第6話 アルフレッド12歳、弟子入りする⑥
「うん、なに、なに?」
ティナがトースト(卵焼きと玉ねぎを挟んだ)を頬張りながら、小首をかしげた。
「どうかした?」
ティナの顔をじっと見ていたアルは、それで我に返った。
エーテルがどうしたら上手に笑えるか考えているうちに、ティナの笑顔はとても自然だと考えがいたり、口や目の動かし方になにかヒントはないかと見ていたのだ。
「ごめん、なんでもないんだ」
言ってアルはサラダを口に運んだ。
エーテルと別れてから、部屋に戻り、朝食のトーストとサラダとスープを作り、今食べているところである。
2人してテーブルに向き合って座っている。
アルはシャワーを浴びてから、普段着のTシャツとズボンに着替えている。
ティナは起きたてで下着姿である。
「どう? 味は」
ティナは口の中のトーストをしっかりと飲み込んでから、くったくのない笑顔になった。
「うん、美味しいよ。レグルに比べたらまだまだだけど」
手厳しく言われても、満面の笑顔のせいで角が立たない。
まさに、エーテルとは正反対の笑顔である。
アルは思わず手を伸ばした。
ティナの唇のはしを指で押して、引っ張ってみる。
ティナは笑顔のまま首をかしげた。
「なんでこんなに可愛い笑顔なんだろうなあ」
アルはティナの目尻をいじくりながら言った。
「変だなあ」
「変なの?」
「あ、ごめん」
アルは自分がしていることに気がついて、ティナの顔から手を離した。
これがマリーだったら全力でひっぱたかれていたところである。
「変じゃないよ。ティナはすごいなって思ってさ」
「すごいの? あたし」
自分の鼻を指さして微笑む。
やはりエーテルとは対照的にちょっとした仕草も愛嬌があって可愛らしい。
「そうだ。明日から、朝食はエーテルとマグ爺も一緒にどうかなって思うんだけど」
アルの中ではほとんど決定事項である。
帰り道、エーテルはみんなで一緒に食べる朝食に思いをはせて目を輝かせていた。
あんな顔を見てしまっては、やっぱりダメだとはとても言えない。
「じゃあ、あたしはみんなの後で食べるね」
ティナが言った。
「屋根の上にでもいよっと」
アルはそれが同席を断っている言葉だとはすぐには気づかなかった。
それほど当たり前のことのようにティナは言ったのである。
「な、なんで? みんなで食べればいいじゃない」
「あたし、あの子苦手なんだ。あんまり近くにいたくない」
こういうときにはティナのストレートさは容赦がない。
アルは少し鼻白んだが、自分もエーテルのことが苦手だったことを思い出した。
「いや、わかるよ。確かに、ちょっと、いや、かなりかな。その、なんか変な感じに見えるところもあるけど。俺も、今朝まで苦手だったんだけど。でも、あの子はいい子なんだよ。笑い方がなんだか特殊なだけで。本当にそれだけなんだよ。ほら、彼女、小さい頃からマグ爺と2人で暮らしていただろ。だから、あんな笑い方になっちゃっただけなんだよ」
「でも、苦手なのは苦手なの。仕方ないよ」
「仕方ないなんて、そんなこと言わないでよ。エーテルはみんなと仲良くしたいんだよ。それなのに、誤解ばっかりされて。嫌われてさ。そりゃあ、確かに、ひどい笑い方するよ。馬鹿にされてるような気がするし、見下されてるような気がするし。でも、それはエーテルの本心じゃないんだ。誤解なんだよ」
アルは熱くなっていた。
エーテルがどれだけ人とのつながりを求めているか知ってしまったため、少しでも彼女の理解者を増やさなくてはと使命感がわき起こっている。
「ちゃんと話してみようよ。そうすれば、絶対にエーテルのこと放っておけないって思うからさ。ティアの方が4歳も上なんだか、そこらへんは、こう、大きな心をもって……」
「あたし、蛇が大嫌いなの」
アルの話を遮って、ティナが言った。
「へ、蛇?」
アルは聞き返した。あまりにも予想外の言葉だった。
言われてみれば以前、コロットとの旅路で、ティナが蛇の魔物を敬遠したことがあった。
「そういえば、そうだったけ。でも、それがどうしたの?」
「あの子、いっつも蛇を連れてるでしょ。青くてピカピカしてるやつ。あたし、あれ、すごく嫌だ。絶対に、近寄りたくない。あんなのがそばにいたらなんにも喉を通らなくなっちゃうよ」
あっ、とアルは思い出した。
そうだった。
エーテルは青い蛇と白いコウモリと赤い大蜘蛛をいつも連れている、というか身に着けている。
「そ、それじゃあ、蛇は置いてくるように言うよ。それならいいだろ」
「別にいいけど」とティナは彼女にしては珍しい、気のない返事をした。
