表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/59

過去編そのニ 凛

叢丞は殊の外、熱心に剣術の稽古をこなす。

八澄の護りの〝力〟が無い事も少なからず影響しているのだろうが、その熱の入れようは只ならぬモノがある。


その日も叢丞は朝早くから霧ヶ浜の砂浜で素振りをしていた。


「……四百九十九、……五百っ!」


ふぅっと一息吐いて木刀を砂浜に差して手拭いで汗を拭いた。


「ん?」


叢丞はふと、砂浜沿いの道を走る人物を見つけた。


「あれは……」


それは彼もよく知る人物だった。


「お~い、『沙耶さや』ぁ~!」


沙耶と呼ばれた少女は立ち止まってキョロキョロと辺りを見回している。


「こっちだ、こっち!」


向こうも叢丞を見つけたのか、大きく手を振っている。


「叢丞さまぁ~」


叢丞はこの沙耶という少女にはちょっとした縁があった。


四年程前に親子で行き倒れていたところを叢丞が保護したのだが、当時の八澄家に彼女らを雇い入れる余裕は無かった。


ちょうどそこへ咲夜の世話係をしていた老婆が腰を痛めて隠居するのを聞いていた叢丞が咲夜に彼女らを紹介し、雇い入れてもらったのだ。


そういった経緯もあり、沙耶達親子は叢丞を恩人扱いしている。


呼び止められた沙耶がその場で足踏みをしていることから急いでいる様子が伺えた。叢丞は悪いと思いながらも彼女に歩み寄る。


「どうしたの? 何か急ぎの用事?」


「おっ母……じゃなくて、母が熱を出してしまって」


「『沙那さな』さんが熱を」


沙那というのは沙耶の母親の名前だ。


「はい。お屋敷のお薬がちょうど切れてしまっていたので、今からお医者様を呼びに行くところです」


「なんとかって解熱剤ならうちにあるよ」


「本当ですか?!」


飛びつきそうな勢いで沙耶は叢丞に駆け寄った。


「じゃあうちに行こうか」


「でも叢丞様は鍛錬の最中じゃ……」


申し訳なさそうに沙耶が叢丞を見上げる。


「今朝の分は終わったところだから」


叢丞は早速と八澄の屋敷の方へ歩き出した。


「私達親子の為に申し訳ありません」


てててと沙耶は叢丞の後をついていく。


「何言ってるのさ。沙耶は咲夜の世話係で僕の弟……いや妹弟子とでも言った方がいいのかな。だから放っておくことなんて出来ないよ」


「叢丞様……」


「それと言ってくれるんだったら〝申し訳ありません〟よりも、〝ありがとう〟の方が僕は嬉しいかな。謝罪よりも御礼を言われた方が気持ちいいと思わない?」


「言われてみればそうかもしれませんね。それじゃあ、ありがとうございます!」


「うん」


頷いて叢丞は沙耶の頭を撫でた。




その日、谷曇清九郎は朝からイライラしていた。正確には近頃イライラすることが多く眠りが浅かった。


「くそっ……」


理由は二つあった。

一つ目は上官であるあの得たいの知れない人物。


外見は中性的で男にも女にも見える。その何でも見透すような瞳はとても綺麗なのだが、人間らしさのようなモノが感じられず、彼ですら寒気を覚えるくらいだ。


歳は清九郎と然程変わらないように見えるが常に上から目線。軍隊において上官は絶対の存在であるが、我が儘放題に育った清九郎にとっては屈辱の日々であった。


そしてもう一つ。

許嫁である八澄涼香の事だった。


「夫に逆らいおって……」


数日前、叢丞を庇った時の彼女の反抗的な目はまだ忘れていない。


