幕間~大人のコーヒーブレイクは苦くて甘い
「どう?似合う?」
白黒のウェイトレス姿に身を包んだ少女。
彼女は、一回くるっと回って裾をつかみ、ポーズを決める。どや顔も忘れない。
「ああ似合う似合う」
あえて俺は投げやりな言葉をかける。
正直、かなり可愛かった。客として入れば、仮想ご主人になれるお店にエースとして働いていそうだ。そのまま伝えるとどう転ぶか予測できないので絶対に言わない。
「おー似合うじゃん。理沙ちゃん」
喫茶店の店長兼オーナーである涼香さんが彼女を褒める。そう、今、俺たちは喫茶店にいる。
その理由は1週間前まで遡る。
***
公園で事故に遭ってから数日後、俺は変わらず漫画を描いていた。散らかっていた部屋はきれいに片付けている。
その横でギターを弾き、歌っている女の子。彼女は最近、家に棲みついたユーレイ少女だ。名前は理沙。何の因果か、俺の付き合っていた彼女を乗っ取り、生前やりたかったことを叶えたいそうだ。
彼女は、ギターを置き、そうだ!と思い付いたように手をたたいた。嫌な予感しかしない。
「悠太!あたし働いてみたい」
絶対に今、思い付いた即席やりたいことリストだった。
仕事といっても、親の仕事を手伝わせて、迷惑をかけるわけにはいかない。仕方なくバイトしてる喫茶店の店長に頼むことにした。
なんとなく2人を会わせたくない俺は気乗りしない。店長にからかわれることが目に見えてるからだ。そんなこんなで彼女は1日体験をさせてもらえることになった。
***
似合う似合うと褒める涼香さん。笑顔を浮かべ、照れている理沙。ロック好き同士、すぐに意気投合した。そもそもコミュニケーション能力は2人とも俺より高い。
その後、涼香さんは、理沙に仕事内容を教えてくれた。理沙はコクコクとうなずいている。真剣に仕事内容を覚えようとしている。こういうところはすごく真面目なやつだ。
逆にタバコをスパスパ吸いながら仕事内容を話す涼香さん。基本的にいつもかったるさが滲み出ている。
足してわったらちょうど良さそうと失礼なことを考えた。
その横で俺は2人の会話を聞いていた。
ちょくちょくこっちを見る涼香さんの視線が正直うっとおしい。
この子が言ってた女の子ね?と目で伝えてくる。完全に誤解されているようだ。
その間も不器用ながらも理沙は涼香さんの真似をして、ちゃんと覚えようとしていた。
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店が開店して少しすると、最初の客が入ってきた。20代くらいの女性が2人。
横を見ると理沙がロボットのようにカチカチになっていた。大丈夫だろうか。こちらの方が、めちゃくちゃ不安になってきた。
女性たちがテーブル席に座る。理沙は、手足が一緒に出てしまう小学生の行進のようにオーダーを取りに向かった。
「ご、ご、ご注文はお決まりですか?ご主人様」
ずっこけそうになった。彼女は完全にてんぱっていた。そっち系の喫茶店じゃない。そしてお客さんは女性だ。めちゃくちゃ不安そうだ。誰でもそうなる。
完全に娘のお遊戯会をハラハラ見守る父親の気分。なんかこれ既視感がある。
その後、なんとか無事にオーダーを済ませ、理沙が帰ってきた。汗びっしょりだった。
次はドリンクを運ぶ。お盆の揺れ方がすごい。
「お、お、おまたせいたしました。アイスコーヒーになりましゅ」
噛んだ。かなり惜しかった。しかし、それだけでは終わらなかった。
「きゃっ!」
突如、悲鳴。お客さんだ。
理沙はテーブルにコーヒーを置こうとする瞬間に手を滑らせ、お客さんにぶっかけてしまった。ホットじゃなくて良かった。いや良くないな。
俺は急いで謝罪に向かった。
***
次は還暦くらいのおっさ、男性客だった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、あたしはできる、あたしはできる……」
隣で呪文を唱え続ける彼女は控えめに言って不気味だった。気合いを入れ直しているようだ。
さきほどより足取りは軽い。今度は順調だ。ちゃんと話せてる。
初めて見るウェイトレスさんだね、と言って、なんとその男性客は彼女のお尻を触ってきた。
今どきそんな古典的な変態がいるとは!と驚き、同時にちょっとムッとしたので急いで止めに行く。
その前に、盛大な渇いた音が店内に響いた。おれもそれ初対面で食らったやつだ。痛いよな。
あーあ、やっちゃった。
***
その後は、俺がホールに回り、理沙は裏に入った。
涼香さんは、気にしないでいいよと慰めていたが、理沙は口から魂が出ていた。彼女のライフは完全にゼロだった。お前の場合、それヤバイんじゃないか。霊的な関係で。
仕事中、裏からは食器の割れる音が定期的に聞こえてきた。もう哀れみしか出てこなかった。
***
帰り道、辺りは真っ暗になっていた。この辺は住宅街でコンビニや遅い時間までやっている店もない。電灯だけが頼りだ。
彼女は目に涙をためながら、ふらふらと歩いていた。
俺は、涼香さんが大切にしていた高級コーヒーカップを割ったり、お釣りを何度も渡し間違えたことを話した。
こんなとき、なんて声をかけたらいいか分からなかった。それでも何か伝わったのか、彼女がこちらを向いた。
「ありがと……」
とてもとても小さな声。
凄まじいほどの落ち込みようだった。こないだ俺を勇気づけてくれた彼女と同一人物だとは思えない。
仕方ない。悠太はちょっと寄りたいところがあると言って先に彼女を帰らせた。まだ開いているだろうか。
***
家に着くと、理沙はスライムみたいになっていた。テーブルの上に手を伸ばして、べたーっと覆い被さっている。
俺は先ほど買ったビターチョコケーキを彼女に手渡した。彼女は不思議そうな顔をする。彼女の好きなイチゴのショートと迷った。今日のほろ苦い経験と仕事をしてひとつ大人になった理沙にプレゼントということでこちらにした。頑張った人にはご褒美が必要だ。
途端に号泣し始める少女。俺はどうして良いか判らず、とりあえず頭をなでてあげた。
彼女は落ち着きを取り戻して、ケーキを食べ始めた。食べ終えた頃には、彼女はもうケロッとしていた。ほんと得な性格だと思った。
***
食べた後、彼女はいつものように自由に過ごしていた。
「じゃあ、あたし先にお風呂入ってくる」
「ああ」
「覗くんじゃないわよ?」
「興味ない」
「ほっんと失礼ね!」
彼女は、ぷんぷんしながら浴室に向かった。すっかり元気を取り戻したようで、良かった。
「お疲れさま」
彼女の背中に小さく呟いた。