第2話 アルフレッド12歳出会う②
クラングランの街は空から見下ろすと長方形である。
白い壁が箱のように街を囲い、その中に赤や青色の屋根の建物が並んでいる。
街を縦にまっぷたつに割っている『イース川』。川幅は約50メートル。
街を十字に四分割する2本の主要道路、通称『東西通り』と『南北通り』。その先にはそれぞれ門がある(北門、東門、西門、南門)。
門の周囲は混雑を防ぐために広場になっている。やはり出るときも馬車は積荷をチェックされるために、列となるのだ。
アルは緊張しながら北門から離れた。門から離れるにつれて人が増えていく。
門の広場には露店や屋台がところ狭しと並んでいる。
そのあいだを人がウネウネと、あるいはスルスルと流れていく。
アルは市場の一帯に入り込むのを躊躇した。
人の数が多すぎてめまいがする。
そして、どこが道なのかわからない。
そもそもあんな狭い人と人の隙間をぶつからずに通っていけるものなのだろうか?
しばらく、ああ、とか、うわあ、とか言いながら眺めていたアルだったが、やがて意を決した。
突っ立っていても始まらない。
人ごみの中に入った。
いきなり、ぶつかった。
吹っ飛ばされた。
よくはずむボールを狭いところで投げたときのように、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、そっちに飛ばされ、向こうへ飛ばされ。
引っかかり、すっころび、よろけて、投げ出され。
つまり、もみくちゃとなった。
敷物を扱っている露店の前に押しやられたアルは、危うく20ジット(20万円)もする絨毯を買わされそうになった。
慌てて人混みに逃げる。
四方八方から聞こえる呼びこみの声。
それに交じる話し声。
頭が痛くなってきた。
ようやく人混みを抜けた。
すると、広い道路がまっすぐに伸びているのが目に入った。
前述した主要道路の南北道りである。
幅が約10メートル。
中央が車道、両脇が歩道となっており、歩道は一段高くなっている。
車道と歩道の境目には、金属のポールの先端に丸いガラス玉がついた街灯が、等間隔に立っている。
もちろん、当然のように石畳が敷かれている。
立ち並ぶ建物の数々。3階建て、4階建は当たり前。
だいたいが店屋で、様々な意匠を凝らした看板が、道路に突き出すようにして、歩道の頭上にぶら下がっている。
ショウウインドウに大きなガラスを使っているところも多く、それに陽光が反射してきらめいている。
グッタリと帽子屋のショウウインドウにもたれかかったアルは、あまりの光景に口をポカンと開けたまま、ほうけてしまった。
ゆっくりと歩き出す。
車道をひっきりなしに馬車が走っていく。歩道は歩道で、前から人が来てはすれ違い、後ろから人が来ては追いこされる。
ともかく宿を決めなくては、と看板を見上げながらアルは歩いた。
宿屋は何軒もあったが、どれも高そうだった。できるだけ、節約したい。
歩いているうちに、ショウウインドウを眺めるくらいの余裕が出てきた。
それにしても専門店が多い。
アルの故郷ヘストン近隣の街サイラなどは、服屋で仕立屋で生地糸屋、帽子屋で靴屋で小物屋、というふうに複合店が多かった。
それに比べ、クラングランの店ときたら、紳士のズボン専門店だとか、ネクタイ専門店だとか、婦人のワンピース専門店だとか、スカート専門店だとかに細分化されている。
やがて、アルの心をさらっていくような店があった。
『剣専門店』。
格子ガラスのショウウインドウには、最高級の金属である青金属製の素晴らしい剣が飾ってあった。
さらに、赤金属の細身の剣、黒金属の短剣、白金属の大剣が並んでいる。
大帝金属の中ではもっともランクが低く、一番ありふれている白金属(街灯のポール、街の門の鉄柵、車輪なども白金属製)の大剣ですら、高級品に見える。
