています。」
「それで仕事の内容と言うのは?」
「密輸貿易です。」
「密輸!?」
「ほお…それで」
オレが驚き、クラウドが冷静に話を進める。
「ご存じの通り、今ブリテンからの関税で輸入製品が大幅に高騰しています。
なので、海上で そちらの船に荷物を詰め込み、別ルートで陸揚げをしたいのです。
出来ればここで…。」
「ケベックで?
待ってください…え~と」
「地図だな…」
オレは棚から地図を取り出してクラウドに渡す。
「ありがとう…やっぱり、ボストン前で積み換えをすると海路で1000kmはある…。
片道だと5日は掛かるかな…。
私達の会社は ご存じの通り セントローレンス川を使っています。
ここら辺の海運会社は ブリテンでは無く、フランス領で荷揚げする事で、関税を回避しています。
多分それが狙いなのでしょうが…。
ハンコック海運は ボストンを拠点にしていますから、遠回りをして ここまで運んでも、また ボストンに送る為に 陸送をしなければなりません。
これではフランス領の港で降ろすメリットが無い。
いっそう…ボストンの近くの川にダミー企業の倉庫を作って、そこから輸送した方が…。
ここ…メリマック川 この川は距離が長いですから、川沿いに複数の民家に偽装した簡易倉庫を作って、状況に合わせて 都合の良い倉庫から陸送をする…それが一番 現実的でしょう。」
「確かに流石のブリテン軍も脱税確認の為に川全部を監視する事は出来ませんか…」
「そうです…それに この川は 両軍の補給にも使えます。
双方の軍にメリットがあった場合、潰すには惜しいと思って貰えるかもしれません」
「それで行きましょう」
「それにしても、ここで1番の金持ちであるアナタが何で密輸を?
別に違法な事をしなくても十分にやっていけるでしょうに…」
「確かに…私だけなら 十分に生活が出来ますが、それだと私の会社を潰さないといけません。
私達の為に命を賭けて働いてくれている船乗りは如何なります?
それに このままだと、紅茶文化その物が消えてしまうでしょう」
「確かに…あなたが まともな議員で助かりました。
議員って自分の利益の事しか考えていない人だと思っていましたから」
「ブリテンの議員は そうですね…。
ですが、ここでの議員は ほぼ タダ働きです。
こんな実入りの無い仕事…善意でもないと出来ませんよ」
ハンコックが苦笑いをして言う。
「それで そちらの動力船は どの位潜れますか?」
オレ達の潜水艦は 普段、船体の半分程出して潜水艦の上部に物を乗せて船として運んでいる。
船が動力付き だと言う事は 知られているが、潜水能力までは 知られていないはずだ。
「3時間位でしょう…。
それ以上潜ると船内の吸える空気が不足して船員が死にます。」
もちろん、海水から酸素を生成出来る原子力潜水艦は、ほぼ無制限に潜ってられるが、後々トニー王国の敵に なるかもしれないし、わざわざ教える必要もない。
「十分ですね…詳しい話を詰めましょう。」
ハンコックが そう言い、密輸だと言うのに、クラウドと どんどん詳細な計画が組み上がって行く。
結果、ハンコックの船が イギリスに到着する少し前に 現地にいるジガ達ブライトン支店組が関税が高い商品を回収…。
その後、ブライトン支店から ハンコックが構築した裏ルートで正規品として商会に降ろされる。
そして、ケベック支店は メリマック川に簡易拠点を置き、ボストンの少し前で 回収した荷物を 20km離れたメリマック川まで運び、そこで荷物を降ろす。
こういう計画でまとまった。
「良いのか?」
ハンコックが 従業員が寝泊りする個室を使う為、2階に上がった所でオレはクラウドに言う。
ハンコックは ここで1泊して 明日には 拠点となる土地の選定の為にオレ達のバギーに乗ってメリマック川まで行く事になる。
「何が?」
クラウドは 従業員を呼んで引継ぎ作業をしている。
これまで 何度も オレ達が出張する事もあったし、セントローレンス川での港間の輸送は何年もやっている…もう仕事を完璧に任せても良いだろう。
「密輸なんて言うリスクのある事をして…」
「確かにリスクは そこそこあるが、客がいなくなったら それこそ商売出来ないし…それに最悪、私達は店を捨てて国に帰る事が出来る。
ここで産まれて ここで死ぬしかない人よりはマシだよ」
「そうか…苦労が実ると良いな」
これから起きる事を知っているオレは、クラウドに そう言い、明日の準備に入ったのだった。