ヒーローはやっぱヒーローなんです
セメント作りの野外ステージから、奈津子の声が裏のテントにも聞えてきた。どうやらショーが始まったようだ。
亮の隣に座る淳史が頭をかぶり、男に「お願いします」と声をかけた。
男はだるそうに立ち上がると無言でライダー仮面をかぶり、ステージに向かって歩きだした。
数メートルほど歩けばステージ裏で、階段をあがって、そこにある舞台袖で待つ形になる。
ステージ裏は舞台袖の部分からテントまでを大きなブルーシートで隠す形になっている。
子供たちの夢を壊すわけにはいかない、という淳史のこだわりで、自治会館から引っ張り出してきた大きなブルーシート数枚を、3人がかりで今朝早くから張っていた。
「じゃあ、俺たちもいきますか」
淳史の声で立ち上がりかけた時、突然、
「あっ! ウルトラライダーだ」
幼稚園生ぐらいの男の子が、ニコニコしながらライダーを指差して駆けて来た。どうやらブルーシートの下をくぐり抜けて来てしまったようだ。
男へと駆け寄った子共は足へ抱きつこうと両手を広げ、腕を伸ばした。すると男は手で子供の頭をつかみ止め、後ろへと押し倒し「じゃまだ」とひと言残して歩きだした。
「おいっ!」
淳史がパイプ椅子を倒しながら、かぶっている頭を振り飛ばして、凄い勢いで男へと駆け寄っていった。
熊の頭を手にしていた亮も、頭を投げ捨てるように立ち上がり、男の子へ駆け寄った。
「おい。今何した?」
淳史が歩く男の腕をつかみ低い声で詰め寄った。
「淳史! いい」
亮は男の子を抱き起こしながら言葉を飛ばした。
「いいって、今こいつが何したか、見たろ!」
「いいから放せって」
亮は、目の前で歯をくいしばり我慢している男の子の頭をなでながら答えた。
沈黙の中、奈津子の元気な声がステージ上から裏へと響いてくる。
『みんなー。今、この街が大変なことになっちゃてるよ。なんと、悪い奴がこの街に現れて――』
淳史がライダー男を睨みつけながらも腕を放した。
男は淳史に顔を向けることもなく無言で舞台袖へと向かっていく。
「亮! なんで」
淳史は怒りで握り拳を作り、階段を上がって舞台袖へと消えていく男を睨みつづけている。
亮は何も答えずに膝を地面につけ、男の子に顔を近づけて、「よーし、大丈夫か?」
男の子は黙ったまま歯をくいしばっている。目には涙がたまっている。
「ウルトラライダーのことが好きか?」
唇を噛みしめる男の子の瞼が動き、涙がこぼれ落ちた。
「そうか大好きか。ごめんな。今、この街に悪い奴が現れてライダー大変なんだ。ライダー、敵がやってきたと思って押しちゃったみたいだ。ライダーは今、みんなを守るために敵を倒すことで頭がいっぱいだから、本当にごめんな」
そう言って再び男の子の頭をなでた。
男の子は半ズボンを握りしめて、唇を噛みしめている。
亮はその姿を横目に立ち上がると、テントに向かって歩きだした。そして、転がっている熊の頭を手にすると、すぐに男の子の元に戻り、
「よーし、いくぞー」
頭をかぶった姿で、男の子の脇に手を入れて抱え上げた。そして、空に向かって投げ上げた。
まぶしい日差しの中、男の子が宙を舞い、下りてくる。
亮はしっかり抱き止めると優しく声をかけた。
「熊さんが、かわいいお顔をたべちゃうぞ」
男の子の顔にささやかな笑顔が浮かんだ。
「もう1回いくぞ」
亮が何度も繰り返すうちに、男の子の顔には満面の笑みが広がっていった。
男の子が芝生の地面に仰向けに寝転がり、亮が馬乗りになって「たべちゃうぞー」と言いながら、両腕を振りあげていた。
