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アルフレッド英雄譚  作者: 昨夜名月
第1章 アルフレッド冒険する
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第2話 アルフレッド12歳出会う⑤

 翌朝、先に目を覚ましたのはアルである。

 

 まぶたを開けたら、知らない灰色のザラザラとした天井があった。


 吊り下げられた女物の服の数々。

 スカートやブラウス、下着などがユラユラと揺れている。


 なんだか非常に場違いな場所にいる気がして、アルは静かに体を起こした。


 部屋は明るかった。

 少女が閉め忘れたキッチン側と横壁の大窓から、陽ざしとともに風が入り込んでいる。

 そして賑やかな街の喧騒も。


 意識がはっきりしてきても、まだアルにはここがどこかわからなかった。

 記憶をたどっても、まったく覚えがない。


 アルは部屋を歩き回った。


 最初に目についたのはベッドのかたわらに放り出された剣である。


 鞘にはくるまれておらず、刃が抜き身になっている。

 かなり大きな剣である。片刃の直刀で、刃渡りが130センチほどもある。

 アルが使っているのが刃渡り50センチほどなので、倍以上の長さである。


 だが、ものすごいのは長さではなくその幅と厚みだった。

 幅は約20センチ、厚みは峰の方で1センチはある。


 こんなもの誰が使うんだ、とアルは思った。

 よほどの大男でない限り、振ることすらおぼつかないだろう。



 試しに持ってみたアルだったが、やはり振ることはできなかった。

 大きく振り上げたとたんに、背中から倒れそうになった。


 一緒に置いてあるのは赤金属レッドメタル製の鎧である。

 近くで見ると、その反射具合から白金属ホワイトメタルを赤く塗ったのではなく、本物の赤金属レッドメタルらしい。

 鎧というよりは胸当てに近い形状。だが、それにしても小さい。

 剣とあまりにも対照的だった。


 女物の衣類。小さな鎧。大きな剣。

 これだけそろえばアルにも誰の部屋かわかった。


 昨晩の少女の部屋に違いない。


 自分を軽々と放り投げた少女ならば大剣を苦もなく振り回すことだろう。


 アルは妙な敗北感に襲われた。

 力が強ければいいってもんじゃない、と強がるが、すぐに昨夜少女に軽くあしらわれたことを思い返した。

 倒れた振りをしてやっと捕まえたのである。


 アルは思わず顔を手でおおった。

 昨夜は疲労のあまりなんとも思わなかったが、思い返すと恥ずかしさで身悶もだえしたくなった。


 幸い少女は部屋にいない。

 帰ってくる前に部屋を出よう。


 そこで、気がついた。

 武器がない。

 右腰にさした短剣しかない。


 アルは部屋を見回した。

 キッチンの方に行ってみたり、また戻ってみたり。

 テーブルの下を覗き込んでみるが、もちろんない。


 ベッドの下にももちろんない。

 少女の顔があっただけだ。

 緑色の目を半開きにしてアルを見る少女。


 アルは悲鳴をあげた。


 ベッドの下に人がいたら彼でなくともそれは驚くだろう。


「もう、うるさいなあ」


 少女がベッドの下からスルスルと出てきた。


「なに、なんで、そんなとこにいるの?」

「狭いところじゃないと寝れないの」


 眠そうな顔のまま、フラフラとシャワーのところに行く。


 下着のノースリーブのシャツとパンツを脱いで、壁にかけてあるシャワーヘッドを手にした。

 

 大あくびをして、それから「ネーロ」とつぶやく。そのとたん、シャワーヘッドから水が出た。


 水石ウォーターストーンは触れながら(もしくは石と接触している大帝金属アルターメタルに触れながら)ネーロと唱えると水が出る。

 なお、水量をちゃんとイメージしないと大量の水を浴びることになる。


 少女がシャワーを浴びている様子をアルはボンヤリと眺めていた。


 アルは性的な部分がまだまだ未熟なため、スケベ心は皆無かいむ。本当に、ただ見ていただけである。


 一方、少女の方もアルのことを気にするわけでもなく、鼻歌を歌いながら水浴びを続けている。

 少女もアルと同じくらい未成熟なのである。


 少女の「ネーロ・テロス」の言葉で水が止まった。

 少女は水をしたたらせたままベッドに座るアルのそばまでやってきて、ロープで吊ってあるタオルを取った。


「アルも浴びたら。さっぱりするよ」

 

