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アルフレッド英雄譚  作者: 昨夜名月
第3章 アルフレッド、〇〇と呼ばれる
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第37話 サーベル17歳が仕掛ける⑫

 その噂は瞬く間に街中に広まった。

『英雄トライス』が婚約者を殺した犯人を血相を変えて探している。

 彼は月が変わる前に決着をつけるつもりだ。

 愚かな賊は『神器カーラッド』により首をはねらることだろう。


 噂はところどころ尾ひれがつき、復讐を誓うトライスの細かな描写が入ったりと形を変えて出回った。


 人々は『英雄トライス』が神より授かりし、カーラッドを腰に差して、街を駆け回る姿を想像した。

 やがて、それは目撃談に代わり、噂はいつのまにか事実として受け入れられた。


 1週間も経つ頃には金ピカ町の富豪も、流れ町の貧民も、『英雄トライス』が今日にでも非道な賊を討ち果たすことを信じて疑わなくなっていた。


 噂に慌てたのはニーベルグ団の暗殺者たちである。

 彼らはトライスに言われてポリーを殺した。

 それが依頼人自ら敵をとるために街を駆けまわっているなど、わけがわからない。


「ただのポーズに決まってるぜ。そうしとかなきゃあ、かっこうがつかないだろう」

「だがよう、こんなに噂になっちまって、いまさら引っ込みがつくか? 噂にかこつけて、俺たちのことをやっちまうつもりなんじゃねえか?」

「だが、俺たちを殺したって本部の奴らは黙りゃあしないぜ」

「万一のこともあるしよ、そろそろ、この街ともおさらばするか?」

「しかし、このまま王都に戻れるか? せめて、トライスと話をつけておかなけりゃ、示しがつかんぜ」

「こういうのはどうだ。スラムから1人2人、連れてきて、犯人に仕立てる。そいつをトライスに殺させりゃあいい」

「トライスがそんなんで納得するか? 仮にも英雄様だぜ」

「それで手を打てないなら、全部ばらすって脅せばいいさ。やっこさんにゃあ、こっちの内情なんてわかりゃあしねえんだ」


 こうして暗殺者たちはトライスと接触することを決めた。

 手紙でトライスを呼び出すことにしたのだ。


 万一の自体に備え、会合の場所は『月の雫』を指定した。

 一般客が多い中で、いきなり刃傷沙汰にはおよぶまい、と踏んでのことである。


 だが、それらの情報は餌を撒いた者たちに筒抜けになっていた。

 セレンがトライスが読む前に手紙を失敬して情報を得たのである。


「会合は3日後の午後6時に『月の雫』よ。人の多いところならいきなり剣を振り回さないだろうって考えたのね」


「まずいな」

 ベルがうなった。

「こそこそと密会するつもりなら、トライスも話くらいはしたかもしれないのにな」


「トライスは来ないかしら」

「来るよ。でも、話はしない。問答無用で殺すんじゃないかな。見物人たちはみんな、トライスが敵をとったと思うだろうね」


「犯人たちがやけになってわめきちらすってことは考えられないか?」

 デンバーが言った。

「つまり、トライスがポリー殺しの黒幕だってことをさ」


「トライスはただこう怒鳴ればいい。卑劣な嘘をつくな、とね。誰もトライスを疑いやしないよ」

「トライスが黒かどうかは結局はっきりしないってわけね。限りなく黒に近くても」

「だがよ、手紙を受け取ってのこのこ来るってことは、やっぱりそういうことなんじゃないのか? ほかに考えれないだろう」

「でも確実じゃない。納得できるかい、デンバー」


 デンバーは黙った。

 本心を言えば、はっきりとした証拠がほしい。トライスがポリーを殺させたという確固たる証拠が。


「まあ方法はあるよ」

 ベルが言った。

「要するにトライスに別の餌をまけばいいのさ」


 言ってベルはデンバーを見た。




 黒いマントのフードをまぶかにかぶった男が馬車から降りた。

『トキドキ通り』にある料理屋『月の雫』の前である。