「なんで、あんな義兄のうなしなんかを……!」


涼香がその兄である叢丞を敬愛しているのは知っていた。しかし彼女の兄を見る目はそんな物を超えているように見えた。


「俺は谷曇家の谷曇清九郎だぞ」


清九郎は自分の思い通りに行かない現実にイライラしていた。そこへ……、


「おはようございます、清九郎様」


八澄涼香はいつも笑顔で挨拶する。それは清九郎に対しても変わらない。


この日もいつものように涼香は笑顔で清九郎に挨拶した。


清九郎もいつも通り、おはよう涼香殿と、返そうとしたが、その途端に先日の出来事が浮かんできた。


「…………っ」


「清九郎様? どこかお加減でも……」


清九郎は湧き上がってきた怒りに我を忘れて、拳を振り上げていた。




解熱剤をいくらか渡すと沙耶は走って帰っていった。


「早く良くなるといいけどな」


叢丞は井戸で水浴びでもしようかと、木刀を置きに自室へ向かう。と、その時見てしまった。


清九郎の拳が涼香の顔面を撃ちつける場面を。


「きゃぅっ!」


涼香が叢丞の足元に転がった。


「涼香っ!!」


「あ、に、兄様……」


涼香は何が起きたのか理解出来ていないようだった。涼香の頬が赤くなっているのを見た叢丞の胸に怒りがふつふつと湧き上がってきた。


清九郎も一瞬何が起きたのか理解出来ていないような表情をしていた。だが叢丞にはそんなもの・・・・・は見えていなかった。


「清九郎ぉっ!!」


叢丞が清九郎に殴りかかる。


「だ、駄目です、兄様っ!」


涼香が叢丞の腰に抱きつき、その足を留める。


「涼香っ……!」


「涼香は! 涼香は……大丈夫ですから」


「しかしっ!」


その時、どかどかと清九郎が近づいてきて涼香の胸倉を掴んだ。


「……これは、どういうことだ!」


清九郎は涼香を見てわなわなと震えていた。


「せ、清九郎様……。苦……しい、です……」


「どういうことだと聞いている!」


「こ、これは……」


涼香はキマリの悪そうな顔をして俯いた。


「涼香を離せ!」


清九郎の目が叢丞に向く。


「お前、私を騙し……、いや、気づいていないのか?」


「何を訳の分からないことを。早く涼香を離せ」


「そんなに離してほしいなら、ほらっ!」


清九郎が壁に叩き付きるようにして涼香を突き飛ばした。


「なっ…?!」


ただでさえ突き飛ばすこと自体信じられない叢丞が見たその先には……、


「何を考えているんだ?! そっちは階段・・がっ…!」


涼香の後ろにぽっかりと口を開けた下り階段が叢丞には・・・・見えた。


「は? 何だって?」


清九郎が怪訝そうな声をあげる。階段から転げ落ちそうな涼香を咄嗟に庇おうとする叢丞にはそんな声に気を取られている余裕など無い。


そして辛うじて彼女が転落するのを防いだ叢丞だったが……


「よかっ……あっ?!」


勢いを殺しきれず、叢丞はそのまま闇の中へと吸い込まれていった。


「(あれ……? そう言えば……こんな所に・・・・・階段なんて・・・・・あったっけ・・・・・?)」




「……兄、様?」


清九郎に突き飛ばされたところを庇ってくれた愛しい兄の姿を涼香は探す。


「清九郎様……?」


清九郎は清九郎で、涼香の後ろの叢丞が・・・庇ってくれなかったら・・・・・・・・・・激突していたで・・・・・・・あろう壁・・・・をぺたぺたと触りながら不思議そうにしている。


