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悪魔を呼び出した話

作者: ああああ





 学食でだらっと昼飯を食っていたら寺石に遭遇した。



「おう。相変わらずまずそーなもん食ってんな。なにそれ、ドリアン?」


「全然ちげーよ。カルボナーラだよ。お前ドリアンがなんなのか知ってんの?」


「パスタの一種だろ?」


「ええっと、、、うんそうそう。パスタの一種なんだ。」

 めんどくさかったのでテキトーに答えた。

「アマゾンの奥地で取れるこの世のものとは思えない虫を石臼いしうすくだいてペースト状にしたものをアサリやハマグリなどの海産物と煮込むとこの世のものとは思えないほど芳醇ほうじゅんな香りがする。」


「ほうほう。」

 寺石はうなずきながら手に持ったおぼんを俺の対面のテーブルに下ろすと耳障りな音を立てて椅子を引いて座った。俺はドリアンというパスタの説明を続ける。


「それを冷えたパスタにかけて1時間放置。すると虹色だったソースがどす黒い紫色に変色する。そして虫が寄ってきた頃にはしをつけるともうそれはもうこの世のものとは思えないくらい


「この世のものとは思えないって表現使いすぎ。ていうかお前が食ってんの黄色いやつじゃん。どこがどす黒い紫色なんだよ?


「だからこれはカルボナーラなんだよ。それにうまい。これをまずいとか言うやつはオレと学食のおばちゃんに謝れ。」


「、、、お前、気をつけた方がいいぞ。この前おれの知り合いでもなんでもないやつが学食のおばちゃんに『学食のおばちゃん!』て声をかけたらカウンターから瞬時にそいつの背後に回って後頭部を殴られてたぞ。『誰がおばちゃんだって?』とか言いながら、1秒間に9発。次の瞬間にはそいつ床にめり込んでた。足から。」

 思わず怖気おぞけがする。


「やべえな。気をつけないと。」


「そうしたほうがいい。」


「だって誰が見てもおばちゃんだもんな。他の形容詞が思いつかない。」


「うっかり言ってしまいそうだもんな。」

 と、そのときにこやかに「学食のおばちゃん!」と呼びかける声が前の方から聞こえた。思わず口に近ずけていたフォークを止めて前を見ると後ろの方からガラスが勢いよく割れる音が聞こえた。一瞬遅れて前から後ろに向けて豪風が起こり俺の髪が後ろになびく。後ろを見ると顔面蒼白になった知らないやつがガラスを突き破ってうめいていて、そのさらに後ろに学食のおばちゃんが、「誰がおばちゃんだって?」というのが聞こえた。