 男は1度、腰にさした剣のつかに手をかけた。

 これから起きる大立ち回りを覚悟してのことである。


 男は今まで人を殺したことがない。

 少なくとも自分の手を汚しては。

 だが、男は自分が躊躇ちゅうちょなく人を斬れるだろうことを知っている。

 すでに彼は一線を越えてしまったのだから。


 トライスは自身の緊張をあざ笑った。

 馬鹿馬鹿しい。

 たかだか賊を4人斬り殺すだけのこと。

 オークを4体倒す方がよほど難しいだろう。


 ニーベルグ団の暗殺者から手紙を受け取ったトライスは、即座に決断した。奴らを全員始末しよう。


 ちまたで流れている噂は当然、トライスの耳にも入っている。

 近々、街を出る予定のトライスにしてみれば、噂を放っておいてもどうということはない。

 だが、せっかく向こうから敵討ちの舞台を整えてくれるというのだから、乗った方がいい。

 奴らを殺せばポリーへの罪悪感も多少は薄らぐかもしれない。


 罪悪感。

 トライスが抱えている最大の問題はそれだった。

 シグルトの娘マルティーネに対す燃えるような恋心はすでに霧散した。

 代わりに、日増しにポリーへの罪悪感が大きくなっていく。

 それをごまかすために、ことさらに欲望に走る。酒を飲む。


 自分は一体どこで間違えてしまったのだろうか、と自問する。


 最大の名誉を手に入れ、財産と地位も手に入る。だが、なぜ、こうも息苦しいのだろうか。


 はっきりしていることは、ポリーを賊たちに殺させたことにより、後戻りができなくなったこと。

 もう純粋に前だけを向いて剣を振るっていた頃には戻れない。


『英雄トライス』として、汚水に体をひたしながら生きていくしかないのだ。


 トライスはもう1度、剣のつかを握った。

 今夜振るう剣は残念ながら『神器カーラッド』ではない。

 いくら噂にはやし立てられようと、こればかりはどうしようもない。


 トライスは1度も太陽神から授かった剣を抜いていないのだから。


 抜けないのだ。

 トライスにはカーラッドを抜くことはできないのだ。


『神の間』から出た直後、彼はいつの間にか手に握っていた黄金の鞘に入った剣を抜こうとした。


 抜けなかった。

 どれほど力を入れても、剣は鞘とピタリとくっついたまま離れなかった。


 怒りと同時に、納得する気持もあった。


 そうだ。

裁定者さいていしゃ』は私を認めたわけじゃない。英雄の資格ありと認めたのはアルフレッドであって自分ではないのだ。



 だが、例え神が認めなくても、神器が認めなくとも、人々が認めてくれている。

 それなら、せいぜい、人々が望む英雄として振るまってやろう。


 トライスは扉を開けた。

 途端に喧騒と様々な料理の芳香ほうこうに包まれた。


 トライスは店内を見渡した。

 奥のテーブルにニーベルグ団の男たちがいる。

 トライスは足早に歩きだした。


「よう、奇遇だなあ」


 いきなり横から声がかかった。

 テーブル席に女と座っていた男が立ち上がった。


「トライス、お前も今から夕食か?」


 その言葉で周囲のざわめきがやんだ。

 客の視線がトライスに集る。


 トライスは舌打ちして、男を睨んだ。

 デンバーだった。

 玄関側に背中を向けていたために見落としたようだ。


 トライスはフードを上げた。

 いずれ正体はばらすつもりだったが、まさか仕掛ける前にバレてしまうとは思わなかった。


「お前も一緒にどうだ? 想い出話にでも花を咲かせようや」

「悪いが、先約があるんだ」


「そうか。残念だなあ」

 デンバーは言うとトライスの肩を抱いた。

「ところでよ、俺、最近、本を書いてるんだよ」


 トライスは乱暴にデンバーの手を払った。

 それから彼の言った言葉に不審を覚えた。


「本?」

「ああ、本だよ。俺はもう、冒険者はやめたんだ。代わりに作家になってやる。作家デンバーの第1作は『本当の神々の試練』だ。誰も彼も神々の試練がどんなところだったか、そこで何があったのか知りたくてしょうがないんだ。売れるぜ、これはよう」


