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アルフレッド英雄譚  作者: 昨夜名月
第1章 アルフレッド冒険する
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第1話 アルフレッド12歳旅立つ②

 村の外れの小高い丘を上る坂道を、アルが歩いている。

 空は快晴。太陽は一番高いところにある。時刻はもうまもなく正午を迎える。


 あれから教会に寄って茶をごちそうになった。

 アルとしては帰宅して明日の旅立ちの準備をしたかったのだが、エピカにしつこく引き止められて長居してしまった。


 それならば、と昼食をともにしようとすれば、「今日は1人で食べたい気分ですので」とすげなく断られ、追い払われるようにして出てきのである。


 坂道を上っていると腹が鳴った。

 アルははたと自宅の冷蔵庫に食料がまったくないことを思いだした。

 それどころか野菜もイモもまるでない。昨日のうちにすべて片付けてしまったのだ。

 夕食は幼馴染のマリエッタの家に呼ばれているので問題ないとして、昼食をどうするか?


 引き返して、村に1軒だけある料理屋件酒場『マールスの店』で食べようか?

 それとも夕食まで我慢しようか?


 アルは後ろを振り返って、村を見下ろし、前を向いてアーチを描くように交わっている2本の木を見上げた。


 我慢することにした。

 決意した瞬間に腹が猛烈な抗議を初めた。アルは後ろ髪引かれながらグズグズと上った。


 坂道の終わりにあるUを逆にしたようなアーチの木は、トビラギという種類である。


 双子の木で、2本同時に育っていき、3メートルほどの高さで幹がそれぞれの方向へねじ曲がり、絡み合っていく。

 春には赤い大輪の花を咲かせる。


 トビラギをくぐったところで、匂いに気づいた。なにか香ばしい匂いがする。


 アルは走った。


 シロツメクサの海を割る砂利道。

 その向こうに低木が垣根をつくっている。


 アルの家はベージュ色の壁に、青い瓦屋根の2階建て。1階には庭に突き出すようなテラスが、2階にはベランダがある。


 香ばしい匂いはテラスの前から漂ってきていた。

 匂いと一緒に煙も流れてくる。誰かが、アルの家で勝手にバーベキューをしている。


 アルと同い年の幼馴染たちだった。


「遅いぜ、アル。待ちきれなくて焼き始めちまったよ」

 ジャックが金網の上の串刺しの肉に注意をくばりながら言った。


 金髪を丸坊主に刈っており、彫りが深く日焼けしている。アルよりも背が10センチ以上は高い。

 白いズボンに赤いシャツを羽織っている。どちらも大人もので、シャツもズボンもまくりあげている。


「だから、もう少し待とうって言ったんだよ」


 こちらはセイル。

 癖の強いオレンジ色の髪で丸いメガネをかけている。白いシャツ、黒いベスト、黒いズボン。頭には黒いハンチング帽をかぶっている。


「ごめんね、アル。僕たちはアルを待つつもりだったのに、ジャックがさ」

「なんだよ、俺だけのせいかよ」

「当たり前でしょう、あんたがあんたの分しか焼いてないんだから」


 最後の1人マリエッタ(以後マリー)。

 茶色い髪を後ろで黄色いリボンでポニーテイルにしている。

 大きくて目尻の上がった目。げ茶色の瞳から発せられる眼力が中々に強い。そでの膨らんだ白い襟付きのワンピースを着ている。


「学校はどうしたの?」


 アルにしてみれば不思議である。今日は平日だし、3人は街の学校まで毎日通っている。

 オルデン王国では10歳から14歳までの四年間学校に通うことになっている。

 強制ではなく希望者のみ。入学するにあたり簡単な試験はあるが完全無料なので、多くの少年少女が通っている。


 アルは病床にあった母の面倒を見ていたため、学校には行っていない。


「サボったに決まってるだろうが」

 ジャックが胸を張っていばった。

「学校と親友のどっちが大事かなんて決まってるだろ」


「僕たちだけの送迎会だよ。このあいだのはなんだかゴチャゴチャしてたからね」

 セイルが言った。

 下がってきたメガネを持ち上げる。


 先日、『マールスの店』にてアルの送迎会が行われたのだ。

 小さな村なので、村人すべてが集まってのパーティ。アルははしから大人に捕まっては、忠告やら説教やらをされた。


「ほらほら、焼けよ。焼けよ。たくさん持ってきたからよ」

 食料屋の息子ジャックが足元の木箱に足を乗せた。冷石が入ったクーラーボックスである。