 思わず、ブルル、と震えると俺は手を止めていたパスタを口に運ぶ。寺石はやや間を置いてから、

「な?」

と言った。そして、

「すごいよな、今の見たか?」

ときくので、


「見えなかった。気がつくと後ろでガラスを突き破って吹っ飛ばされてるやつがいた。」

と答えた。寺石は首を振りながら、


「いやあ、怖いねえ、、、。」

と言い、それに対して俺は、


「俺は何も見ていない。今ここでは何も起こらなかった。ましてや学食におばちゃんなんてものは存在しない。」

と言いながら顔をうつむけながらパスタを食う。


「くわばらくわばら。」

と寺石。




「そういえばお前のドリアンだけどさ、」


「ドリアンじゃなくてカルボナーラだっつの。」


「どこで食えんの?」


「はあ?学食で頼めば出てくるだろ。じゃなきゃどうやって俺はこれを食ってるんだ。」


「ん、いやそっちじゃなくてカルボナーラの方。」


「これがカルボナーラなんだけど。」


「あ、そうっか。えっと、ドリアンの方。どこで食えんの?この世のものとは思えない、


「あれウソだからね。真に受けないで。」


「え、まじかよ。食ってみたかったな、この世のものとは思えない芳醇ほうじゅんなパスタ。」


「俺のあの描写でよく食いたいと思えたな。絶対まずいだろ。」


「いやわかんないよ?だってアマゾンの奥地だろ?」


「そもそもアンタ、ドリアンって知らないわけ?スーパーで売ってる果物だよ。」


寺石は一瞬首をひねり、やがて合点がいったように、

「あ、もしかしてあれ?このぐらいの大きさで、」

と両手でソフトボールの大きさより少し小さい空間を作り、


「ビリジアン色の皮が微妙にやらかいやつ!」

と、ようやく何かに思い至ったかのように言った。

 ビリジアン色とは深緑色に近い色のことだ。ドリアンはそんな色じゃない。俺は口に含んでいたパスタを噛み締めてから飲み込んで、


「多分だけど、それはアボカドだと思う。、、、まじでドリアン知らないの?」


 すると寺石は一瞬、真顔になって、

「そういえばさ、」


「うん。」


「ちょっと面白いことがあったんだ。聞きたい?」

と、さらっとドリアンの話をなかったことにした。俺としてはそれでかまわないので寺石の面白いことの続きに関して、


「聞き流したい。」

うながした。すると寺石は、


「えっとさ、まえ家でさ、」

 と勢い込んで話し始めるふうの口調で話しながらばしをばきっと割り、お盆に乗ったうどんを勢いよくすすり出した。

 うつむきながらパスタを食っていた俺は顔を上げ胡乱うろんげな気分で寺石を見た。


「、、、面白い話は?」


「いや、話したいんだけど冷めちゃうしさ。」


 ふむ。

「まあいいけど。」


「ただでさえ冷めかけてるし。」


「さっきの騒動そうどうもあったしね。」


「だってまさか話した直後に学食のおばちゃ

「寺石。」

 俺は強めに呼びかけてその言葉を最後まで言わせない。

 そして真剣な目で寺石をにらみ、無言で首を振った。すると寺石は俺のにらみを真っ向から返しながら深くうなづき、目線を外すとうどんに七味をかけ、すすり始めた。

 そしてしばらくは無言で一方はパスタを食い、一方はうどんをすするという奇妙でもない普通の時間が流れた。背後では他の学食の客やら破砕したガラスをほうきき集める音などが聞こえた。

 寺石の方が先に食い終わる。

「でさ、」


「うん。」

 俺は食い終わってないのでフォークでパスタを巻きながら相槌あいづち


「オレって最近、黒魔術にハマってんじゃん。」


「知らないけどね。」


「ハマってるんだ。で、ちょっとまえに図書館で借りた本を参考に悪魔を呼び出してみたわけ。召喚の儀式ってやつ。」


「よくそんな本、この学校の図書館にあったね。」


「ないよ。ちょっと海外の図書館で面白そうなのがあったから取り寄せた。海外の大学でミスカトニ


「いや海外の図書館はいいから召喚はどうなったの?」

 ようやくパスタを食い終わったのでパスタとフォークをお盆に乗せながら言った。


「、、やってみたんだけど何も起こんなかった。」

 まあそうだろう。

「でも夜、寝てたらすごい嵐みたいな音がものすごい近くで聞こえてさ、うっすらと目を開けたわけよ。そしたらなんか獣っぽい半裸のおっさんが羊だか牛だかのかぶり物をして浮いててさ、微妙に目が光ってんの。」


