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タッツミー  作者: ゆらゆらゆらり
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狙いは定まりました

 週末の木下ジムでは乾いたミット音と楽しげな子供の声がしている。


 奈津子は子供2人の相手をしながら、リング上に視線を送っていた。そこではヤマさんの指示に応え、ミットをたたく亮の姿があり、伝次郎の激しい声も飛んでいる。

 ジムのすみには子供たちを見守る美貴の姿もある。


 これが木下ジムの週末夕方の姿になっていた。


 次は日本タイトルに挑戦ということになっているが、具体的な話しが進んでいない。

 ジムには激しさの中にも、のんびりとした雰囲気が流れていた。


 伝次郎の声が突然止んだ。

 何やらズボンのポケットをさぐっている。そして、着信音が鳴る携帯電話を取り出し、ジムの奥へと消えていった。


 伝次郎の携帯が鳴ることは、めったにない。

 ということは、もしかしたら――そう思っているのは、奈津子だけではない。

 ヤマさんが動きを止め、亮もグローブを下にさげている。

 はしゃいでいたユイと拓也も、黙り込んでいる。

 誰もがこの状況を知っている。子供たちにも、現状を話してあった。拓也でもしかっり理解しているのだろう。


 すぐに、ジムの奥から引き締まった表情で、伝次郎が姿を現した。視線が全体を見渡すように動き、亮へと向けられた。

 口元が緩んでいき、ニヤリとして、「亮、決まったぞ」

 抑えた声なのに、嬉しさがにじみ出ている。


 一瞬の間の後、亮から「よっしゃ!」の雄叫びがあがった。

 奈津子はリングに駆け上り、両手をあげた。亮と手が合わさり、パンッ、という小気味いい音が鳴る。続いてヤマさんともハイタッチをした。


 リング下では美貴が微笑みながらパチパチと手を合わせている。子供たちはバンザイをしている。


「亮! 試合は1カ月半後で、相手はあの武山和人だ。時間もないし気合いをいれていくぞ!」

 伝次郎が口調を強くして言った。

「はい!」亮の力のこもった返事が響き、いてもたってもいられないといった感じで、ヤマさんに声をかけて、ミット打ちをし始めた。


 奈津子はリングを下り、気合の入ったミット打ちを見つめていた。

 頭に浮かぶのは、伝次郎が口にした、その名前――武山和人。


 スポーツ新聞でも噂にはなっていたので、そんな予感はあった。勿論、世界戦でもないのにスポーツ新聞に載るなんて、亮がどうこうではなく、相手が相手だからだ。

 あくまでもメインは相手のほうである。


 亮の前回の試合が終わってすぐに、日本ライト級チャンピオン引退の話が木下ジムにも届いてきた。

 網膜剥離という目の病気による突然の引退で、空位になったチャンピオンを巡って、日本ライト級1位となった亮と、ランキング上位の選手によるチャンピオン決定戦が行われることで調整が進められていた。

 だが、なかなか順調に進まず、相手も決まらないもどかしさの中で時間が流れていた。しかし、今日ついに決定したのだ。

 ごたごたしていたからなのか、準備期間が短すぎるが、狙いは定まった。


 相手は無敗で華麗なるフットワークを武器にする人気のアウトボクサー。

 母親が有名タレントで、父親は活躍した元プロ野球選手という生まれもってのスターである。さらに容姿端麗で発するコメントも爽やかときている。だから、デビュー戦からテレビ取材が入るという注目ぶりだった。


 その後も勝ち続け、注目だって半端ない。それならそれで気合が入る。

 奈津子は背後を振り返って、壁へと目を向けた。見上げる先には顔写真が額に収まっている。

「おばあちゃん。いよいよ亮がタイトルに挑戦よ。応援してね」


 今日のおばあちゃんの笑顔は、いつも以上に嬉しそうに見える。


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