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アルフレッド英雄譚  作者: 昨夜名月
第2章 アルフレッド成長する
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第28話 アルフレッド14歳の姉⑧

 競技場に戻る途中、アルの背中でベルが目を覚ました。


「アル、君はいつ私の馬になったんだい?」

「ついさっきだよ。起きたんなら、さっさと降りて、自分で走れよ」

 言ってアルはベルを降ろした。


 長い髪がほつれているくらいで、とらわれの身であったことなど感じさせないほど生気にあふれている。


「なかなかいい乗り心地だったんだけどな。やあ、セレン。相変わらず、美しいね、君は」


 セレンを見てもまるで驚かないベルであった。


「お久しぶりでございます、サーベル様。ご自分のおかれている状況、おわかりですか?」

「さらわれた私を助けてくれたんだろう。アルと一緒に」

 しれっと言うベルである。


 アルは驚いた。実はずっと前から起きていたんじゃないか?


「だって、ほかに考えられないだろう。偶然、ここで鉢合わせたなんて、さすがに無理があるしな」

「相変わらず頭のキレる子ね。それで? お礼のひとつくらい言ってくれてもいいんじゃないかしら? 無情にもクロスボウで射抜いてくださったサーベル様をお助けしてさしあげたんですから」

「うん、ありがとう。君のそういうところはとても素敵だね。また、私の屋敷で働く気はないかい?」

「私もサーベル様のそういうところ、好きよ。まあ、職にあぶれたら考えてもいいわね。たくさんのコブ付きでいいのならだけど」

「子持ちとは知らなかったよ。もちろん、何人でも大歓迎だよ」


 セレンが楽しげに笑った。


「あなたみたいな人が王になったらいいのにね」

「そりゃあ、ごめんだね。誰が好き好んであんな報われもしない重労働をやりたいもんか」

「そういう認識を持っているからこそ、向いているんだけどねえ」


 アルは2人の会話に割って入った。


「ベル、急がないと。競技が終わっちゃうよ」

「おっと、そうか。急ごう」


 3人は走りだした。

 だが、セレンとアルの足にベルがついていけるはずもない。


 おまけに、ベルが全力で走っても、アルがベルを背負って走ったときとあまりスピードが変わらない。

 結局、アルがベルを背負って走った。


 競技場前についたときには日頃の鍛錬で体力に自信のあるアルでも、疲労のあまり地面に両手をついてあえいだ。


「だから自分で走るって言ったんだ」

 ベルが言った。

「さすがに無茶だろう」


「い、いいんだ。君は、ここからがんばらなきゃだろ」

 アルは荒い呼吸の合間合間に苦しげに言葉を発した。

「俺は見てるしかできないから……」


 ベルが四つん這いになったアルに手を差し出した。

「そこまで言われたら優勝しないわけにはいかないな」


 アルはその手を握り、立ち上がった。

「ベルが負けるところなんか想像できないけどね」


 そん2人をセレンは微笑んで見守っていた。

 2人ともいい子だ。

 それぞれに人生の荒波に揉まれているはずなのに、腐らず、尖らず、自分の心に素直に生きている。

 美しいものを美しいと、正しい物を正しいと、きちんと見ることができる。

 その素直さこそが人生を豊かにするのだ。


「応援してるわよ、サーベル様。がんばって、ティタニスを手に入れなさい」


 セレンの言葉にベルが首をわずかにかしげて、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「それはたぶん無理だろうね」