「からくりでもあるのか……?」


一通りその場の検証をすませた清九郎はそう呟くと、涼香を冷たく一瞥してその場を去っていった。


「……からくり?」


涼香は生まれた時から・・・・・・・この家に住んでいるが、屋敷の中にカラクリの類があるなんてことは聞いたことが無かった。しかし、彼女は先程の兄の言葉を思い出す。


―――「何を考えているんだ?! そっちは階段・・がっ…!」


この平屋の屋敷には確かに地下室は存在するが、当主以外が入ることは許されていないし、当主以外に入る方法は知らされていない。


「地下室、ですか……」


八澄の家が〝封印守はかもり〟の役割を持っていることぐらいは涼香も知っている。


その昔、この辺りを暴れまわったという邪な妖怪が、この家の何処か……地下室に封じられているというのを小さい頃に聞いたことがあった。


「お嬢、大丈夫かい?」


八澄家の女中の頭であるたえが涼香に声をかけた。


「妙さん……。私は平気です。それよりも……」


兄の消えた壁をもう一度見る。


「兄様……」


このまま兄がどこかにいってしまうのではという不安が、涼香の中を侵蝕し始めていた。




「いっ……つぅ~……」


階段を転がり続けた叢丞はようやく一番下に到達した。運良く頭は打たなかったが身体のあちこちに痛みが走る。


「真っ暗で何も見えないな……」


目が開けていてもまるで目を閉じているかのような真っ暗闇。


「お~い!」


誰か居ないかと呼びかける叢丞の声が木霊する。結構な広さがあるのが分かる。


「まさか屋敷うちの地下にこんな広い空間があるなんてな。それにしても……」


何か無いかと四つん這いになりながら叢丞は辺りを探る。


人間は無音の暗闇に放り込まれると、上下の感覚が麻痺したり発狂すると言われている。


地面はさすがにある。だけどいきなり崖っぷちがあるとさすがに怖いので少しずつ手で探りながら周りを確かめる。


「ん……?」


叢丞の手に何か当たった。


「何だ……?」


大きさは人の頭くらいで形状は立方体で硬い物体がそこにあるようだ。


「え……?」


どこからともなく冷んやりした風が吹きぬけた。するとフッと手元が明るくなった。


「これは……燈籠?」


手元のそれは燈籠のように辺りを照らすもののようだ。


「あれ……?」


辺りを見回すと少しだけ離れた場所にも同じものがある。


「まただ」


そしてその先にもまた一つ。やがて一つずつ叢丞をどこかへ誘うかのように灯りが灯っていく。その様子はとても儚く幽玄に見えた。


「地下……か」


地下と聞いて思い当たる話があった。

八澄が〝封印守はかもり〟たる所以。かつてこの辺りを暴れまわった邪悪な妖怪が封印されている。その封印を守るのが八澄の務め。


ひょっとしたらここがそうなんじゃないだろうかと思いつつ、この光景に魅入られていた叢丞は進む足を止めることが出来なかった。


そのどこまでも続くかと思われた道程もやがて終着点を迎える。


「……っ!」


叢丞は思わず言葉を失った。

まず叢丞の目に入ったのは開けた小さな空間の中にある朱色の鳥居。そしてその奥に建つ小さなお堂は神域を思わせ神聖な雰囲気を醸し出していた。


そこはまるで時間の輪から外れて存在しているような気さえした。


お堂の中を確かめるべく、鳥居を潜る。


「……なんだ!?」


一歩鳥居の内側に入ると、急激に温度が下がった。そしてお堂の方から、白いもやのようなものが地面を滑るように流れ出てきた。


「まさか本当にここが……?」


寒さに耐えつつも叢丞は思い切ってお堂の扉を開けた。


「これは……!?」


そこには一人の少女がーーー、


大きな氷の塊の中でーーー、


まるで祈りを捧げるように胸の辺りで手を組みながらーーー、


眠るように閉じ込められていたーーー。


「なんだ、これ……?」


あまりに幻想的な姿だったので叢丞は思わず見入っていた。

子供のように小さな身体に黄金色と銀色が混ざったような美しい髪、丈の短い退廃的な感じのする黒色の洋装ドレスを身に着けている。


しかしその美しい髪と洋装ドレスの黒が妙に似合う。年のころは叢丞より少し下だろうか、ひょっとしたら涼香と同じくらいに見えた。


やがて叢丞はその氷に手を伸ばす。すると……、


「え……?」


不意に氷が音と蒸気が立ち上り始めた。


「な、なんだ……?」


それはやがてお堂の中を満たしていく。


「う、うわぁ……っ!」


一寸先も見えないほどの真っ白い視界の中、それは解き放たれた。


「……っ!」


迫りくるような威圧感。絶大な魔力。とてもあの小さな身体から放たれているものとは思えないほどの……。やがてその白い霧は、その絶大な〝力〟に屈服したかのように、それ・・に道を開けるように晴れた。