 なにを言っているんだ、こいつは。


 トライスはデンバーの正気を疑った。


「パトロンもいるぜ。サーベルだ。あいつが、俺に本を書いてくれって頼んできたんだよ」


「なんだと」

 トライスはデンバーの胸ぐらをつかんだ。

「あいつはそんなことを考えていたのか」


 トライスもデンバーがサーベルにかくまわれていることをポリーから聞いていた。

 だが、トライスは脅威には思わなかった。一介の冒険者の言うことにどれほどの重みがあることか。


「私を告発するつもりか?」

 トライスは周囲をはばかり、デンバーの顔に顔を寄せて低い声で言った。


「放せよ」

 デンバーは落ち着いた声で言った。

「しわになっちまうだろうが」


 トライスは完全に頭に血がのぼっていた。

 このままデンバーを斬って捨てようか、とそんなことまで考えた。


 常に彼の頭を押さえつける罪悪感は、トライスに自身の感情や欲望を抑制する力を弱めさせていた。


「放せよ、トライス」

 デンバーはもう1度言った。

「お前には先約があるんじゃないのか?」


 デンバーはニーベルグの暗殺者の方に視線をやった。


「俺は覚えてるぜ、あいつらの顔。俺を襲った奴らだ。これはどういうことなんだろうな」


 トライスはデンバーを睨んだ。

 薄茶色の瞳が強い光をたたえてトライスを睨み返す。


 トライスはその目からデンバーの考えを読み取ろうとした。


 こいつ、どこまで知っている?


 デンバーがトライスの手の力が緩んだ隙をついて、いましめを解いた。


「ここじゃなんだ。『太陽の剣』の横にある路地から裏の空き地に入れる。そこで2人きりで話そうや。そう怖い顔するなよ。悪い話じゃねえ。英雄のトライス卿」


 嫌らしい笑みを浮かべて言うとデンバーは席に戻った。

 テーブルの女と何事か話し始める。


 トライスは頭が混乱した。

 ただ、デンバーをどうにかしなくては、という危機感が頭を支配している。

 ほかのことは考えられない。


 ポリーを殺した暗殺者たちを倒すつもりだったのに、完全に殺意を削がれた。


 当の暗殺者たちはなにをやっているんだ、早くこい、というような顔でトライスを見ている。


 どうする? 奴らを殺すか? 

 いや、あんな連中はどうでもいい。問題はデンバーだ。

 あいつは危険だ。

 私を脅すつもりのようだ。まずはあいつを殺すべきだ。

 2人で話したい、だと?

