第十章 しばしの別れ
翌日から、ナスルたちの犯行に対する裁きが、チェリク氏族の氏族長と長老たちによって行われた。ジェラールも裁きに顔を出させてもらい、やがて判決が下された。その内容は、チェリク氏族を含めたサレッカル部族は、二度とナスルたちを迎え入れないという、いわば永久追放だった。
この判決は、サレッカルの部族長や他の氏族長とも連絡を取り合った末に、決められた。ナスルの出身であるキルメジェト部族とウラス氏族の族長たちにも、厳重な抗議を伝える使者が立てられ、彼らを護送する一団に加わった。花嫁を探そうにも、ナスルたちは、かなり選択肢を狭められたことになるが、自業自得だろう。
とはいえ、逆恨みされる可能性もあるので、ジェラールとルクンも、ミル・シャーンに帰ったら、注意喚起しておこうと相談し合った。
もっとも、ナスルたち――特に連れの二人は、ルクンの武術の腕にすっかり恐れをなしていて、彼が裁きの場に現れただけで、青ざめていた。これに懲りて、もう、何もしてこないだろう、というのが、二人の見解だ。
ナスルたち三人は追い出され、事件は終息した。だが、ジェラールには、まだすませていないことがある。
その日もジェラールはルクンとともに、放牧中のユラとヤーセミンの護衛をしていた。ユラはもう大丈夫だと言い張ったものの、心配した両親がジェラールとルクンに、是非、と頼んだのだ。
「ジェラール殿には、お世話になってばかりね」
岩の上で休みながらユラが言った。傍らに腰かけたジェラールは小首を傾げる。
「そうですか?」
「ほら、わたしが動けなかった間、代わりに山羊の放牧を手伝っていただいたり……それに、わたしを助け出してくださった時、率先して動いてくださったのはジェラール殿だと聞きました。ジェラール殿が気づいてくださらなければ、危ないところだった、とも」
ジェラールは、慌てて首を横に振った。
「最初に、ナスルたちが怪しいと感づいたのはルクンなのです。彼がいなかったら、わたしには何もできなかったでしょう。礼なら、彼に言ってやってください」
「もう申し上げました」
そう応じたあとで、ユラは声を小さくした。
「……実は、わたしが助け出されてから、父がうるさいのです。その……あれほどの人物はなかなかいないから、嫁にしてもらえ、と……」
ルクンとヤーセミンは、岩の下で何か話をしている。風向きからして、互いの声が聞こえることはなさそうだ。
ジェラールは真摯さを声に込める。
「そのお話、ユラ殿はどう思っていらっしゃるのですか?」
「え……? わたしは……」
ユラの顔が、見る間に真っ赤になった。
ジェラールには、ずっと考えていたことがある。ナスルの件が片づいたら、ユラに想いを伝えたい、と。セリームが自分を気に入ってくれたことは、素直に嬉しい。けれど、ジェラールは、まず、ユラの意思を知りたかった。
「ジェ、ジェラール殿はどうなのですか?」
反問するユラを見て、ジェラールは苦笑した。
そうだ。自分がしっかりと態度を決めなければ、ユラを混乱させてしまう。ジェラールは、ユラを優しく見つめた。
「わたしは――いえ、俺は、あなたを妻にできるのなら、これ以上の喜びはないと思っています。……もっとも、俺は婚姻したらすぐに、次の氏族長になると決まっているので、あなたには苦労をかけるかもしれません。それでもよければ、俺と一緒になってください」
ユラは瞬きも忘れてしまったように、ジェラールを見上げていた。しばらくすると、くすっと笑う。
「ジェラール殿らしいおっしゃり方ですね。苦労するなんて言われて、わざわざ婚姻する女は、多分、あまりいないと思いますよ」
しまった、と思った時には、既に遅かった。しかし、ユラは言葉に反して、まっすぐにこちらを見つめ続けている。
「それでも、わたしは、そんなジェラール殿が好きです。――婚姻には苦労がつきものと言いますけど、あなたと一緒なら、苦労も苦労とは思えない。そんな気がします」
「あの、それは、つまり――」
「はい。求婚をお受けします。ジェラール殿」
そう答えた時の、はにかんだようでいて凛としたユラの表情と、その美しさを、生涯自分は忘れないだろう。