「……………………ぅん」


そこには既に氷の固まりは無く、ただ氷の中にいた少女が目を閉じ立っていた。その目がゆっくりと開かれる。そこから現れた瞳は、まるで空と海の色が混ざったようなきれいな紺碧色をしている。


「……八澄の血に連なりし者」


「え?」


聞こえてきた声は低く、見た目とは裏腹な重厚さを感じさせた。


「私の封印が解けたのは、あなたが八澄の血に連なりし者の証」


「えっと、僕は確かに八澄の者ではあります。でも、八澄と証明するような力はないんです……」


「ならば、何故に私の封印が解けた……?」


彼女は再び目を閉じた。


「……なるほど。〝あの時〟の」


「え……?」


「八澄の者よ。名をなんと……?」


瞼が上がり紺碧色のきれいな瞳が覗いている。


「あ、え、……そ、叢丞です」


「叢丞殿。あなたの中には眠っている、いや眠らされている〝力〟があります」


「眠らされて……? もしかして……封じられている?」


「察しがよいですね。何者かが意図的に施したと思われる封印を感じます。おそらくその術式と私自身の封印が何らかの反応を示し、解除されたのでしょう」


「それじゃあ、僕の〝力〟は……」


「ええ。少しずつではありますが徐々に戻っていくでしょう」


「そうか……。でも、誰が何の為に……」


そう叢丞が安堵した刹那、


ーーー「(……ああ…………あぁ……ぁ……) 」


彼の頭を何か・・が駆け抜ける。


「え……?」


心臓を鷲掴みにされたような、いや、それよりも酷く心臓が潰されてしまいそうなものすごく悲しい感情が叢丞の奥底から湧いてきた。


「封印が弱くなるにつれてあなたの本来の〝力〟を使えるようになるでしょう……ただし」


「ただし……?」


「何か大切なものを代償とするかもしれません」


「代償……ですか」


「それが何かは私は知りませんが、心しておくとよいでしょう」


たとえそれがどんな代償だろうとも、〝力〟があれば自分が涼香を守ることが出来る。その為ならどんな代償だろうと構わないと叢丞は決意する。


「わかりました。ところで……」


「はい」


「あなたが……」


叢丞は言いかけて飲み込む。

「あなたが昔ここらで暴れまわった妖怪ですか?」と訊こうとしてやめた。どう見てもそうは見えない。


しかし、飲み込んだ筈の叢丞の問いに答えるかのようにその少女ひとは口を開いた。


「私の名はレイン」


「レイン……?」


名前のようだ。


「『レイン・アンネリーゼ・エーベルヴァイン』。この身に龍を宿す者」


「レイン……アンネリーゼ・エーベルヴァイン?」


その響きはどう聞いてもこの国の生まれの者ではない。この国と協定を結んでいる鉤十字の国の言葉の響きに似ていた。


「この身に龍を宿すって……いったい?」


「昔、この辺りを龍が暴れていて、民が困り果てていました。そんな折に、世界中を放浪していた私が通りかかり、彼の龍をこの身に封印しました」


どこかで聞いたような話に叢丞は一つの伝承に思い当たった。


「それは龍神祭の……?」


龍神祭。一月の八日に霧ヶ浜の海岸で開かれる、豊玉毘売の悲しみを鎮めて漁の安全を祈願の祭りだ。


発端とされる伝承の一つに〝龍神伝説〟というのがある。


昔、霧ヶ浜で邪悪な龍神が暴れ回っていた。そこへ通りがかった陰陽師がその龍神を自分自身の身体に封印したという物だ。今ではその龍神は豊玉毘売の悲しみの化身と伝えられている。