翌日、アルはいつものように鍛錬を終え、冷シャワーを浴びてさっぱりとした。
白い襟付きのシャツと茶色いズボンをはいて、その上からエプロンをつける。
部屋に時計はないのでアルには正確な時間はわからないが、ちょうど7時半になったところである。
いつも朝7時の鐘を鍛錬終了の合図にしているので、だいたいその時間になる。
アルはシャツの袖をまくると、朝食の準備にかかった。
今朝は4人分。
そういえば、マグ爺やエーテルが普段どんなものを食べているのか聞いていなかった。
食べられない物がなければいいが。
野菜を切っていると、ティナがベッドの下から出てきた。
「おはよう」
大きく伸びをしながらあくびをするティナ。
「まだ来てないよね」
「うん、8時に来るはずだけど」
エーテルは動いているのが不思議なくらい古い懐中時計を持っている。
古びてはいても時間は正確らしいので、8時にちゃんと来るだろう。
「じゃあ、あたしは屋根で寝てるね。帰ったら呼んでね」
言うと、ティナは下着姿のまま外に出ていった。
すぐに屋根の上から物音が聞こえた。
アルはため息をついた。
エーテルになんと言ったらいいか。
これまでの人生でさんざん傷ついているエーテルである。
せめて自分だけは絶対に傷つけたくないと思うアルだった。
コンソメスープに、レタスと大根のサラダ。卵とスライスしたキノコを入れたカユ。焼いたバケットパン。
テーブルに料理の皿を持っていく。
椅子は昨日のうちに中央公園市場で中古の安いものを2脚買ってきてある。
やがて、ドアがコンコンと叩かれた。
開くと黒帽子に黒マント、黒いワンピースのエーテルが無表情で立っていた。
その後ろにはマグ爺がボンヤリとして立っている。
「お言葉に甘えて来てしまいました。あの、心変わりをしたりしていないでしょうか。もしも、気が変わったのでしたら、遠慮ななくおっしゃってください。後ろ髪ひかれる思いで退散しますから」
どうやら緊張しているらしく、いつもよりもさらに抑揚がなく、早口であった。
「大丈夫、待ってたよ。入って。狭い部屋だけど」
エーテルはマグ爺の手を引いて、部屋に入ってきた。
不自然なほど首も視線も動かさない。
いろいろと見回しては失礼になると彼女なりに思ってのことである。
「大したものはできないけど、温かいうちに食べよう。食べれないものがなければいいんだけど。あと、口にあえばね」
アルは新たに買ってきた2脚の椅子を引いた。
片方は肘掛けとクッションがついている。もう片方は今まであった椅子と同じような肘掛けのない簡素なタイプである。
エーテルはマグ爺をクッションのついた椅子に座らせると、自分は簡素な椅子に腰掛けた。
そこで杖をどうしたものかと迷った挙句に、自分の膝に乗せた。
「あっ、それ預かるよ。マントと帽子も脱いだらどうかな。というか、脱いでいいものなのかな?」
「はい、帽子もマントも常時つけていなくはならないという決まりがあるわけではありませんから、大丈夫です」
エーテルは言って杖をアルに渡した。
「そうですね。マントも帽子も屋内では取るべきですよね。魔法学院ではマントも帽子も身につけたままなので、つい脱ぐのを忘れてしまいました。失礼を許してください」
「い、いや、大丈夫だよ、そんなにかしこまらなくても」
エーテルは帽子、ついでマントを脱いだ。
帽子の下には白いコウモリがいた。エーテルの茶色い髪の毛の上に丸くなって乗っかっている。
いつもマントを着ているので目立たないが、マントを脱いでみると、エーテルの服はかなりひどい。
完全に大人もので、サイズがまるであっていない。
裾は引きずり、袖は手からぶら下がり、襟ぐいは広すぎて鎖骨の下までむき出しになっている。
腰のところで上からベルトを巻いて、強引に裾をたくし上げているが、それでもまだまだ長すぎる。
「どうしていつもそんな大きな服ばっかり着てるの? それも、なんか魔法使いの決まりごと?」
「いえ。家にあるのは大人用の服だけなのです」
言ってエーテルは自分の袖に目を向けた。
「やはり変でしょうか?」
「ちょっとね」
アルはなんとか手直しできないものかと考えた。
袖と裾を切り、襟元を縫えば、もう少し見られるようにはなりそうだ。
ただ、アルは裁縫ができない。母が病気になってもこれだけは自分でやると言って聞かなかったために、覚える機会がなかった。
こんなことならマリーに教わっておけば良かった。
「早く大きくなりたいですね。体が小さいといろいろ不便です」
「そうだね。俺もそう思うよ」
エピカにも指摘されたが、腕力がないのが1番きつい。
ゴブリンなどの小型の魔物ならいいが、中型や大型の魔物になると、接近戦が厳しい。