「目が光る?」

 俺は食器を片付けようと寺石の分のお盆と自分のお盆を重ねながら、

「猫なの?」


「牛だっつの。聞いてろよ。」


「羊じゃなくて?」


「聞いてんじゃねえか。えっと、牛だった。で目が光ってんの。」


「へー、すごいね、もしかしてそれって、


「ああ、多分悪魔なんだ。昼間に召喚したやつ。」


「昼間に出たの?」


「いや、深夜。12時間くらいラグがあんの。」


「ふーん、なんでだろうね。昼間は眠かったのかな?」


「さあ?、、で、それを見てオレは『おお、悪魔だ!』て思ったのね。」


「ふんふん。」


「でもそいつさ、しゃべんなくてさ。」


「無言だったの?」


「いやしゃべったんだけどさ。」


「しゃべったんじゃん。」


「英語だったんだ。」


「おお西洋の悪魔だ。なんて言ってたの?」


「わからん。」


「はあ?」


「英語は読めるけど聞き取りとか無理。」


「アンタ英語しゃべれなかったっけ?」


「それ他の人と勘違いしてると思う。」


「そっか。じゃあその悪魔はどうしたの?」


「なんか一方的にしゃべってきたんだけど何言ってんのかさっぱりわかんなかったのね。」


「うん。」

 まあ英語だからな。


「で、こっちが首をかしげてたらなんか怒りだしてさ。」


「まあ怒るだろうな。呼び出しといて首傾げてるだけとか。」


「こっちを指差してなんか叫んだと思ったら背中の翼をばっさー広げてさ。」


「背中に翼なんかあったんだ。」


「あったんだよ。言っただろ。」


「聞いてない。」


「あったんだ。でその翼が俺の部屋の本棚に、ぼっこーん、てぶつかってさ、」


「アンタの部屋広くないもんな。」


「本棚から本が次々とこぼれ落ちたのね。」


「まあぶつかったらそうなるよね。」


「で、イラっとしてさ。布団ふとんをはねのけて立ち上がったんだ。」


「アンタそれまで寝てたのか。」


「そりゃそうだ。」


「寝ながら聞き流したら悪魔じゃなくたって怒るだろう。」


「知らねえよ。で、交戦状態に入ってさ、とりあえず倒したのね。」


「まじかよ。」


「ああ。そしたら煙みたいにボフッと消えて跡形あとかたもなくなってさ、後にはお札が数枚散らばってた。」


「お、いいじゃん。いくらだった?」


「、、、、2000マッカ。」


「あー、、、。円だったらよかったのにね。換金できないからね、あれ。」


「ほんとそうだよ。しかも換金できたとしても微妙に安いっていうね。」


「経験値は入ったんでしょ?」


「経験値って何?」


「いや、なんだろう、、、?」


 間。


「えっと、、、あ、でもドロップアイテムがあってさ、」


「お、なになに?」


「これなんだけどさ。」




 寺石はいつの間にか自分の横の椅子に置いていたリュックのジッッパーを引いた。しばらく中身を覗き込みながら漁っているとゆっくりと顔を上げ、いきなり、

「すまん。」

と謝った。


「はあ?なにが?」


「いや、持ってきてたと思ったんだが持ってきてなかったらしい。無いっぽい。」


「あ、そうなんだ。うわー残念。」

 と棒読みで答えると、「あ、みっけた。」と一冊のノートをテーブルに置いた。あったんじゃん、と思いながら表紙をながめると「サンスク」と寺石の汚い字で書いてある。ノートの表紙には罫線けいせんが引いてあるがもちろん無視されている。


「、、、これお前のノートだよね。なに?悪魔が落とし物とどけてくれたの?」


「いや違う。これはサンスクリット語のノート。」


「そんなもんってんの?」

 季節的に講義が始まってから3ヶ月くらい経ってるのにノートはめっちゃ綺麗だ。使われた形跡が表紙以外に無い。

「もしかして全部サボってねえ?」


「全部はサボってない。、、いやそれはいいから、ドロップアイテムはこれじゃなくて、こっち。」

 とノートを半分あたりのページで開くと別のノートが挟まっていた。多分その別のノートを無理やり鞄に突っ込んだせいだと思うが、その開いたページは上から下に向けてズタズタになっていた。俺もたまにやるのでなにも言わない。

