第6話 アルフレッド12歳、弟子入りする②
『月の雫』で働き始めたアルの1日はおおよそこんなふうである。
朝の鍛錬を終え、自室で朝食を取り、『太陽の剣』に顔を出してから、仕込みを手伝う。
開店の少し前にレグル監視のもとティナのおやつを作って、食べさせる(午前のおやつ)。
怒鳴られ続ける昼食時。
昼食のピークをすぎた頃に、やはりレグル監視のもとに作った料理で、ティナとともに昼食をとる。
その後、皿洗いや店の掃除をして、夜の仕込みを始める。
3時頃にまたティナにおやつを食べさせる。
その後しばらく『太陽の剣』で休憩し、夕食時に厨房で地獄を味わう。
忙しいピークが終わり、くたくたになりながらもティナともに夕食を食べる。
皿洗いやら翌日の仕込みやらを終えてようやく『月の雫』から解放。
その後、夜の鍛錬をおこない、武具の手入れをして、眠る。
もちろん、依頼がないときの話である。
依頼があるときは、そちらを優先して、店を抜ける。
依頼を終えて、シャワーできちんと汚れを落としてから、店に行くというパターンである。
アルにとってありがたかったのは、自分たちの食事を店の食材で作らせてもらえることだった。
これなら依頼がないときでも貯金に手をつけずにすむ。
レグルはかなり厳しいが、アルの師レイモンドも容赦がなかったのですぐに慣れた。
アルは物覚えが良い。
覚えたことを何度も頭の中で反復する癖のせいである。
さらに、生真面目な性格なので何ごとにも全力をつくそうとする。
どうすれば、もっと手ぎわが良くなるか、ひたすら考えるのである。
1週間も経つ頃にはレグルから怒鳴られる回数も半分くらいに減った。
それでもまだまだ多いのだが。
『月の雫』は月曜日が定休日である。
その前日の夜は、念入りに調理器具の手入れや店内の掃除をする。
いつもは子供だからと9時には解放されるアルだったが、この日は閉店後の掃除まで付き合わされた。
それらを終えて店を出る。
アルが、明日は休みだから部屋の掃除をしよう、と考えていると、レグルがアルの前に立った。
「手を出せ」
なにかまずいことをやってしまっただろうか、とアルは不安になった。おずおずと手をだす。
レグルがそこに銀貨を4枚落とした。
なにかお使いを頼まれるんだ、とアルは思った。
今度は迷わないようにきちんと地図を持っていこう。
しかし、レグルはクルリと背を向けて歩き出した。
「えっ、これは……」
「お給料。1週間に4シルカ。少なくてごめんね。本当は2ジットは出してもいいと思うだけど、お父さんが10分の1人前にもなってないやつだからって、聞かなくて」
フィアニーが言った。
紺色のワンピースに白いショールを肩にかけている。
「その代わり、うちの食材はいくらでも使っていいからね。遠慮しないでね」
アルはまさか給料まで貰えるとは思ってもいなかったので、すぐに言葉が出なかった。
フィアニーの方はアルのキョトンとした顔が可愛くて、思わずぎゅっと抱きしめたくなった。
アルはやたらとフィアニーの母性本能をくすぐるのである。
「でも、アルちゃん筋がいいよね。私なんか子供の頃から手伝ってるのに、まだ4分の1人前だもん。そのうちに追い越されちゃいそう」
そこへレグルと一緒に先に歩いていたメアリーが振り返った。
「お姉ちゃん、置いてくよ」
「それじゃあ、おやすみ。アルちゃん」
言ってフィアニーは小走りに行ってしまった。
アルは銀貨を握りしめたまま、レグルと娘たちの後ろ姿をしばらくながめていた。
それから、ハッと気がついて、なんとなく駆け足で部屋に戻った。
もう夜も10時過ぎである。
部屋の中にティナの姿はなかった。
代わりに、気持ちよさそうな寝息がベッドの下から聞こえてきた。
銀貨を財布に収める。
本当に給料なんて貰ってしまっていいのだろうか、と思った。
なにしろ、ティナがやたらと食べている。
