第2話 アルフレッド12歳出会う④
なんでこんなことなったんだ、とアルは納得がいかない気持ちで目の前の少女を見た。
山盛りの『ジャージャーライス』(豚肉とタマネギとニンニクを米と炒めたもの)をみるみる平らげている。
そのスピードたるやスプーンに魔法でもかかっているかのようだった。
店内にはところ狭しと丸テーブルと椅子が並んでおり、客が食事をとっている。
アルは白い皿に丸い山を築いているご飯を大きなスプーンに半分ほど乗せては、ちまちまと食べている。
そしてやたらと噛む。
少女が皿にこびりついた米を一カ所に集めている段になっても、まだ5分の1も食べていない。
「ねえ、おかわりしてもいい?」
「好きにすれば。俺は払わないけど」
「大丈夫。お金はこんなにあるんだもの」
少女がテーブルに乗っている餞別の袋を叩いた。
「それは、俺の金じゃないか」
少女が不服そうな顔をしたので、アルはもう1度はっきりと言った。
「俺の金だよ」
「じゃあ、それでいいよ。その代わり、ここは奢って」
「……わかったよ」
アルは妥協した。
なんだか納得がいかない話ではあるが、もはや言い争いをするだけの気力がなかった。
少女はさっそくおかわりを頼んだ。
ついでにスープとデザートのシャーベットまで頼んだ。
「遠慮してよ、少しは」
「遠慮ってなあに?」
本当に知らないのか、その振りをしているのか、少女は小首をかしげて言った。
「いいよ、もう」
アルは黙々と食べた。
少女は両手で頬杖をついてアルが食べるのを見ている。
アルは少女の目が気になっていつもよりも食べるのが遅くなった。
「ねえ、アル」
アルは咀嚼中の米を吹き出した。
少女の顔に米粒がいくつか張り付いた。
少女は別に気にした様子もなく、米粒を剥がしては口に運んだ。
「なんで俺の名前を知ってるの」
アルはドキドキしながら言った。
「だって、さっき言ってたじゃない。ほら、ここに書いてあるんでしょ、アルフレッドって」
少女が袋の刺繍を指で叩いた。
そういえばそうである。
アルはそのことをすっかり忘れていた。それにしても、少女にアルと呼ばれる筋合いはないような気がする。
「あたしの名前、知りたい?」
少女が期待に満ちた目で言った。
アルがぜひ教えてくれというのを待っているのだろうか。
「別にいいよ」
アルはひねくれて言った。
少女に関心を持っているみたいで癪だったのだ。
「遠慮しなくてもいいよ」
「知ってるじゃないかよ」
やはり、さっきのは知らない振りだったようだ。
「嘘つき」
「あたしね、名前を聞かれるの結構好きなの」
「俺は別に聞かなくていいからね、君の名前」
アルはますます意地になって言った。
こうなったら絶対に聞いてやるもんか、と思った。
『ジャージャーライス』のおかわりとスープが運ばれてきた。
少女はそちらを食べるのに夢中になった。
アルも食べることに専念した。
ふたりで黙々と食べる。
アルがようやく半分食べ終わったときには、少女はデザートにとりかかっていた。
「食べるの遅いね」
「よく言われる」
「どうしてそんなに遅いの?」
「ほっといてよ」
「そろそろあたしの名前、聞きたくなってきた?」
「ならない」
それからアルは少女に目を向けた。
緑色の瞳を見つめる。
「君の名前はどうでもいいけど、俺の荷物をどうしたのかは教えてよ」
なんとしても荷物を取り戻さなくてはならない。
例え買い戻すはめになっても。
「だから売っちゃったんだってば。オルビーに」
「オルビーって誰?」
「『太陽の剣』の店主」
オレンジのシャーベットの最後のひと山を口に放り込み、幸せそうに頬をおさえる。
「『太陽の剣』って?」
少女は満面の笑みを浮かべて言った。
「ねえ、これ、おかわりしてもいい?」
少女は勝手にシャーベットのおかわりを頼んだ。
アルはもはやどうにでもなれという心境だった。
「それで、『太陽の剣』てのは、なに屋さんなの?」
「冒険斡旋屋」
冒険斡旋屋とは要するに冒険者派遣業者のことである。