 いやそれよりも、挟まっていたノートの表紙は黒く、白い文字のカタカナで、ディスノート、と書いてある。


「なにそれ。ディスるの?」


「多分そうだと思う。」


「ほんとかよ。」


「中に書いてあるんだよ、説明が。まあ見てみなよ。」

 寺石に勧められてノートを開くと英語で文章がびっしり書かれていた。あんまり読みたくない。だから寺石に内容を聞こうと思い問おうとすると、

「なんて書いてあった?」

と、逆に寺石からかれた。


「こっちがきたいんだけど。ていうか読んだんじゃないの?」


「いや。」


「なんで?」


「そんな長い英文とか読みたくないし。」


「え、でも『中に説明が書いてある』て言ったよね?」


「読まなくてもわかるじゃん。」


「どうやって?」


「そういう思わせぶりな見た目なんだから1ページ目に書いてあるのが説明じゃないわけないだろ。」


一考。


「それもそうか。」

でも、

「じゃあどうやって使うかわかんなくない?あと効能も。」


「正確にはわかんないけどこの手のノートて使い方だいたい同じじゃん。」


「同じじゃんとか言われても知らんけど。ていうかこの手のノート自体見るの初めてなんだけど。」


「そうなの?結構見るよ。デスノート、キスノート、ミスノート、ミセスノート、ギスノート、ゴスノート、あと、、、


「あ、オーケーオーケー。アンタがこういうのをたくさん見てきたのはわかった。」

 内容も想像できる。でも一つだけわからないものがある。

「、、、ギスノートって何?」


「いやそのまんまなんだけど。」


「ギスるの?」


「そうそう。」


「ギスるって何?」


「えっと、、あれだよ。するんだ。」


「ギスる?」

 ギスる、というのはつまりギスるということ、と寺石は言っている。見事な同語反復トートロジーだがもちろんわからない。こういう場合は深く突っ込んだところで時間の浪費以外にはならないので、

