10 (異人種間結婚)〇
1756年始め、クラウド商会、ケベック支店。
イギリス軍での半年の補給部隊の仕事が終わり、しばらく経ったある日…。
いつも通り、従業員のマシューは ケベック~ボストンの間の3日の輸送任務から戻って来たのだった。
「ただいま ナオ…」
「おかえり…ん?」
ナオは ボストンで荷台に積んだ商品のリストを受け取り、実際に荷台に物があるかを確認して行く…まぁいつも やっている作業だ。
なのだが…。
「積み荷が多い様だが…何処で積んで来た?」
オレは バギーの後ろの席に乗っている10代中盤位の美しい白人の女性を見ながら言う。
長い髪をジャガイモの花の飾りの紐で結んでいる女性だ。
身体を縄で縛られていない事から 誘拐とかでは無く、少なくとも彼女が納得して乗っていると言う事が分かる。
取りあえず 事件性は低いか…。
「彼女はオリビア…その…とある貴族のお屋敷で、キッチンメイドをしている。」
キッチンメイドは、コックメイドの下の階級で、コックの指示の元、お屋敷の台所の ひととおりの仕事を担当する。
料理を任せて貰っている事もあるが、キッチンメイドは、下ごしらえや仕込み、火おこしなどの雑務が中心だ。
「そのメイドさんが何故ここに?」
「私をコックとしてクラウド商会で働かせて頂きたいのです。
マシューとは、ボストンで出会い、仕事の終わりには いつも会いに来てくれて…それで…」
「恋仲になったと…」
「ええ…」
オレの言葉にオリビアが頷く。
「で、こっちで仕事を見つけて2人で生活したいって所か?」
「ああ…小さな家を買えるだけの金は貯まった。
ただ、オレの稼ぎだけじゃあ、彼女を養うには少し足りない。
なので、彼女を働かせて貰いたい。」
「共働きか…。
そりゃあ、労働者の胃袋を支える 食堂の料理人が欲しかった所だが…」
クラウド商会の従業員は現在30人弱…。
近くで部屋を借りて こちらの出す送迎車で毎日 出社している従業員もいるが、基本 盗賊などの前科持ちで全員が差別の対象である黒人の為、住み込みが大半だ。
住み込み用の個室は クラウド商会の2、3階にあり、男しかいない為、女性は住みにくく、当然 子作りも子育ても難しい。
「えーとオリビア…その屋敷の名前と雇用契約は?」
「ハンコック様のお屋敷です。」
「ハンコック家って…植民地じゃ一番の金持ちの家じゃないか…。」
ハンコックは マサチューセッツ議会議員で、東インド会社に続いて 船を持っている民間最大手の貿易会社で、ここアメリカで1番の金持ちだ。
マシューが運んで来た この積み荷もハンコックの船から降ろされた物になる。
つまり、ご機嫌を損ねると非常にヤバイ相手だ。
「ええ、私は6歳より前からお屋敷でキッチンメイドとして育てられました。
食べ物などの生活には 困りませんでしたが、私は下積みだったので、お金は殆ど貰っていません。
お屋敷を出て行く時には コックメイドに しつこく止められましたが、無理やり出てきました。」
6歳…確か貧困家庭では 働き手に慣れない女児を養う事が出来ず、最低限の衣食住を保障する事を条件に娘を貴族に売ってしまう事が多かったらしい。
まぁまだ労働力として使え無い6歳の娘を ここで一番の金持ちであるハンコック家に売り込んだと言う事は、両親は かなり頑張った方だろう…。
「あ~ こっちでの ほぼ無賃金での労働は雇用契約と呼べるのかな…」
子育てや家事手伝いに賃金が発生しないのと同じ感覚なのだろうが…彼女の所有権は まだハンコック家にあるのか?
後々、所有権をめぐって裁判になっても困るし、クラウドに聞いてみるか…。
「う~ん…分かった。
双方合意の上で決めた事なら文句は言わない。
ただ、土地は ともかく、家を造る為の大工は確保 出来るのか?
