第6話~始まりのエピローグ
喫茶店を出てから、俺は少し懐かしくなって、2人と出会った公園に立ち寄った。住んでいるマンションから程近い場所にある。住宅街の中にあるので家族連れも多かった。
滑り台を一緒に楽しむ親子。ボールを蹴って遊ぶ親子。砂場で遊ぶ我が子を気の木陰で見守る母親。ぽかぽかの天気も相まって温かい空間だった。
ブランコを見ると小学生くらいの男の子がいた。よく見ると蓮だった。漫画に集中しているみたいで、こちらには全く気づいていない。
「おい、蓮」
俺の呼びかけに、彼はパッと顔をあげた。
「あ、悠太にいちゃん!」
そう言って走ってきた。頭をなでてやると、もう子供じゃないんだからやめてよ、と言いながらも照れているように見えた。
蓮は今年で小学4年生になる。少々小柄で、優しそうな笑顔が似合う男の子だ。最近、好きな女の子ができたらしい。涼香さん情報だ。
「どうしたの?こんなところで」
「ちょっと喫茶店に寄っててな」
「お母さんのところ?」
「ああ、昔、店長と蓮と会ったときのこと話してた」
理沙の部分は恥ずかしいから省略した。
そっかと言いながら少年はにこにこ聞いてくれた。久しぶりで話が盛り上がる。その後、蓮を喫茶店に送ることにした。
公園から出ようとしたところで、目の前をバスケットボール大の柔らかいボールが転がっていた。そして、それを追いかける子ども。
その子どもが車道に飛び出した瞬間に、反対側から車が近づいているのが見えた。
「おい!早く戻れ!」
俺は声を出すと同時に走り出していた。
「悠太にいちゃん!」
後ろから蓮の声が聞こえたが、俺は夢中で車道に飛び出した子どもを追いかけた。ギリギリのところで、子どもを反対側の歩道に突き飛ばす。
瞬間的に色んな記憶がフラッシュバックした。走馬灯ってやつかもしれない。
両親のこと、友達のこと、樹のこと、海奈のこと、そして理沙のこと。
──まだ、喧嘩した後にちゃんと謝ってない。人生は、こんなあっけなく終わるものなのか。
直後、衝撃。轟音。激しくも鈍い音が辺りいっぱいに響いた。
***
ここはどこだ?夢か?
何にも思い出せない。なんで俺はこんなところにいる?周りを見渡すと真っ黒な空間だった。焦る。ここ、どこなんだよ!
しかし、何の返答もない。ひとしきり喚いたあと、だんだん記憶が甦ってきた。確か、店長の店にいった後、公園に行って、蓮と話をして…………
そしてどうなった?必死に思い出す。
あ、そうか。俺は車道に飛び出した子どもを飛び出して、それをかばおうとして、それから…………
俺はようやく自分の状態を理解した。
なるほど。俺は死んだんだ。あまりにも唐突すぎて理解が追い付いていない。そのせいなのか不思議と怖くはなかった。
しかし、両親や店長、蓮たちとお別れを言えないのは嫌だった。
また頑張れそうな気がしたんだけどな。あいつのおかげで。
そういえば、ちゃんと謝ってなかった。ちゃんとご飯食べられるんだろうか。やりたいことちゃんと叶えられるだろうか。
心配だった。死んで初めて分かることってあるんだなと他人事みたいに考えていた。
俺はこの後、どうなるのだろう。考えても仕方ないか。もう終わったんだから。あっけない幕切れだった。何のための人生だったんだろう。何も残せず、何も果たせない無意味な生だった。もういいか。もう諦めよう。
───自分のために、好きな人のために生きてるんじゃないの?スタートラインにも立ってないくせに簡単に諦めんな!
彼女の言葉が甦る。また諦めそうになっていた。俺だってこんな終わり方は嫌だ。諦めたくない。自分の人生を自分で選んで生きていきたい。しかし、そう思ってももう何もかも手遅れだ。
でも、それでも俺は生きたい。もう一度だけ生きたい。生きてやり直したい。漫画を描きたい。めちゃくちゃ面白い漫画を描きたい。自分の人生はもちろん、他人の人生にも影響を与えられるような最高の漫画を描きたい!周りの評価なんか気にせずに思いっきり人生を生きたい!
