第七章 護衛
山羊の寝床から戻ったジェラールとルクンは、ユラたち姉妹に連れられて、ひとつの天幕に向かった。ユラの家族に紹介され、簡単な挨拶をしたあとで、ジェラールたちは天幕内で、夕餉を待たせてもらうことになった。
ユラとヤーセミンは牛の乳搾りの手伝いやら、家事やらで、忙しく立ち働いている。一家は両親、祖母、十五歳の弟と彼女たちの六人家族だ。ちなみに、ユラはノエイルと同じ十七歳で、ヤーセミンは十四歳だということだった。家族が多いとはいえ、家臣がいない分、彼女たちは母やノエイルより、忙しそうだ。
彼女たちを働かせるばかりで、自分は何もしないことに、ジェラールは罪悪感を覚えた。もし、妻を娶ったら、仕事や家事のやり方について、考え直さなければならないだろう。
やがて仕事を終えた一家は、天幕に戻り、夕餉を作って振る舞ってくれた。ユラの両親と祖母は、姉妹の危機をジェラールたちが救ったと聞いて、深く頭を下げて感謝してくれた。
「是非、我が家に泊まっていってください」
ユラの父、セリームの申し出をありがたく受けようとして、ジェラールは、はたと気づいた。それはつまり、ユラと同じ天幕で休むということだ。以前は、自分たち一家の天幕で眠ることを頑なに拒んでいたルクンを、おかしな奴だと思ったものだが、今ではその気持ちがよく分かる。
「では、おりがたくお受け致します」
涼しい顔でルクンが言い出したので、ジェラールはびっくりした。
「い、いや、でも、わたしたちは花嫁探しの途中なので、何日もご厄介になるかもしれませんし……」
「構いませんよ。あなたがたは、娘たちの恩人なのですから」
セリームの親切心は断れず、ジェラールは天幕に泊まることになった。その夜、疲れているのに、緊張でジェラールがよく眠れなかったのは、言うまでもない。
***
ほとんど眠れなかったジェラールは、日の出前にむくりと起き上がった。いつもの早起きの癖だろう、ルクンも既に目を覚ましていた。二人は天幕の外に出て、昨日汲んだ水筒の水で顔を洗い、口をゆすぐ。そのついでに、一晩中考えていたことを、ジェラールは口にした。
「……あのさ、ルクン。どうすれば、ユラ殿と近づきになれると思う? お前の知恵を借りたいんだ」
妙なことになったなあ、とジェラールは思う。なにしろ、つい最近までは、自分がルクンの恋の相談相手になっていたのだ。それなのに、今ではルクンのほうが、恋愛に関して遥かに先をいっている。
ルクンは、やれやれと言いたげに、ため息をつく。
「昨日、言っただろう。ユラ殿のことは、お前が守ってやれ、と」
「つまり?」
「おい……俺に助言をしてくれた時のお前は、どこにいった? 放牧にいくユラ殿の護衛を申し出ればいいだろう。そうすれば、お前の頼もしさも強調できるし、話す機会も作れる。昨日の今日だから、断られることもないだろうしな」
「なるほど! 名案だな」
それならば、自分でもできそうだ。急にやる気がみなぎってきて、ジェラールは自分でも不思議だった。
「ありがとう、ルクン。俺は、いい盟友を持ったよ」
ジェラールがほほえむと、ルクンは照れたように笑い返した。
「気にするな。俺とノエイルが婚約できたのは、お前のおかげだ」
ジェラールたちは護衛についての細かい打ち合わせをし、ユラが起きてくるのを待つことにした。やがて、一家が顔を洗いに外に現れ始めたので、朝の挨拶をする。起き抜けにもかかわらず、ユラは輝くように美しかった。
「あら、おはようございます。お二人とも、お早いのですね」
「ええ、まあ。その、おはようございます。あの、ところで……」
本題を切り出そうとしたところで、ジェラールは固まってしまった。ユラに会うまでに、散々、頭の中で練習していた言葉が出てこないのだ。空いてしまった間を奇妙に感じたのか、ユラが小首を傾げている。
「……よろしければ、今日一日、護衛をさせていただけませんか、と言え」
ルクンの耳打ちに、急速に頭の中が明晰になり、ジェラールは何とか口を動かす。
「ユラ殿、よろしければ、今日一日、護衛をさせていただけませんか。……ええと、また、危険な連中がやってくるかもしれませんし。それに、我々がいれば、奴らも近づいてこないと思うのです」
ユラは目をみはった。
「確かにそうですね。実は、ヤーセミンが放牧に出るのを少し怖がっていて……。守っていただけるのなら、とても助かります」
喜びをたたえた目でこちらを見上げるユラを前に、ジェラールは天にも昇る心地だった。
ユラとヤーセミンが身支度を整えるのを待って、ジェラールたちは馬に乗った。荷物はユラの天幕に預けてあるので、身軽になったバヤードの口綱を引くルクンとともに、馬上の姉妹たちのあとに続き、山羊を追っていく。
ルクンがヤーセミンと話し始めたので、ジェラールは自然とユラと話すことになった。おそらく、ルクンの計らいだろう。
