試合後の商店街でございます
夜の静まりかえる商店街の一角から声が漏れている。
立見商店街自治会館――会館といっても空き店舗をリフォームしたものだ。商店街の真ん中辺りにあるモルタルの2階建てで、1階は15、6畳くらいの広さがあり、奥にはちょっとした水回りとトイレがあるだけの簡易な作りとなっっている。その2階は物置場になっている。
「しかし、あのあごへのパンチ、あれって効いてたんだね」
武史は酒も入り、口もなめらかになっている。
隣りに座る文房具店の店主がうなずきながら、言葉を返している。
「カウンターで、いいところ入ると、意外と効いちゃうんだよ」
もとは、みんな素人だったのに、亮の応援をしているうちに詳しくなっている。
そんな商店街の人たちの他にも、植村親子の姿もあった。そして、他にも。
店がある、と言っていつも試合を観に来ない大作も、いつものように明子に引っ張られるして、姿を見せていた。
でも、最初のグラス合わせが終わると、消えるように姿が見えなくなるのが常である。亮が勝とうが、負けようが。
そんな大作に対し、商店街の人たちは何も言わない。彼らは知っているから。無口で言葉や顔で気持ちを表現するのが苦手だということを。
子供の頃から、この商店街で育ってきた大作を見てきているのだ。
今日も、立ち去る姿を静かに見送っていた。
長机の上には、簡単なオードブルセットや飲み物が置かれ、上座には亮が座り、左右に伝次郎とヤマさんが座っている。
そして、奈津子たちの姿も長机の前にあった。
「もう、絶対ヤバイと思ったね」
「ほんと、イノシシくんだから」
奈津子は武史の声に大きくうなずいて、傷ひとつない顔を睨みつけた。
思い出すだけで、ヒヤヒヤするが、本人にいわせると、余裕があったというのだ。あの打たれ続けていた状況も、少し足にきていたから、ガードを固めて回復を待っていたという。
確かに、あれだけ打たれていたように見えたが、きれいな顔をしているけど、それならそうと言ってよ。試合中、っていうか、あの状況で言えるわけないけど。
亮は、相手っが大振りしてきた瞬間、身をかがめるようにしてかわし、体を入れかえて、相手の横へとまわりこんだ。
そして、ボディへとパンチを打ちこんだ。そのまま、すぐに距離をとった。
その後は、足へのダメージを確認するように、フットワークを使って、相手のパンチをかわし、ジャブを繰り出していた。
そして、1ラウンドの終了間際、一気に勝負にでて、イノシシのごとくラッシュで相手を倒していた。
何はともあれ、本当によかった。みんなも喜んでくれている。
亮のKO勝ちを肴に次々とビールの栓が抜かれている。
もちろん、話題の中心は亮の試合の事だったが、今日ばかりはもうひとつの話題のほうも盛り上がっていた。淳史にも次々と声が飛んでいる。
武史も何も知らなかったようで、何で言わないんだよ、と文句を言っている。でも、その顔が何だか嬉しそうにほころんでいる。
顔を赤らめながら笑顔で話す大人の後ろをユイが駆け周り、その後を拓也が追いかけている。甲高い声が、混じり合い、楽しさが弾けている。
アルコールと興奮で顔を真っ赤にした武史が、身振り手振りをまじえて、試合の解説をし始めた。
それを耳にした拓也が立ち止り、「マーマー、タッくんもパンチパンチやりたーい!」と言い出した。するとユイも「なら、私もやりたい」
「ユイは女の子なんだから」
アルコールがダメな淳史が、コーラを片手にフライドポテトを頬張りながら言った。
「おにーちゃん、知らないの? 今はダイエットのために女子だってボクシングするのよ」
「ダイエットって。ユイは小学生だし、細いんだからやる必要ないだろ」
「だって、大きくなってお父さんやおにーちゃんみたいになったらヤダから、今からやって置かないと」
顔を見合わせ、苦笑いするそっくりな親子をよそに、会館は大爆笑に包まれた。本当に2人に似なくてよかったね、という声も飛んでいる。
「ねぇー、ママ。やりたーい」
拓也が美貴のもとに駆け寄った。
「でも、タッくんはまだ小さいから危ないし」
「えぇー、やりたいのに」
拓也は下を向き寂しげにつぶやいている。
「いいじゃない。グローブつけて遊んでいるだけだっていいし、それなら危なくないでしょ。それにタッくんやユイちゃんが一緒だったら亮だってうれしいでしょ。ねぇっ、亮」
明子に突然、言葉を振られ、亮は口にしていたウーロン茶がこぼれそうになった。
今日もいつものように、最初のひと口だけビールを飲み、ウーロン茶に切りかえていた。さすがに試合後すぐだし、減量後でもあるので、アルコールは控えている。
「そうだ。それがいい。全然大丈夫ですよ」
亮は口元をぬぐって、一番遠い所に座る美貴に向かって、大きめの声で言った。
