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アルフレッド英雄譚  作者: 昨夜名月
第1章 アルフレッド冒険する
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第9話 アルフレッド12歳、誓う⑥

 2人はアルの家へと続く坂道を上った。

 斜面に生えている草は枯れ始め、茶色い土がところどころ、むき出しになっている。


 トビラギをくぐり、シロツメクサの草原を歩いて、アルの家を囲う低木の垣根かきねの内側へと入る。


 ベージュ色の壁に青い瓦屋根の2階建ての家。

 昨夜は気づかなかったが庭もきちんと手入れされている。


「ありがとう。留守中、いろいろしてくれてたんだね」

「たまにちょっと掃除していただけよ」

「荒れてるところなんて見たくなかったから、本当にありがたいよ」


 2人は家の中に入った。

 家を出る前に窓を開けておいたので、中にスズメバチが飛んでいた。

 ブンブン羽音をさせながら、窓から出ていく。


「お茶、入れようか。なにかお菓子でもあればいいんだけど」

「そんなのはいいから、座りなさいよ」

「あっ、うん」


 アルとマリーは向かい合わせに座った。

 マリーが指を組んだ手をテーブルに乗せて、アルをじっと見つめる。

 婚約してから初めてアルを正面から見ている。


「えっと、なに?」


 アルはマリーがなにか怒っているような気がした。しかし、まるでその理由が思い当たらない。


「私たち、婚約したのよね」

「うん、したね」

「あんたが私のことをなんとも思ってないことは知ってるけど、とにかく、婚約したのよ」


「なんとも思ってないなんてことないよ。大切に思ってるよ」

 アルは言った。


 言った後に、エピカに昨夜言われたことを思い出した。

 1番大切に思っているのは君だと常にしめすこと。


「その、君が一番大切だよ」


 でも、ジャックとセイルも大切だよなあ、とアルは内心思った。


 これにはマリーも意表をつかれた。

 言葉につまって、アルを見たり、下を見たり。手を見たり。

 心臓が高鳴り、どんどん顔が熱くなっていく。


「そ、そう。なんか、ちょっと……ええと、意外だったわ」

 言ってアルの顔を本当だろうかと見て、すぐに下を向いた。

「ありがとう、すごくうれしい」


 アルはエピカはすごいと思った。

 マリーが喜んでいる。エピカの忠告は本当に的確だ。


「あと、なんだか今日はすごく大人っぽく見えるよ」

「そ、そうかしら。アルはこっちの方がいいと思う?」

 マリーは髪に触れながら言った。


「マリーにはどっちも似合ってるよ」


 綺麗、可愛い、似合ってる、とアルは頭の中で繰り返した。

 素直にエピカの忠告を守るアルである。


「アルはどっちが好きなの?」


 アルは、う~ん、と腕を組んで考えこんだ。

 どっちが好きかと聞かれても困る。人の髪型に好きも嫌いもないじゃないかと思ってしまう。マリーの顔を見なおした。


「いつもの方がマリーらしくて好きかなあ。邪魔にならなそうだし」


「私も縛ってる方が好きよ」

 言ってマリーは小さく体を揺らした。


 褒め言葉攻勢がかなり効いている。

 アルが自分のことを本当に大切に思っていることがつたわってきて、いろいろ考えていたことが馬鹿みたいに思えてきた。

 実は婚約式からここに来るまで、後ろめたさと戦っていたのだ。


「お茶、入れてくるよ」

「私がやるわ。アルは座ってて」


 マリーは台所に行こうとするアルを椅子に戻した。

 フンフンと鼻歌を歌いながら台所でヤカンに火をかける。

 水が沸くまでのあいだに、ティーポットに紅茶を入れて、カップを用意する。


 テーブルを見るとアルがいない。

 どこに行ったのだろう、と居間に戻ってみると、すみっこで短弓をいじっていた。なにやらいそいそと作業している。


 マリーはなにか騙されたような気分になった。

 こういった場合、普通は婚約者のことで頭が一杯で武器のことなど考える余地はないのではないか。

 本当に、アルは自分のことが好きなのだろうか?