3人前は食べているんじゃないだろうか。
ティナの食費だけで、アルの労働分など吹き飛んでしまう気がする。
剣を持ってまた外に出る。
今日は遅いので剣の鍛錬だけで軽くすませるつもりだった。
疲れていても、なにもせずにベッドに入ると寝付きが悪い。
鍛錬と武具の手入れが1日を気持よく終えるための作業なのである。
裏の空き地で剣を振りながら、レグルのことを考えた。
ぶっきらぼうな上に短気だが、教え方は丁寧である。
大雑把なレイモンドの教え方に慣れているせいでそう感じるのだろうか。
だが、仕込みのときなど包丁の握り方から始まり、野菜の洗い方、皮のむき方、切り方など手をとって教えてくれた。
ただし一度教えたことをアルが実践できていないと容赦なく怒鳴ってくるが。
フィアニーはアルのことを筋がいいといっていたが、本当だろうか。
もしそうなら、いつかはレグルのような料理を作れる日がくるかもしれない。
エピカや幼なじみたちに自分の料理を振る舞う様子を想像して、アルはほくそ笑んだ。
すぐに自分の夢は父のような冒険者になることで、料理人になることじゃないと、首を振る。
なんにしろ、明後日からまたがんばろう。
明日は部屋の掃除をして……。
そこで、明日の予定をなにも考えていないことに気がついた。
せっかくの休みである。普段できないようなことをしてみたい。
掃除はやろうと思えば1時間もかからない。
アルはふと、クラングランの北西部の古町にある廃墟のことを思い出した。
上流階級の屋敷が並んでいる一角に、高い塀は崩れかけ、塀にそって植えられた木々は枝を延ばしに延ばし、中からはなにやら動物たちの鳴き声が聞こえる廃墟がある。
2、3度その前を通ったことがあり、気になっていたのだ。
アルは廃墟とか洞窟とか、いかにも冒険者が勇気と覚悟を持って入っていきそうな場所に目がなかった。
実際には冒険者の仕事としては探索業などごくごくわずかで、ほとんどは魔物退治か護衛である。
だいたい、探索する場所などもうそんなには残されていない。英雄の資格を得られる『神々の試練』だって現在残っているのはあと1つ。
夢のない世の中である、とはオルビーの談。
しかし、やはり冒険者といえば、怪しい場所に入って宝を見つけるのが醍醐味。
アルも父からそういう話をよく聞いたものである。
何度幼なじみたちとそういうごっこ遊びをしたことか。
父が亡くなってからは、アルは幼いながらも鍛錬を始めた。
そうして子供のアルの遊び心は置き去りになったのである。
アルの怪しいところ好きの趣向は、あの頃に置き忘れた遊び心の復讐のようなものなのである。
アルはくだんの廃墟を見つけてからというもの、中がどうなっているのかあれこれと想像しては楽しんでいた。
リサーチもしてある。廃墟の近所で魔物退治の依頼があったときに依頼人から廃墟の話を聞いたのである。
少なくとも30年以上は誰も住んでいないということだった。ひょっとしたら100年近く、あるいはもっと長い時間、住む人もなく放置された場所。
よし、とアルは剣を鞘に収めると、ひとり決意した。
明日は、朝早く起きて、あの廃墟にいってみよう。
アルはその夜、ワクワクとしながらベッドに入った。
翌朝、アルは日の出前に目を覚ました。
いつもならばベッドの中で夢うつつを楽しむのだが、そんな時間も惜しんで、すぐにベッドから出た。
冷水のシャワーを浴びて、装備品を身にまとう。
防具をひとつひとつ身に付けることからが、もう楽しかった。
冒険支度になると、剣と弓、クロスボウを持って、裏の空き地へ行った。
30分ほど鍛錬をして体を温める。
ちょうど日が昇り始めた。
「よし、出発だ」とアルは1人意味もなく剣をかかげた。
かなり気分が高揚している。
朝焼けの街を、いつもよりもやや大股に歩いていく。
気分はすっかり命がけの探索へ挑もうとする者のそれである。
