第61話 アルフレッド18歳の新婚生活⑥
翌日、一行は宿の近くの広場から『飛行リフト』に乗った。
アルはドラゴン退治の直後よりも、疲れている様子だった。正反対に妻2人は上機嫌だった。
『飛行リフト』の旅は順調だった。
マリーも弟子たちも楽しんでいた。
アルはひっそりと恐怖に耐えていた。
カザインの王都アクアランダ近くで休憩をとる。
王都へと続く主要街道である。
道路には雪が積もっており、ろくに轍もできていない。
この雪で馬車の行き来が少ないのだろうか?
アルが体調を整えるために体操をしていると、マリーが袖を引いた。西側を指さす。王都とは反対方向である。
「あっちに魔物の大軍がいるわよ。ゴブリンの集団。200体はいるかも」
「こんな王都の近くで? ろくに魔物退治をしていないのかな」
アルはアークボルトとの会話が思い浮かんだ。
カザイン王国は、今混乱の極みにあるという。そのせいで、警備隊や冒険者が魔物退治をしていないのかもしれない。
「ちょうど村を襲ってるところみたい」
マリーが、どうする? という顔でアルを見た。
「行こう。ドロッター、君たちはあとからこい」
それだけ言うとアルとマリーは姿を消した。『レベル2』で高速移動したのだ。
ティナもすぐに飛び立つ。
ドロッターはいきなりのことに目を白黒させた。
「行きましょう。私たちの出る幕はないかもしれませんけど、村が襲われたなら人手がいるはずです」
ルカが言った。
そのままマリーが指さした方へと歩き出した。
リリィが影のようにルカのあとを追う。
ドロッターはマーキンと顔を見合わせ、2人を追いかけた。
その頃、彼らの師匠は『レベル2』で雪原を駆けていた。雪に足を取られぬように、『念場』で足場を創りながらの疾走。
マリーはその隣をツーツーと滑るように進んでいる。雪を氷に変えてスケートの要領ですべっているのだ。
ほどなくして村が見えてきた。
雪をかぶった家屋がいくつも建っている。
王都手前だけあって規模の大きな村だった。
家屋のあいだに黒い小さな人影が群れている。銀の胸当てと剣や弓で武装した黒いゴブリン。
ブラックゴブリンだ。
フラゴブリンよりも頭が良く、統制が取れる。
集団になると厄介な相手である。
雪の中に引き倒された血まみれの人間たち。
まだ生きている。拠点に連れ去って、たっぷりとエナを搾り取るつもりなのだろう。
アルは両手を広げると前にかざした。
10.本の指から伸びた『光糸』が、止まったように緩慢に動く(レベル2に入っているため)魔物たちに襲い掛かる。
斬糸モードの『光糸』が魔物の体を2つに割り、頭部を貫き、1本1本が個別の生き物のように動いて、次々と魔物を仕留める。
アルの頭上を、大きく跳躍したマリーが飛び越えていった。黒いドレスの裾と袖がはためいてる。
マリーは水神モードと化した姿で複数の水の刃を操り、魔物を切り裂いていった。
ところどころに、大けがをし、血だらけになった村人たちの姿が見える。
昔のマリーならばその凄惨な光景に血の気を失ったことだろうが、水神モードのマリーには特に感じるものはかった。
魔物を屠りながら治療の優先順位を頭の中で立てていく。
空からティナも降りてきた。
銀の玉を雨あられと投擲し、ブラックゴブリンを攻撃。高速で飛ぶ銀の玉を受けた魔物は、穴を穿たれ、あるいは破裂する。
3人の攻撃にブラックゴブリンはなにが起こっているのかすら把握できないようで、右往左往している。
そのあいだにもアルと妻たちの苛烈な攻撃が容赦なく魔物の数を減らしていく。
200体のゴブリンはこの夫婦にとってはあまりにも少なすぎた。
ドロッターたちが村に到着した頃には、すでに生きた魔物の姿はなかった。
怪我人をアルとマリーが次々と治している。
ドロッターたちも傷薬(異世界パルミスの傷薬は止血、痛み止め、簡単な再生など高性能)を使って村人たちの治療に当たった。
「あの、あの方々はいったい何者なのですか? あれほどの魔物を瞬く間に……」
ドロッターが手当てをしていた年配の男が言った。