そして、実際に高級品だった。
値札の0の数を見て、アルは打ちのめされた。
さらに青金属の剣の値段ときたら、それよりも0が2つ多い。
なんだか、見ているだけで金を支払わなくてはいけないような気になってくる。
店内がどうなっているのか、アルは気になった。
ちょっと見るだけならば、と足が入り口の方へ向く。
だがドアの前で立ち止まった。
いやいや今の剣で十分だから、と誘惑を振り切る。
後ろ髪引かれながらも、店の前から立ち去った。
だが、剣屋から1軒あいだを空けた次の店がまた魅力的だった。
『クロスボウ専門店』である。
ショウウインドウにクロスボウがズラリと並んでいた。
どれもアルの使っている『人』の字型の別器具を使い弦を引くものではなく、本体の中央部や後ろについたハンドルを回して弦を引くタイプである。
歯車がたくさん使われており、武器というよりも機械のように見える。
今持っているクロスボウも使い慣れていて便利だが、こういった立ったまま弦を引けるタイプは使い勝手が良さそうだ。
アルは文字通りガラスに張り付いて、クロスボウを眺めた。
そんなアルを道行く人々がおもしろそうな顔で見ていく。
門番のケインの言うとおり、アルの本格的な装備は彼の年齢とあいまってかなり人目を引いている。
さて、ここで道行く人々の服装に目を向けてみよう。
異世界パルミスの諸人歴1012年現在、オルデン王国の都市部のファッションスタイル。
男性はシャツ、ジャケット、ベスト、ズボン。帽子というスタイルがスタンダード。首元にはストゥール、スカーフ、ネクタイなどとにかく布を巻いたり結んだり。
帽子はハンチングか、山高帽である。
もちろん、ほかにもつなぎやオーバーオール、Tシャツにサスペンダーなどの服装もあるが、基本的には上着、ベスト、ズボン、山高帽である。
女性服は男性服よりもバリエーションが豊富だ。同じ柄の上着とスカートのツーピース。ワンピース。
襟元にスカーフを巻いたり、肩にショールをかけたり。袖が膨らんでいたり、ノースリーブだったり。
基本的にフリルやレースが好まれている。
パンツルックの女性というのは、まだまだ少ない。
女性によっては日焼けを気にして日傘かツバの広い帽子をかぶっている。
肌の露出に関しては割合大らかで、夏場などは涼し気なかっこうになる(これは男性も同様)。
周囲がこういった服装なので冒険者のスタイルはとても目立つ。
子供がそんなかっこうをしていればいっそう目立つ。
ようやくクロスボウ屋から離れられたアルだが、頭はクロスボウのことでいっぱいだった。
もともとかなり手先が器用でクロスボウも自分でずいぶんと改造した口である。
1度、使ってみたいなあ、どんなふうにあの歯車が噛み合うんだろう、などと最新式のクロスボウについてあれやこれや考えながら歩いた。
正午の鐘(クラングランでは午前7時と正午と午後7時に鐘が鳴る)を聞きながら大きな橋を渡り、環状道路の中央にある公園へ。
公園を囲んでいる林に入ると、アルは、ふう、と息を吐いた。
若葉を透かして届く陽光。
ちらほらと咲いているタンポポとマーガレット。
枝にとまりさえずる小鳥。
生き返った心地だった。
木に背を預けて座り、ボンヤリとする。なにも考えず頭をからっぽにした。
休むときにはとことん休むということを師レイモンドに教わったアルは、完全に脱力して休んだ。
そして、あまりにも脱力しすぎたため、寝た。
はっ、と目を覚ましたアル。いつのまにか5、6歳の子どもたちに囲まれていた。
「なにしてるの?」
「兄ちゃん、冒険者?」
「ねえ、これいじってもいい(クロスボウをつつきながら)」
いっせいに質問攻めだ。
アルはどれだけ眠ったのか気になりながらも、律儀にひとつひとつ質問に答えた。
子供好きなのだ。
子供たちから、クラングランには3つの冒険斡旋屋があること。