「何すんのよ!」
怒鳴り声が聞えてきた。亮が目を向けると、駆け寄って来る若い女性の姿が――と思ったら吹っ飛ばされていた。
あ然としたまま視線を向けた先には、荒い息遣いで睨んでくる姿がある。
亮を、そして、熊の頭まで吹っ飛ばすような体当たりをしたとは思えない細い体の女性、というより幼さの残る顔は高校生かもしれない。ショートカットと日焼けした顔は、部活に明け暮れる女子高生といった感じだ。
「ちょっとあんた、何するの!」
睨みつけ、ぶつかってきた勢いそのままに怒鳴り、男の子を抱き寄せた。
亮が腰をさすりながら「いや、俺は……」と言葉に詰まっていると、
「くまさんとあそんでた」
少女の腕の中から小さな声が聞こえてきた。
「えっ?」
少女が抱えていた腕を放すと顔を上げた男の子が満面の笑みで、「すっごい、おもしろいよ!」
彼女の視線が、笑顔の男の子と戸惑い顔の亮を何度か往復し、
「あっ……えっと、すいません。変な人に何かされているのかと思っちゃって」と照れ笑いを浮かべた。
亮は苦笑いを浮かべながら「いえ、いえ。わかってもらえれば……」
『――それではこの街を救うためにやって来たウルトラライダーの登場です』
奈津子の声が響いてくる。
亮は男の子に近づき「なまえは?」
「うえむらたくや」
男の子、植村拓也は胸を張った。
「たくや。じゃあ、タッくんか。タッくん、向こうでライダーが悪い奴をやっつけるから見ておいで」
亮の言葉に拓也は頷き、笑顔の少女に手を引かれながら、楽しそうにステージ横のブルーシートをくぐっていった。
その姿を見送っていた淳史が近づいてきた。そして、呆れ顔で、
「おいおい、悪者が何やってんだか」
亮が浮かべた照れ笑いに、淳史は溜息をつきつつ、苦笑いを返してきた。そして、
「だけど亮。アイツ……」
ステージのほうへと向けた淳史の目が鋭くなっている。手が拳へと変わっている。
「なぁ、淳史。どんな奴でもあの格好をしたら、子供たちにとってはヒーローなんだよ。強くて、カッコよくて憧れなんだ。そして俺らが思っている以上にヒーローはヒーローじゃなきゃいけないんだよ。だから、あんな奴でも子供たちが〝ヒーロー〟と思っているなら俺はその気持ちを大切にしたいんだ。あの子たちの夢を壊したくないんだ」
「……」
淳史は無言のまま、ステージのほうを睨んでいる。
「淳史だって、裏側が見えないようにシートを張る時、子供たちの夢を壊したくないって言ってたじゃんか」あえて軽い口調で言うと、「確かに」という言葉が返ってきた。
「なんかさぁ、子供の頃はヒーローでもサンタクロースでも本当にいると思っていて、その存在だけで、興奮して何だか楽しくてしょうがなかったじゃん」
遠い記憶に亮の顔の筋肉が緩んでくる。
淳史も「だーな」と言いながら、遠き思い出を空に見るように、上を見上げた。
「いつかはライダーもサンタクロースもいない事に……その事に気付くのは遅ければ遅いほど素敵な事のような気がするんだ」
「そうだな」空を見上げる淳史の顔が、柔らかおもちのように緩んでいく。その顔が突然、向かってきた。
「ところで悪い奴って俺たちだよな。それがあんなに楽しそうに子供と遊んじゃっていいわけ?」
あえて、そうしているような真剣な顔で亮の肩に手をまわしてきた。亮がばつの悪さに、苦笑いを浮かべると、「まっ、むかつくけどイッチョ〝本気〟で派手にライダーさんにやられてきますか?」
淳史は表情を崩し、片肩をぐるぐる回した。