アルはエーテルの帽子とマントを玄関横のフックにかけた。
マグ爺はマントも帽子も脱がないが、マグ爺がそれらを脱ぐのがなんとなく怖いので、特に聞かなかった。
「食べようか」
アルは座ると、目を閉じて両手の指を結んで、短く祈りを捧げた。
エーテルは目をパチクリとしばたたいてから、アルの真似をした。
しかし、アルがなにをしているのかわからないために、本当に形だけのものになった。
マグ爺は焦点の合わない目で宙を見ながら、スライスしたバケットパンにしゃぶりついている。
「どうぞ、召し上がれ」
「はい、いただきます」
言うとエーテルはスプーンを手にして、陶製の椀に盛られたカユをすくって口に運んだ。
そして、ブルリ、と体を震わせた。
目をギュッとつむり、なにかすっぱいものを食べたかのように唇を尖らせている。
「な、なに。口に合わなかった? ダメなような吐き出していいよ。そっちに流し台があるから」
エーテルはその顔のまま、ブルブルと震え、そしてパチッと目を開くと言った。
「美味しいです。これが美味しいということなんですね。感動です」
「そうか。良かった」
アルはホッとした。それにしてもずいぶん大げさな表現である。
「料理、いつもは誰が作ってるの? その、召使いの魔法生物?」
「いえ、プルシールは2年前に寿命で消えてしまいました。それまでは彼女が作ってくれていたんですが、なんというか、かなり食べにくかったです。今はうちの食料庫に入っているものを出して、食べています。100年分は貯蓄があるので、お金がなくてもなんとかなっています。やっぱり食べにくいですけど、プルシールの作ってくれていたものよりは食べやすいです」
言うとエーテルはもうひとさじ口に運び、ゆっくりと味わうように口をモゴモゴと動かした。
アルはまたしてもエーテルのことが心配になった。
ひょっとしたら、小柄で痩せていて顔色が悪いのも、そのせいではないだろうか?
なにかもっとちゃんとしたものを食べた方がいいんじゃないだろうか?
彼女が自分で料理を作れればそれが1番なのだろうが、魔法学院に通い、マグ爺の世話までしているのに、そのうえ料理まで作れというのは酷である。
「私、今まで美味しいというのがどういうことなのかよくわからなかったんです。食べにくいか食べやすいかしかわからなくて。でも、アル様の料理を食べたら、口の中に気持ち良さが広がって、体がブルブルしました。衝撃的でした。これが美味しいってことなのかって、わかりました」
エーテルが言って邪悪な笑みを浮かべた。
アルは照れくさくなった。
つい、エーテルから視線をそらしてしまう。
それから、ふと、それが今日初めてのエーテルの笑みだったことに気がついた。
「そういえば、今日は初めてだね。笑ったの」
エーテルは慌てて手を口元にやった。
すぐに無表情に戻った。
「ひょっとして、笑わないように我慢してたの?」
「はい、人に不快感を与えるとわかったので笑うことはやめました。すみません、アル様、ご不快ではなかったですか?」
アルは胸が痛んだ。自分が指摘してしまったせいで、エーテルから笑いを奪ってしまった。
余計なことをしたのではないだろうか。
いや、とアルはその思いを否定した。
あのまま放っておいたら、いつまでたってもエーテルは人から嫌われ続ける。
ちゃんとした笑顔ができるようになるまでの辛抱だ。
絶対に、エーテルが可愛いく笑えるようにするぞ。
心に誓った。
「エーテル、がんばろう。がんばって、みんなが可愛いって思うような笑顔を覚えよう。俺、全力で応援するから」
「はい、がんばります」
そのとき、マグ爺の目が一瞬だけ赤く光った。
唇がニヤリと吊り上がり、エーテルのものによく似た邪悪な笑みが浮かんだ。
しかし、アルもエーテルも気づかなかった。
エーテルはすべての料理に感動していた。涙ぐんでさえいた。
ありとあらゆる賛辞をアルに贈った。
こんなにまで感動し、喜んでもらえるなら、もっと上手になろうと思うのが人情である。
アルは俄然、やる気がわいた。
こうなったら、怒鳴られても皿を投げられても、徹底的にレグルの料理を覚えてやる、と決意した。
食後、2人は昨日の続きをした。
ティナの手鏡を借りて、エーテルの笑顔を特訓する。
アルはティナの笑顔を思い出しながら、なんとかエーテルに似たような笑顔を作らせようとするのだが、なぜか恐ろしく歪な表情になってしまう。
試行錯誤の末、エーテルが魔法学院に行かなくてはならない時間がきた。
これから毎日来るようにいうとエーテルは感激でまた泣き出した(無表情だが)。