 タオルで体を拭きながら少女。


 それもいいなあ、と思ったアルだったが、すぐに武器のことを思い出した。

 ベッドの下から少女が出現したせいで、頭が真っ白になってしまっていたのだ。


「俺の武器は?」

「あるんじゃないの」

「どこに?」

「外に。拾ってこなかったもの」


 アルは外へと飛び出した。

 

 青空に隣の工房から吐き出される白い煙が上っていく。


 陽ざしに目をショボつかせながらも、階段を下りる。

 ところどころ、石がぐらついて危険だった。

 

 階段を下りようとしたところで、ちょうど両側から馬車が来て、すれ違った。


 アルの鼻先をかすめるように、街馬車の飾り立てた箱が通っていった。


 危ないなあ、とアルは思った。

 気をつけないと馬車にひかれてしまう。


『太陽の剣』の前に剣やクロスボウ、短弓に矢筒が放り出してあった。

 その前に男がしゃがみこみ、見ている。


 今にも拾われてしまいそうな様子だったので、アルは急いで男のそばに行った。


「これ、俺のなんだ」

 アルは剣を拾って言った。

 腰のベルトにさす。


「人の店の前を散らかすんじゃねえよ」

 男が低い声で不機嫌そうに言った。

 アルを頭から爪先まで眺める。

「それで、お前はなんだ。冒険者志願か?」



 アルはとっさに頷いた。

 すぐに、自分が『太陽の剣』で仕事をするために来たわけではないことに思い当たり、首を横に振った。


「違うんだよ。俺はただ……」

「なんでもいいけどよ、大切な武器をこんなとこにほっぽり出しとくんじゃねえよ」

 男がアルの言葉を遮って言った。

「そんなやつが冒険者になろうだなんて片腹いたいぜ、おい」


「ほっぽり出したわけじゃない」

「だからガキは嫌いなんだよ。なにかにつけて、言い訳しやがる。面倒くせえのに、わざわざ忠告してやってんだ、素直に聞いときゃあいいじゃねえか」

 言って男は、やれやれ、と首を振った。


 白髪交じりの黒髪を短く刈り込んでいる。非常に背が高く、体格もガッシリとしており、おまけに毛深い。

 開いたシャツの胸元からは胸毛が、そでをまくった腕からは腕毛がモジャモジャとして存在感をあらわにしている。


 つながった口髭と顎髭。

 彫りの深い顔立ちだが目だけがやたらと丸くて愛嬌がある。


 灰色のシャツの上にあめ色のベストを着ており、同色のズボンをはいている。


「いいか、うちの冒険者になりたいんならばだ、ガキっぽいことはするな」

 男はアルの鼻をつつくかのように指をつきつけた。

 アルが口を挟む間も与えずに続ける。

「俺は能力主義だからよ、年がいくつだとか、そんなことは気にしねえ。ちゃんと役に立つ奴なら、大歓迎。一人前に扱ってやるさ。だから、お前さんもガキっぽい真似はやめるんだ。いいな」