 だんだん怪しくなってきた。

 考えてみれば大切だとは言ったが、好きだとは言っていない。


「アルフレッド」


 マリーは床に座り込んで、短弓のつるを指ではじいているアルに言った。


「なに?」

 アルは無邪気な顔を向けた。

「どうかした?」


「あんた本当に私のことが好きなの? 婚約して、うれしいの? 本当に結婚したいと思ってるの?」

「うん」


 アルはあっさりと答えた。マリーのことは好きだし、彼女が元気になってくれたみたいなので、うれしく思うし、マリーとは気心きごころもしれている。

 結婚相手としてはちょうどいいと今では思っている。


「じゃ、じゃあ、証明してみせなさいよ」

「証明って、どうすればいいの?」


「き、き、き」

 マリーは1度口を閉じて、それから一気に言った。

「キスしてよ」

 言ったあとに真っ赤になった。


「うん、いいよ」


 アルは立ち上がった。そういえばオルビーが、愛しあう男女にとってキスは甘くて美味しいと言っていた。

 アルには愛するということがよくわからないが、きっと好きって気持ちと似たようなものなんだろうと思った。


「ほ、本気で言ってるんだからね。いまさらできないなんていったら、ひっぱたくから」

 言いながらも、1歩2歩と自分が後ずさるマリー。


 アルの動きは早かった。

 サッズからスカウトの手ほどきを受けたのは伊達ではない。マリーの体をさっと捕まえると、彼女の唇に口づけをした。


 マリーが目を見開いて、それからゆっくり目を閉じた。


 アルはどれくらいで唇を離せばいいのか、わからなかった。

 フィアニーがしてくれたときは一瞬だったし、『太陽の剣』での最初の依頼人の新婚夫婦はくっついたままなかなか離れなかった。


 そうこうしているうちに、マリーから唇を離した。

 それから彼女はアルにギュッと抱きついてきた。

 身長はマリーの方が10センチ近く高い。

 マリーの肩がアルの顎に押し付けられる。


「あんたが大好きよ、アル。小さい頃からずっとずっと」


 そのまましばらくアルはマリーを抱いていた。

 アルはアルなりになにか、違和感のようなものを感じていた。

 なにか間違ったことをしているような気がしたのだ。

 しかし、マリーの寝息が聞こえてきたので、そんな考えは消えてなくなった。


 かわりに昔の情景がいくつも頭の中に浮かんだ。

 父の死に泣く幼いアルのそばに座っていたマリー。

 母の葬儀のあと、呆然とするアルのそばに座っていてくれたマリー。

 思えばつらいときはいつもそばにいてくれた。

 そばで、ただアルが立ち上がるのを待っていてくれた。


 間違っているわけない、アルはそう思った。

 これでマリーが元気になってくれるなら、絶対に正しいに決まってる。


 アルはマリーを起こさないように、そのままの姿勢をたもち続けた。


 15分ほどして、マリーの体が大きく震えた。

 押し殺したようなうめき声とともに、マリーがアルから体を離す。


「殺してやったわ」

「えっ」

「夢の中であいつを殺してやったわ」


 マリーの目の中に炎が燃えているようだった。

 ギラギラと瞳が輝いている。


「何度だって殺してやる。あんな奴に、幸せを邪魔されてたまるもんか。私は絶対に幸せになるんだ」


 それからマリーは、「ベッドを借りるわ」と言って1階のアルの寝室へと行ってしまった。

 アルが部屋に行くと、すでにマリーは毛布にくるまり、寝息をたてていた。


 アルは窓を閉め、カーテンも閉めた。

 一気に部屋が暗くなる。窓際にあった丸椅子を持って枕元へと行った。


 マリーは体を横向きに丸めるようにして寝ている。茶色い髪がシーツの上に広がって模様のようになっている。


 アルはそっとマリーの頭に手を置いた。彼女が殺人鬼と戦うのなら、たとえ夢の中でも助けに行きたいと思った。



 マリーが目を覚ましたのは、夜の8時すぎであった。


