感謝感謝です
奈津子は商店街の人たちに感謝していた。
彼らが来てくれたおかげで、亮もリラックスしたのか、いつもの調子に戻っている。
でも、みんなはちゃんと分かっている。明日が試合だということを。
だから、長居することなく、帰っていった。
帰り際にかけられる声に、亮はお辞儀をしたり、拳を握って見せたりしながら、応えていた。
そして、美貴と拓也には最後まで待っていてもらっていたようで、「ちょっと気分転換してくるよ」と言って一緒に出ていってしまった。
奈津子は「いってらっしゃい」と明るく言った後、思わずため息がこぼれしていた。
「なっちゃん」
突然の声に驚き振り返ると、そこにはヤマさんの姿があった。
そういえば、ヤマさんはおじちゃんに、ひと声かけてくる、って奥へ行っていたんだ。
ふと、その時気付いた。ため息をつく姿を見られていたと……。
何だか恥ずかしさで、一瞬、言葉を失ってしまった。
「……あっ、ヤマさん、えーっと、何だっけ?」
「ん? いやぁ……」ヤマさんも、気まずさなのか、言葉を詰まらせ、「明日、がんばろうな」
「うん。しっかり、亮をバックアップしないとね」
「そうだな」
そう言った顔は、真剣モードになっていた。
ヤマさんは、いつものように片手をあげると、ドアへと向かって行く。
「ヤマさん!」
ドアに手をかけたヤマさんを奈津子は呼び止めた。そして、真っ直ぐ見つめ、言葉を続けた。
「明日の試合の後は、きっとバタバタしちゃって言えないかもしれないから……本当にありがとう。うちのトレーナーに戻ってくれて」
「やめてよ、なっちゃん。礼なんてされるようなこと、俺は全然してないよ」
「ううん。亮もヤマさんがいたから、ここまでこられたんだよ。おばあちゃんが死んじゃった後、おじいちゃんがあんなふうになって、ヤマさんにも無理矢理やめてもらう形になっちゃったのに……」
こみ上げてきたものに。言葉がつまった。それでも、
「漁港からの配達の仕事も忙しいのに、おじいちゃんの強引な誘いに応えてくれて、仕事の後、大変なのに練習を見てもらって、亮もおじいちゃんも、私も本当に感謝しています」
奈津子は、ヤマさんが全く給料を受け取っていないと聞いて、伝次郎が払うことも出来ないんだと思い、謝ったことがあった。
すると、ヤマさんは、もう以前に貰っているから、と答えた。
後で伝次郎に聞いてわかったのだが、退職金を受け取ったと言って、給料を受け取らないということらしい。
あれは伝次郎が押しつけるように、無理矢理渡したのだがら、気にすることないのに、亮のファイトマネーが入った時でさえ、受け取ろうとしない。
「なっちゃん。感謝なんて。俺はみんなのためとか、そういうのじゃなくて、ただ自分が楽しくてしょうがないんだよ。あいつがどんどん強くなるのが、うれしくてしょうがないんだよ。亮のあのパンチをこの手で受けたら……」
ヤマさんは、いつも亮のパンチを受け止めている手の平を見つめ、
「俺の夢もどんどん広がっていくんだよ」
奈津子に顔を向けてきて、「亮と会長となっちゃんと一緒なら、俺の夢がきっと……亮ならチャンピオンになれる。そうだろ、なっちゃん」
ニッコリ微笑んだヤマさんに、奈津子も笑顔でうなずいた。
ヤマさんは笑顔でガッツポーズをすると、ドアの奥に消えていった。
本当にありがとう、ヤマさん。