かなり苦労するんじゃないか?」
「あっ…」
マシューが今まで忘れていたかのように言う…。
まぁクラウド商会では トニー王国基準の価値観で動いている為、人種や性別を特に気にしない環境だったからな。
オレも顔がアジア人なので、ここで商売を始めた時は 白人であるクラウドの奴隷だと思われていたし、始めは クラウドの名前を出さないと真面に信用すらされなかった。
今回だと オリビアは白人なので、人種から見ればオリビアの方が上になるのだが、彼女は女性だ。
マシューと正式に夫婦となった場合、妻は夫の所有物扱いになるので、黒人男性であるマシューの方が立場が上になる。
まぁどっちにしても、ちゃんとした 後ろ盾が無いと、工賃をぼったくられたり、手を抜いた欠陥建築に住まわされて 圧死したり、前払いで大金を払わせて、家の工事中に大工が失踪し、持ち逃げする事も普通にある。
この土地では 白人男性じゃないと言うだけで かなりのデメリットだ。
「クラウド商会って大工の人脈ってないんだよな。
この商会も自前で作った訳だし…かと言って従業員の為に家を造るのも公平性に欠けるよな…。
よしっクラウドに相談してみるよ…」
「ありがとう。」
「いいさ、それに家族を持てば、より働いてくれるだろう。
それとオリビア…材料は一通りそろっているから、普通に食べられる食事を10人前 作ってくれ、今日の夕食が採用試験だ。」
「分かりました…厨房はどちらに…」
「あ~じゃあ、一緒に行くか…。
それじゃあ マシュー、嫁さんを借りて行くよ…。
それと ちゃんと荷下ろし しておけよ。」
「分かった」
マシューは荷台から荷物を降ろして、倉庫に運び、オレ達は 食堂に向かった。
食堂は 1階にあり、30人程座れるテーブル席とキッチンと一体化しているカウンター席だ。
テーブル席にはクラウドが座っていて書類作業をしている。
トニー王国でもそうだったが、如何もオレ達は、専用のオフィスよりか 食堂のテーブル席の方が仕事がし易い見たいで、クラウドもオフィス兼応接室が あるには あるが、普段は あまり使っていない。
「うん?ナオ…その娘は 新人か?」
クラウドが言う。
「いや…まだ採用テストの段階。
元ハンコック家のキッチンメイドで、マシューと くっ付いたらしい。
まぁメシマズって事は ないだろう。」
ここでは イギリス人が本国から金を持ってアメリカに来て、現地で奴隷を買って 砂糖農園で奴隷達を働かせて、出来た砂糖を外国に輸出すると言うシステムが出来上がっている。
この13植民地の開拓初期は イギリス人が食べ慣れている 小麦が無く、ここでの主食は イギリス人にとっては未知の食べ物であるトウモロコシ。
しかも、厄介な事に過熱すると爆発するポップ種だ。
そこで活躍したのが、南アフリカ出身の黒人奴隷…。
トウモロコシを主食にしている彼らは、調理方法を熟知していた。
ただ バリエーションは少なかった。
なので、小麦が生産され始めて、パンが食べられる様になった今でも ここでの食文化は 味より餓死しない為の栄養補給の要素が多く、あまり発展していない。
「思い切った事をやるねぇ…これが愛って奴か。
採用したら私の名義で手紙を出しておくよ。
貴族や大企業同士が 娘を嫁がせて互いの関係を良くするのは、昔から良くある事だからな。」
「政略結婚か?」
「まぁどっち共、血縁関係の無い従業員なんだけどな」
「ありがとうございます。
それで…具体的に 何を作れは?」
「ここにある素材でテキトーに…」
「そのテキトーが分からないんです。
私達が普段食べてるのは、薄いパンと茹でたジャガイモ、豆のトマト煮位で、これが私のテキトーです。
従業員の食事にお金を掛けないのであれば、これで最低限は健康を維持できます。
ですが、それを私に望まれているのですか?」
「いや…毎食違って味も大事だ。
なるほど コストか…。
『貴族のパーティに出せる料理を毎食作れ』なんて言ったら、食費が馬鹿にならなくなる訳か…」
「そうです。
なので 普段 何を食べているかを教えて頂けますか?」
「うーん…主食は ポレンタやポレンタのパン。