「なるほど……」


叢丞が知っている事を一通り話すと、レインと名乗る少女は少し寂しげな表情をした。


「……陰陽師というのは知っています」


「え……?」


「極東、つまりこの国で作られた術の大系。それが陰陽道」


「じゃあ、貴女はやっぱり陰陽師とは違うんですか?」


少女の見た目から叢丞には陰陽師という言葉が相応しくないように思っていた。何処をどう見てもこの国の生まれには見えなかったからだ。


「その通り、私は魔術師です」


「魔術師……」


古くからある欧州での術理概念で、自然の力を操ることが出来るという。それが出来る人間が魔術師と呼ばれる。この国で言うところの陰陽道に近い。厳密に言うとまったく別物なのだが。


「八澄の家は確か、結界術に長けた一族だったと思うのですが……」


「はい。でも僕は術は使えませんし。あ、でも〝力〟が戻ってくるならまた使えるようになるのかな」


「あなたには幾つかのえにしが〝視〟えますね」


えにし……?」


突然の話題の変化に叢丞は困惑した。


「はい、その縁があなたを守り、またあなたがその縁を守っています。その中であなたの〝力〟もやがて戻ってくるでしょう」


言葉の意味はよく分からなかったが、彼女が言いたいことを叢丞は何となくではあるが理解していた。


「だったら……僕にそんな〝力〟があるのなら、貴女の事も守れますか?」


「え……?」


「こうして僕がここに来て、封印を解き、そして貴女に出逢った。これも縁って言うんじゃないですかね」


「……ふふ」


彼女レインは笑みを浮かべた。


「なるほど。この場所に辿り着けるだけのことはあるということですか」


そして一人で納得している。


「ここに辿り着くには資質が必要となります」


「資質……?」


叢丞には〝八澄〟であるということしか思い当たらない。


「八澄の名は言わずもがな、それに人格と持って生まれた〝力〟……」


「だから僕には〝八澄の力〟なんて……」


自分では・・・・気付かずに・・・・・会得しているということですか。まあそれが普通であるのでしょう」


「自分では気付かずに……」


「そんな〝真なる八澄の力〟を持つあなたなら任せられるでしょう。あの子を……」


「〝あの子〟?」


レインがすっと両目を閉じる。


「え……?」


毛先の方から髪の色が徐々に変わっていく。新品の筆が墨汁を吸っていくように、綺麗な銀色の髪が艶やかな黒髪へと。


『私はこの身・・・に龍を封じています。〝力〟強く、格高きかの龍は〝応龍おうりゅう〟と呼んでも決して大袈裟ではないでしょう』


叢丞の頭の中にレインの声が直接響いてくる。


「〝応龍〟だってーーー!?」


四神しじんと呼ばれるモノがある。

天の四方の方角を司ると言われている神獣で、

東が〝青龍せいりゅう〟、

西が〝白虎びゃっこ〟、

南が〝朱雀すざく〟、

北が〝玄武げんぶ〟とされている。


その四神はそれぞれ木・火・土・金・水の五行を当てはめることができ、 青龍が木、 白虎が金、 朱雀が火、 玄武が水とされ、 その中央に土に当てはまる〝黄龍おうりゅう〟を加えた自然哲学の思想が【五行ごぎょう理論】。


世界のすべては〝陰〟と〝陽〟に分けられるという考えが【陰陽いんよう理論】〟。


その二つを合わせることで誕生したものが、今日の陰陽道の基となった【陰陽五行いんようごぎょう理論】である。


それらとは別に、大陸に古くから伝わる神話に、瑞獣と呼ばれるこの世のすべての動物達の長と考えられていた四種の霊獣がいる。

麒麟きりん〟。

鳳凰ほうおう〟。

霊亀れいき〟。

そして〝応龍おうりゅう〟。

この四種の霊獣を四神とは別に四霊しれいと呼ぶ。


大陸の古書『瑞応記』において、「〝黄龍〟は神の精、〝応龍〟は四龍の長」と記されている。四龍とは青龍・白龍・赤龍・黒龍とされ、四神と置き換えられることもある。

つまり〝応龍〟をはじめとした四霊は四神よりも格上の存在ということになる。


これらを踏まえた上で〝応龍〟というモノを考えた時、かなり格の高い、力の強い龍ということが分かる。どれだけの魔力・霊力を以ってすれば〝応龍〟を封印し、抑え込むことが出来るのか叢丞には想像もつかなかった。