 こちらこそ望むところだ。


 トライスはすぐに2つの問題を同時に解決する方法を思いついた。


 なんだ、簡単なことじゃないか。


 笑みを隠して、歩き出す。


 テーブルには4人の男が座っていた。

 トライスは黙って空いている椅子にかけた。


 トライスに張り付いていた視線は解けて、また喧騒が戻った。

 このうるささならば、少し声を落とせば、盗み聞きもできないだろう。


「よう。英雄さん。元気にしてたかい?」

 アイパッチをした男が言った。


「無駄話はいい。手を貸せ」

 トライスは言った。


「おい、なんだよ、藪から棒に」

 黒髪を逆立てた男が言った。

「俺たちはよう、あんたに提案をしにきたんだよ。まずはこっちの話を聞いてもらうぜ」


 トライスはそれには構わずに話を続けた。


「先ほど私に声をかけてきた男。これからあの男を殺す。あんたたちにはあいつを取り逃がさにようにフォローしてほしい。あいつがポリーを殺した犯人だ」


 口を挟もうとしていた男たちは、トライスの最後の言葉で目を白黒させた。

 それから顔を見合わせる。

 ようやく彼らの顔に理解の色が浮かんだ。


「じゃあ、俺たちをやる気はないんだな?」

「鼻からそんなことは考えていない。どうせ、あんたらのところとは切れないんだろう?」

「話がわかるじゃねえか。よし、手を貸すぜ。ポリーさんの敵討ちをしてやろうじゃねえか」


 トライスは目を細めた。

 第一優先はデンバーの殺害。

 だが、この男たちも皆殺しにする。


 デンバーがこの男たちを雇ってポリーを殺した。

 そういう筋書きにするつもりだ。


「それにしても、あの野郎、結構いい女連れてるじゃねえか」

「そうか? なんか地味な女じゃねえか。どこにでもいそうな女だな」

「いや、ありゃあねえな。ひでえ、面だ」


 男たちがデンバーの連れを批評するのを聞きながら、トライスはポリーの無残な亡骸を思い返した。

 内部で殺意がふつふつと強まっていく。


 やがてデンバーが席を立った。

 トライスを見ている。


 トライスは小さく頷いた。


 デンバーは店を出ていった。


「あんたたちはあとから来てくれ」


 トライスは言うとデンバーのあとを追って店を出た。


『太陽の剣』の脇の路地を抜けていくとき、懐かしい気持ちになった。


 アルがこの奥にある空き地で鍛錬をしていたのだ。

 トライスも何度か、アルに稽古をつけてやったことがある。


 ふいにトライスの頭に、いっそう神器もカーラッドの後継者もすべてをアルに譲ってしまおうか、という考えが浮かんだ。


 身軽になって、ただの冒険者として生きていく。

 なぜか、それがとても魅力的に思えた。


 すぐに脳裏にポリー亡骸が思い浮かんだ。

 頭を振って、ポリーもアルも、追い払う。


 馬鹿馬鹿しい。

 今さら、そんなことができるわけがない。

 自分には『英雄トライス』を続けるしか道はないのだ。

 そして、そのためには昔の仲間を汚名をかぶせて葬り去る。


 空き地に出た。

 端に積まれた木材。壁に取り付けられたまと。ところどころがれた石畳。石畳のがれたところから枯れかけた雑草が生い茂っており、以前訪れた時よりも、ずっとうらぶれていた。


 デンバーは奥の塀に背中を預けて立っていた。

 黒いズボンに革のベストにシャツ。

 短剣すら身に着けていない。

 一刀で片付くだろう。


「それで? 2人きりでなにを話そうというんだ?」

 トライスは近づきながら言った。


「フォグ伯爵の娘さんとはうまくいってるのかい?」

 デンバーは薄ら笑いを浮かべて言った。


「なんのことだかわからんな」


 トライスは内心、不安になった。

 デンバーがマルティーネのことを知っている。

 サーベルがフォグ伯爵と懇意にしていることから推測したのか?


「とぼけるなよ。そのためにポリーを殺させたんだろう? さっきの連中に」


 トライスの足が自然に止まった。

 動悸が痛いほど強まる。

 だが、顔から血の気が引いていった。


 デンバーは射抜くような視線を片時もトライスから離さない。


「なあ、トライス。お前は結局どうなりたいんだ? 貴族になるのが夢だったのか? 財産が欲しかったのか? 『カーラッドの後継者』なんて、お前にとっちゃあ、踏み台でしかなかったのか?」

「黙れ」

 トライスはかすれた声で言った。


「黙らねえ。俺はお前の口からはっきり聞きたいんだ。ポリーを本気で愛したかどうかをよ。慰みや、欲望じゃなく、本気で愛してやったかってことを。あいつを幸せにする気持ちがほんの一時いっときでもあったのかってことを」


 デンバーのほとばしるような言葉で、トライスの中のなにかが弾けた。


 ポリーの笑顔が、笑い声が、言葉が、匂いが、ぬくもりが、怒涛のごとくよみがえる。


 トライスは膝をついていた。


「当たり前だ」

 トライスはつぶやいた。


「だったら、なんで裏切った。女の色香に迷ったのかよ。伯爵にそそのかされたのかよ」

「……私は」


 そのとき、空き地に男たちが飛び込んできた。

 剣や短剣、短弓を構える者もいる。


「待たせたな、英雄さん。こいつがあんたの婚約者を殺した犯人かい?」

 黒髪を逆立てた男が言った。

 反りのある剣を握っている。


「さっさと片を付けちまえよ。俺たちが立会人になるぜ」

 デンバーに短弓を向けた男が言った。


「どういうことだ、トライス」

 デンバーは叫んだ。


 トライスはゆらりと立ち上がった。

 目は涙で光ながらも、顔には笑みが浮かんでいる。


「今さら後戻りはできないということだよ。デンバー、あんたにはポリー殺しの犯人として死んでもらう。昔からポリーに気のあったあんたは、彼女が私と婚約したことを知り、逆上して殺した。そんな筋書きでいいだろう?」