 ベルにしては珍しい弱気な発言である。


「だが、私が最高の射手いてだと証明してみせるよ」


 セレンはなにも言わずに頷いた。

 目の前の少年にとって神器じんぎというものに大きな意味はないのだろう。


 アルはセレンとベルのやりとりを聞いていなかった。

 聞いていたら、なんだそれ、と首をかしげたことだろう。


 そのときアルは決意をもって母の形見の時計を首から外していたのである。

 両手の中に大事に握りこむと、アルは目を閉じた。

 寂しさに胸が締め付けられる。


 ベルがそれを見とがめた。


「どういうことだ、アル。まさかとは思うが……」

「いいんだ」


 アルはセレンに時計を差し出した。

「ありがとう、セレン姉さん。これ、約束の品です」

「おい、待て。私が金を払う。だから、アルのそれは勘弁してくれ」

「駄目だ。約束したのは俺なんだから。セレン姉さんは俺を手伝ってくれたんだから」

 アルはきっとベルを睨んで言った。

 決意に水をかけられたような気分である。


「おい、私が助けてもらったんだぞ。だから、私が払うのが筋だろう。セレン、今は手持ちがないが、必ず払う。なんなら、屋敷まで同行しくれても構わない」

 ベルがアルを押しのけて、セレンの前に立つと言った。


 それをまたアルが押しのける。

 ベルが入れ替わる。


「いい加減にしろよ、ベル」

「そっちこそいい加減にしろ。どこまでかっこうつければ気が済むんだ」

「ベルに言われたくないし、そういう問題でもない」


 睨みあう2人の少年のあいだにセレンが、はいはい、と言いながら割り込んだ。


「報酬を変更するわ。サーベル様、いや、ベル。君、私のことを呼び捨てじゃなく、セレン姉さんと呼びなさい。それから、そうねえ、子供が困っているのを見たら、助けてあげなさい」