「倉庫の奥の方にあった、いつ凍らせたかわからない肉たちを、じゃんじゃん食えよ」


「アルが出発前に腹を壊さなきゃあいいけど」

 セイルが言いながら串肉を網に並べた。


 串肉が盛った皿は居間から持ちだした丸テーブルに乗っている。


 幼馴染3人は、アルがエピカとでかけてからすぐにやってきて、準備をしたのである。

 エピカがアルを茶に誘ったのも3人が彼女に頼んだからである。


「そこまでしてくれて、なんで俺を待たないんだよ」


「ジャックに言いなさいよ」

 家の中に入っていたマリーがポテトサラダが乗った皿を持ってきた。

 アルを見て、眉をひそめる。

「早いところ、着替えたら。せっかくの一張羅いっちょうらが油でベトベトになるわよ」


 アルは忠告に従い、すぐに着替えることにした。家に入り、装備品をすべて外し、ズボンもシャツも楽なものに変えた。


 洗いざらした灰色のYシャツに両膝につぎのあててある茶色いズボン。ズボンはサスペンダーで吊り下げた。


 そこから4人でワイワイガヤガヤと飲んだり食べたり話したりした。

 物心ついたころから一緒に遊んできたので、話がつきることがない。


 食欲が一段落したころ、マリーが唐突にセイルの腹に肘鉄を食らわせた。


 セイルはわけがわからずにうめいた。

「な、なに?」


 マリーが声を出さずに唇を動かした。


 なにごとかとアルが注目していると、彼女はキッとアルを睨んだ。

「なに見てるのよ」


 見てはいけないものだったのか、とアルは後ろを向いた。


 アルの後ろではマリーが怖い顔でセイルになにかを伝えている。


 セイルがようやく頷いた。

「ちゃんと覚えてるよ。せっかちなんだからさ」


「もういいかい?」

 アルが背中を向けたまま言った。


「まだに決まってるでしょ。あんたはいつもせっかちなのよ。絶対こっちを向かないでよ。目もしっかり閉じてなさいよ」


 3人はアルにそれぞれプレゼントを用意したのである。

 マリーがセイルに合図したのは渡すきっかけを作れというものだった。しかし、せっかくアルが背中を向けているのだから、今のうちにということになり、3人はアルの家の中に隠したプレゼントを取りにいった。


「もういいよ」


 セイルの声でアルは目を開けて振り返った。

 3人がそれぞれ包装紙とリボンでラッピングされた箱を手にしていた。


「プレゼントを用意したんだよ」

 セイルがはにかんで言った。

「貰ってくれるかい?」


「もちろん」


 アルには思いもよらなかった。感激で目がうるんだ。


「ほら、あんたからよ」

 マリーがジャックのすねを蹴飛ばした。

「どうせ、しょうもないものなんだから」


「はいはい、どうせ、お前のもんに比べたら、つまらないもんだよ。なんせ、そっちはアルへのおも……」


 ジャックが体を『く』の字に折った。

 マリーが見るからに強烈なパンチを彼の腹に食らわせたのだ。


「じゃあ、僕から。かさばらないものを選んだんだけど」


 セイルが箱をアルに差し出した。20センチ四方の立方体である。


「開けてもいいかな?」


 セイルが頷いたので、アルは赤いリボンをほどき、包装紙を破かないようにがしていった。

 包装紙を丁寧に折りたたんでから箱を開ける。


「あんたのそういうところじれったくてしょうがないわ」

 マリーが言った。


 入っていたのは手帳だった。

 茶色い革の表紙でベルトで閉じられるようになっている。一緒に鉛筆が10本入っていた。


「ありがとう。すごく助かる」

 メモをとるのが好きなアルには、とてもうれしいものだった。

「大事に使うよ」


「まったく、セイルは本当におもしろみがねえなあ」

 回復したジャックが言って、細長い箱をアルに渡した。

「こいつもちゃんと持ってってくれよな」


 なんだろう、とアルは思った。

 箱は結構重い。また、リボンをといて、包装紙をきちんとたたむ。


 マリーが急かすように舌打ちをした。


 箱の中から出てきたのは、金属製の棒だった。片側が大きく盛り上がっている。

 アルは油であげた鳥のもも肉のようだと思った。


「これ、なに?」

「棍棒だよ。白金属ホワイトメタルの」

「……ありがとう」


 なにに使えばいいんだろうか、とアルは思った。

 これ持っていくのかあ……。


「そいつで魔物をガンガンやっつけてくれよな」

「鍛冶工房で溶かしてなんかの材料にしたらいいんじゃないかな」 

 セイルが言った。


「おい、身も蓋もないこというなよ。せっかくビスクルに作ってもらったのによ」

 