アルたちに畏敬の目を向けている。
「ただの旅の冒険者……」とドロッターが言いかけたところで「『勇者アルフレッド』」という大きな声が聞こえた。
振り返るとマーキンが手当てしていた青年が、呆然とアルを見ている。
「勇者アルフレッド……。あの方が……」
年配の男が感極まったような顔になる。
ドロッターは苦笑いした。
ここに来るまでに村人たちにアルのことを黙っていようと決めたのだ。
「先生のことだから、勇者だなんだって騒がれたくないと思うんです。ただの冒険者ってことにした方がいいんじゃいですかね」とルカが提案し、全員、頷いたのだ。
しかし、マーキンが口を滑らせてしまったらしい。マーキンは誠実な人柄のせいか嘘が苦手なのだ。
あれが『勇者アルフレッド』と村人たちの誰も彼もがアルを見る。
村人たちを何十人も治療したため、アルは汗まみれになっていた。本業の教導師ではないのだから当然である。
勇者、勇者と呼ばれて露骨に顔をしかめている。
「すみませんでした」とマーキンがアルに謝る。
「いや、いいよ。村の人たちがちょっとでも元気になるなら、大したことじゃないから」
言いながらもその顔は苦々しい。
アルとマリーが奮闘したおかげで、命を落とした者は10人にも満たなかった。
アルもマリーも欠損を治療する復元ができるが(レベル3を体得したマリーは、水神の力で欠損も再生させることができるようになった)、さすがに重傷者全員を完治させるには時間がかかる。
結局、2日間村に滞在して、村人たちを完治させた。
その間、王都からは救援もなく、教導師も派遣されなかった。
村の代表者が王都へ魔物に襲撃されたことを報告しに行ったにも関わらず、である。
魔物たちが入り込んだことから結界に穴があるのは明白である。放っておけばまた魔物に襲われるだろう。
「昨年から王国政府はほとんど機能していないのです」
村長がアルに事情を教えてくれた。
村長の言うには、昨年、王城で神器の黄金剣が盗まれて以来、王の威信は地に落ち、王国政府内では派閥争いが続いている。
結界の張り直しも昨年のうちに何度も要請したのだが、なしのつぶてとのこと。
「教会に直接頼んだらどうなの?」
マリーが言った。
アルも頷いた。
本来、破魔結界の張り直しは、行政機関から要請を受けた教会が行うことになっている。
教会が必要以上に地域で力を持つことを防ぐための取り決めである。だが、行政機関が機能していないのならば、直接教会に頼むしかない。
「それが……」と村長は言葉をにごした。
とつとつと話した内容は驚くべきものだった。王都の大教会は結界の張り直しに莫大な金額を要求したという。
「そんな、破魔結界の維持は教会の義務でしょう」
ルカが驚いて言った。
「気安く教会を使ってもらっては困るというようなことを言われまして……」
行政を通さない特別措置なのだから、特別な寄進が必要である、ともっともらしいことを言われたという。
ダルトンやマリアンがいたら激怒して教会に殴りこんでいたかもしれない。いや、メイラ大教会長でもそうしただろう。
「わかりました。俺が掛け合ってみます」
アルは言った。
教会と関わるのは面倒だが、このまま村を放っておくわけにはいかない。
アルは、マリーと弟子たちを村に残して、ティナと2人で王都へ向かった。
マリーは魔物と融合しているため、教会は鬼門である。マリーを教会に連れていくとひと悶着起こる可能性があるのだ。
王都の門には門番すらいなかった。
不用心だなと思いながらも勝手に入る。ろくに雪のかかれていない道。
王都だけあって建物の丈は高く、立派なものが多いが、商店は閉まっており、人通りも少ない。
すれ違う人々はそろって陰鬱な表情をしている。
この閑散とした雰囲気は冬だからといわけではなさそうだ。
「なんか嫌な感じがする街だね」
ティナが言った。
モコモコとした白いコートに白い帽子という姿である。
「なんか、視線が気持ち悪い」
アルも自分たちを見る攻撃的な視線を感じていた。
路地から、建物の中から、見られている。