野菜多め、肉少なめのスープ。
ソーセージ、卵料理、ジャガイモや野菜のサラダ…。
飲み物は水とコップ一杯の酒。
後、日曜には サンデーローストをやってる…これで 分かるか?」
「ええ…家畜の餌であるトウモロコシを使うのは意外でしたが、他は貴族の日常の食事に近いです。
かなり良い食生活をしていますね…」
今は生産効率が良い小麦も結構 普及していて、トウモロコシは家畜の餌と言う認識だ。
ちなみに この家畜には奴隷も含まれる。
「オレの母国では、この位の食事が普通だから…。」
「恵まれた肥よくな土地なのですね…」
「まぁね…。
それで、このキッチンは オレの国の物だから勝手が違うだろう…何が欲しい?」
「まずは 材料はどちらに…」
「一番下の棚…」
「あっこれですね…ん?少し緑色ぽい…カビ?
いや違いますね…トウモロコシに何かを混ぜてますね」
「ミドリムシ…あっユーグレナ。
全体の1割程 混ぜてある。」
「ユーグレナって食べれるんですか?」
「ああ…栄養価も高くて、オレの国では主食だ。」
「国が違うと食文化も全く違く なるんですね。
あっ ジャガイモありました。
野菜は?」
「そこの扉の中…」
「うわっ冷た…ありました、肉も。
この箱の中、常に真冬並みに寒いのですか?」
「ああ…クーラーボックスって呼んでいる。」
「これなら 生の食べ物でも腐らずに 保存出来ますね。
それじゃあ 始めましょう…」
オリビアはリュックからMY包丁を取り出し、水タンクの蛇口をひねってタオルを水で濡らし、綺麗に砥がれている 包丁を拭いて行く…。
サクサクサクサク…。
水洗いしたキャベツやニンジンなどの野菜を一口サイズに切ってステンレスの鍋に次々と入れる。
ニンジンの皮は、光に当てると透けて見える程薄く剥かれ…ジャガイモは、芽の部分だけを包丁でくり抜いて、切らずにそのままジャガイモを鍋に入れ、生卵も割らずに入れ、肉を全体の半分程を切って入れて 最後に水を入れる。
ここまでの動きに 一切迷いが無く、長い年月を掛けて身体に教え込まれた動作だと言う事が分かる。
「え~と 火を使う かまどは別の部屋ですよね…」
「いや…これ…」
オレは鍋をコンロの上に乗せ、ダイヤルをひねる。
ダイヤルをひねると、コンロ下に酸水素のガスタンクから ガスが流れ出し、ONと書かれた限界まで回した所で、火打石と接触して小さな火花が散り、酸水素に引火…コンロに炎が生まれる…基本は ガスライターと同じ仕組みだ。
「えっこんなに簡単に?」
今度は逆にダイヤルを回してOFFにして ガスの供給を断ち、しばらくして燃えるガスが無くなり、火は自然鎮火する。
「やってみ…」
オリビアがダイヤルをONにまわすと火が生まれ…戻すと供給されるガスが少なくなり、火が小さくなる。
「火加減も簡単に調節出来ますね。
石炭の かまどだと 火の加減を調節するのは 大変だったのに…」
熱が鍋に伝わり沸騰した所で、あみじゃくしで、アクを取り、フタを乗せる。
残った半分の肉に、ニンジンの皮やキャベツの芯をみじん切りにして混ぜ込み、豚の腸に詰め込んでソーセージを作る。
「煮込みはこれで大丈夫です。
次はポレンタですね…」
ポレンタは鍋にコーンミールと水を入れて かき混ぜて行くと 次第に粘性が上がって来る。
これを10分程続ければ ポレンタの出来上がりだ。
出来た熱いポレンタの半分を四角いのケーキ型に流し込み、冷めるとポレンタが硬くなり、これを再度焼くとパンになる。
「後は サラダですね…」
大型のステンレスのボウルにレタスを敷き詰め、あみじゃくしで スープ鍋から、ゆで卵、ゆでジャガイモを すくい出し、全体の半分のジャガイモは潰してマッシュポテトにして ボウルの真ん中に盛り付ける。
ゆで卵は 水に付けながら殻を割り、包丁で丁寧にスライスして 花びらの様に盛り付けて行く。
残りの半分のジャガイモは、カットして ソーセージと一緒にバターを敷いたフライパンで炒めて熱を通し、平皿に盛り付けて バターとチーズをそえる。
「おっ芸術点も高いな…」
オレがそう言った所で、仕事を終えた従業員達が食堂にやって来る。
「ナオ…新人が入ったんだって?