 マリーが咳払いした。

「あとがつかえてるんだけど」


 ジャックとセイルが脇にどいた。

 ジャックのニヤニヤした顔が気に入らなかったマリーは、彼を蹴飛ばした。


 マリーはアルの前に来ると急に緊張した。箱の中に入っているものが不適切なのではないか、といまさら後悔した。


 モジモジとしていると、セイルが後ろで言った。

「大丈夫だよ。がんばって作ったんだからさ」


 アルはマリーが真っ赤な顔で差し出した箱を受け取った。


 今度は丁寧に包装を解いてもマリーは不平を言わなかった。

 下を向いて、つま先で地面に文字を書いている。


 箱から出てきたのは筒状に丸められた布だった。食べ頃のイチゴのような鮮やかな赤い布である。針金が編みこんであるらしく筒状のまま形が崩れない。


「首に巻いたらいいと思うわ。針金を入れてあるからちょっとは違うんじゃないかしら。一応、赤金属レッドメタルよ。細いの手に入れるの大変だったんだから」

 マリーが早口で言った。

 それからチラッとアルの顔を見て、すぐに目を伏せた。


 アルは布を広げた。

 正方形で無地。針金は細いのを格子状に何本も入れてあるらしい。木地は厚みがあり網目が粗く風通しがよさそうだ。


 ちょうど首の守りをどうしようかと考えていたところである。少し前までベルトを巻いていたが、ムレるし、首が窮屈で、おまけに締め方を気をつけなくては体調が悪くなるのでやめたのだ。