私自身・・・が封印となっていますが、このまま抑え続けることは不可能。魂を蝕まれ続け、そのうち自我が無くなっていくでしょう』


やはり〝応龍〟というのは並大抵の存在じゃないらしい。


『そうなれば身体を乗っ取られ、再び〝応龍〟は暴れまわるでしょう』


「そんな……!?」


『だから私は、私の中にもう一人、私の娘とも言うべき人格を創りあげました』


「乗っ取られる事を防ぐ為のもう一人の人格……?」


それに叢丞は、喉に何かつっかえているような違和感を覚えた。


『頼みます。私の娘を……』


言い終わると同時に、髪の色は完全に赤みがかった茶色へと染まった。そしてレインの瞼がゆっくりと開く。


「あの、レイン……さん?」


髪の色と同じ、赤みがかった茶の瞳が僕を捉える。


「……だれ?」


先程とは打って変わり、話し方が少し幼くなった。


「え?」


レイン(?)はきょとんとした顔で叢丞を見つめている。その瞳がとても澄んでいたので、叢丞は気恥ずかしくなった。


「僕は叢丞。八澄叢丞って言うんだけど……」


「やすみ、そうすけ……?」


「あの、レイン……じゃないの?」


「れ…ぃ……ん?」


噛み締めるかのように言葉を紡ぐ。


「……まもって……あげる?」


「え……?」


先程叢丞がレインに言った事を口にした。


「……そーすけ」


「うん?」


「そーすけだっ!」


大きな声で叢丞の名前を呼ぶとレイン(?)は、親にしがみつく子供のように彼に抱きついた。


「なっ?!」


「そーすけ、〝りん〟をまもってくれるっていった。だから〝りん〟もそーすけをまもる!」


叢丞がレインに言った言葉を再び口にする〝りん〟。そこから意識を共有しているのかもしれないということが叢丞には想像出来た。


「え~っと……、君は〝りん〟って言うのかな?」


「さっき、そーすけがそうよんだ」


「僕が? 確かにレインと……。もしかして〝レイン〟が〝りん〟に聞こえたのかな。そんなに遠いわけでもないし」


ぶつぶつと独り言のように呟く叢丞を〝凛〟が覗き込む。


「どうした、そーすけ?」


「なんでもない。それじゃあ今日から君は〝凛〟だ」


レインの方の雰囲気が凛々しかったから〝凛〟。そういうことで叢丞の中で決着させた。


「うん! 〝りん〟は〝凛〟」


「ところで凛?」


「な~に?」


叢丞が辺りをキョロキョロ見回す。出口を探していた。


「そーすけ、こっち」


まるで叢丞の心を読んだかのように、凛がその手を引いた。


「でもそっちは行き止まり……え?」


再び鳥居を潜った瞬間、辺りが光に包まれた。その眩しさに目を瞑る叢丞。そしてーーー、



「兄様……?」


「え?」


それ程時間は経っていない筈なのに、その声が叢丞を懐かしい気持ちにさせた。


目を開けるとそこは、清九郎が涼香に暴力を振るっていた場所だった。


「あ、あれ?」


振り返り確かめるがそこに階段は無く、ただの壁でしかなかった。


「夢、だったのかな……?」