「俺は別に……」

「おい、言い訳はやめろと言ったはずだぞ。お前はただ、わかったよ、オルビーとそう言えばいい」


 アルは、こちらの話を聞いてもらうには間が必要だと思った。


 アルがなにも言わずにいると、オルビーが紺色の瞳でまばたきもせずに彼の目を見つめ続けた。

 なぜ、こいつは、「わかったよ、オルビー」と言わないのだろう、と思っているようだった。


「わかったよ、オルビー」

 アルは仕方がなく言った。


「よし」とオルビーがアルの髪を豪快にかき交ぜた。

「お前は今日から『太陽の剣』の冒険者だ。採用試験だとか、試用期間だとか、そんなケチなことは俺はしねえ。ほら、入った入った」


 オルビーがアルの腕をつかんで、グイグイと引っ張って、ドアの前に連れていった。


 アルは誤解があまりにも急展開に進行してしまったために、状況についていけず、あれ、とか、えっ、とか言いながら目を白黒させたままされるがままになっていた。


 鍵を開けたオルビーに店内へと連れこまれ、奥へ奥へと引き込まれていく。


 途中でオルビーが言った。

「言っとくけどな、別に冒険者が少なくて困ってるわけじゃねえぞ。うちのモットーは少数精鋭だからな。数が多けりゃあいいってもんじゃねえ」


 2階と同じ間取りで2・5メートル×5メートルの細長い部屋である。

 ただでさえ細長いのに、両脇に棚がもうけてあるのでいっそう狭い。


 外に階段がある方の棚は、奥まで続いており、矢やクロスボウ、短剣、ウェストポーチや傷薬、保存食などが並んでいる。

 売り物のようで品物の前に値札が置いてある。


 反対側の棚は部屋の中ほどまでで本棚になっている。

 魔物図鑑、武具図鑑、魔法図鑑など冒険者にとって役立ちそうな本が並んでいる。

 冒険者の伝記もあり、『カーラッドの冒険』シリーズもすべてがそろっていた。


 本棚の終わったところで、壁にくっつけるように小さな丸いテーブルが1つと椅子が2脚置いてある。


 さらに奥にいくと約1メートルの高さのカウンターによって仕切られている。

 カウンターの奥は大きな柱時計を除いて紙の束で埋め尽くされている。



 オルビーはアルをカウンター前の1脚だけある椅子に座らせると、カウンターの中に入って対面に座った。


 アルは早めに誤解を解かなくてはとあせった。

 エピカが嘆いたとおり、アルは流されやすいところがあるのだ。


「俺は……」

「そうだ、お前の名前はなんだ?」

「アルフレッド」

「よし、アルフレッド。いや、アルだな。俺はオルビーだ。なんなら兄貴って慕ってくれたって構わねえぜ」

「冒険者になりに来たわけ……」

「もちろん、そうだろうな。冒険者になりに田舎から出てきたんだろう。見りゃあ、わかる。お前が田舎もんだってことはな。だが、俺は気にしねえ」


 アルはちょっと傷ついた。そんなに田舎者丸出しなんだろうか。


「それで魔物退治の経験はあるか?」


 アルは頷いた。


 オルビーが満足顔で手を打った。


「よし、よし、思ったとおりだ。田舎でちょこちょこやってた口だな。お前さんの武器を見て、使い込んであることはわかってたからよ。1番、強いので星いくつだ」


 アルは先日のフラオークのことを思い出した。

 あれがアルの倒した魔物の中では1番強い魔物だった。


「たぶん、3さんせい


 オルビーが下手くそな口笛を吹いた。


「いいぞ、アル。これなら即戦力だ。あいつよりは、分別がありそうだし、年も同じくらいだし、タレ目同士仲良くやれそうだな、おい」


 タレ目と聞いて、アルは2階にいる少女の顔が思い浮かんだ。

 なにか急速に話がまとまろうとしている。


 このままじゃあ、まずい。


「聞いてよ」

 アルは大声を出した。


 オルビーが訳知り顔な温かい目でアルを見た。