 アルは布を筒状に戻して、それを首に巻いてみた。余った部分はなびかせる。

 あっ、すごくいい感じ。


「ありがとう、マリー。これ、とってもいいよ。なんていうか、絶妙だよ」


 マリーが顔を上げた。

 アルが自分の贈った布を巻いているのを見て、笑みが顔中に広がった。


「良かったな、アル。そいつをマリーだと思って、いつもつけてろよ」

 ジャックが言った。


「気持ち悪いこと言わないでよ」

 マリーが後ろを向いてジャックを睨んだ。しかし、耳まで赤くなっている。頭から湯気が出てきそうだ。


「うん、なんか心強いな、これ」


 アルはマリーが一緒に来てくれるみたいで、頼もしく思った。

 もちろん、セイルの手帳もジャックの棍棒もそうだ。


 遠くからアルを呼ぶ声がした。

 坂道の方から3人の少年がやってくる。先頭には大がらな赤毛を逆立てた少年。

 続く、2人は金髪の太っちょとげ茶色の髪のチビである。


 ジャックがうめいた。

「なんだってダジルの奴が来るんだよ。誰か呼んだか? おい」

「呼ぶわけないでしょうが。なにあいつ。学校はどうしたのよ」

「僕らも人のことは言えないけどね」


 赤毛の少年がダジル。太っちょがレック。チビがトールである。隣村のワルガキ3人組である。


「アルフレッド、てめえ、この野郎」


 ダジルがシロツメクサの草原を突っ切って向かってくる。


 低木を、とぅ、と飛び越え、庭先に立つと、アルを三白眼で睨みつけた。

 革のズボンに服。手にはグローブ、体にはマント。背中には剣を背負っている。


「やあ、ダジル。なんか久しぶりだね」

「てめえ、聞いたぞ。クラングランに行くんだってな。俺をおいてどういうつもりだ」

 ツバを飛ばして怒鳴った。


 アルは目をパチクリとした。

「ついてきたいのかい?」


 取り巻きのレックとトールが玄関の方から回ってきて、一歩下がってダジルの両脇についた。


「違うわい。この、この、この……タレ目が。俺とお前の仲はどうなってるんだって、ことだよ」

「友達だろ」


 ダジルのソバカスだらけの顔がちょっと赤くなった。

 ブンブンと首を振る。

「誰が友達だ、この、この、この……」


「大馬鹿は?」

 レックがコソッと続きの言葉を提案した。

「あいつ学校に通ってないよ」


「ダメダメ、兄貴より頭が悪いわけないだろ」

 トールが首を振った。

「軟弱野郎とかは?」


「この軟弱野郎が」

 採用してダジルが言った。


「俺とお前の仲はなあ。俺とお前の仲はなあ」

 ダジルがレックに目を向けた。


「あんまり良くない」

 レックが言った。


「俺とお前の仲はあんまり良くないんだぞ」

 言ったからダジルは斜め下を向いて顎に手を当てた。

「ちょっと違うな。トール」


「ライバルでしょ」

「それだ。ただのライバルじゃねえ、大ライバルだ」


「大ライバルって」

 マリーがあきれて言った。

「こいつ本当に馬鹿だわ」


 アルはダジルとライバル関係にあるとは思っていなかったので、首をかしげた。


「ライバルだったんだ、俺たち」


 そう言われてみれば、やたらとケンカをふっかけられてきた気がする。


 ダジルはそんなアルの態度が気に入らなかった。

 もう何十回とアルとケンカをしてきたが、一度も勝ったことがない。悔しくて、悔しくて、何度、泣きながら帰ったことか。


「この野郎。俺を軽くみやがって。俺はな、俺はな、俺はなあ、お前になあ……」

 チラッとレックを見た。


「行ってほしくないんだよね」

 レックが言った。


「もっと意識してもらいたいんでしょ」

 トールが言った。


「俺はなあ、お前にもっと意識してもらいたいんだよ」

 トールのが採用された。


「わかった。もっとダジルのことを考えるようにするよ」

 アルは笑った。

「来てくれてありがとう。出発前に会えて良かった」


 右手をさしだす。


 ダジルは鼻先をポリポリとかきながら、アルの手を握った。


 それから、慌てて乱暴に振り払った。


「ふざけんな。なんだってんだ、この野郎」


「だから、あんたなにしに来たのよ」

 マリーはイライラして言った。


 ダジルのことなど考えなくていいから、私のことをもう少し考えてほしいと思った。


「決着をつけるんだよ。俺とお前のなあ」 

 ダジルが言って、子分2人を見た。

 間違ったことを言ってないか確認したのだ。


「いいんじゃないの」

「まあ、最後に一勝くらいはしたいよね」


 ダジルが背負っていた剣を放り出した。マントをかっこうよく外そうとするが、うまくいかずにもたつく。


 そのあいだに、アルはそでをまくって、襟のボタンを外した。


「そっちの広いところでやろうか」


「最後だから徹底的にやっちまえよ」

 ジャックが言った。

 一番、楽しそうにしている。

「俺はアルが勝つ方に1シルカ(千円)賭けるぜ」


「だったら俺、2シルカ賭ける」

 レックが言った。

「もちろん、アルが勝つ方」


「賭けになるわけないでしょう」

 マリーがバカバカしそうに言った。

「みんなアルに賭けるんだもの」


 体は圧倒的にダジルが大きい。

 ダジルの身長は大人と大差ないほどだし、手足も長い。

 対するアルは12歳にしてはやや小柄。

 それでも、2人の強さは歴然としている。


 アルは日々、冒険者となるために鍛錬をしているし、剣術も弓術も格闘術も幼い頃は父に、父が亡くなってからは父の親友だったレイモンド(以後レイ)に鍛えられた。父もレイも歴戦の冒険者である。


