ヒーローはくまさんです
会場は拍手が鳴り響いている。しかし、その拍手はだんだんと小さくなり、ざわめき〟が広がり始めていた。
亮たちは頭をかぶった状態で舞台袖から会場を覗き見ていた。
奈津子に紹介されて登場したライダーがステージ中央に立っている。ダラッと片足を前に投げ出すように、休めの姿勢を取っている。しかも、顔は会場ではなく、下に向かっている。
「みんな! ウルトラライダーだよー」
マイクを持って横に立つ奈津子が何とか盛り上げようと、会場に向かって手を振った。
奈津子の楽しげな声に、あちらこちらから、子供たちの手が振り返され「ライダー、ライダー」と声が飛んだ。しかし、男は何もせずに下を向き続けている。
奈津子がマイクから顔をずらし、後ろを向いて小声で何かを言った。きっと手を振るように促しているのだろう。男の肘の辺りを押している。
男は奈津子の手を振り払った。その勢いのついた手が奈津子の胸から肩の辺りを打った。
奈津子がよろけるように2、3歩後ずさる。
「あいつ! やりやがった」
飛びだそうとする淳史を、亮は腕をとって抑えた。噛みしめるように「淳史」と声をかけ、首を横に振った。
「でも亮! あいつ奈津子のこと」
淳史の怒りに満ちた低い声がし、視線の先にいる奈津子は衣裳の上から胸の中央あたりを握りしめている。
困った時、悲しい時、辛い時、いつも奈津子が見せる姿だ。今日もお守りのように身に着けている大切なネックレスが、衣装の下にあるのだろう。
奈津子の顔がこっちに向けられ、必死に笑顔を作ってみせている。そして、大丈夫、と首を縦に振ってみせた。
会場は異様な空気に包まれ始めた。
その時、前列に座る男の子が立ち上がり「おんなのひと、ぶったらだめえ!」と叫んだ。
その声に会場が静まった。
そんな中で奈津子のマイクが男のつぶやきを拾った。
「ちぇっ、うっせぇガキだな」
静まり返っていた会場が一気に爆発し、大人の怒号に子供の涙声も混じり、大混乱となった。
突然、男はマイクをとりあげ、それを床に投げつけた。鈍い音の後、耳障りな高い音が鳴り、会場は再び沈黙した。
亮は立ち上がり、何とかしなくてはと、ステージに一歩足を踏みだした。その時、視界に映る姿が――ゆっくりと立ち上がるその姿。
会場の後方にいる男の子が舞台袖を見ている。
その視線の先には亮、いや、引き締まった体を黒い全身タイツで包んだ熊の姿がある。
男の子は叫んだ。
「くまさーん! にせものをやっつけて」
その声のかぎりをふりしぼり、顔をくしゃくしゃにした拓也の叫びが会場に、そして亮の胸に熱く響いた。
「亮。あいつはもうヒーローでも何でもない。あの子にとってのヒーローは……頼むぞ、くまさん!」
淳史が亮の背中を押しだした。
静まりかえる会場の中、舞台袖から引き締まった細い体にデカ頭のアンバランスなくまさんがよろけるように現れた。
くまさんは、この状況に戸惑い立ちすくむ奈津子の前を通りすぎていく。そして、反対の袖に向かって立ち去ろうとする男の肩を掴み止めた。
会場は突然の状況に戸惑い、再びざわめきだしている。
そこに奈津子の元気な声が響いた。
「みんな。街に〝にせものウルトラライダー〟が現れちゃった。でも、大丈夫だよ! この街には、ほら〝くろ・くろ・くまさん〟がいるから」
驚き振り返るくまさんに、奈津子はⅤサインと八重歯をのぞかせた笑顔を送ってきた。
一瞬の沈黙――そして、会場中に子供たちの声援が鳴り響く。
ヘンテコでおかしなくまさん。だけど、今ここにいる子供たちにとってはこの街を救う〝とりあえずのヒーロー〟なのかもしれない。
くまさんはそう感じた。
湧き上がる中、くまさんは男にだけ聞こえるように「その格好をしたら、ちゃんとヒーローになれよ」
「うっせぇ! こっちはやりたくてやってんじゃねぇよ。こんな仕事ばっかやらせやがって。今度こそちゃんとした芝居の仕事くれるって言ってたくせに、事務所のやつら、俺を騙しやがったんだ。やりたくてやってんじゃねぇんだよ」
「何言ってんだ。それでも引き受けたんだろ。それなら、ちゃんとやれよ。あの子らはヒーローに憧れてんだよ、本当に大好きなんだよ、夢が広がってるんだよ。本気で、本気でその世界にあの子らはいるんだよ。だから、お前も本気で応えろよ! 本気で夢を守れよ!」
「うっせぇ」
男の前蹴りが腹に突き刺さり、前屈みに崩れた。
子供たちの声援がより大きくなっている。
「いい蹴りじゃん。でも、くまさんは……負けないんだな。なぜなら」、ゆっくり立ち上がり、ボクシングのファイティングポーズをとり、「ヒーローだから」
「ほんと、うっせぇな」
男はアタマに向けて蹴りをくりだしてきた。軽く上体をそらし、その蹴りをかわす。でも、頭の重みにフラフラとよろめいた。
子供たちの声援が聞えてくる。
「てめぇー」
男は拳や蹴りを何度もくりだしてきた。前後左右に体を振りそれらをかわしていく。そのたびに頭の重みで体はよろめき、殴られてもいないのに体がフラフラする。
かわすたびに拍手が巻き起り、ふらつく姿に声援が聞えてくる。
拍手や歓声は男の怒りを助長したようで、わめき声を上げた男が腕を大きく振りかぶり、力のこもった右拳を突きだしてきた。
その拳もあっさりかわし、左足を男の腹へと突き刺した。
男は体を丸め、床に膝をついた。
「くそっ……」
腹をかかえながら立ち上がる男に、拳を握り振りかぶった。その時、
「亮! パンチはダメ」
マイクを通さない、奈津子の地の声が飛んできた。
くまさんは握った拳を開くと、両手で男の肩を掴み、アタマを大きく後ろに振った。そして、男の頭へとぶつけた。
男が前のめりに崩れていく。
「でました! 必殺くまさーんヘッド」
マイクを通した奈津子の弾むような声が、歓声と拍手の嵐を呼んだ。
「なんだよ、くまさーんヘッドって、もう少ししゃれた言い方ないわけ」
くまさんはつぶやき、歓声に手を振って応えた。
くまさんと奈津子が並んでいるステージにおさるさんも現れ、一緒に手を振っている。
その後、奈津子の「じゃあ、みんな。またねえー、バイバイ」を合図に、くまさんたちはステージに倒れている偽物ライダー男を両脇から抱え、舞台袖に向かった。
「ねぇ! 目を開けたよ」
奈津子が、Tシャツとジーンズに着替えた亮たちに声をかけてきた。その声に椅子から立ち上がり、飲みかけのペットボトルを手にしたまま近づいていく。
テントの机の上で男は横になったまま、うっすらと目を開けている。
「おっ、びっくりしたよ。なかなか目を覚まさないから」淳史がジーンズのポッケトから封筒を取り出すと、男の手に握らせ「お疲れ。痛い目にあわせちゃったぶん、少し多めに入れといたから」と言葉を残し、向きを変えて歩きだした。
亮と奈津子も「お疲れ」という言葉を置いて、その場を後にした。
そして、盛り上がる祭り会場に溶け込んでいった