高校2年のことです~搬送
それは突然の電話だった。亮がラグビー部の練習が終わり部室に戻ったら、携帯電話が鳴っていた。
『もしもし?』
亮の問いに電話は答えない。
伝わってくるのは、息を飲むような、こらえるようなそんな雰囲気だけだ。
何度も『もしもし?』と問いかけている亮に、淳史が「どうした?」と声をかけてきた。
「公衆電話からなんだけど、なんか言いたそうだけど、しゃべんないんだよね」
「亮、それはマネージャーのいずみちゃんからだよ」同級生部員が言うと、他の部員も「そういえば、いずみちゃん。亮君、最近冷たくてデートにも連れて行ってくれない、って怒っていたし」
後輩部員も続いて「いずみ先輩、思いつめた顔をしながら公衆電話の前にいるのをさっき見ました」
その後もどんどん続き、同級生も後輩も楽しそうに亮をからかった。
亮の学校のラグビー部は伝統的に仲がよく、運動部には珍しく上下関係もあまりなかった。
今は3年生が引退し、淳史をキャプテンとした新チームになったばかりだが、その伝統は引き継がれていた。
「うっせぇ、バーカ。いずみは、あそこにいるっつーの」
亮は笑いながらグラウンドに視線を送った。
部室の窓からは、笑顔で他のマネージャーと話しながら歩くいずみの姿が見える。
亮は「いたずらか」とつぶやき、電話を耳から離そうとした。すると、
『おばあちゃんが……』
絞り出された聞き覚えのある声。
「奈津子か? どうした?」
ただ事ではない。心が激しく揺れている。
『病院に運ばれた』
聞こえてきた細い声に、亮の体は自然と動き出していた。そして、叫んでいた。
「淳史! 行くぞ」
怪訝な表情を向けてくる部員たちには、「ごめん! お先」と叫んでいた。
淳史は、亮のただならぬ雰囲気を感じたのか、後に続いてきた。
亮は携帯を片手に自転車をこいでいた。
動揺しながらも、涙を必死にこらえて途切れ途切れ話す奈津子の声に、懸命に耳を傾けていた。
そして、ばあちゃんが家の中で倒れ、救急車で運ばれたことが分かった。
「すぐ、行くからな」
奈津子にそう声をかけると、電話を切り、後ろを振り返った。
そこには何も聞かされないまま自転車をこぎ続けてきた、淳史の不安に満ちた顔があった。
きっと、風に乗って聞えてくる亮の「奈津子」や「ばあちゃん」「病院」といった単語は、話を掴めないだけに、淳史の胸を絞るように締め付けていたに違いない。
「ばあちゃんが倒れて、病院に運ばれた」
淳史にそれだけ伝えた。
亮だって詳しいことは分からない。それより何より、一刻でも早く駆けつけたかった。だから、言葉を交わすことなく、ただただペダルを必死に踏み続けた。
病院に駆け込んだ亮が目にしたのは、手術室の前の長椅子に項垂れ座りこむ伝次郎と、横に寄り添い、口を真一文字に結んで前を見つめる奈津子の姿だった。
その姿からも、ばちゃんの状態が、芳しくないことが伝わってくる。
泥だらけの練習着そのままの姿で立ちすくんだ。
奈津子の視線がすーっと動き、亮たちを捉え、ゆっくりと立ち上がった。
2人を見つめる奈津子の目からひと粒の涙がこぼれ落ちた。
きっと、ここまでは涙を堪えていたに違いない。
きっと不安の中で、ひとりで耐えていたんだ。
ガックリと項垂れて手で顔を覆う伝次郎を、支えて頑張っていたんだ。
亮は近づいていくと、奈津子の肩にそっと手を置いた。
奈津子の目からは大粒の涙が溢れ出してきた。
何て声をかえてあげたらいいのか分からない。ただ、少しでも不安や悲しみを取り除いてあげたい。
「おばちゃんが……」
そう声を漏らし、崩れかける奈津子を、亮はしっかりと抱き止めた。
その後、亮たちも、手術室前の長椅子に腰を下ろしていた。そして、扉を見つめていた。奈津子の口から、倒れた時の状況が、ポツポツと語られていた。
奈津子はこの日、部活を休んで、家に帰っていたとういう。朝食時に、ばちゃんが、ふと見せた、眉間を指で押さえるような仕草が気になっていたそうだ。
ばあちゃんに、大丈夫? と声をかけたら、笑顔で、大丈夫よ、と言われたそうだ。でも……。
奈津子が、いつものように、ただいま、と言いながら、ジムを覗いた時、すでに騒然としていたらしい。
「――とにかく、私が救急車を呼ばなくっちゃと思って、電話したの」
奈津子は扉を見つめて、そう言った。
きっと、伝次郎は今の様子からも、うろたえて、何も出来ずに立ちつくしていたのだろう。
他にもジムに人はいただろうが、彼らも同じようなものだったのだろう。だから、奈津子は自分を鼓舞するように気丈に振る舞ったんだと思う。
ここで泣きだせば自分もボロボロになってしまうと、本当は泣き崩れそうなのを必死にこらえて。
奈津子だって動揺していたはずだ。何も持たず、どこに行くに時にも持ち歩く携帯も手にしていなかったのだから。
ばあちゃんが手術室に担ぎこまれると、すがりつく気持ちで、やっと公衆電話に辿りついたのだろう。
そして、亮たちの顔を見て、抑え込んでいたものが涙となってこぼれ出てきたのだろう。
手術が終わり、出てきた医師に視線は集まった。そして、告げられたのは「やるだけのことはやりましたが」という言葉だった。
脳梗塞で倒れ、頭を強打してしまったばあちゃんの意識は、その後も戻らなかった。
ヤマさんやジムの選手、練習生もやってきたが、ばあちゃんは目を閉じたままだった。反応も何もないまま、ベッドに横たわっている。
様々な計器がベッド上部を囲み、そこからのびる線が、ばあちゃんに張り付いている。
静かな病室には、規則正しい電子音だけが響き、脇にある機械に映る緑の線だけが波を打っている。
やがて、商店街の人たちもお見舞いに訪れたが、彼らは皆、肩を落とし、心配顔で帰っていった。
明子が帰り際に亮や淳史に「また明日来よう」と声をかけてきた。
でも、「今は奈津子が心配だから」と2人は答えていた。
明子は「じゃー、頼むわね」と優しく微笑み、去っていった。
その後ろ姿は、元気で明るい明子からは想像も出来ないほど沈んでいた




