第1話 アルフレッド12歳旅立つ①
これは我々の住むこちらとは違うあちらの世界の物語。
魔物や魔法がありふれた異世界パルミスに住む1人の少年の物語。
12歳のアルフレッド少年が大都市クラングランにて、冒険者として成長していく物語。
物語の始まりは、アルフレッドが生まれ育ったヘストンの村を出ていく前日から。
山に囲まれた谷あいの小さな村ヘストン。村に続く山道で魔物と人間2人が戦っている。
魔物はフラオーク。
体長2・5メートル。
筋骨隆々の男の体に、豚の頭。全身に茶色の体毛が生えている。木を適当に削った棍棒を振り回している。
対する人間2人は老婆と少年。
いや、青い膝丈のスモッグと頭に青い布をかぶった老婆は、少し離れた岩の上に座って見ている。
戦っているのは少年だけだ。
針金のように固くてまっすぐな黒髪に、黒い瞳。
厚手のシャツに革ズボン、左肩から斜めに太いベルト(心臓と重なる位置には、黒い金属の板あり)を巻いている。
そのベルトを腰のベルトと連結。そのほか防具は、籠手、指無しグローブ、脚絆にブーツ。
両刃の剣を両手に握り、背にはクロスボウと矢筒を背負っている。
これがこの物語の主人公、アルフレッド(以後アル)。
踏み固められた土の道。
両脇から伸びた木の枝が屋根を作っており、木もれ日が地面にまだらの模様を描いている。
フラオークが棍棒を大きく振りかぶった。アルの脳天めがけて振り下ろす。
アルは横に跳んでそれをかわした。
空振りした棍棒が地面に丸い跡をつくる。
アルはフラオークの腕を斬った。
魔物の青い体液が飛び散る。だが筋肉におおわれた太い腕を切断するまでにはいたらない。
剣を引こうとしたアルはてまどった。
オークが腕に力を入れているせいか、筋肉が固まって剣が抜けない。
フラオークの手が伸びる。
アルは剣を離して後ろにかわした。
すかさず棍棒がきた。
寸前でかわす。
軽くかすめただけなのに肩がジンジンと傷んだ。
棍棒は休みなく振り回される。
巻き起こされる風がアルの髪を後ろに流し、服にさざなみを起こす。
刺さっていた剣は抜け、地面に転がっている。
やっと攻撃が途切れた。
アルは腰の短剣を抜きざま、豚面に投げた。
フラオークが腕に顔をつけて防ぐ間に、アルは走った。
剣を拾い、背後に回って、背中を横一文字に斬った。
そのまま止まらずに距離をおく。
フラオークが振り返った。
魔物特有の真っ赤に光る目でアルを睨む。
ブオン、と力強く鳴いた。
空気が揺れる。木々の葉も揺れる。
フラオークが棍棒をブルンブルンと頭上で振り回した。
アルは剣を右手一本で持つと、剣先を地面にたらした。
腰を落とし、フラオークの赤い目を睨み返す。
岩に座っていた老婆があくびをした。
アルは動いた。まっすぐに突進する。
棍棒が斜めに降ってきた。
アルは大きく高く跳んで、それを飛び越えた。
宙で剣を下向きに持ちかえる。
ちょうど低く下がったフラオークの右肩裏、毛むくじゃらでよくわからないが、肩甲骨のあたりに落下の勢いにまかせて突き刺した。
剣は深く刺さった。鍔までぶつかりそうなほど深く。
剣先はフラオークの胸から青い体液とともに飛び出した。
フラオークが暴れた。
アルは投げ出され、肩から地面に打ちつけられた。受け身も間に合わない。
フラオークは突き刺さった剣に左手を伸ばすが、体が大きく揺れて、そのまま倒れた。
それでも、手で体を支えて起きあがろうとする。
豚の頭が空を見上げ、大きく口を開く。
フラオークの咆哮が響くことはなかった。
いつのまにか傍らに立っていた老婆が、手にしていた柄の長い金属製のハンマーで豚面を破壊したからである。
この一撃で、フラオークは絶命した。
「仲間を呼ばれると面倒ですから」
老婆、教導師エピカが言った。
ニコニコとした人の良さそうな笑みを浮かべている。
しわだらけで痩せているが血色は良く、丸い眼鏡を鼻にひっかけている。腰が曲がっており、ハンマーの柄を杖のようについて、体を支えている。
今しがた、ハンマーを振りおろし、魔物を粉砕した人物にはとても見えない。
「どうにか、及第点といったところですか」
「厳しいなあ」
アルは深く息を吐いた。激しく打ちつけた肩が痛む。
エピカはアルの前に立つと、ハンマーの柄でアルの腕を叩いた。
支えをなくしても体がふらつくような気配がまるでない。ハンマーを杖代わりにしているのは見かけだけなのである。
「陽光のもとですからね」
魔物は太陽光を苦手としている。
木々の枝に遮られているとはいえ、木もれ日は地面に降りそそいでいる。その影響で先ほどアルが倒したフラオークは本来の力を出せていなかった。
