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タッツミー  作者: ゆらゆらゆらり
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まだひとつ問題が残っています

 奈津子は最後に控え室へと入っていった。

 視線の先で、伝次郎が椅子に腰をおろし、大きく息を吐きだして天上を見上げている。ヤマさんと淳史は肩を貸していたふらふらの亮を椅子へと導いている。

 そんな姿を見つめながら、ゆっくりドアを閉めた。


 カチャリッという音に視線が集まってくる。

 自分でも分かるくらい顔の筋肉が緩んでくる。溢れる思いが弾ける。

「やった!」

 飛び上がって、亮へと駆け寄った。


 亮、淳史と小気味いい音を鳴らしながら手を合わせた。勢いそのままに、ヤマさんともハイタッチ。

 長机を挟んで向かいの椅子に腰を下ろした伝次郎に、親指を立てて見せると、ほっとしたような笑みが返ってくる。


 やった。本当に亮がチャンピオンになったんだ。


 亮の腰にはしっかりとチャンピオンベルトが巻かれている。

 そのことを無言のまま、それぞれが噛み締めている。


 そこにノック音が割り込んできた。返事を待つことなく、すぐにドアが開く。「失礼します」と声が聞こえてくる。


 奈津子は、現れた姿に息を飲んだ。

 室内の空気が一気に変わり、緊張が走っている。

 メガネのあの人がそこに立っている。


 奈津子たちの視線を受け流すように視線を落とした彼は、ドアを押さえながら、道を開けるように身を寄せた。

 その開け放たれたドアから、ひとりの紳士が室内へと入ってきた。彼は会釈をすると、固い表情で奈津子たちを見回してきた。その目は鋭く、人を委縮させるような力強さがある。


 紳士は低い声で自分の名と、メガネの男性が勤める会社の社長であると述べた。それは丁寧で抑えた声であるのに迫力がある、そんな話し方だった。


 なぜ、わざわざここへと足を運んだのか。


 奈津子の胸の中が不安で覆われていく。思い当たることがあるから――ジムのこと……。


 紳士の視線が真っ直ぐと向かう先。腫れあがった顔で椅子に腰かけ、見つめ返す亮。

 聞こえてきた声に、奈津子の視線が紳士へと向かう。

「いい試合でした。おめでとう」

 固い表情のままそう告げている。亮から言葉は聞こえてこない。無言のまま見返している。


 紳士の視線は伝次郎へと移っている。視線がぶつかり合っている。

「借金返済の契約に関してですが」

 紳士の口が動いた。

 室内の空気はより重くなり、奈津子は息苦しさに襲われていた。


「変更を提案します。変更内容は返済日の延長です。よろしいですか?」


 延長?


 思わず胸の中で問い返す。


 戸惑っているのは奈津子だけじゃない。誰もがそんな表情だ。

 特に問われた伝次郎は眉間にしわが寄り、困惑して何も答えられないといった感じだ。


 奈津子は戸惑いつつも、口を開く。「返済日の延長というのはどういうことでしょうか?」

 紳士の顔が奈津子へと向ってくる。力強い目に体も心も引けてしまう。


「返済の開始は永井選手が世界チャンピオンになった時からとします」

 淡々とビジネス口調で紳士は言った。


 奈津子の頭の中を紳士の言葉がゆっくりと回っている。

 ぼそりと言葉がもれる。

「ちょっと、よく分からないのですが……」


 世界チャンピオンなんて言葉がでてきて、一段と混乱している。今日、亮が獲得したのはあくまでも日本チャンピオンだ。それより何より、借金返済の話と結びついてこない。


「要するに返済開始は世界チャンピオンになってからということです。それまでは利子や返済に関するものは停止します。ですから世界チャンピオンにならなければ返済日も訪れませんし、我々から請求することもありません。もちろん担保であるジムはそのまま、今までどおりで構いません」


 今の言葉を理解しようと脳がフル回転している。

 振り返った奈津子の目に映る顔、顔、顔。

 その表情がゆっくりと緩んでいく。


「よっしゃ!」

 淳史が吠えて、身をかがめて亮に抱きついている。ヤマさんも覆いかぶさるように抱きついている。

 奈津子は両拳を握った。視線の先で伝次郎が立ち上がっている。そして、頭を下げている。

 淳史やヤマさん、亮も立ち上がって続いている。

 奈津子も紳士に向かって頭を下げた。


 紳士は軽いうなずきで応えると、向きを変えた。ドアから出ていこうとする彼に、奈津子は思わず声をかけていた。

「でも、どうしてですか?」


 紳士は足を止め、半身の体勢で、

「私はボクシングが大好きで、見る目にも自信があります。そして、私は自分のことを有能なビジネスマンだとも思っています。だから、無駄な投資はしません」

 そう言って、奈津子へと顔を向けると、初めて優しく微笑んだ。


 その顔がさらに亮へと向かった。

 それは期待をかける息子を見守る親のようにも見えるし、楽しみなもの待つ子供のように輝いても見えていた。



 そして、奈津子の「ありがとうございます」に片手を上げ、彼は去っていった。


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