賊の類で、ティナが狙われているのかもしれない。
1人で来た方が良かったか、とアルは後悔した。相手にとって危険なので襲いかかってくるような真似は遠慮してほしい。
やがて教会が見えた。
目抜き通り沿いにある立派な礼拝堂。
隣立する診療所。
診療所の前には長い列ができていて、歩道を埋め尽くしている。
列に並ぶ人々からも2人は攻撃的な視線を受けた。怒り、憎悪、そんなものを感じる。
人々の貧しい身なりと汚れた顔を見て、アルはようやく気付いた。
彼らからしたら自分たちは上流階級の人間のように見えるのだろう。人々は王や貴族に怒っているのだ。
「ティナ、先に村に戻ってくれ」
「嫌だよ。こんなとこにアルを1人で置いていきたくないもの」
「俺ひとりなら目立たないから大丈夫だ」
ティナと一緒に歩いていると、富豪の令嬢と護衛の戦士のように見えるかもしれない。
アルだけならただの冒険者だと思われるだろう。
「とにかくダメ、せっかくのデートなんだから」
デートだったのか、これは、とアルは思った。
確かにティナは街に入るまでは妙にウキウキとしていた。
「帰りは全力で戻ろう」
早いところを用を済ませてしまおう、と礼拝堂を挟んで診療所の反対側に立つ建物に入った。
『アクアランダ大教会』と妙にきらびやかな看板がかかっている白塗りの建物である。
ドアを開けると机が並んだ部屋に出た。机はいくつもある癖に、そこについている教導師はたった3人。
全員男性だった。
3人ともアルたちが入っても顔を上げない。1人は両腕を組んで目を閉じている。眠っているようだ。
「大教会長にお取次ぎ願えませんか」
アルは近くにいた中年教導師に声をかけた。
中年教導師がようやくアルを見た。
うさんくさいものを見るような目である。
「あんた、なんだね?」
「ソフラノ村の結界が切れているんです。張り直してもらおうと思って」
「城へ行きなさい」
「城がどんな状態か知ってるでしょう?」
派閥争いで機能していない王城に行ったところで、名乗らなければ相手にしてもらえないだろうし、名乗ったらさらなる面倒ごとが待っていそうだ。
中年教導師が鼻を鳴らした。
「無駄だと思うが、一応取り次いでもいい。だが、私も忙しい身だし、あんたを大教会長のところまで連れていくのに時間がとられたら、職務が滞る。わかるだろう? もちろん、あんたが主の僕としてとても模範的な人間であれば、なにをおいても大教会長の元へ案内せねばならんが」
「できる限り祈りは捧げていますし、教会の頼みは聞いていますよ」
「それは当然のことだろう。そういうことを言っているのではない」
じゃあ、どういうことだよ、とアルは思った。
相手が賄賂を要求していることなどとても思いつかなかった。
なにしろ相手は教導師、それも教区を束ねる大教会の教導師である。
「俺が『勇者アルフレッド』でも大教会長に会うことはできないかい?」
仕方がないので名乗った。
「あんたが高名な勇者なら、もちろんお会いしていただくとも。だがあんたは勇者じゃあるまい?」
「アルフレッドだよ」
「ありふれた名前だな」
「……『勇者アルフレッド』だよ」
「その割には地味だな」
「………ほっとけ」
いきなり風が起こった。
机の書類が舞い上がる。
中年教導師が目を白黒させて、眼前に突き付けられた大剣の切っ先を見る。
「ちょっと失礼だと思うな」
ティナが言った。
コート姿のまま片手で大剣を握っている。
中年教導師は口をパクパクと開きながら、青い顔でティナと大剣を見比べている。
大剣がぶんと1回転した。
再び風が起こり、書類をまき散らす。中年教導師の首にピタリと大剣が当てられる。
「アルのこと信じてくれるよね?」
ニッコリと笑うティナ。
天使の異名にふさわしい笑顔だが、否を許さぬ迫力がある。
大剣消えた。
ねっ、とティナが小首をかしげる。
中年教導師はコクコクと頷いた。
ぎこちない動きで席を立ち、奥のドアへと歩いていく。
アルはそのあとについていった。
ああいう脅しもできるようにならないといけないのだろうか?