「まあいいや。それでさ、」

と話を戻す。

「どうやって使うの?」


「単に名前を書くだけ。名前を書かれた相手はノートのタイトルの状態になる。デスノートに名前を書かれるとデスるしゴスノートに名前を書かれるとゴスる。」


 ゴスるってなんだろうと思ったが気にしない。

「ということはディスノートの場合は、」


「ディスるんだと思う。」


「なるほど、理解したわ。」


「そりゃよかった。」


 つまりディスノートに書かれたやつはディスることになる。

「、、、いやどういうこと?ディスられるんだよね。」


「だろうね。」


「誰に?」


 すると寺石は神妙な表情になって、ゆっくりと首をかしげ出した。

「さあ、、、。わからん、、、。とりあえず使ってみようぜ。」


「そうだな。」


「でも使い方ってノートによってまちまちなんだよな。」


「というと?」


「ノートに書く名前は本名じゃなきゃいけないとかアダ名でも大丈夫とかついじゃなきゃダメとか。」


「それに違背いはいするとどうなんの?」


「その相手にノートが効かなくなる。でもこれも3回まで間違えていいとか1回で即アウトとかいろいろあるんだけど、それを知るにはこの英文を読まなきゃわかんない。」


「よし、細かいルールはあきらめよう。でもいいんじゃない?ディスノートだし。」

 これからルールをテキトーに想像して名前を書くのだがそのルールが間違っていた場合は名前を書いた相手にノートがかなくなる可能性がある。

 しかしかなくなったとしても特に問題ない。なんならいたとしてもあまり意味はないと言ってもいい。つまり、どう転んでも見事なほどにノーメリットだ。


「まあそうか。じゃあ、、、ちょっといい?」

 寺石の方にノートを寄せると寺石は自分のリュックをあさり始めた。そして顔を上げてこっちを向くと、

「ペン貸して?」

とか言い出した。


「ないのかよ。授業とかどうしてんの?ノートとれないじゃん。」


「いやあるんだけどちょっと見つかんなくてさ。」


「まあいいけどね。」

仕方ないのでペンを出そうとして自分の鞄を持ち上げたところで、


「いや、あった。ペンいいや。大丈夫。」

とか言って自分のペンをリュックから取り出した。


「あんのかよ。いいけどさ。で、誰の名前を書くわけ?」


「まあ見てなよ。」

と寺石はノートの白紙部分に、



学食のおばちゃん



と、戦慄せんりつすべき文字を記した。


「!寺石、、、お前!!!」


「ふふ、ふふふふふ、、、。」

 寺石は額に汗を浮かべながら不敵な笑顔を浮かべる。


 今は夏前なので外は暑いがここは空調が効いているので暑くはない。しかし微妙に効きが悪く、結果として生ぬるい空気になっていて涼しいと言うには程遠い。が、汗をかくほどでもない。それにもかかわらず寺石は顔に汗を浮かべている。この時点で俺は何が起こるか全く想像できていなかったが、今にして思えば寺石はつぎに何が起こるかを予感していたのだと思う。だからこそ額に汗がつぶとして浮いたのだろう。


 そこへ、生ぬるい空気の中に一筋の冷気のようなものが俺の肌に触れた。それはエアコンの効いた夏場のコンビニのように心地よいものではなく、ぞくり、という、触覚とは別の感覚でうそ寒さが、涼しさではなく、うそ寒さが一瞬にして身体中に伝染して、そして、





「誰がおばちゃんだって?」





 という言葉が上から聞こえた。


 反射的にその声の聞こえた方向を向いても良さそうなのだが、どういうことか俺の顔は硬直したように動かない。その理由に関しては分析を待つ必要は全く無い。そんなもの、恐怖以外の何物でもないだろう。


 寺石は寺石で硬直したように動かない。先ほどの不敵な表情に変化は見られない。変化は他のところにあった。ほおにわずかに認められた程度だった汗は、今ではあごからしたたるほどになっていた。そしてその左脇、寺石の座っているすぐ横にはさっきまでは見えなかった人影がいつの間にか立っていた。恐怖でそちらへ顔を向けることができないのでその人影の正体を確認することはできない。

 しかしその人影は割烹着かっぽうぎを身につけており、その体格は見覚えのあるものであり、ていうかいろいろ推測を連ねていくのは面倒なので一言で言ってしまうとその人影は学食のおばちゃん以外ではあり得なかった。


 しかし妙なことが一つある。学食のおばちゃんはこちらに近寄ってくる気配を一切感じさせる以前にいきなりそこで存在を始めたのだ。近づいてきたことを俺が気づかなかっただけかもしれないのだがそういう印象を受けた。普通なら近くに人が寄ってきたり通り過ぎたりした場合は軽い空気の動きが感じられるが、その時は全く空気の動いた気配はなかった。いやそれどころか、先ほどまで頬を軽くでていたエアコンの風も感じられなかった。


 しかしそれは一瞬のことで、すぐに空気は動くことを思い出したかのようにあたりの空気を乱した。それは単純に強い風が吹くという程度ではなく一種の風圧として俺と寺石をおそった。思わず両手で顔をかばう。テーブルに乗っていた食器は吹き飛ばされてあたりに散らばった。寺石は動かずにいてまともに風圧を浴びた。数秒前に聞こえた 「誰がおばちゃんだって?」 という言葉が発せられた一瞬だけ時が止まったかのようだった。それは確かに一瞬のことで、後で時計を確認した時もさして長く経過していたわけではなかった。しかしその一瞬は、その現象に間近で触れた者にとっては1分以上の密度を確実に持っていた。


 その止まっていた1分という時間が一瞬へと凝縮ぎょうしゅくされてその間に動くはずだった空気が一度に動いた、それがその時感じた風圧の正体だ、そう考えると一見正しそうだが実のところ1分程度の空気を圧縮しただけと言うにはその時の風圧はあまりに強すぎた。が、学食のおばちゃんが一瞬でそこに移動した時に発生した空気がともに風圧となった、と言うのなら納得がいく。しかしその一方で、それを納得するということはつまり学食のおばちゃんが恐るべき速度でそこに移動してきたということを意味するのであり、つまり、