時間はあまり経っていないようだ。その証拠に目を開けた瞬間、ちらっと清九郎が廊下の角を曲がるのを叢丞は視界の端に捉えていた。


「(そっか……。多分壁に激突して夢でも見ていたのかもな)」


あんな派手な格好した少女と一緒に居たら涼香はきっと卒倒してしまうかもしれないと叢丞は微かに笑った。


「そと、あかるいっ!」


「え?!」


今しがたまで夢の中(?)で聞いていた声がして叢丞は振り返る。すると、


「……?」


一度叢丞の顔を見て満面の笑みを浮かべると、凛はまた辺りをキョロキョロし始めた。その様子から外が珍しいように見える。


「……夢じゃなかったのか」


「に、兄様……?! こここ、こちらの方は?!」


珍しく涼香が慌てていた。


「え……っと、なんて説明したらいいのかな……」


「どうしたのです?騒々しい……」


騒ぎを聞きつけてきた二人の母・『八澄千風やすみ ちかぜ』が、少し不機嫌そうな表情でやってきた。


「母上……」


千風の目が叢丞を捉えると、居心地の悪いようなしかし申し訳ないような、それらがない交ぜになったような顔に変わった。


「母上?」


「その子は……?」


そして凛を目にした千風が訊いた。


「実は……」


今起きたことを叢丞が話そうとしたが、何かを察したのか千風はそれを制止した。


「私の部屋に行きましょう」


「……はい」


そして叢丞は涼香と凛を連れて、千風の部屋へと赴いた。



「そうでしたか……」


叢丞の話を聞き終え、千風はじっと目を閉じていた。


「そんな、あそこはただの〝壁〟でしかありませんでしたよ?」


叢丞が消えた後に涼香は〝壁〟の辺りを調べた。しかし〝壁〟はやはり壁でしかなかった。


「結界なのかもしれません」


やがて閉じていた目を開き、千風がそう言った。


「結界、ですか……?」


「条件を満たしている者にのみ潜り抜けることが出来る仕組みにでもなっているのかもしれません」


「でも僕にはその……〝力〟が無いのに、条件なんて満たせる筈がない」


叢丞には〝力〟がない。だから叢丞は母である千風に嫌われているのだと思っていた。


「叢丞……」


しかし叢丞の名を口にした千風の顔は、叢丞でも見たことがないくらい悲哀に満ちていた。


その千風の表情を見た瞬間、叢丞は胸の辺りがズキリと痛んだ。


「叢丞?」


「なんでもありませんよ、母上。それよりも続きを」


「分かりました。条件の一つに考えられるのは確かに〝霊能〟の力かもしれません。しかし他に考えられるモノがあります」


「それは?」


「それは、八澄の〝真なる力〟と呼ばれるモノです」


「八澄の……〝真なる力〟?」


レインもそんなようなことを言っていたのを叢丞は思い出す。


「陰陽道の基本は【陰陽五行いんようごぎょう】であることは二人とも知っていますね」


「はい」


叢丞の返事と一緒に涼香も頷く。


「八澄の家系は陰陽道の家系の中でも結界術に長けた一族。それ故〝封印守はかもり〟と呼ばれています。その長い歴史の中で発展し、独自の進化を遂げた八澄家の陰陽道を【陰陽八徳いんようはっとく】と言います」