「いきなり大きな声を出したくなるもんだ。思春期ってやつはな」


「俺は荷物を返してもらいにきたんだ」


 それからアルは早口に、昨日、赤毛の少女に荷物を盗まれたこと。

 彼女からこの店に荷物を売ったと聞いたこと。

 荷物の中には母の形見や友達からの贈り物など金には代えられないものがあることを話した。


「なるほど」

 オルビーが頷いた。

 深刻そうな顔をしている。


 アルはなんとなく、その顔がしたり顔を無理にゆがめているように思えた。


「確かにお前さんの荷物には心あたりがある。だが、1度買い取ったもんをいきなり返せとは乱暴すぎやしねえか? それが例え、盗品でもだ」

「買い取った金は払うよ。それならいいだろ」


 なんだってこんなことになってるんだ、とアルは内心不満だった。

 それでも荷物が取り戻せるならばそれに越したことはない。


「そりゃあダメだな。1度買い取った以上はうちの商品だからな」

「だったら売値でいいよ。いくら?」


 ベルトにしっかりくくりつけた餞別せんべつの袋を開く。


「1500ジット(1500万円)ってとこだな」 


 アルは聞き間違いかと思ってオルビーを見た。


「1500ジットだ」

 払えるものなら払ってみろという顔でオルビーはもう1度言った。


「ふざけるな」

 アルは怒りよりもあきれて言った。

 足元を見るにもほどがある。


「ふざけてねえよ、別にな」

 言ってオルビーがカウンターの下にもぐり、ゴソゴソとした。


 直径4センチ程度の青金属ブルーメタルの円形のペンダントのようなものを持って顔を出した。

 ふちには青い鎖がついている。


 アルの母親の形見である懐中時計。

 子供の天使がラッパを吹いている絵が彫り込まれたふたを開くと、時計盤が現れるようになっている。


「このサイズで青金属ブルーメタル製。まあ最高級の代物しろものだな。ひょっとしたらミル製かもしれねえ。壊れてなきゃあ、1000ジットはいくんじゃねえか」

「そ、そうなの」


 アルはオルビーの手中にある時計を見た。

 高価なものだとはわかっていたが、そこまで高価なものだとは思いもよらなかった。

 状況も忘れて、アルはなんだか妙なうれしさが込み上げてきた。


 それからオルビーの言っていることに矛盾があることに気づいた。


「壊れてなきゃ1000ジットなのに、なんで壊れてて1500ジットなのさ」

「そりゃあ、付加価値のせいだな」

 

 アルは首をひねった。


「だから、『カーラッド・マーク』が入ってるからだろうがよ」

「『カーラッド・マーク』?」

「おい、白々しい真似すんな」


 アルはオルビーが言っていることがさっぱりわからなかった。

『カーラッド・マーク』とはなんだろう、と本気で首をかしげた。


「おい、本気で知らねえのか。嘘だろ? なあ、お前、『カーラッドの冒険』シリーズを読んだこともないのか?」

 オルビーが愕然がくぜんとして言った。


 ただでさえ丸い目がいっそう丸く見開かれている。


 アルが頷くとオルビーがカウンターを何度も叩いた。


「冒険者になろうって奴が、なんで、読んだことないの? お前さんの故郷はどれだけ僻地なんだよ」


 カーラッドの冒険を読んでいないことがとても非常識なようないい草である。


 アルは顔が赤くなった。


「理由があるんだよ、ちゃんと」


「どんな?」

 ちょっとやそっとの理由じゃあ絶対納得しないという顔である。

「『カーラッドの冒険』シリーズを読まなかったどんな理由があるってんだ」


「父さんも母さんも嫌ってたんだよ。カーラッドのこと」

「そんなもんが理由になるか。隠れて読めばいいじゃねえか。貸してくれる奴はいるだろうが、いくらでもよ。むしろ、親が嫌ってるならいっそう読みたくなるね、俺ならよ。好奇心とか、反骨精神とかないのかい、お前さんにはよ」