「ジェラール殿は、もしかして、女人が苦手なのですか?」
「え? どうしてですか?」
ジェラールが問い返すと、ユラは少し意外そうな顔をした。
「だって、わたしとお話しになる時に、いつも緊張していらっしゃるでしょう? 父や弟とは普通に話していらっしゃったから、そうなのかしら、と思って」
正確には、女人が苦手なのはルクンのほうで、自分はユラと話すときだけこうなってしまうのだが、打ち明けるのは気恥ずかしい。
「じ、実は少し。若い女人と話す時だけ、緊張してしまうんですよ」
「やっぱり、そうなんですね」
ユラはくすりと笑う。
「でも、悪いわ」
「え?」
「ジェラール殿は、花嫁探しにいらっしゃったのでしょう? それなのに、わたしたちのために拘束してしまって。ヤーセミンはまだまだ子どもだから、お相手になるはずもないし……。そうだ! お礼に、歳の釣り合う氏族の娘を紹介しましょうか?」
「あ、いえ、結構です。お気持ちはありがたいのですが――しばらくは、あなたがたの護衛に専念したいと思っていて……」
「まあ、明日も護衛をしていただけるのですか?」
驚いた顔をするユラを、ジェラールは複雑な気持ちで見つめた。いっそ、早めに告白してしまったほうがよいのではないだろうか。そう思いもしたが、返事がつれないものだったらと考えるだけで、胸の奥がきりりと痛む。特に、昨日、求婚を断るユラの姿を見たばかりだから、余計にそう思う。
それに、まだ出会って間もないうちに想いを打ち明けようものなら、ユラの美貌に惹きつけられたと白状しているようなものだ。進んで彼女に嫌われることもあるまい。
つい消極的になってしまう一方で、ジェラールは焦れてもいた。想いは伝えなければ、相手には分からないままだ。ルクンにもそう言ったではないか。
ジェラールが懊悩していると、山羊たちに掛け声を発していたユラが、また話しかけてきた。
「ジェラール殿は、妹さんがいらっしゃるそうですけど、他にご兄弟は?」
「いえ、妹一人だけです。その妹も、実は血は繋がっていなくて……でも、わたしにとっては、実の妹以上の存在なんです」
「そうなのですか……。わたしは一番上だから、お兄さまのいらっしゃる妹さんが羨ましいわ。お兄さまがジェラール殿のような方でしたら、頼りがいがありそうだし」
(今、頼りがいがありそう、って言われた……)
ユラが自分によい感情を抱いてくれている。ジェラールは心の中で快哉を叫んだ。
「わたし、ジェラール殿が助けに入ってくださった時、とても安心したのですよ」
ユラの目は、たおやかだった。褒められて、ジェラールは照れてしまう。
「ルクンが駆けつけてくれなかったら、危ないところでしたけどね」
「そうですね、わたしもひやっとしました。……そういえば、ルクン殿も似たようなことをおっしゃっていましたけど、もしかして、あの時、お二人で申し合わせて、私たちを助けてくださったわけではないのですか?」
「はい。完全にわたしの独断で……」
ジェラールが帽子越しに頭を掻くと、ユラは真剣な顔でこちらを見上げた。
「いくら人助けをするためでも、もう、ご自分の命を危険に晒すようなことはなさらないで」
「はい……」
思いがけない言葉に、ジェラールは、はっとして、まじまじとユラの顔を見直した。彼女は美しいだけでなく、思いやりのある、芯の通った娘だ。
(花嫁にするなら、この人しかいない)
ジェラールは、今までふわふわしていた感情が、急速に固まっていくのを感じた。
問題は、どうやって想いを伝えるかだ。
ルクンには、思っていることをそのまま伝えればいいと助言した。しかし、あれは相思相愛のルクンとノエイルだからこそ通用した手だ。自分たちに当てはまるという保証はどこにもない。
(それに、出会った次の日に、妻になってください、って言うのは、どうなんだろうな……)
告白するならば、もう少し、お互いを分かり合ってからでも、遅くはないか。臆病な自分を情けなく思いながらも、ジェラールはユラとの会話を再開した。
ユラは色々な話をしてくれた。自分のこと、家族のこと、氏族のこと、部族のこと。ともに過ごすうちに、ジェラールも緊張が解けていき、お返しに自分にまつわることを話した。
中でも、ユラが喜んでくれたのは、ジェラールがルクンとノエイルから伝え聞いた不思議な旅の話だ。美しくも物悲しい水神たちが登場するその話を、ノエイルに頼んで詩物語にしてもらっている最中だとジェラールが語ると、ユラは、自分もその詩物語を聴いてみたい、と熱心に言った。
「そういう旅をともにしてこられたから、ルクン殿とノエイル殿は恋に落ちられたのでしょうね。羨ましいわ……」
しっかりしているように見えるユラにも、夢見がちなところがあるものだ。ジェラールはそんな彼女を可愛らしく思い、ほほえんだ。
結局、その日は盗賊たちは現れず、放牧が終わるまで、ジェラールはユラとの談笑を楽しんだ。