「そう言っていただいても……邪魔になりますから」
美貴はじっと見つめてくる拓也の頭を撫でた。
「邪魔なんて。一緒のほうが、力が沸いてきますから。ねっ、会長、いいですよね」
亮が横並びにいる伝次郎に問いかけると、うなずきが返ってきた。
「ねっ、ママおねがい!」
小さな手が合わさる。
「ほら、植村さん。こんなにタッくんもお願いしているんだし」
明子の声が飛ぶ。
美貴は困り顔だったが、やがて立ち上がると亮たちに顔を向けて、「よろしくお願いします」と深々頭を下げた。
「やったー」
拓也の立ちのぼっていくような高らかな声が上がった。
「ねぇ、お父さん。私もいいでしょ?」
ユイが武史の横で手を合わせると「しょうがねぇーなー」と軽い声が続いた。口調は、まさに酔っぱらいのそれである。
ユイの嬉しそうな「やった!」の声も上がった。
いつのまに移動したのか、伝次郎の横に明子が立っている。そして、手まねきしながら言った。
「ほらっ、ユイちゃん、タッくん。この恐そうなおじいーちゃんの前に並んで」
その声に2人が駆け寄ってきた。
「いーい、おばちゃんのマネをしてね」、そう言うと「よろしくお願いします」と頭を下げた。
2人のかわいい声も続き、頭を下げている。
伝次郎は微かに表情を緩めると「おうっ」と言って、ビールをあおった。
「よっ、がんばれ」
赤らんだ顔の大人たちから、かけ声が飛び、拍手が起こった。
明子は、そんな光景を眺めながら、誰とはなしに声をもらしていた。
「そういえば、昔は3人もよくジムで遊んでいたわね」
「そうそう、タエさんがよく相手してたっけ」
明子の声を耳にし、靴屋の店主が懐かしそうに目を細めた。
「親たちが店で忙しいからって、よく3人を連れて楽しそうに遊んでいたっけ」
文具店の老夫婦がうなずいている。
そんな声を耳に、亮にも思い出と優しい笑顔が浮かんでいた。きっと、みんなの胸にもあの笑顔が浮かんでいることだろう。
「そうそう、ちっちゃい頃、亮が〝何とかライダー〟とかいうのが大好きで、おばあちゃんが悪者やらされて、私がいつも捕まって、亮と淳史が助けに来るってヤツよくやってたよね」
もう、相当飲んでいるはずだが、奈津子の見た目はまるで変わらない。
「あぁ、あれか。今考えると、ちびっこ相手にばあちゃん大変だったよな」
淳史が懐かしそうに言った。
「確かに」
そう続けた亮の胸には、ばあちゃんのある言葉が浮かんでいた。
――ほら亮ちゃん、泣いていたらやられちゃうわよ。
それは亮たちが戦いごっこをしていて、つまずいて転んでしまい、半べそをかいている時だった。
――知ってる? ヒーローは強くて、絶対に負けないのよ!
今も亮の胸に残り続けている言葉と優しい笑顔だ。
「あっ、そういえば、おばあちゃん言ってた。ただ、ボクシングのマネごとをして遊んでいた時、亮ちゃんはすごいボクサーになるって」
奈津子が言うと、続いて淳史が、
「あぁ、言ってた、言ってた。結局、中学や高校では学校や部活が忙しくて、ジムで遊ぶことも、ボクシングを始めることもなかったけどな」
「それに淳史のこともすごい相撲取りになるって言っていたよ」
奈津子がニヤニヤしながら言うと「言うか! バーカ」と笑いながら淳史が言い、周りから笑いが起こった。
「お前ら3人は、タエさんには本当に世話になったよな」
武史は思い出にひたるように遠くを見つめ、さらに、
「ほんと、タエさんの笑い顔が商店街を笑顔にしていたよな」
会館は思い出にしたるように、しんみりと静かになっている。
「ちょっと、みんな! おばあちゃんは笑顔で楽しんでいるのが好きなんだから」
奈津子が目をこすると、無理やり作ったぎこちない笑顔で言った。そして、明るい声で続けた。
「ほら、見てよ。おじいちゃんとヤマさんのダークスーツ姿。どうせ向こうに行ったらトレニーングウエアーに着替えるのに、わざわざ行き帰りだけスーツ着るのよ。しかもサングラスをかけて。もう恐いったらありゃしない。しかもよ! こんな恐い顔の2人がギュウギュウ詰めになって、私のかわいいピンクの軽の後ろに乗っているのよ。笑っちゃうでしょ?」
必死に話題を変えた奈津子の気持ちに応えるように、みんなの表情が変わっていく。2人の姿を想像したのか、笑いがこぼれ始めている。
そんな中、ヤマさんが、
「会長が今日のラッキーカラーはピンクで、アイテムはスーツだって無理やり……」
照れ笑いを浮かべながら言い訳を口にした。
伝次郎は(どうだ。占いは当たったろ)と言う顔でニヤッと含み笑いを浮かべた。みんなは強面のヤマさんが口ごもる様子と、普段、ダンディに振る舞う伝次郎が占いを信じていることが可笑しくて爆笑している。
亮は、みんなのそんな姿を心地いい気分で眺めていた。