 トライスは剣を抜いた。

 デンバーに向かって、ゆっくりと近づく。


「汚えぞ、てめえ」

 デンバーはトライスの後ろの男たちを見て言った。

「それでも英雄かよ」


「それがどうした。既にこの手は汚れている。いや、汚れているのは魂の方かな」

 自嘲の笑いを浮かべる。

「動くなよ。じっとしていれば一刀で終わらせてやる」


 トライスはすでにあと3歩というところまで間合いをつめている。


「最後にひとつ頼みがあるんだ」

「なんだ?」

「俺はあんたの口からはっきりと聞きたい。どうしてポリーは死ななきゃあならなかったんだ?」


 トライスはこの問いを無視して、デンバーに斬りかかりたかった。


 だが、体が動かなくなった。

 自分自身がこの問の答えを求めていることに気づいた。


「私はマルティーネに惹かれていた。彼女の美しさに。聡明さに。今から思えば、あれは抵抗のようなものだったのかもな。現状から逃げ出したいという私の欲求の現れだったのかもしれない。偽物の英雄でいるよりも、伯爵になりたくなったのかもな。なぜ、ああまで彼女に惹かれたのか、本当にわからない。ポリーが邪魔に思えたよ。彼女さえいなければマルティーネと一緒になれるのに。そう思えた。ポリーの気性では素直に私と別れはしない。いや、それどころか、憎悪とともに私の醜聞を広めるかもしれない。それによってフォグ伯爵は私を見限るかもしれない。そんなときポリーが私に言ったんだ。ニーベルグ団にあんたの殺しを依頼したが失敗したこと。それどころか、その事実をつかって連中が私とつながりを持とうとしていること。正直に言えば、ニーベルグ団などどうでもよかったよ。そのときの私はいかにしてポリーと別れるか、そのことばかりを考えていたんだから。いや、違うな。私はすでに、そのときには彼女を殺すことを考えていた。だが、それはただの夢想に過ぎなかった。ポリーが身ごもったことを告白するまではな」