妻に乱暴なことをさせるよりも、自分がやらないとならないはずだ。
ティナがアルの手を握った。
肩に頭を乗せる。
「どうしてわかんないのかな。アルはこんなにカッコいいのにね」
案内されたのは3階の奥の部屋だった。がっしりとした両開きのドア。
その両脇には若くてハンサムな青年教導師が立っている。
「ゆ、勇者アルフレッド殿が大教会長に面会をしたいそうだ」
中年教導師の言葉に青年2人が目を見開いた。
まじまじとアルを見る。
1人がお待ちください、と中へ入っていった。
中年教導師は逃げるように戻っていってしまった。
残った青年教導師の視線が妙に熱っぽくて、アルは居心地が悪い思いで待った。
ティナはまったくそんなことなど気にもせず、アルの手の中を指で撫でている。
扉が開いた。
先ほどの青年が2人を招き入れる。
鮮やかな青いカーペットが敷かれていた。
通りに面した大きな窓から光が差し込んでいる。
美しい飾りのついた机。飾り棚に並んだ壺やガラス細工。部屋の隅には青年男性の彫像が置かれている。
クラングラン大教会のメイラの簡素な執務室とはずいぶん違う。
なんというか、ケバケバしい。
机についていた教導師がアルに穏やかな目を向けた。
60前後だろうか。ツルっとした、髭を綺麗にそった、丸顔の男である。
青いつば無し帽からはみ出した白い髪が、ちょろちょろと顔にかかっている。
首に下げている黄金の正円のアミュレットは大教会長の証である。
「主のお導きを感謝いたしましょう」
言うと彼は、この教区を預かる大教会長のルボルである、と名乗った。
「高名な勇者アルフレッド殿が我が教会に何用ですかな?」
「ソフラノ村の結界が切れているんです。すぐに張り直してもらえませんか?」
村が魔物の群れに襲われたこと。
偶然、そばに降りた自分たちが助けに行かなければ、村人は連れ去られていたこと。大教会の目と鼻の先で魔物の被害があれば、太陽教の沽券に関わるだろうこと。
「主のご采配に感謝を」
ルボルは言うと両手の指を組んで祈りを捧げた。
「すぐに結界を張りに向かわせましょう」
アルはホッとした。
これで要件は済んだ。
しかし、ルボルと話してみたところ、村長から聞いたような理不尽を言いそうな人物には思えない。
ひょっとしたら、ルボルまで話がいっていなかったのかもしれない。アルは先ほどの中年教導師を思いだした。
「私も1度村に戻りますので、教導師を同行させていただけたら、ありがたいのですが」
ルボルは笑顔で頷いた。
「モーリス、カインを中へ」
扉のところで控えていた青年が1度、外へ出て、もう1人の青年を連れてきた。
「君たちのうち、どちらかにソフラノ村へ結界を張りに行ってもらおうと思います。『勇者アルフレッド』についていくように」
あとから部屋に入ってきた方、焦げ茶色の髪のカインが先に声をあげた。
「大教会長、ぜひ私にその役目をお命じください」
ルボルが首をかしげて、モーリスに目を向ける。
「どう思うかね、モーリス?」
「カインが適任かと思います。カインは『勇者アルフレッド』に対して並々ならぬ憧れを抱いているようでしたから」
「モーリス」
カインが顔を赤らめた。
「せっかく、『勇者アルフレッド』が立ち寄られたのです。いっそう、このまま『破魔の行』に入ってはどうです? このアクアランダ大教会から『勇者アルフレッド』の従者が出れば、私たちの誉れとなりましょう」
モーリスの言葉に、ルボルがカインを見つめた。
柔和な顔つきだが、アルはなにか違和感を感じた。教導師の目というよりも、美術品を品定めする画商のような目だ。
「とにかく、ソフラノ村の結界を張りに行きましょう。カインさん、よろしくお願いします」
アルは言った。
自分の役目はソフラノ村に結界を張り直すこと。アクアランダ大教会に深く関わるつもりはない、アルはそう自身にいい聞かせた。
