第1話 アルフレッド12歳旅立つ⑥
ようやく昇り始めた朝日を受けて、フードつきのマントを着た少年の顔が赤く染まった。
大きな荷袋を肩にかつぎ、腰には剣をさげている。これからヘストンの村を出ていく、アルである。
村の中央部。レンガむき出しの外壁に赤い屋根の家々が広い間隔を開けて並んでいる。
道は一応石畳をしいてあるが、ところどころひび割れ、草が生えている。
そんな道路のまん中に1台の馬車が止まっている。2頭仕立ての荷馬車で、荷台にはホロがかけてある。
アルは馬車の傍らに立っていた。
まわりには見送る人々がいる。
アルのすぐ前に立っているのは、幼馴染の3人とエピカである。
「いい? 都会は怖いんだからね。油断しちゃダメよ。お財布はちゃんと隠しとくのよ。荷物はほいほい置いたりしないのよ」
マリーが、アルの首に巻かれた針金入りの赤いスカーフを直しながら言った。
「あんたって本当にボンヤリしてるんだから。そのへんちゃんとわかってる?」
「うん、まあね」
このあたりのくだりはもう何回も繰り返されているので、アルは聞き飽きていた。
「大丈夫、ちゃんとやるよ」
「馬車にひかれないように気をつけるのよ。
変なもの食べないようにね。それから……」
マリーが目にいっぱいたまった涙をこぼさないように上を向いた。
「落ち着いたら、手紙書いてよ」
マリーが泣き出したので、アルは彼女をぎゅっと抱きしめた。
「忘れないで、ちゃんと書くよ」
耳元で彼女のおえつを聞きながら言った。
「私にもきちんと書いてくださいね」
エピカが言った。
「あと、約束のもろもろを忘れずに送ってくださいね」
「うん。がんばる」
昨日、フラオークと戦っている最中からアルの記憶は消し飛んでしまっている。
目を覚ましたときには教会の裏にある診療所で寝かされていた。
剣や短剣、置き去りにしたクロスボウまでエピカは回収しておいてくれていた。
まさに、いたれりつくせり。
旬のものやらなにやらをしっかり送らなくては、とアルは思った。
「手紙はいいからよ、俺にもなんか送ってくれよ。都会っぽいものをさ」
ジャックが言った。
それからアルに顔を近づけて小声で言った。
「タバコのさ、パイプがほしいんだよ。ダメかな?」
アルの肩を涙でベトベトにしていたマリーが、顔を上げずにジャックを殴った。
「君のことだから、ちゃんと計画立ててやっていくと思うけど」
セイルはアルに紺色の布の袋を渡した。ズシリと重い。
「餞別だよ。学校で集めたんだ」
よく見ると、白い糸でアルフレッドへと刺繍してある。
「俺、行ったことないのに」
近くの村の同年代の者たちなら知っているが、そのほかは会ったこともない。
「有名だよ、アルは。ダジルを何度も負かせている奴ってさ」
「そうそう、あいつは口を開けば、カーラッドかアルのことばっかだからな」
ジャックが言った。
「俺はもう、あいつに言いたくて言いたくて」
マリーとセイルが両側からジャックの頬を引っ張った。
ジャックが口を横に伸ばしながら、うめく。
それから村長をふくめ、いろんな人たちがアルに声をかけていった。
それが1巡して、もう1度、幼馴染たちとエピカのエールが送られた。
「さあ、そろそろ出発するぞ」
黄色いシャツに青いオーバーオール、麦わら帽子のダンゲルが言った。
白髪まじりの茶色い髪と大きなだんご鼻の45歳。
アルはダンゲルの馬車にサイラの街まで乗せてもらうことになっているのである。
アルは荷袋を荷車の中に置くと、ダンゲルとともに御者席に座った。
見送りの人々が馬車から少し離れる。
ダンゲルがいざ、馬に鞭を当てようとしたときである。
馬車の進行方向から、赤毛を逆立てた少年が走ってきた。
ダジルである。
「ダンゲル、待って」
アルは言うと、御者席から飛び降りた。
「いったいなんなのよ、あいつは」
マリーがイライラとして言った。
涙の別れに水をさされた気がする。