「寺石!!」


 次の瞬間には学食のおばちゃんの一撃を喰らうであろう友人を案じて叫び、意識の焦点を寺石に戻した。その刹那せつな、奇妙なことにすべての現象がスローモーションで見えた。極度の危機を迎えつつある人はその瞬間を実時間の何倍もの速度で感じるらしいが、それを見ていたのかもしれない。寺石の代わりに俺が。なんで?まあともかくスローモーションで見えたのだ。そのスローな時間の中で、学食のおばちゃんのこぶしが腰から寺石に向かいながら風圧とともに帯電たいでんし、え、帯電?帯電てどういうこと?あまりにも強力すぎる一撃は帯電とかするわけ?いやそれはともかくその拳が、いつの間にか立ち上がっていた寺石の鳩尾みぞおちに向かって放たれるのが見えた。


 だがそこでさらに驚くべきことが起きた。寺石は、なんとその一撃をバックスウェイでけた。それで、

「言ってない!言ってない!!」

 とか弁明べんめいを試みていたが、まあ無理だった。学食のおばちゃんの初撃を回避できたのはむしろ寺石にとって不幸だったのだと思う。なぜならバックスウェイで後ろに飛びすさった寺石に対し、学食のおばちゃんは全く同じタイミングで寺石との距離を詰めて、


「ごちゃごちゃうるさいよ!」


 と、初撃とは逆の手で寺石のあごを下から上へ垂直に鮮やかなアッパーカットを決めていた。距離を詰める移動によるエネルギーが加算される分、二撃めよりも初撃の方がまだダメージが少なかったに違いない。そのクリーンヒットを受けた寺石は、「ごがべっっ!!」というよくわからない声をあげて天井に顔からめり込み、ぶらりとれた。それと同時に、黒い何かが空中で軽く爆散して消えるのが見えた。その黒い何かについて、その時はなんなのかわからなかったが後から思い返してみると多分ディスノートだったのだと思う。

 しばらくの間、天井にめり込んだ寺石が揺れるのと合わせてきいきいと天井がきしむ音が聞こえたと思ったらめり込んだ天井が崩れる音とともに寺石が落下し、横向きに床に激突すると一度バウンドしてゴロゴロと転がった。



 あたりはこの一幕の間は静まり返っていたが、さっきも同じようなことがあったので周りの人々は特に気に留めずに食事と談笑に戻った。学食のおばちゃんはいつの間にか姿を消していてあたりには見えなかった。しかし軽く首をめぐらすとすぐに見つかった。学食のおば、、、あの恐ろしい存在は何事もなかったように調理場に戻っていた。その様子に軽く恐怖をおぼえたが、それについて深く考えることは脳が拒否した。

 それで寺石のそばに行って、

「大丈夫?」」

と問う。寺石は血まみれの状態で、


「そう見えるのか?」

と返答した。


「いや大丈夫そうには見えないけど会話できるんなら大丈夫そうだな。」


 そういえば、と思いあたりを見回すがノートは見当たらない。

「なんかさっきの一撃でノートも消えたみたいだよ。」


「ああ、悪魔の所有物に特有のあれね。所有者が死ぬとなぜかアイテムも消滅するってやつ。」


「アンタ生きてるだろ。」


「そうだけどあの一撃にはそうと誤認させるだけのものがあった。」


 一瞬、先程の光景を思い出そうとしてやめた。

「確かに。」

 逆になんで寺石が生きてるのかが不思議だ。


「まあ使い道なさそうだしいいや。にしても、、、くそっ、悪魔め。」


「この場合は悪魔は悪くないと思うよ。」

 寺石の惨状さんじょうはどう考えても学食のおばちゃんの仕事だろう。


「知ってる。でも何かに責任転嫁せきにんてんかしたい。あの悪魔は倒したからもう存在しないし、責任転嫁先として最適。」

 悪魔が不憫ふびんすぎる、、、。


 そこで時計を見ると午後の授業が始まる時間になっていた。

「あ、そろそろ時間かも。俺は授業行くけどアンタはどうすんの?」


「4限がある。」


「まだ時間あるな。出るの?」


「一応。」


「まじかよ。」


「だからそれまでは図書館で寝て、4限がはじまったら教室で寝る。」


「帰って寝ろよ。」




(了)







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