大教会の建物を出る。
カインは無言でアルとティナのあとについてきた。彼を連れていくので、アルは地上を『レベル2』で、ティナは空を高速飛行、というわけにはいかない。
『飛行リフト』を使うか迷いながら帰路につく。
「あの、『勇者アルフレッド』」
カインが言った。
「はい、なんでしょう?」
「例えば、私が『破魔の行』に入るとして、あなたについていくことは可能でしょうか?」
恐る恐るといった調子である。
本気で検討していたのか、とアルは驚いた。
カインが真剣な目でアルの返答を待っているので、急いで考えてみる。
『太陽の剣』の教導師は現在マリアンひとりである。
アルやマリーが治療できるので、こちらはそれでも問題ないが、ドロッターたちは癒し手無しの戦いを強いらることが多くなっている。
1星や2星の依頼が中心だし、ドロッターがかなり慎重な性格のため、今までは大過なく済んでいた。
だが、もしものことを考えたら、教導師のフォローはあった方が良い。
それにマリアンもいずれ『破魔の行』を終える日が来るだろ。
「そうですね。すぐに私と一緒に戦うというのは難しいかもしれません。ただ、私の弟子たちに手を貸してもらえるなら、とてもありがたいと思います。『太陽の剣』では教導師と魔法使いが不足しているんですよ」
アルの言葉にカインがブルブルと震えた。
大丈夫か、この人、とアルが思っているとカインは「主よ、感謝いたします」と大声で叫んだ。
「では、私は『破魔の行』に入ります。『勇者アルフレッド』とともにどこまでも参ります」
大教会長に許可をもらってきます、とカインは踵を返して走って戻っていった。
その背中を呆然とアルは眺めた。
セーラが無理やりメイドになったときのような不安を覚えた。
「良かったね、アル」とティナはなぜか嬉しそうだ。
「良かったのかな」
「だって、アルのことを尊敬する人が増えたらうれしいよ」
「うれしいかな」
むしろやりにくくなりそうなのだが。
カインはすぐに戻ってきた。満面の笑顔である。
「快く送り出していただきました。よろしくお願いします。『勇者アルフレッド』」
「とりあえず、勇者って呼ぶのはやめてください」
門へ向かう途上、カインは熱っぽく自分が『冒険者アルフレッドシリーズ』を愛読していることを語った。
『破魔の行』に出るのを心待ちにしていたという。
「なかなか大教会長の許可が下りなかったのです」
「アクアランダ大教会は人手不足なんですか?」
「人手不足といえば人手不足なのですが……」
カインはカザイン王国の内情を説明した。もともとカザインは教会と貴族たちの結びつきが強く、中央教会の威光が行き届いていなかった。
有力貴族たちが優秀な教導師を側近として抱え込んでしまうのだ。
教会はどこも賄賂が横行し、腐敗している。多くの教導師が愛想をつかし、国外へ出て行ってしまった。
「4年前に国王が代わってから、国内は混乱し、さらにその傾向が顕著になりました。残るのは大教会長のような方ばかり」
「立派な方のように見えましたが」
カインが首を横に振った。
「表の顔は人格者ですが……」
顔が青ざめている。
アルは深く聞かなかった。
アルは、門に近づく前に、その周辺にずいぶんと人が集まっていることに違和感は感じていた。街に入ったときは閑散としていたのだ。
なにかのイベントがるのだろうか、と軽く考えてしまったのは、カザイン王国に対してなにかできることはないか頭を使っていたせいである。
「世直しなんか考えるなよ。勇者は魔物の相手をしていればいいんだ。腐敗を正したり、弱者を救済したり、そういうことは君の役目じゃない。担がれて、なんでもかんでも押しつけらるだけだぜ」
後日、カザインでのできごとを話した際、ベルが言った言葉である。