アルはきっと道中マリーよりもダジルのことを考えるに違いない。
「アルフレッド、てめえ、この野郎」
息を切らせながら怒鳴る。
「水、飲む?」
アルはウエストポーチから直径1センチの半透明の青い石を出した。水石である。
「この、この、この馬鹿野郎。俺はな、てめえに勝ったなんて思ってねえぞ」
顔を真っ赤にして言ってから、大きく息を吸って吐いた。
「だからな、俺も冒険者になってやる。それで、いつかてめえに勝ってやる。それまでは、てめえは俺の、俺の、俺の」
「ライバル?」
アルが助け舟を出した。
「違う、大ライバルだ」
それから抱えていたボロ布をアルにつきだした。
「てめえは、これを読んであの人のことをちゃんと勉強しやがれ」
「あの人って?」
ボロ布を受け取ったアルは、その中に本が入っていることに気づいた。
開いてみると、ボロボロの表紙に剣を構えた青年の絵が描いてある。『カーラッドの冒険』とタイトルが書かれている。
「ああ、カーラッドか。本当に、好きだよね、ダジル」
「そうじゃねえだろ、そうじゃ。てめえはちゃんと知っとかなきゃいけねえんだよ、カーラッドのことを」
「……なんで?」
アルは首をかしげた。
両親がカーラッドを嫌っていたため、アルはあまり彼に関心がなかった。
「そりゃあ、てめえが……」
言いかけたダジルを、走ってきたマリーが横から蹴っ飛ばした。
ダジルは地面に転がった。頭を打ってうめく。
「まあ、これはやめといた方がいいんじゃない。荷物になるしね」
セイルが言って、アルの手からカーラッドの冒険を取り上げた。
「いまさら彼のことを知らなくてもいいんじゃないかな。僕が思うにはカルロス(アルの父)はカーラッドと同じくらい偉大だよ」
ダジルが身を起こしてマリーに食ってかかった。
「なにしやがんだ、この、この、この」
「そばかすブス」
ジャックが助け舟を出した。
そしてすかさずマリーにひっぱたかれた。
そんな幼馴染のやりとりをアルは寂しい気持ちで見ていた。
こんな光景はもう見れなくなってしまう。
「俺はなあ」
ダジルが大声で言いながらアルに突進してきた。
アルはダジルをおさえたが、危なく地面に倒されるところだった。
「俺は、王都に行くからな。王都の方がクラングランよりでけえんだからな」
顔を近づけ、唾を大いに飛ばして言った。
「てめえより、すげえ冒険者になってやるからな」
アルを乗せた馬車が出発すると、ダジルは空に向かって大声をあげた。
マリーとセイルとジャックはあまりのうるささに耳をおさえた。
「てめえら、知ってたのかよ。アルが……あの人の息子だって」
ダジルが言った。
馬車は見えなくなり、見送りの村人たちもいなくなっている。
「だってよ、アルが聞いたっていう父親の冒険話がまんま『カーラッドの冒険』なんだもんよ」
ジャックが言った。
目をこすっているのは目がかゆいせいではないだろう。
「なんかわかるじゃんかよ」
「あんたはアルを嘘つき呼ばわりしたじゃない。気づいたのはセイルでしょ」
ハンカチで目をおさえながらマリーが言った。
「アルの家に何度も入ってればカーラッドと関係があることなんてわかっちゃうよ」
眼鏡を取って、ハンカチで目元をぬぐうセイル。
「あんたも好きだもんね、カーラッドの冒険シリーズ」
「なんだってアルに教えてやんねえんだよ」
ダジルには3人がいじわるしているように思えて腹立たしかった。
「かわいそうじゃねえか」
「フィオラ(アルの母)と約束したから」
3人は口をそろえて言った。
ダジルは、けっ、と言って地面に唾を吐こうとしたが、あいにく口の中が乾いていて唾が出なかった。
「どうせ、いつかわかっちまうんじゃなえか」
「それはそうだろうね。ずっと知らないままにはいられないよ」
「案外、あっさりバレちまったりしてな。なんせ、クラングランはカーラッドが冒険者を始めた場所だからなあ」