途中、警備隊の真っ赤な制服を着た人影を遠くに見つけて、路地に身を隠した。
無事に警備隊員をやり過ごしたところで、「やれやれ」と、かいてもいない額の汗をぬぐう。
実際、こんな早朝にフル装備の冒険支度(なにが待っているかわからないので弓もクロスボウも当然装備している)をした少年が歩いていたら、警備隊員も事情を聞きたがるだろう。
アルの行動は正しいともいえる。
ただ、彼の心はすでにごっこ遊びをしていた当時に戻っているのだ。
中央公園の横を通り、橋を渡り、『古町』へ。
大通りから外れて少し歩くと、高い塀が道の両側に建つようになった。
塀の上にはカラスや小鳥が止まって、さえずっていたり、道行くアルをながめていたりする。
坂道や細い道、曲がり角も多くなる。
このあたりは道が複雑である。そのうえ人通りも少ないため、迷うとやっかいなことになる。
黒猫がどこから登ったのか高い塀の上を歩いている。
アルの少し前を歩いているため、道案内のように見える。
細い道。
塀の内側に植えられた木々が、枝を外に大きく伸ばして、屋根のように空を隠している。
太陽はだいぶ高く昇ってきた。
木の枝の屋根を抜けて、まっすぐ進むと、崩れた塀が見えた。
大きく成長した木々がうっそうとしていて、そこだけ異様な雰囲気をかもしだしている。
塀は苔むしており、石と石の間はところどころに隙間があいている。
アルは塀にそって歩いた。
大きな亀裂もあるので、入ろうと思えば簡単に入ることができる。
しかし、せっかくなら入り口から入りたかった。
しばらく歩くと門が見えた。
塀は崩れているところも多かったのに、白銀の鉄柵の門は新品のように真新しい。
酸化にも紫外線にも強い耐性を持つ大帝金属ならではである。これで、加工しやすいときている。
異世界パルミスで使用される金属のほとんどが大帝金属になるのも当然である。
門の鉄柵には鍵がかかっておらず、軽く力を入れただけで簡単に開いた。
塀の内側は木々が生い茂り、森のようになっていた。
足元には石畳が敷いてあるようだが、草と樹木の根によって持ち上げられ、ほとんど原型をとどめていない。
上からは鳥のさえずりが聞こえてくる。
木々のあいだに、ときおり、石像が見える。
歩いているうちに、足元がぬかるんできた。
アルは木の根でしっかりと固くなっている場所を選んで歩いた。
突然、アルの足首になにかが絡みついた。
強い力で足を引っ張られる。
足に赤黒いヌルリとした太い綱が巻き付いている。
蛇のように見えた。
アルは倒されないようにふんばりながら、斬りつけた。
体勢が悪く、ひどい剣筋だったが、あっさりと切れた。
切断面から青い液体がじくじくと出ている。
魔物である。
切れたのは末端、本体は地面に潜っている。
アルはそばの木に身を寄せて、地面を注視した。
ときどき、地面が細長くボコリと盛り上がる。
フラワームというミミズ型の魔物だろう。
1星魔物。
直径10センチ、体長3メートルの巨大ミミズ。
牙もなければ毒もない、ミミズを大きくしたような魔物である。
ミミズと違い、両方の末端に口がある。
攻撃方法はその長い体で人間を捕縛して、穴状の口でひたすら吸い付いてくる。
1体だけならどうということもないが、数が多いと危険である。
今、こうして1体に足止めされているあいだにも、仲間が寄ってきているかもしれない。
かといって、放置したまま先へ進めば、ほかの魔物と出会った際に挟み撃ちに合う。
手早く片付けるしかない。
アルは木から離れて、柔らかい地面に立った。
剣を収めて、短剣を抜く。
フラワームはすぐに地面から飛び出した。
アルの足に再び絡みつく。
アルはその体をつかむと、短剣で切断した。
フラワームの退治の仕方は、両端を切り落とすことである。
片側だけを切り落としても、数時間後には断面から新しい頭部が生まれてくる。
しかし両側を切り落せば、再生することはできずに死んでしまう。