 そう言われるとアルには言い返しようがない。


 一応アルを弁護しよう。

 彼は冒険者の父親を深く尊敬していたし、両親のことを深く愛していたので、その価値観に強く影響を受けるのは仕方がないことである。

 反骨精神が不足気味なのはまあ……。


 オルビーが深くため息をついた。

「まあ、いい。『カーラッドの冒険』を読んだことのない冒険者志望の少年がいてもいいさ。大した問題じゃねえ」

 言葉とは裏腹に、オルビーの口調はそれまでよりも熱量が明らかに、下がっているようだった。


「『カーラッド・マーク』のこと知りたいか?」


 アルは身の置き所のない気持ちのまま頷いた。


「ようするに、これだ」


 オルビーが懐中時計のふたを開いた。

 すると、ふたの裏に光がともった。青い光でガラスにおおわれた時計盤を照らしている(針は4時50分のところで止まっている)。


「こいつが『カーラッド・マーク』だ」


 青い光を発しているのはふたの裏側に刻まれたマークだった。

 逆三角形に羽のような2つの『へ』の文字が描かれている。

 それが黄色い炎をあげて燃えているのだ。その光は青いふたに跳ね返り、青い光となって見えている。


「この絵が?」

「そうだ。カーラッドの紋章だ。カーラッドが『英雄』だったことは知ってるか」

「そりゃあ知ってるよ」

「いや、英雄っていっても、つまり一般的な意味での英雄じゃなくてだな。神に認められた『英雄』ってことだぞ」


 ポカンとしたアルの顔を見て、オルビーは、またため息をついた。


「じゃあ、ちょっと歴史の勉強だ。3つの時代はわかるか?」

「『神々と英雄の時代』、『大帝たいてい時代』、『諸人もろひと時代』でしょ」


 学校には行っていないが、エピカに教わったり、独学したりでそれなりに知識はある。


「そうだ。その『神々と英雄の時代』のときのことだ。『英雄』ってのは神々が特別な力を与えた人間のことだった。互いに自慢の『英雄』を作っては、戦わせたりして楽しんでたんだよ。神様にも娯楽は必要だからなあ。ところで、神々はうっかりしていたんだ。『英雄』の力が子孫に受け継がれることを見落としていた。おかげで、いつのまにやら世の中、『英雄』だらけになっちまった。しかも、たちが悪いことに『英雄』って奴らは年をとりにくい。70過ぎても現役だ。そんな奴らがわんさかいれば、当然、ケンカになる。収拾もつかない。そこで、神々は考えた。試験をもうけて、それに受かったものだけを『英雄』と認めよう。こいつがいわゆる『神々の試練』だ。『神々の試練』を受かったものはその証明におのおの紋章もんしょうを授かる。これが『英雄印えいゆうマーク』だな。特別な炎で『英雄印えいゆうマーク』は燃え続ける。どんなにそっくりに似せても、その『英雄』本人にしか燃えるサインは描けないってわけだ。そして、時代は流れに流れ、我らが『諸人もろひと時代』だ。カーラッドは別に『英雄』の血を引いていたわけじゃないが、『神々の試練』を攻略して、『英雄印えいゆうマーク』を手にすることができた。これがつまり『カーラッド・マーク』だ」


 アルは特別理解力が高いわけではないが、人の話をまじめに聞くし、聞いたことをしっかりと吟味ぎんみする癖がある。

 そのため、オルビーの話を聞いてから、3分ほど口に手を当てて、ときどきゴニョゴニョ言いながら、聞いた話をきちんと理解した。


「つまり、このマークはカーラッド本人が入れたものだってこと?」

「ああ、間違いねえよ。なんなら、そのあたりにある『カーラッドの冒険』を持ってきて比べてみな。同じマークだからよ。そっちは直筆じゃねえから燃えてねえけどな」


 アルは言われたとおり、本棚から『カーラッドの冒険』シリーズのうちの1つをとってきてた。


 探すまでもない、茶色い革表紙にタイトルとともに同じマークが大きく入っていた。


「さあ、そこで話は戻る。正真正銘カーラッドのサイン入り、しかも手の込んだ彫り込み。どれだけの付加価値があるかわかるか」

 