ジェラールはユラの顔を目に焼きつけると、そっと彼女に手を伸ばす。恐る恐る抱き締めると、その身体は信じられないほどに柔らかく、温かかった。ジェラールの背にも、ユラの両手が回される。
二人は長いこと、そうして抱き合っていた。ようやく身体を離して、互いに照れながら岩に腰かけ直すと、ルクンとヤーセミンがこちらを見て、ほほえんでいた。
***
放牧から帰ったジェラールとユラは、彼女の両親に婚約したい旨を伝えた。両親は諸手を挙げて喜んだあとで、専用の天幕を与えてくれ、二人は翌日から一緒に暮らし始める。
そして、ジェラールたちがチェリク氏族の夏営地を訪れてから約一月後、ルクンがミル・シャーンに帰ることになった。ジェラールが婚約者を得たことで、付き添いであるルクンの役目は終わったと言っていい。
半年から一年がたって、ジェラールがユラを連れてミル・シャーンに戻る時は、セリームとエンフが付き添うことになるだろう。
早朝、ジェラールとユラ、それに彼女の親族に見送られ、ルクンはツァク・ラックに乗り、バヤードの口綱を引く。
「お世話になりました」
ルクンがユラの親族に向け、丁寧に頭を下げた。皆が餞の言葉を贈る中、成り行き上、特にルクンと親しくしていたヤーセミンが、前に進み出た。
「今度は奥様も連れていらっしゃってね。ジェラール殿の義弟ということは、ルクン殿も、わたしたちにとっては親族ですから」
「はい、必ず。ヤーセミン殿も、いつか、よいお相手が見つかることを祈っていますよ。あなたと話していると、別れた妹を思い出して、とても懐かしかった」
微笑とともに答えるルクンに、ヤーセミンはちょっと顔をしかめて見せた。
「結局、そういう風にしか見てもらえなかったんですね。あーあ、ルクン殿が独り身だったら、わたしが花嫁候補に名乗りを上げていたところだったのに! 全く、ルクン殿ったら、ご婚約者を好きすぎて、他の女が入り込む隙も見せやしないんだから」
「え? それは、申し訳ない……」
途端にたじたじとなるルクンの姿に、その場にいた全員が笑いを誘われた。ジェラールはユラを伴って、ルクンに近づいていく。
「本当に、ありがとうな、ルクン。俺がユラと婚約できたのは、お前のおかげだ」
「お互いさまだ。俺がノエイルと婚約できたのも、お前のおかげだろう。ユラ殿と仲良くな」
「ああ、お前もな。俺が帰るまで、祝言を挙げるんじゃないぞ」
「それでは、二組同時に祝言を挙げることになってしまうな」
ルクンの冗談に、二人は同時に笑う。母の性格を考えると、本当に実現してしまいそうな気がするが、まあ、祝い事が多いのはいいことだ。名残惜しい気持ちになりながら、ジェラールは言った。
「じゃあな、ノエイルや母上、皆にもよろしく伝えておいてくれ」
「ああ、また会おう。ユラ殿もお達者で。うちの氏族長を、よろしくお願いします」
「はい、頼まれました」
ユラが、晴れやかな笑顔で応じる。
ルクンは軽く手を挙げたあと、馬首を翻し、バヤードを連れて、ミル・シャーンの夏営地のある南西へと向かっていった。その姿が点のように小さくなり、完全に見えなくなるまで、ジェラールはルクンを見送った。
不思議だった。ルクンとは出会ってから一年もたっていないのに、まるで何年もともに過ごしたような気がする。
「寂しくなるわね……」
ユラに声をかけられ、ジェラールは頷こうとした。ふと、目を上げると、どこまでも高い蒼天が広がっている。ルクンも自分も同じ空のもとにいて、同じ方向を向いている。そうである限り、寂しがることはないのだと、心から思えた。
「また、すぐに会えるさ」
ジェラールは、ユラに笑顔を見せると、チェリク氏族の夏営地へと、馬を向けた。
……それから八月後、ジェラールは嫁入り道具を携えたユラを伴って、ミル・シャーンに帰った。ジェラールは、ルクンと同じ日に祝言を挙げ、氏族長となった。
ノエイルとの間に双子をもうけ、父親となったルクンの補佐を受けながら、ジェラールは氏族をよく導き、優れた長となる。ユラとの間に三人の子宝に恵まれ、生涯、妾は持たず、夫人と仲睦まじく暮らしたという。
(完)