フラワームはビチビチとしていたが、やがて動きを止めた。
死骸は放っておけばマナ玉になる。
だが、アルはその場を離れた。
フラワームはもっとも群生しやすい魔物である。もう近くまで群れてきているかもしれない。
しばらく歩くと視界が開けた。
広い池。
中央には石像が見える。もとは噴水だったのかもしれない。
足元はぬかるみと、木々の根によって固められた場所の両極端。
アルは木々をつたうように、池を迂回した。
と、今度は、水面が割れて、大きなもの
が飛び出してきた。
アルは即座に次の木に飛び移った。
振り返ってみると巨大なカエルがいた。
体長は1・5メートルほど。
黄緑色のヌメリを帯びた表皮。
目はなく、頭部には大きな人間のような唇だけがある。
1星魔物キッスフロッグである。
魔物は基本的に人間の臭い(実際の臭気ではなく気配のようなもの)をかいで、人間を襲いにやってくる。
強い魔物ほどその習性が強い。
反対に弱い1星魔物などは、人間の苦しみを得なくとも月の光だけでも生きていけるために、住処でただ増え続けるということが多い。
人の立ち入らない廃墟で魔物たちが増え続けているのも無理もない話である。
教導師の張っている破魔結界も、一度結界内に入ってしまえば、1星魔物には効果が薄い。
街中の魔物退治の依頼のほとんどが1星や2星なのはそんな理由である。
キッスフロッグが唇を吊り上げて笑った。
人の唇と同じ形をしているだけで、妙に人間的に見える。
唇が開いて、黒っぽい舌が伸びてきた。
先端が太く丸まっており、そこから後は細長い。
アルは体を木に貼り付けるようにして、それをかわした。
舌はすぐにキッスフロッグの口の中に吸い込まれた。
今度は唇がすぼまった。
ピュッと液体が飛んでくる。
アルは木の幹に身を隠した。
液体の大部分は木にかかったが、飛沫がアルの小手にもかかった。
強烈な臭気である。
あまりの臭いにアルは嘔吐しそうになった。
キッスフロッグの拷問技は大きな唇での接吻から、この臭い唾液で人間をベタベタにするというものである。
1星魔物の攻撃は殺傷力が低い代わりに、1度、捕まると永延と苦痛を味合わされ続けることになる。
アルは剣を抜いた。
ほぼ同時にキッスフロッグも大きな唇を開いて跳躍してくる。
アルは空中でキッスフロッグをまっぷたつにした。
青い体液と一緒に臭液が飛び散る。
当然、アルはそれらを頭からかぶった。
息を止めていても、臭いが目に染みる。
いっそう、このまま池に飛び込んでしまおうか、と思った。
しかし、思い直す。
臭気は魔物の死骸とともに消えてしまうが、装備品を乾かすのは時間がかかる。
息を止めるのが限界になって、鼻をふさぎながら口で呼吸する。
我慢だ、我慢、とアルは自分にいい聞かせた。
ともかく、その場から離れる。
またキッスフロッグにやってこられても嫌だったし、身にかかってしまったもの受け入れるとしても、臭気の根源からは離れたかった。
しばらく木の根をつたって歩いたが、やがて、それも難しくなった。
木の根すら水面に入ってしまっている。
代わりに、石のブロックのようなものが点々と、水面から顔を出している。
建物かなにかの残骸だろうか。
池を横切るように続いており、これを跳んでいけば向こう岸にまで渡れるかもしれない。
だが、途中で魔物に出会ったらかなり危険である。
アルの冒険心は妙に燃えてしまった。
普段は堅実で保守的な人間だが、はめを外した時にはやたらと大胆になるタイプがいる。
アルはまさにそのタイプであった。
水面に点々と飛び出している石の小さな陸地をひとつ、ひとつ跳んでいく。もう臭いのことなど気にならなかった。
おお、これは難しいぞ、いけるか? 大丈夫、なんとかなるさ。
心の中で自問自答しながら、渡っていく。
太陽が水面を輝かせ、風が水面を波打たせる。
亀や水鳥が池をスイスイと泳いでいく。