 シロツメクサの草原で、2人は向かい合った。

 ソヨソヨと心地よい風が吹き、蝶々がヒラヒラと飛んでいく。


 2人の周囲はそれぞれ友人たちが囲んでいる。


「なんだって、そんなに俺を倒したいの」

「そりゃあ、てめえが……あの」


 言いかけて、ダジルはやめた。

 2つのこぶしを打ちつける。


「なんでもいいだろうが。行くぞ、この野郎」


 ダジルがアルに向かって殴りかかった。

 大きく振り上げた拳を突き出す。


 アルはそれを首を傾けてよけた。

 ダジルは連続でパンチを繰り出した。

 なかなかフォームが堂に入っている。よほど練習をしたのだろう。


 アルが攻撃に転じた。

 パンチを繰り出したダジルの腕を払いながら、踏み込んで、彼の体に組み付いた。

 同時に軸足を足払いで刈り取ってそのまま地面に押し倒した。


「これで終わりかな」

 遠巻きに見ていたセイルが、下がってきた眼鏡を上げて言った。


「なんだよ、盛り上がんねえなあ」

 ジャックがぼやいた。

「たまには殴り合えよな」


「傷つけるのが嫌なんだよ、アルは」


 ケンカはこれで終わりになるだろうと全員が思った。

 アルの絞め技からダジルが逃れた試しはない。


 予想外のことが起こった。

 暴れもがくダジルの肘がアルの側頭部を打ったのだ。


 アルがひるんだところへダジルは頭突きをかました。

 2度、3度。

 ダジルも割れるように頭が痛かったが、全力で頭突した。



 アルがたまらず転がった。

 ダジルは立ち上がると、身を起こしかけているアルの腹を蹴った。


 急所に入ったらしく、アルが膝をつく。


 ダジルは雄叫びをあげて、アルの体を蹴った。蹴った。

 組み付こうとするアルの手を踏みつけて、蹴った。


「もういいでしょ」

 マリーがなおも蹴ろうとするダジルの前に立った。

「あんたの勝ちよ。気がすんだでしょ」


 ダジルは息を荒げたままマリーの脇から、体を丸めて横たわるアルを見た。

 信じられない気持ちだった。


 勝った、アルフレッドに勝った、本当に、本当に。


 叫んだ。


「すごい」

 レックがブルブル振るえて言った。

 興奮で顔が真っ赤になっている。


「こんな日が来るなんて思わなかったよ」

 トールがまだ信じられずに目をこすっている。


 雄叫びを終えたダジルは、マリーに介抱されているアルを見て、また叫んだ。

 いつのまにか頬が涙で濡れていた。


「うるさい」

 マリーがダジルを睨んだ。

「言っとくけど、アルは午前中、オークと戦ってきたの。疲れてるのよ。そんなアルを蹴飛ばして、いい気になっちゃって」


 これは明らかに余計だった。

 ダジルの顔は引きつり、それからションボリとして肩を落とした。


 ダジルの落胆があまりにもはっきりと見えて、マリーは自分の発言を後悔した。


「俺は勝ったんだ」

 ダジルはつぶやくと、クルッと後ろを向いて駆けていった。


 2人の子分がすぐに後を追った。



 アルがうめきながら体を起こした。

 服も髪も汚れ放題汚れていたが、大きな怪我は負っていない。


「らしくねえなあ。ダジルに負けるなんてよ」

 ジャックが言った。

「油断しすぎたんじゃねえか」


 アルは苦笑いして服を払った。


「大丈夫なの? 骨とか折れてない?」

 マリーがアルの背中をパンパンと叩きながら言った。


「ちょっと指を痛めたかな」


 アルは左手首を振った。

 ダジルに踏まれた手である。人差し指がジンジンと痛む。


「まじないは午前中で使いきっちゃったのかい?」

 セイルが言った。


「いや、まったく使ってないよ。大したことないから平気だよ」


 アルは指を折り曲げた。

 思ったよりも痛かった。


「馬鹿。明日、出発なんでしょ。道中でなにかあったらどうするの。今日のうちにちゃんと治しといた方がいいに決まってるじゃない」

 マリーが言った。


 アルは頷いた。マリーの言うとおりだ。


 魔法使いの使う魔法とも、教導師きょうどうしの使う御力おちからとも異なる超能力『まじない』。


 アルは母親からこの不思議な能力を受け継いでいた。

 1日に2回しか使うことができないし、種類も2つだけである。

 それでも冒険者を志す少年にとっては心強い武器である。


「治すよ」


 アルは『まじない』の1つ、『癒しのまじない』を使うことにした。 


 目を閉じて、体の力を抜く。

 ゆっくりと息を吸って吐く。


 1分ほどそうしていると、体中に煙が詰まっているようなイメージがわいてくる。

煙はモヤモヤとしていて、広がっては薄まり、縮まっては濃くなっている。


 煙を右手の平に集めていく。

 右手が火に近づけたかのように熱くなった。