心の底から出た自分の本心だった。
「…………ちゃん!ねぇ!」
声が聞こえてくる。聞き取りづらい。
「悠太にいちゃん!起きてよ!」
今度は、はっきり聞こえた。少しずつ視界が開けてきた。蓮だった。涙で顔が滲んでいる。声も揺れていた。
またもや理解が追い付かず、少し混乱していた。俺は死んだのではなかったのか。さっきの記憶は何だったのか。無理やり頭を動かして、整理していく。
どうやら、まだ死んでいなかったらしい。状況を考えると気を失っていただけだったみたいだ。
「あ、君、あんまり揺らすのは良くない」
蓮の近くでは見知らぬ初老の男性がいた。俺は蓮の手を離して、重い身体を起こす。周りを見渡す。けっこう人が集まっていた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」
泣きながら若い男性が何度も頭を下げていた。その後ろには、ボールを追いかけていた男の子とその母親らしき女性がいる。その女性も子どもを抱き締めながら泣いていた。
良かった。間に合ったのか。
「君、大丈夫かい?」
蓮をなだめていた男性が声をかけてきた。事情を聞くと、俺をひいた車の運転手らしく、急過ぎてブレーキが間に合わなかったそうだ。
「本当にすまない。警察と救急車は私が呼んでおいた。親御さんの連絡先を教えて欲しい」
運転手の男性は頭を下げて、本当に申し訳ないという顔をしていた。
「大丈夫です。ちょっと気を失っていただけみたいなので」
擦り傷は多かったが、それ以外に目立った怪我はない。無理やり立ち上がって元気なアピールをした。
心配そうな男性の横で、蓮が不安そうに大丈夫なの?と聞いてくるので、頭をなでてやる。
すると彼の顔に笑顔が戻った。
「悠太にいちゃん、めちゃくちゃカッコよかった! まるで漫画のヒーローみたいだったよ!」
ハッとした。
長い間、忘れていた大切な気持ち。
俺も子どもの頃、たくさんのヒーローから勇気をもらっていた。こんな簡単なことだったんだと気づいた。
思えば周りから気づかされてばかりだ。感謝の気持ちがわいてくる。同時にいてもたってもいられなくなった。
「蓮、悪い! 急用ができた!1人で帰れるな?」
「え?う、うん大丈夫だけど。治療は?」
「問題ない。それじゃ気をつけて帰れよ、また今度な」
そう言って俺は駆け出した。おい君!と呼び掛ける声に振り返り、大丈夫なんで気にしないでください、と返す。
俺は全力で走り出した。
***
家に帰ってきてから、すぐに寝室の机の引き出しを強引にあさる。確かここらへんに入れていたはずだ。
寝室をだいぶ散らかした後、画材道具と漫画を描いていた自由帳が出てきた。ぼろぼろの自由帳。
俺はパラパラとめくって中身をみる。
うわ、下手だなと思いながらも心は弾んでいた。
俺は部屋を片付けることもなく、さっそく漫画を描き始めた。漫画の原稿用紙を散らばっている。好きな漫画も散乱したまま。
やっぱり下手だったが、震えた感情が甦ってくる気持ちになった。夢中で描く。俺は久しぶりの感覚を味わっていた。
楽しくてずっと描き続けられると思った。
***
少ししてから理沙が帰ってきた。
「嵐でもきたの?」
彼女は散らかった部屋と傷だらけの俺を見て、怪訝そうな顔を浮かべる。
「そうかもな」
機嫌良く返事をする。視線は漫画から動かさない。
「ほんと、バカね」
彼女は、困ったような、それでいて喜んだような顔を見せた。元気付けるためにケーキ買ってきたのに、必要なさそうだし、自分で食べよとこぼす。
「ありがとう、理沙」
あーんと食べようとしたケーキが彼女の手から落ちた。
「何やってんだよ、もう」
彼女は感謝されたからなのか、名前で呼ばれたからなのか、あたふたする様子を見せた。
「ばか!い、いきなりはずるい。というか漫画見せなさいよー!」
照れ隠しなのか、漫画を読ませろと喚き出す彼女。俺は咄嗟に隠した。見せるのは、まだちょっと恥ずかしい。
「別に隠さなくてもいいでしょ?」
彼女は頬を膨らませてから、襲いかかってきた。華麗にかわした俺は、リビングへ一時、避難する。しかし彼女はなかなか諦めようとしない。
切らした息を整えた後、一言呟いた。
「あたしのノート勝手に見たくせに」
ジトッとした目を向けてくる。
あの時ばれてたのか。そう考えたその一瞬だけ動きをとめてしまった。
隙あり!と彼女は原稿用紙を強引に奪い取る。にやにやした顔がむかつく。
「どうせ下手くそだ」
俺は観念して、ソファに座った。彼女はしばらく言葉を発することなく、黙ったままだった。集中して見ているようだった。恥ずかしくて、落ち着かない気分だった。
彼女はこちらを見て感想を言った。
「なかなか上手じゃない?あたしはこの絵好きだよ」
彼女の笑顔は今まで見たどの顔よりも可愛かった。面と向かって言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。思わず顔を背けてしまった。
「絵が好きって言っただけで、悠太にいったわけじゃないわよ?」
勝ち誇った顔でからかってくる。しかも初めて名前で呼ばれた。
「うるさい、黙れ」
俺は恥ずかしすぎて、照れ隠しをした。鬼役を交代して、また追いかけっこをした。
少し落ち着いてきて、一時、休戦となった。
「ごめん、そんでありがとな」
「何あらたまって」
「渇を入れてくれて、信じてくれてありがとう」
本音でお礼を告げる。彼女がいなければ俺は自分の気持ちに向き合えなかったと思う。
「う、うじうじしてるあんたが鬱陶しかっただけだし。でも、まぁそこまで言うなら受け取ってあげるけど。どういたしまして、ふふ」
理沙は手を後ろに組み、頭をペコッと下げて上目遣いをした。
最初は最悪なやつだと思ったけど、彼女の言葉が俺の心を引き上げてくれた。まだ不安もあるし、この先にどうなっていくのかも分からない。それでも、小さな一歩から始める。
それがどれだけ小さな一歩でも、周りから比べたら大したことない一歩でも、何でも構わない。
だって、俺は自分の足で歩くことができるんだから。