ともかく、このとき、アルはカザインに対する勇者としてのアプローチに頭を使っており、門周辺に漂う殺気に気づくのが遅れた。
それに気づいたのは人々の姿が、実際に見えたときだった。
戦いになる、と悟り、隣のティナを見た。
警告する前にティナは甲冑をまとっていた。
「ティナ、できるだけ殺さないようにしよう」
アルは言うと、まだ事態を把握していないカインを振り返った。
「私たちを襲撃するようです。あなたの身は私たちが必ず守りますから、落ち着いて、あまり動き回らないようにお願いします」
「襲撃ですか?」
カインが驚く。
アルは背後から接近する気配も感じた。数が多い。
正面と合わせて50人近くいるだろう。
アルたちが足を止めたので気付かれたと悟ったのだろう、門のところに集まっていた人々が近づいてきた。
背後からも横からもぞろぞろと近づいてくる。
手にはクロスボウや槍、短剣を持っている。足運びから見て、ならず者といよりも身を堕とした平民という感じがする。
「俺たちになにか用か?」
無言で近づいてきた男たちにアルは問いかけた。
「お前たち、貴族か?」
男たちの視線がティナに向く。称賛ではなく憎悪がこもっている。
変なことを聞く、とアルは思った。
戦闘モードのティナを見て、貴族と思えるのだろうか?
「アル、なんか、変」
ティナの声に、彼女の方を向いた。
いつの間にか戦闘モードから白いコート姿に戻っている。これなら貴族に見られても不思議ではない。
アルが「殺すな」と言ったから戦闘モードを解除したのか?
アルは妙な違和感を感じた。
「俺たちはただの冒険者だ。貴族でも金持ちでもない。身ぐるみをはいでも実入りは少ないぞ」
「だが女は上玉だぜ」とそんな声があがった。
それに賛同する声。
「アル、やっぱり変。あたし、力が……」
アルがティナを再び振り返ったとき、男たちが怒号をあげた。
アルめがけてクロスボウの矢が放たれる。
アルは『レベル2』に入った。
『光糸』を走らせ、矢を切り払い、クロスボウを破壊する。
男たちの中に飛び込むと、『念波』(命令を飛ばす。睡眠や麻痺状態にすることが可能)を飛ばす。
男たちがゆっくりと雪の中に倒れていった。
そうしながらも、アルはティナが動かずにじっとしていることに安心した。
1番怖かったのは、彼女がやりすぎてしまうことだった。ティナは敵対する者に容赦がない。いくらアルが言っても聞かない可能性があった。
男たちは確かに素人だった。
だからこそ、『その攻撃』はアルの予想外だった。
バタバタと倒れていく仲間たちを見て恐慌を起こした男の1人が放り出した短剣が、放物線を描いてティナの頭上に落ちていったのだ。
アルはそれを排除しなかった。
ティナならば問題なくかわすだろうと思っていたのだ。
だが、ティナは動かなかった。なにかに気をとられているらしく、気付いてさえいない。
危ない。
アルは寸前でそれに気が付き、さらに速度を上げた。
回転しながらティナの肩にぶつかろうとしている短剣を、『光糸』で弾いた。
間一髪だった。
今度ははっきりと違和感を感じた。
なぜ、自分はここまで焦ったのか。
例え、短剣がティナの体に当たっても彼女を傷つけるわけがないのに。
なにか変だ。なにかが。
アルはそのままのスピードで男たちを片付けた。『念波』を飛ばして、男たちを次々と昏倒させていく。
すぐに立っているのはアルたちだけになった。
アルは通常速に戻った。
実際の時間では戦闘開始から100を数える間もなかっただろう。
ティナの肩に手をかける。
ティナは心ここにあらずという様子だった。
「ティナ、どうした? なにがあったんだ?」
ティナが自分の両手を見た。
それから困ったような顔をする。
「あたし、また、弱くなっちゃったみたい」
その言葉がアルの心に与えた衝撃は、ティナの予想をはるかに上回った。