そのほとんどは各国が運営する冒険者ギルドに加盟している。
アルは少女をまじまじと見た。
「それじゃあ、君は」
「冒険者」
少女はちょっと得意になって言った。
「まだ若いのに?」
アルは自分のことを棚に上げて言った。
「アルより年上だと思うよ」
少女はちょっとムッとした様子で言った。
アルと少女の声が重なった。
「12歳」とアル。
「13歳」と少女。
少女が余裕っぽく笑った。
「ほら、あたしの方が年上」
アルは話がそれてしまったことに気がついた。
どっちが年上かなどどうでもいい。
「食べ終わったら、案内してよ。その冒険斡旋屋にさ」
「いいけど、もう閉まってるよ。また酒場でカードかなんかしてるんじゃないかな」
「いいから」
きちんと荷物がある場所を確認しておかなくては眠れそうもない。
少女は頷いた。
そして言った。
「シュークリーム、おみやげに買ってもいい?」
夜道をアルと少女が歩いている。
裏通りの商店街といった様子で、馬車2台がどうにかすれ違えるという道幅。
両脇には小ぢんまりとした店が並んでいる。
酒場や料理屋以外は閉店しており、ショウウインドウに鎧戸がかけられている。
街灯は建物と建物の隙間に思い出したようにときどき設けられている。
大通りや繁華街に比べるとずいぶんと薄暗い。
少女は、はずむような軽い足取りで、スカートの裾をヒラヒラと揺らしながら歩いている。
アルはその後ろをいつもよりもやや早足で歩いている。
「そこはね、武具屋。あたしの剣もそこで作ってもらったんだよ」
少女が斜め前の建物を指さして言った。
「金物屋って書いてあるよ」
看板には『金物ノーラ』と書いてある。
「だから、武具はその隣。どっちもノーラの店だから、おんなじだよ」
それから少女はノーラの店の向かいを指さした。
「あっちは、八百屋さん。隣が肉屋さん。その隣が穀物屋さん」
アルは少女の説明を聞いていなかった。
武具屋の隣の恐らく工房だろう、大きな建物を見た。
レンガむき出しの壁(コンクリートを外側に塗って、さらにペンキを塗ることが多い)で、壁のところどころから飛び出している細い金属の煙突からは、白い蒸気が絶え間なく出ている。
ここに持って行ったら直してくれるだろうか、とアルは荷物に入れてあった母の形見の時計のことを思った。
結婚した際に父が母に贈った懐中時計である。
異世界パルミスでは懐中時計は高価である。安いものでも300ジット(300万円)はする。
おまけに壊れやすく、なおかつ直せる職人は数少ない。
高価だからというわけではく、母が大切にしていた物だから、アルはぜひ直したかった。
母が病床についてからはなんとか励まそうと、近隣を当たってみたが直せる職人はいなかった。
時計職人はいたが懐中時計は専門外らしい。
仕方なく、自分で直そうといろいろと勉強したが、とても難しかった。
男の子は大抵なにかを直そうと分解して、クズ鉄に変えてしまうものである。
アルの場合、地道でまじめな性格が良かった。ひとつひとつ細かく図に記して、破綻をまぬがれたのである。
「ほら、そこが『太陽の剣』」
少女が、ノーラの店の工房と狭い路地を1つ挟んで隣接する、細長い店を指して言った。
白っぽい壁はところどころ外塗りが剥げかけ、ひび割れ、中のレンガが顔を出している。
2階建てで、ノーラの店側の壁に2階へと登る石段が設けられている。
1階とは入り口が別になっているらしい。
1階の通りに面した壁には古びた木製のドアが1枚。
その隣に縦長の四角い窓が1つ。
窓には鎧戸も木蓋もかけられていない。そこから見える店内は暗かった。
「ほら、やっぱり」
少女が窓を見て言った。
「オルビーってやる気ない人なんだから」
「朝は何時から開くの?」
「オルビーが今夜どれだけお酒を飲んだかによるんじゃない」
「なにそれ。決まってないの?」
「だってオルビーだもん」
いったいどういう人間なんだ、とアルは不安になってきた。
ちゃんと荷物を返してもらえるのだろうか?
