第五章 乱戦
どんどん遠ざかってゆく娘のうしろ姿を目指し、ジェラールは掛け声とともに、馬を駆る。後背から、蹄の音がする。ルクンが追ってきているのだろう。
距離が縮まり、娘の細い背中が近づいてくる。どうにか追いつきそうだ。ジェラールは少しほっとした。
山羊の声に交じって、絹を裂くような女人の悲鳴が辺りに響いたのは、その時だった。
「ヤーセミン!」
娘の叫び声がジェラールの耳に届いた。彼女の視線の先に目を向ける。点在する山羊の群れを見渡せる岩場の傍で、一人の少女が、騎乗した三人の男に取り囲まれている。
「妹から離れなさい!」
娘は駆けながら弓矢を構え、射放した。が、距離が遠すぎた。矢は男たちには届かずに、失速して地に落ちる。男たちの一人が、湾刀を抜き放ち、娘めがけて駆け出した。男は覆面を被っており、その表情は分からない。
反射的にジェラールは、鞍にかけた弓を取った。背負った矢筒から矢を抜く。弓に矢をつがえ、思い切り引き絞ると、風向きを読み、覆面の男の右腕を狙う。
「がっ!」
放たれた矢は吸い込まれるように男の右腕に命中し、湾刀を取り落とさせた。その間に残りの二人の男が、娘の妹を取り囲むのをやめ、こちらに走ってくる。
ジェラールは弓を鞍にかけ直し、腰の湾刀を抜き放つ。あっという間に、娘の馬を追い抜く。手綱を引き、迫りくる覆面の男たちと対峙した。
三人が馬上で湾刀を構え合う緊迫した空気が、場を支配する。緊張はすぐに破られた。男の一人がジェラールに向け、斬りかかってくる。ジェラールは、湾刀で斬撃を受け流す。
「危ない!」
娘の声がした。同時に、後背に殺気を感じる。
(しまった!)
目の前の男に集中するあまり、もう一人の存在を失念していた。二人の男に挟撃され、ジェラールは身動きがとれなくなった。前から刃が突き出され、うしろからは凄まじい殺気が迫ってくる。ジェラールは死を覚悟した。
瞬間、金属がぶつかり合う、鋭い音がうしろから響いた。前から繰り出される斬撃を弾き返したあとで、ジェラールはわずかに振り向く。そこにはルクンがいた。うしろからジェラールに攻撃しようとした男と、長い鉄杖で渡り合っている。
ルクンがきてくれた。そのことに力を得たジェラールは、目の前の男に斬りかかった。男が斬撃を受け止める。何合も斬り合ううちに、男は防戦一方になった。
「撤収だ!」
ルクンと刃を交えていた男が号令する。ジェラールと斬り結んでいた男は、弾かれたように馬首を返した。矢傷を負った男が、そのあとに続く。ジェラールがルクンのほうを振り返ると、そこにはもう、彼と相対していた覆面の男の姿はなかった。
「ありがとう、助かったよ。……それにしても、逃げ足の速い奴らだ」
ジェラールの言葉に、ルクンは頷いた。
「ああ。人さらいか、それとも盗賊か……いずれにしても、女人を狙うなど、もってのほかだ」
女人、と聞いて、ジェラールは、はっとした。慌てて娘の姿を捜す。彼女は岩場の傍で腰を抜かしている妹に、馬から降りて、付き添っていた。胸を撫で下ろしたジェラールは、彼女たちに近づいていった。
「大丈夫ですか?」
下馬して問いかけると、娘はこちらを振り返りながら立ち上がった。
「先ほどの旅の方ですね。助けてくださって、ありがとうございました。妹もわたしも、この通り、無事です」
「よかった……」
そう感想を漏らしたあとで、ジェラールは本来の目的を思い起こした。
「わたしは、マーウィル部族のひとつ、ミル・シャーン氏族の先の氏族長、フェルハトの息子、ジェラールと申します。あの……あなたのお名前は?」
「わたしは、サレッカル部族のひとつ、チェリク氏族のセリームの娘、ユラと申します。この娘は、妹のヤーセミン。ほら、ヤーセミン、お礼をおっしゃい」
「ありがとうございました」
姉に助け起こされたヤーセミンは、大人びた口調で礼を言った。
「ジェラール殿、あの方は?」
ユラに名を呼ばれ、ジェラールの心臓は跳ね上がった。うしろに佇むルクンのことを訊かれたのだと気づき、急いで紹介する。
「こちらは、連れの――」
「ルクン・ラヒムと申します。見ての通り、ウルシャマ砂漠の民で、ハサーラという国から参りました。今は、ミル・シャーンの一員ですが……」
「そうですか。ルクン殿、助けていただいて、ありがとうございました」
ユラが頭を下げると、ヤーセミンもそっくり同じ動作をする。
「ありがとうございました」
「とんでもない。わたしは、連れが無茶をしていたから、駆けつけたまでです。――ところで、ジェラール、これからどうする?」
ルクンに問われ、ジェラールは意味が分からず問い返す。
「どうする、って?」
「さっき言っていた、『あの人』とは、あの女人のことだろう? せっかく近づきになれそうなんだ。この機会を逃す手はない。もっとも、決めるのはお前だ。だから、どうする、と訊いた」
耳打ちしてくるルクンの声を聞きながら、ジェラールは穴があったら入りたい気持ちに駆られた。ジェラールがユラに一目惚れをしたことを、ルクンは既にお見通しらしい。
「あの、お二人は、旅の途中でいらっしゃるのですよね?」
ユラが再び話しかけてきたので、ジェラールは、がばっと顔を上げた。さりげなく、ルクンから逃れる。
「はい、そうです」
「でしたら、わたしたち氏族の夏営地にいらっしゃいませんか? 是非、今日のお礼をさせてください」
降って湧いたような幸運に、ジェラールは言葉を失った。代わりにルクンが答える。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。実を言うと、わたしたちは、ちょうどチェリク氏族の幕営地に向かっていたところだったのですよ。……それでいいな? ジェラール」
「あ、ああ、もちろんだ」
ジェラールは声を上ずらせながら、相槌を打つ。
「嬉しいわ。家族もきっと、お二人のことを聞けば喜びます」
ユラはこちらを見て、天女のようにほほえんだ。