中でも『ハイデン』はたくさんの冒険者が所属する人気店であること、などの情報を手に入れることができた。
子供たちと手を振り合って別れ、アルは先に進んだ。
まずい、めちゃくちゃ道草食ってる、と頭を抱えたい気分である。
広場に出た。
短く刈り込まれた芝生が広がっている。
寝転んだら気持ち良さそうだ。実際に、帽子を顔にかぶせて寝ている人もいる。
中央には大きな噴水があり、そのまわりで子供たちが楽しげに遊んでいる。
噴水のまわりをはじめ、ところどころにベンチが置いてあり、休めるようになっている。
奥の方には石造りの時計台がある。
高さは約10メートル。最上部には白銀の鐘。鐘の下には大きな時計がはまっている。
時計台のすぐ下には石造りのステージがある。そこに人だかりができていた。
演劇を上演しているのだ。
アルは過去に何度か、謎の情熱に燃えたエピカによって組織された劇団で、劇をやったことはある。
しかし、山奥の村の悲しさか、本物の劇団が公演に来ることなど、まずない。
劇団の公演にいきあうのは始めてだった。
時計を見た。2時10分。
早く宿を決めなくては、と思う反面、朗々(ろうろう)と声を張り上げる派手な衣装を着た役者たちに目が釘付けになっている。
おもしろそうだなあ、と心が吸い寄せられる。
足がどんどんとステージの方へと進んでいく。
まあ、つまり、日暮れまでに宿を決めればいいんだ、と自分を納得させて、演劇を鑑賞することにした。
演目はラブロマンスだった。
5年前にガーラント帝国に現れたアルタードラゴンの惨劇。その中で、生き別れる男女。
主人公の男は恋人を失ったと思い込み、敵をとるために冒険者となって、カーラッドを中心に組織されたドラゴン退治の軍団に入る。
一方、女は男を探し、旅を続ける。女はついに男の行方を探り当てる。そこはアルタードラゴンとの最後の決戦の場だった。
アルは夢中になってしまった。
アルの父カルロスもこの戦いで命を落としたのだ(実はカーラッド本人)。
主人公の男に必要以上に感情移入した。
主人公のかっこうは冒険者にしてはゴテゴテしすぎていたし、剣の持ち方もよく見るとおかしいが、さすがの演技力でそんなことなど気にもさせない。
女は男に比べて少し年をとりすぎているが美しい声と、しなやかな身振り手振りでたちまち観衆をとりこにしてしまう。
それにしてもカーラッドの人気はすごい。
カーラッドが登場すると割れんばかりの拍手が起こり、子供たちは名前を呼ぶ。
カーラッドがいかに人々に愛されているかがよくわかる情景である。
ついに物語はクライマックス。
カーラッドがなぜかアルタードラゴンと一騎打ちして、その剣を深く眉間に突きさした(観衆からの大きな歓声)。
しかし、アルタードラゴンの最後の炎でカーラッドは焼かれてしまう(観衆の悲痛なうめき)。
その際、親友のライオネルに家族のことを頼む(実際は一瞬で灰になった。演劇的演出である)。
ライオネルはカーラッドの息子を一人前の冒険者にすることを誓う。
アルはここで泣いた。
涙がとめどなくあふれ、両手で目を覆った。
さて、アルは荷袋を背負っていた。
両手で目をこするためには、当然、荷袋を置くことになる。
カーラッド、ああ、カーラッドと号泣するアル。
さっと、足元に置いた荷袋が持ち去られたのにも気づかなかった。
カーラッドにすっかり主役も人気も奪われた主人公。
最後にヒロインと再会し、劇は終演となった。
カーラッドシリーズを読んでみようかな、と宗旨変えを検討するアル。
結局、最後まで見てしまったが後悔はなかった。
宿が決まらなかったら、公園で寝ればいいやと開き直っている。そんなことよりも、素晴らしい感動を味わえた喜びの方が大きかった。
晴れ晴れとしたアルの表情が凍りついたのは、足元にあるはずの荷袋が消えていることに気づいたときである。