 アルは驚いた。

 1500ジット相当の時計を受け取らないつもりか。


「あら、考えようによっては、1500ジットよりもずっと高く付くわよ。それでいいかしら、ベル」


 ベルは彼には珍しく唖然とした顔になった。

 そして少し様子がおかしくなった。


 なにやらそわそわとしている。

 いつも泰然たいぜんと構えているベルとは思えない。


「その、そう呼ばなくてはいけないのかい。君のことを……」


 セレンが悪っぽく笑った。


「もちろん。これは譲れないわね。さあ、早く呼んでくれないかしら」


 ベルが下を向いたまま言った。

「セ、セレン、ね、姉さん」

 赤面している。


「もう1回」

「セレン姉さん」

「もうちょっと大きな声で」

「セレン姉さん」


 ベルはやけくそのように叫んだ。


「はい、2人合わせて」

「セレン姉さん」


 セレンが2人を抱きしめた。


「あんたたちが私をセレン姉さんて呼んでくれる限り、私はあんたたちの味方よ」


 アルの頬にくっついているベルの頬はとても熱かった。



 弓術大会の最終種目である『速射』も最後の1人となった。


 名前を呼ばれた最後の選手が弓を手に競技場の中央へと進みでた。


 年は50前半。

 藍色のズボンに革の胸当て、両手に手袋。つばのない帽子。

『リプソン流』の道着を着た男の名はワリヒス。

 顔は丸いが手足は長い。


 前方には15個の的が並んでいる。『速射』は3分間のあいだに、この15の的をいくつ打ち抜けるかを競う競技である。


 的は小さく、距離も十分に開いている。

 常人ならばじっくりと狙いをつけても、当てるのが難しい。

 それを急ぎで射なくてはならないのだから、難易度が高い。

 これまでのところ。6枚が最高記録であった。


 ワリヒスは皇帝、および師リプソンへと礼をした。


 突風が土埃つちぼこりを巻き上げてワリヒスに吹き付ける。

 ワリヒスは静かに、そして堂々と立っている。

 少なくとも観衆からはそう見えた。


 このリプソンの高弟の胸中は見た目とはまるで違う。

 後ろめたさによる自己否定の感情で大荒れに荒れていた。


 ベルの身柄をさらうように弟弟子たちに指示を出したのは彼である。

 危害を加えるつもりはなかった。

 ただ、どうしても、ワリヒスは今大会で優勝する必要があったのだ。


 リプソン流を実質取り仕切っているのは、彼を含めた3人の高弟。

 現在はリプソン存命中のために、それぞれが役割分担をしながらも、流派を運営している。

 だが、リプソンも高齢である。

 彼が今回、自身の弓を賞品としたのも、自らの命が長くはないことを悟ったからだと、弟子たちのあいだでも噂になっている。


 実際に、リプソンはここ数年自分の死後のことについて、細かく指示を出していた。

 流派は引き続き、3人で運営するものの、代表はワリヒスが務めることになる。

 ワリヒスが大会優勝にこだわるのはそこに理由があった。

 リプソンの愛弓である『神器じんぎティタニス』を手に入れて、名実ともにリプソンの後継者にならなくてはならない。

 権威付けが必要なのだ。


 昨日、サーベルのパフォーマンスにワリヒスは度肝を抜かれた。

 あんな真似はワリヒスにはとてもできない。

 師リプソンにも匹敵する凄まじい弓術。


 ワリヒスは危機感を覚えた。

 ほんのわずかな時間で観衆はサーベルの味方になってしまった。

 美しい容姿、豪胆な性格、そして神技ともいうべき弓術。

 誰が見ても彼こそがリプソンの後継者であると思えただろう。


 ワリヒスは2人の高弟と相談し、もし、サーベルが優勝しそうになるようだったら、彼をさらうことに決め、必要な手を打った。


 本選が始まるとワリヒスの予感は見事に的中した。

 サーベルは2種目でワリヒスをも圧倒した。

 手も足もでないとはまさにこのことである。


 ワリヒスは計画の実行を決断した。

 昼食時、サーベルが1人になるときを見計らい、多人数で一気にさらってしまう。


 運営には昨夜のうちに話を通してある。皇帝も『神器じんぎティタニス』が国内に流出することを嫌がっている。

 いくつもの便宜を図ってもらえた。


 トイレにいったサーベルをさらい、通路の外に待機させていた荷馬車に放り込み、道場へ運ぶ。

 さらう際には覆面をつけさせていたし、強力な薬で眠らせてある。

 正体が見破られる心配はなかった。

 あとは、大会が終わったら、どこかに解放すればよい。


 ベルが不正行為だと騒ぎ立てるかもしれないが、そのあたりは皇帝側も黙殺してくれるだろう。


 開始を告げるドラが鳴った。

 ワリヒスは矢をつがえると、的に狙いをさだめた。

 それまで荒れ狂っていた心はすでに静まっている。長年の修練のたまものである。

 矢を構えるときにはあらゆる雑念は消え去り、的だけが見える。


 ワリヒスが矢を放とうとしたまさにそのとき、彼の背後でざわめきが起こった。

 ワリヒスの意識は集中の極みにあり、それに気が付かなかった。


 ワリヒスが矢を放つ。

 彼の矢はなだらかな放物線を描いて、的に突き刺さった。


 その直後、もう1本の矢が彼の矢を押しのけるように同じ的に突き刺さった。


 ワリヒスは振り向いた。

 彼の20メートルほど後ろに黄金の髪とマントをなびかせる美貌の少年がいた。


 少年はすでに二の矢をつがえている。

 そして放った。

 矢は2つ目の的を射抜いた。


 異常事態だ、とワリヒスは進行役の役人を見た。

 だが、進行役すらも予想外の展開にあっけにとられ、呆然としている。


 そのあいだにも3、4と次々と的を射抜くベル。


 ふざけるな。


 ワリヒスは激発した。

 師の前で侮辱されるなど、彼には耐えられなかった。

 負けるものかと、自身も矢をつがえ、放つ。

 だが、感情的になった彼の矢は的を大きく外れた。


 1分を告げる1つ目のドラが鳴った。

 ワリヒスは次々と矢をつがえて放つがまったく当たらない。

 まるで弓に見放されたかのようだった。


 対照的に彼の後方から飛んできた矢は、すべての的を正確に射抜いていた。


 そして速い。


 ワリヒスが一矢を放つあいだに、2本の矢を放っている。

 本当に狙いをつけているのかと疑いたくなる速さである。

 にも関わらず、彼の矢は正確極まりない。


 2分経過のドラが鳴る。

 ワリヒスは絶望的な気分になった。

 つがえた矢を放てずに、そのまま硬直する。


 場内は静寂に包まれていた。

 観衆の誰もが固唾を呑んで見守る。


 やがてベルの矢が最後の1枚の的を貫いた。

 その直後に、終了のドラが鳴る。

 場内は以前静まり返ったまま。


 ベルが皇帝とリプソンに向かい礼をした。

 それから、観衆に向けて手を振る。


 轟音が起こった。

 観覧席の誰もが立ち上がり、激しく手を叩いた。


 サーベル、と彼の名を呼ぶ声が始まり、それは次第に大きくなって会場を飲み込んだ。


 へたり込むワリヒス。

 ベルがそのかたわらに立った。


「薄汚れたその手で英雄の弓を引く資格はない。『英雄リプソン』に敬愛の念を抱いているのならば、せめてティタニスには触れないことだ」


 ワリヒスにはベルの言っていることの意味がわからなかった。

 優勝者はベルであり、『神器じんぎティタニス』は彼のものとなるのではないのか?


 しかし、そうはならなかった。


 場内の興奮がまだ収まらぬ中、大会の運営は走り回った。

 その際、皇帝も1度席を立った。


 やがて進行役が『音拡大おとかくだい』の魔法で場内に告げた。


 ベルはすでに失格であったこと。

 優勝者は総合得点で他を引き離して1位となったワリヒスであること。

 これから、皇帝によってティタニスの授与がおこなわれること。


 今度は怒号が会場を包んだ。

 観覧者の誰もがベルこそ真の優勝者であると主張した。


 当のベルはいつのまにか競技場から姿を消していた。


 同じく『英雄リプソン』もまた席を立っていた。

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