 目を開けると右手が黄色く光っている。

 右手を、負傷した左手の人差し指にかざす。光が患部に移る様子をイメージ。

 燃える枝を近づけて火種を移すように。


 傷ついた左手の人差し指が光った。

 代わりに右手の光はすっと消える。


 患部だけが30秒ほど光り続けた。

 それも消える。


 指を折り曲げる。痛みは完全に消えていた。


「便利だよなあ、それ」

 ジャックがうらやましげに言った。

教導師きょうどうしいらずだもんな」


「自然に治る傷にしか効かないから、教導師きょうどうしにはぜんぜんかなわないよ」


 教導師きょうどうしの癒しの御力おちからには2種類ある。

 治癒力を高めて癒す『治癒』。

 そして体の状態を過去に戻す『復元』である。

 後者は生きてさえいれば、どんな大怪我でも治すことができる。

 そのため、異世界パルミスでは後天的な体の欠損というものはほとんどない。


「病気も治せたらよかったのになあ。そしたら……」

 言いかけてジャックは口を閉じた。

 自分の失言に気づいたのだ。

「悪い」

 真顔になって謝った。


 2ヵ月前に亡くなったアルの母は病気で命を落としたのである。

 まじないの治癒はもちろん、教導師きょうどうしの『復元』も病気にはほとんど効果がない。


「ダジルの奴、調子に乗らなきゃあいいけどなあ。なんせ、念願かなってアルを倒せたんだもんな」

 ジャックが話題を変えた。

「あいつが初めてアルにケンカふっかけてきたの、いつだっけか?」


「3年前じゃないかな。顔を真っ赤にして、殴り込んできたよね」とセイル。


「なんでなのか、わかんないんだよな」

 アルは首をひねった。


 隣村なので、それまでも何度か顔を合わせたことがあったが、特に怒らせたり憎まれたりした覚えがない。


「俺、なにかしたのかな?」

 

 マリーとセイルが目配せをし合った。

 2人はジャックにも視線を送ったが、ジャックはそれに気づかなかった。


「なにかって、そりゃあ、お前があのカ……」

 マリーがジャックに体当たりをして、彼を転がした。


 ジャックの代わりに続きを答える。

「カルロスの息子だからでしょう。ほら、あいつ、冒険者に憧れてるじゃない」


「そうか。そういうことだったのか」

 アルは納得した。

 アルにはお人好しで信じやすいところがある。


「それに、ほら、自分が諦めるしかない夢をまっすぐに追いかけてるアルが気に入らなかったんじゃない」

 セイルが言った。

「ダジルは家を継がなきゃならないからね」


「確かにそうだ。俺、そういうこと考えなかった」

 アルには視野が狭いところもある。


「アルに勝ったら家を捨てて冒険者を目指そうなんて考えてたかもなあ」


 それから、バーベキューの片付けを始めた。

 マリーは台所で洗い物。

 ジャックは網を洗い、アルとセイルはテーブルなどを居間に戻した。


「わざとだったんだろ」

 セイルが言った。


 居間にテーブルを運び込み、位置を調整したところである。


「ダジルに負けたの」


 アルは困った顔で頷いた。

 見破られるとは思っていなかったので、気まずかった。


「なんでわかった」


「アルならそうするんじゃないかと思ったからだよ」

 セイルはまっすぐにアルを見た。

「よくないと思うよ、そういうの」


 アルは視線を落とした。


「俺、あいつのこと好きだから」

「最後くらい花をもたせたかったんだよね。それでも、僕はアルが負けるのを見たくなかったよ。わざとでもね。きっとマリーやジャックもそうだと思うよ。だから、マリーがあんなふうに言ったのも仕方がないし、結局、ダジルは嫌な気分になった」


 アルはぐうの音も出なかった。

 床のタイルのはがれをじっと見続けた。


「君はとても優しいから相手のことを考えた行動をする。でも、ときどき、それが余計に相手を傷つけることもあるよ」

 セイルはひと呼吸置いてさらに続けた。

「あと人の気持ちに少し鈍感なところもあるしね。これは君がまっすぐで強いからなんだろうけど」


 温厚で気が弱そうなセイルだが、必要だと思ったことははっきりと言う。

 アルがわざと負けたことがセイルにはそれほど看過できないことだったのである。


「クラングランで1人でやってかなきゃならないんだから言ったんだよ。きっといろいろあるだろうから」

「うん、ありがとう」


 アルは友人からの耳の痛い忠告を忘れないようにしようと思った。


「それからね。僕もジャックも、もちろんマリーも、きっとダジルたちも、君のことが好きだってことを覚えておいてほしい」

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