 オルビーはアルのリアクションが今ひとつだったことに、深いため息をついた。


「少なくとも桁が1つは上がるだろうぜ。やっこさんは死んじまって、もう2度とサインができないわけだからな。1500ジットってのは、かなり良心的な値段だ」


 なるほど確かにそうだ、とアルは納得した。

 自分が買い戻さなくてはならないことなどしっかり忘れてしまっている。


「ところで、こいつはどういう由来の代物しろものなんだ?」

「母さんの形見だよ。昔、父さんが母さんに贈ったものなんだ」

「親父さんはあれか。カーラッドと親交があったのか?」


 アルは少し考えてから首を横に振った。

「わからないよ。ただ、アルタードラゴンとの戦いで一緒だったはずだよ。冒険者だったんだ」


 言ってからアルは父が母にプレゼントしたのはプロポーズのときだったことを思いだした。

 となると、それ以前の知り合いか、贈られたあとにサインをしたかどちらかということになる。


「親父さんの名前は?」

「カルロス」


 オルビーが固まった。

 彼だけ時間が止まってしまったかのようだ。


「カルロスだけど」

 アルはもう一度言った。


 オルビーがいきなり動いた。

 カウンターから前に乗り出し、目を見開いてアルの顔を凝視ぎょうしした。


「なに?」

 アルは精一杯後ろにのけぞったまま言った。

「父さんがなんかしたの?」


 オルビーはなにも言わずに引っ込むと、またカウンターの下にもぐり込んだ。やたらと動きが活発になった。


 出てきた。

 今度はボロボロになった紙の束を手に持っている。黒い紐で片側をゆわえてある。


「それは見ないで」


 アルは立ち上がって手を伸ばした。

 真剣な顔でページをめくっていたオルビーから、奪い返す。


「おい、返せ」


 オルビーが怒鳴りながらカウンターを乗り越えて、アルに襲いかかってきた。


 アルは素早く逃れた。

 このまま店を出ていってしまおうかという誘惑にかられる。


 そんなアルの思いを読んだようにオルビーが制止した。


「待て、アルフレッド」


 アルは丸テーブルをオルビーとのあいだに挟んだ。

 奪還したノートをしっかりと胸に抱く。


「これは、俺のだ」

 声を裏返して言った。


 アルが父親から聞いた話を思い出しては書いたノートである。

 父の冒険話や冒険者の心得など様々なことがらが書いてある。そこにアルの考えや決意などもチョロチョロと書き加えたりしている。

 恥ずかしいことをしているわけではないが、人に見られたくはない。


「わかった。わかった。まあ、落ちつけ。俺も落ちつく。まずは深呼吸でもしようじゃねえか」

 言ってオルビーは大きく息を吸って吐いた。


 アルも釣られて深呼吸した。


「目は通したんだよ、ざっとだけどな」

 オルビーが言った。

「まあ、なんだ、不真面目だったのは確かだ。ニヤニヤとしながら楽しんだともいえる。いろいろとな」


 アルはオルビーを睨んだ。


 彼は慌てて手を振った。

「誤解すんな。お前や親父さんを馬鹿にしたわけじゃねえぞ。つまりだな、俺はまたただの空想遊びだと思ったんだよ。カーラッドを自分に重ねるっていうか。彼の偉業を自分のことみたいに書くっていうか。悪いことじゃねえんだぜ、誰も、困るわけじゃねえしな。つまり、俺は、知らなかったわけだからな、そこに書いてあるのが本当のことだってよ」


 アルにはオルビーの言っている意味がわからなかった。


「そこに書いてある冒険話は、親父さんから聞いたものなんだな?」

 アルは頷いた。

「昔のことだから、ところどころ違うところもあるだろうけど」


「親父さんは5年前に死んだんだな。アルタードラゴンとの戦いで」


 アルはまた頷いた。


 オルビーの様子がなんだか妙だった。

 興奮しているようにも緊張しているようにも見える。


 オルビーはアルの全身を何度も見回し、口を開こうとしては閉じるということを繰り返した。


 アルはなんだかイライラとしてきた。


「なんだよ、いったい。言いたいことがあるなら、はっきり言ってよ」


 オルビーがごま塩頭をガリガリかいた。彼は迷っていた。

 自分が種明かしをしてもよいものかどうか?

 アルの両親が秘密にしてきたことである。

 よくまあ、この年まで隠しおおせたものである。

 ここはあくまでも隠した方がよいのではないか?


 だが、言いたい。すごく言いたい。


 だいたい、クラングランはカーラッドが冒険者を始めた街である。

 いろいろと由来のある場所がある。

 カーラッドの本名がカルロスであることも、多くの人が知っている。そのうちに、バレてしまうに決まっている。

 それならば今言っても一緒ではないか。よし、言おう。


 オルビーはひとつ大きな咳払いをした。


「お前さんの親がどうしてこのことを隠していたのか俺にはわからねえ。このことを知ってお前さんがどう影響を受けるかも、まったく責任はもてねえ」


 オルビーはらすように言葉を切るとアルを見た。


「それでも知りたいか?」

「いいから教えてくれよ。そんな風に気をもたせたまま言わないってのが1番いじわるだよ」

「よし、言うぜ」


 オルビーが丸テーブルをバンと叩いた。

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