「それじゃあ、あたしはもういい?」
「う~ん、明日、ここに来る?」
「たぶんね。おやすみ」
少女は言うと、『太陽の剣』の脇の階段をトン、トンと2段とばしで上っていった。
2階に住んでいるらしい。
アルは店の壁に寄り掛かった。
今から宿を探すのはとても疲れそうだ。
さらに、街に不慣れなアルは『太陽の剣』に戻ってこれなくなってしまうかもしれない。
店を探してまた街をウロウロすることになりそうだ。
そんなことを考えていると一気に眠気が押し寄せてきた。
もう、ここで寝てしまおう、と思った。
5月も半ば過ぎて、だいぶ温かくなってきている。マントにくるまれば大丈夫だろう。
背中のクロスボウやら短弓やら矢筒やらを外し、腰の剣を外す。
短剣だけは身につけておく。レイモンドに教わった冒険者のたしなみである。
マントに包まって横になる。
石畳が固くて寝心地はまるで良くない。それでも、意識がまどろんできた。
本当に疲れているのだ。
「ねえ」
上から声がした。
アルは半分ほど目を開けて上を見た。
少女が窓から顔を出している。
「泊まるとこないの?」
「うん」
アルはぼんやりとしたまま答えた。
「ない」
「あたしのとこに泊まってもいいよ。いろいろ奢ってくれたお礼」
「ありがとう」
アルは間延びした声で言った。
ほとんど意識がなかった。
少女の首が引っ込んだ。
アルは目を閉じて、そのまま眠りの国へと飛び込んでいった。
アルが丸くなって寝息をたてていると、『太陽の剣』の2階から少女が下りてきた。
マントに包まっているアルの傍らにしゃがみこむと、指でつついた。
アルがくすぐったそうに動いた。
少女はちょっと楽しくなって、何度もつついた。
アルがムニムニと動き、どんどん丸くなる。
少女はアルの体をひょいっと持ち上げて肩にかついだ。
それから、転がっているクロスボウやら剣やらを拾おうとして手を伸ばした。
しかし、どうも1度では持っていききれないと気づき、全部置いていくことにした。
アルだけかついで階段を上る。
怪力の少女にとっては大した労ではなかった。
階段を上りきったところにあるドアを開け、中へ。
細長い部屋。
コンクリートむき出しの壁(通常壁紙を張ったり、タイルを張ったり、ペンキを塗ったりする)と天井と床。
玄関ドアの向かいに大きな窓がある。
窓は完全に開け放たれており、そこから隣の酒場の賑やかな声と明かりが入ってくる。
部屋を照らしているのはその明かりである。
通り側はキッチンになっており、調理台のところに窓がある。
先ほど少女が顔を出した窓で、開きっぱなしになっている。
玄関脇にはシャワーがある。
シャワーといっても異世界パルミスには大帝石があるため、給水ホースなど必要なく、水石と熱石が仕込まれたシャワーヘッドが壁のフックに引っかかっているだけ。
普通ならばカーテンやなにかで囲いがされているものだが、この部屋のシャワーにはそれがない。
非常に開放的なシャワーである。
通り側とは反対側にはベット。
古びた木製のものだが、作りはしっかりしている。
ただ、マットはあまりにもボロボロで、寝転がったら最後、体中にいろいろなものがついてしまうに違いない。
ベッドの頭上にはロープが1つ渡されており、そこに少女の衣類が吊り下がっている。
ベッドの足元には無造作に剣と鎧が置いてある。
部屋の中央、ちょうど入り口から入ってすぐのところに木製の丸いテーブルがある。
そこに椅子が2脚。テーブルには丸い手鏡が置いてある。
長くなったが少女の部屋はだいたいこんな様子である。
少女は肩にかついでいたアルをベッドに降ろした。
その衝撃でたくさんの埃が舞い上がる。
アルがその埃を吸って咳込んだ。
先ほどよりも静かな寝息をたて始める。
少女は大きなあくびをした。
手早く服を脱ぎ捨てて、下着姿になると、伏せるようにしてベッドの下を覗き込んだ。
そのままスルスルとベッドと床の隙間に入っていってしまう。
すぐに寝息が聞こえてきた。
隣の酒場から漏れる光がそのまましばらく部屋を照らし続けていた。