「それであんたは後ろのそいつらにポリー殺しを依頼したってわけか」


 デンバーの表情にも声にも怒りはなかった。

 ただ、悲しげにトライスを見ていた。


「そうだ。私がポリーを殺させたんだ」

「ポリーは最後まであんたに裏切られたことには気づかなかったのかな」

「さあ、どうかな」


 トライスは目を閉じた。

 罪の告白で楽になどならなかった。

 だが、口に出すことによってはっきりと過去の自分と決別できた。


 トライスは笑みを浮かべた。


「もういいだろう? 私は『英雄トライス』だ。これからもせいぜい欺瞞ぎまんを積み上げて生きていくだけだ。そのためにあんたの命も利用さてもらうさ」


 トライスがまた一歩踏み出した。

 ついにデンバーが彼の間合いに入った。剣を正眼に構える。


「ああ、よくわかったよ。お前はもう戻れない。昔の仲間のよしみだ。俺がけじめをつけてやるよ」


 トライスは気合の声とともにデンバーに斬りかかった。


 デンバーが身を低くした。

 地面がキラリと光った。


 剣だ。

 デンバーは枯れた草の中に剣を隠していた。

 トライスの剣を受ける。


 避けるとばかり思っていたトライスには思いもよらなかった。

 無腰の相手が受ける選択をするなどと誰が思うか。

 意表をつかれたせいで、次の動きが遅れた。


 デンバーはその隙に間合いをとって剣を構えた。


「お前とやるのは最初に会ったとき以来だな」


 ハルニアからデンバーたちのパーティに紹介されたトライス。

 デンバーは先輩の実力を思い知らせてやろうと、斡旋屋内の稽古部屋にトライスを連れていった。


 そこで2人は手合わせした。

 結果はデンバーの惨敗。

 デンバーはトライスの剣に惚れ込んでしまった。


「あんたじゃ私に勝てない」

 トライスは言った。


 自分では意識していないが、彼は笑みを浮かべていた。

 無腰の相手を斬るよりは、斬り合いの方がずっといい。


 トライスは再び、デンバーに斬りかかった。


 デンバーはそれを受けるが、今度は弾かれた。


 そこをトライスがさらに攻める。

 苛烈な剣である。10合と斬り結ぶうちに、デンバーの肩や腕に裂傷ができた。


 デンバーはトライスの剣を受けるだけで精一杯で、攻撃へ転じられない。

 2人の実力の差は歴然としている。


 だが、デンバーの心は落ち着いていた。

 傷を受けても焦りはしない。

 トライスの剣技が自分よりも上なことくらいはわかっている。


 ポリーの葬儀のあと。

 トライスがポリー殺しの糸を引いていたと気づいたあの日から、デンバーはこの日が来るのを待っていた。


 剣を手に朝から晩までひたすら打倒トライスの特訓をした。

 セレンが特訓を手伝ってくれたのは僥倖ぎょうこうだった。

 デンバーは知っていたのである。

 トライスの癖を。


 トライスは攻め手を防がれたあと、後ろに跳んでわずかに距離を取る。

 そしてそこから強力な一撃を放つ。

 その『攻撃を終え、後ろに跳ぶ』直前に、トライスは必ず連続でまばたきをするのだ。


 デンバーは攻撃を受けながら、トライスがまばたきをするのを待った。


 トライスの打ち下ろした剣がデンバーの剣を押して、彼の額を割る。


 まだだ。


 トライスの横薙ぎ。

 受けたデンバー。

 弾かれるが、踏ん張って踏みとどまる。


 そのとき、トライスが2度連続でまばたきをした。


 デンバーの体は反射的に動いていた。

 トライスが後ろに跳ぶと同時にデンバーは大きく前に跳んで突きを放った。



 この一撃だけをずっと練習した。

 セレンはデンバーの注文を完璧に実践してくれ、トライスの動きとまるで同じ動きを再現してくれたのだ。


「がんばりなさい。うまくいったら、ご褒美をあげるわよ」


 言って全身がとろけてしまいそうな笑みを浮かべるセレンだった。



 石畳に血が飛び散った。

 デンバーの剣先はトライスの右肩を貫いていた。


 トライスの手から剣が落ちて、地面に転がった。


 デンバーは剣を引き抜いた。

 トライスの肩から血があふれだした。


 トライスはよろめきながら地面の剣に手をのばす。

 デンバーは剣を振り下ろした。


 しかし、刃はトライスの頭蓋を打つわずか手前で止まった。


「やっぱりよう。ポリーはまだお前を愛してる気がするんだ。あいつ馬鹿だからな」


 トライスは信じられないというような顔でデンバーを見ていた。



 信じられない気持ちだったのは2人の闘いを後ろから見ていた男たちも同じである。

 まさか『英雄トライス』が負けるとは思わなかった。


「おい、おい、おい。やっこさん、負けちまったぞ」

 黒髪を逆立てた男が言った。

「どうする?」


「口ほどにもない奴だ。だが、英雄にはかわりない。助けるぞ」

 短弓を構える男が言った。


 弓を引き絞り、デンバーに狙いをつける。

 必中の距離。


 ヒュンと弓が鳴った。

 放たれた矢がまっすぐにデンバーへと飛んでいく。


 そのとき、極小のつむじ風が斜めに起こった。

 つむじ風は空中で矢をとらえ、蹴散らす。


 なにごとか、と射手いての男が呆然とする。

 その側頭部に空から降ってきた虹色の光が命中し、頭蓋に穴を穿うがった。

 男は短弓を握ったまま横倒しになった。


「おい、なんだ」

 黒髪の男が叫んだ。


「あそこだ」

 男の1人が後ろの鍛冶工房の屋根を見て言った。


 屋根の上に立つ者がいる。

 煙突からあふれる白煙がベールとなってその者をおおい隠している。


 強い風が吹いた。

 白煙が流れ、虹色のきらめきが起こった。


 それは陽光を受けて輝く弓の虹彩だった。黄金のマントと長い金髪が風に舞っている。ベルである。


 ベルが弓を引く。

 いつのまにか弓には虹色の矢がつがえられていた。


 逃げ出す前に2人目の男が光の矢に貫かれて死んだ。


 黒髪の男とアイパッチの男は同時に路地に逃げた。

 なんとしても死角に入らなくては。


 だが、路地にも人が立っていた。

 メイド服の女だ。2人はその顔に見覚えがあった。

 あのスカウトの女。


 セレンは2本の短剣を構えるアイパッチ男の懐に一瞬で飛び込むと、その喉を肘で砕いた。


 そこから大きく跳んで、黒髪を逆立てた男の顔面に蹴りを見舞う。

 男たちはどう、と倒れた。


 セレンは顔を蹴った男の両手と両足を素早く縛った。

 警備隊に突き出すために1人だけ殺さずにおいたのだ。


 デンバーがやってきた。

 彼の後ろには地面に流血しながら座り込むトライスが見える。


「ありがとう。あんたのおかげでポリーの敵が取れた」

 言って照れくさそうに笑う。


「とどめをささなくていいの?」

「ああ。手当をする気もないけどな」

「そう」


 セレンは微笑むと、デンバーの血だらけの額にハンカチを当てた。


「ねえ、今夜、部屋に行ってもいいかしら? ご褒美、ちゃんとあげないとね」


 デンバーの額から一気に血が吹き出した。

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