しかもマシューの嫁とか…」
「新人になるかは、アンタ達の舌次第かな。
普通に食べれるレベルだったら採用する…」
「なら、ほぼ採用じゃん…。
マシューは オリビアの弁当に惚れたんだから」
「それだと、オレが食事目当てで オリビアと付き合っている事になるだろ…」
からか われているマシューが従業員に言う。
「と言う訳で、皆、オリビアの採用試験を手伝ってくれ」
「了解」「おう」
「オリビア…手伝うよ」
「では料理をテーブルに運んで貰えますか?」
「OK」
灰汁とりを終えたオリビアが深皿にスープを入れて、マシューがテーブルに並べる。
サラダは大きなボウルで出され、取り皿を出される。
「普段食べている物でも綺麗に盛り付けると変わるもんだな。」
続いて、ソーセージとジャガバターの皿…そして、深皿には 主食のポレンタとポレンタパン。
これで食事の準備がそろった。
「それでは、皆さんご一緒に」
『食べ物に感謝を』
クラウドが音頭を取り、従業員が先割れスプーンを使って食べ始める。
「あ~普通に美味い。」
「普通って…」
オリビアが不満そうに言う。
「いや、マシューが ベタ褒めするから どんなに美味いのか期待していたんだが、思ったより普通だった。」
「まぁ、それでもオレ達が作ったのに比べれば、各段に美味いんだが…」
「オレは香辛料マシマシのメシより、こっちの方が良いかな。
で、何でオリビアは食べないんだ?」
「主人が食事をしている時は、壁に背を向けて 綺麗な姿勢で指示を待つのがメイドです。」
「でも これ、従業員用のメシだよな…ならオリビアも含まれるんじゃないか?」
「私もですか…ですが、これは採用試験で…」
「あ~皆、如何する?自分達のメシの事だ、決めてくれ」
オレが皆に聞く。
「「「採用で」」」
「そんじゃあ 契約書は後で書くとして、今からオリビアは クラウド商会の社内食堂のコックだな。
ここでは 従業員は一緒に食事を取るんだが…」
「ですが…」
「2人暮らしを始めた後も、食事の時には そうやって立っているつもりか?
オレは オリビアには ハウスメイドじゃなくて、妻になって欲しいんだが…」
「そうですね…ご一緒します。」
マシューの言葉にオリビアは そう言うと、後で残飯として自分が食べる事を計算して多めに作っていた料理から 自分が作った料理を皿によそい『食べ物に感謝を』と祈り、皆と同じテーブルを囲んで涙を流し、食べ始めた。
この日、法的な拘束力はないが、クラウド商会のケベック支店にいる全員が 2人の結婚が認め、黒人の夫と白人の妻と言う この国では 前代未聞のカップルが成立したのだった。