 部屋は当然、まっくら闇。ここ数日あれほど怖かった暗闇がまったく怖くなかった。


 何度か夢を見た。

 殺人鬼が出てくる夢。

 不思議と怖くなかった。

 武器を持っていたからだ。最初はあの布切バサミ。次に短剣。そして剣。


 夢で殺人鬼に対すると、早くこいつを殺さなくちゃ、と思うのである。

 すると、そこで夢は終わってしまう。

 最後に見た夢では窓からアルが乱入してきて、殺人鬼を斬り捨てていた。

 おまけに、キスまでしてくれるサービスっぷり。恐怖どころか幸福感を感じる夢になっていた。


 近くで寝息が聞こえた。手を伸ばすと頭があった。

 硬くてまっすぐな髪の手触り。

 アルの頭だ。久しぶりにしっかりと眠れた満足感にひたりながら、アルの頭を撫でる。

 そうしているうちに記憶がだんだんよみがえってきた。


 アルと婚約したことや、キスしたこと。なにかそれらまで夢のように思えた。

 ひょっとしたら全部夢なのかもしれない、とむしろそちらの方が恐怖だった。


 ベッドから抜け出す。

 その拍子にどさっとアルが床に落ちた。

 座ったままベッドに上体を預けて寝ていたので、不安定だったのだ。


 マリーはかすかに明かりのもれる窓際に行った。

 カーテンを開ける。細い月が夜空に輝いていた。


「よく眠れた?」

 アルが寝起きのかすれた声で言った。


「まあね。久しぶりによく眠れたわ」

「夢は?」

「見たわよ、何度も。でも、全然怖くなかった。最後にはアルが出てきたわよ。あいつを私の代わりにやっつけてくれて、それからね」

 マリーはわずかな月光を背負って、アルに向き直った。

「キスしてくれたの。いい夢だったわ」


「それなら毎日でも夢の中に行くよ」

 アルは寝ぼけた声で言って、それからあくびとともに伸びをした。


「いま何時だろう。ケルトンもロゼリアも心配してるよ、きっと」

「どうかしらね。2人とも酔ってたし。それよりも、ちょっとこっちに来てよ」

「どうしたの?」


 アルは頭をかきながらマリーの近くまでやってきた。


 マリーは目を閉じると首を伸ばして、唇をつきだした。


 アルはポカンとしてそれを見ていたが、やがて、それがキスをねだっていることに

気がついた。


 なにか要求されたら、うやうやしく従えとエピカが言っていた。


 アルはマリーにキスした。

 今度はすぐにマリーが離れた。


「夢じゃないみたいね」

 言ってマリーはクスクスと笑った。


「なんか、一気に元気になったね」

 アルはまぶしい思いでマリーを見た。

「良かった」


 マリーはアルの顔を目に焼きつけようとじっと見つめた。

 そうすればもう悪夢に苦しむことはないように思えた。


「さて、帰ろうかな。送ってくれるわよね」

「もちろん」


 それから2人は手をつないで夜の道を歩いた。

 風が思いのほか冷たかったので、アルはマリーに上着をかけてやった。


「クラングランにいつ帰るの?」

「マリーが大丈夫になったら、かなあ」

「それなら、明日帰らなきゃならないじゃない。もっといなさいよ」

「それじゃあ、明後日にしようかな」

「ケチ。もう1日おまけしろ」

「じゃあ、3日後にするよ」

「ありがとう。あんたのそういう素直なとこ、本当に好きよ」


 やがて『ヘストンの宿』についた。

 マリーが名残惜しそうに手を離して、アルに向き直った。


「アル、私、強くなるわ。冒険者のお嫁さんになるんだもの、強くならなきゃね。おやすみ」


 マリーはクルリと背を向けて、中へと入っていった。

 アルの上着を着たままである。


 アルは返してもらいに中に入ろうかと思ったが、なにか妙に気後れして、結局やめた。


 マリーの気力にあてらたのかもしれない。体を温めるために走って帰った。

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