「力がねえ、ないのよ。あまりにも、非力なのですよ」
それはその通りなので、アルはなにも言い返せなかった。
12歳という年齢にしては相当に体を鍛え、力もあるのだが、魔物と渡り合うにはまだまだ足りない。
体格の問題がある以上、努力ではどうにもならない部分である。
「せめて、あと2年、待てませんか?」
アルがなにも答えずにいると、エピカは大きなため息をついた。
「老いとは切ないものですね。体は痛いし、力は出ないし、忠告は聞いてもらえないし、若者は死に急ぐし、アル坊はクラングランに行ってしまうし。ああ、やんなってしまいますね」
アルは非常に後ろめたくなった。
「どうせ、田舎のことなんか忘れて、都会でおもしろおかしく暮らすのでしょうね。田舎のババアのことなど片時も思い出さないのでしょう。若い女のことばかり考えているのでしょうね」
だんだん、メソメソとしてきた。
「そんなことないってば。手紙、書くよ」
「みんな口だけはそういうのですよ。確かに最初の頃は1週間とおかずに出してくれる子もいましたよ。それがひと月になり、半年になり、やがて来なくなる」
エピカは袖で目元をぬぐいながら、涙声で言った。
「俺はちゃんと出すよ。本当だよ」
「そうですね。アル坊は優しい子ですから。よく気がつくし、マメだし、なにより小心者ですからね」
小心者だと言われて、アルはちょっと傷ついた。
確かに自分でも気が大きい方だとは思わないが。
「週に1度は便りをくれるんでしょうか。期待しても良いのでしょうか」
「うん、期待してもいいよ。毎週、月曜日に出すようにするよ」
エピカには子供の頃から本当に世話になっているので、それくらいは当然だとアルは思った。
今年の冬に母親を亡くしてから天涯孤独となったアルには、最後の肉親のようなものである。
「ときどき、手紙以外の物も送ってくれたりもするのでしょうかね」
「もちろんだよ。そうだ、新しい眼鏡を買って送るよ。ひびが入っていて見づらいっていってたろ」
エピカが、ああ、と袖に顔をつけてむせび泣いた。
「ああ、なんて優しい子。寂しく悲しく弱々しい老婆をいたわって。主よ、どうかアル坊が都会で食い物にされませんようにお見守りください」
首からさげている銀の円盤を両手で包み、祈りを捧げる。
それから言った。
「それで、ほかには?」
「えっと、美味しいものがあったら送るよ」
エピカが、また顔を袖につけて泣いた。
「ああ、なんて気の利く子。旬の物をきちんとチェックして送ってくれるだなんて。クラングランは大都会だから、国中の美味しいものが集まるのでしょうねえ。新鮮なまま食べれないのが悲しいですけれど」
「大丈夫だよ。ちゃんと冷凍便で送るから」
アルはドンと胸の金属板を叩いた。
確か都会にはそういったものがあると聞いたことがある。
大帝石の冷石を荷台の保冷庫にふんだんに詰め込んだ宅配便。ただ値段がちょっと不安ではある。
エピカが両手で顔を覆い、地に膝をついて泣いた。
「おお、なんという、良い子でしょう。優しくて、気が利いて、賢くて、面倒見がよくて」
アルは照れくさくなって頭をかいた。
「そんな、俺はただ、当然のことを言っただけで」
「おまけに、お人好しで、乗せられやすくて、馬鹿正直で」
アルは、おや、と思った。なにか、褒められていない気がする。
「こんな子が大都会に行ったらどんな目にあうことか。騙されて、騙されて、騙されて、きっと半年と経たずにボロ雑巾のようになっているに違いありません」
エピカがガバリと立ち上がった。
顔を真っ赤にして眉を吊り上げ、怒気をみなぎらせている。
「許しません。そんなことはこのエピカが断じて許しませんよ。こうなったら、私もついていきます。老骨に鞭打ってアル坊を大都会の脅威から守りましょう」
その後、興奮したエピカをなだめ、安心させるために、約1時間の説得が必要となった。手紙も週一から週二になった。
アルとエピカがそんなこんなをしているうちに、フラオークの死骸が溶けて消えてしまった。
残っているのは、直径1センチの青い半透明の球体である。マナ玉という名で、大帝石(光石、火石、水石、熱石、冷石)はこれを元に作られる。
また魔法使いはマナ玉を食べることにより、魔法を使うことができるのである。
アルはマナ玉をせっせと拾った。売れば1個300キューム(300円)になるのだ。
エピカは道のはしに青い砂をまいている。魔物除けの結界(破魔結界)を張るための聖砂である。
異世界パルミスにはそこらかしこに魔物がいるため、結界を張らなくては人々が安心して暮らすことができない。
結界は年月をへて弱くなり、ついには切れてしまうので、定期的に教導師が張り直すのだ。