「【陰陽八徳いんようはっとく】……」


「八徳とは元々儒教における教えの中の最も重要な概念の事を言います。〝仁〟、〝義〟、〝礼〟、〝智〟、〝忠〟、〝信〟、〝孝〟、〝悌〟がそれに当たります」


「全部で八つ……」


涼香がその数を数えていた。


「それらは人の最も純粋な、澄んだ部分の象徴」


「だから〝八澄〟?」


「その通りです」


ただ谷曇の分家だから似た名前が与えられていたのだと叢丞は思っていた。


「中でも〝仁〟は八つの徳目の内でも最高位として扱われます。そして八澄の当主はその〝仁〟を会得することを一つの条件としています」


「会得と言われても、それはしようと思って出来るものなのですか?」


「そうですよ、母様」


ふっと笑い千風は続ける。


「そうですね、しようと思っても出来ないでしょう」


「ではどうやって?」


「八澄の人間は生まれた時から既に会得しているのです」


「生まれた時から……」


「母様、私もですか?」


涼香が興味津々に訊く。


「ええ。あなたは〝悌〟でしょう」


「〝悌〟とはどんな徳目なのですか?」


「兄や年長者を敬う心のことです」


千風は苦笑しながらそう教えた。


「それは実に私にぴったりですね」


涼香は満面の笑みで叢丞を見た。


「僕は敬われるような人間なのかな」


「兄様は少しご自分を卑下し過ぎです!」


涼香が少し怒ったように言ったのに叢丞は驚いた。


「それは私も思いますよ、叢丞」


「母上……」


「〝仁〟の心を持つ貴方は例え霊能の〝力〟が無くても、立派な八澄の当主候補なのですから」


「僕が最高位の徳目である〝仁〟の心の持ち主……?」


「他者を慈しみ、思いやる心。あなたにとてもお似合いだと思いますよ、叢丞」


「涼香もそう思います」


涼香はまるで疑うことなく言い切った。


「兄様はいつも涼香に優しいです」


「そうですね。もっとも叢丞の場合は人に限らず動物達をも慈しむ大きな心を持っているようですから」


「母上まで……」


そこまで言われ叢丞は少し面映かった。


「そうして〝仁〟の心を持つ者の周りに、徳を持った者が自然と集まってくる」


「僕の周りに?」


「そして八人が揃うと何か乱が起こるとも言われています」


千風の表情が剣呑なものへと変わる。


「乱、ですか……?」


涼香が少し青ざめる。


「八人全員揃うことは稀ですが、揃った時にはいずれも何かが起こっています」


「何かってどのようなことが……?」


「鬼が現れたり、戦が起こったり、様々です。二人がよく知っているところで言えば、およそ四〇〇年程前に起きた戦による霧ヶ浜の焼き討ちですとか」


戦国乱世の時代に国主に従わなかったとして霧ヶ浜一帯が焼き討ちにあったと叢丞も聞いたことがあった。


「ここらで龍が暴れたというあの時期も八人揃っていたと知らされています」


「兄様……」


涼香が叢丞の上着の袖をそっと掴む。その手は震えていた。


「大丈夫だよ、八人揃うことはまず無いってことだし」


「は、はい……」


叢丞はそう言って震える涼香の手を包み込むように取ると涼香は安堵し笑みを見せたが、それでもまだ少しだけ震えは止まらなかった。


涼香が怯えているのを慰めようと口にはしたが、千風の複雑そうな表情が叢丞は気になったていた。


ーーーまるで、既に八人揃ってしまっていると言っている様な顔だった。


「ん……?」


そういえばこの場にはもう一人居たはずだと叢丞が周りを見回す。


「すぅ……、すぅ……」


そのもう一人、凛は静かに寝息を立てていた。


「途中からついていけなくなったのかな……?」


「それもあるでしょうが、まだ目覚めたばかりではしゃぎ疲れてしまったのもしれませんね」


千風の表情は今しがたとは打って変わって、何か昔を懐かしむような優しい顔をしていた。


「それと叢丞」


「はい」


「どうやら〝力〟が戻ったようですね」


「え……?」


「蝋燭の灯火のようにまだほんの僅かですが、あなたの中に感じます」


「そう……なんですか?」


自分では実感出来ない叢丞だが、レインが言っていたことが証明された。


「本当ですか? よかったですね、兄様」


叢丞に〝力〟が戻ったのが余程嬉しかったのか、涼香はもう震えていなかった。


「ありがとう、涼香」


叢丞は涼香の頭を優しく撫でる。


「これで兄様が修練を抜け出す理由がなくなりましたね」


頭を撫でる叢丞の手がぴたりと止まる。


「そっか、そうなるよな……」


「兄様?」


「本当にあなたたちは仲睦まじいですね」


「えへへ」


涼香が照れくさそうにしている。


「僕が体験したのはこんなところです」


「わかりました」


「それでは失礼します」


「待ちなさい」


退室するために凛を起こそうとしたところ、千風がそれを制止した。


「叢丞は残りなさい。もちろんその子も」


視線で凛を指す。


「……わかりました」


「兄様……」


心配そうに涼香は叢丞を見る。


「大丈夫だよ」


「……はい。それでは失礼します」


渋々といった様子で引き下がった涼香は、部屋の敷居の外側で丁寧に指をついて頭を下げた。


そして障子が閉められた瞬間、部屋の中の空気が一気に張り詰めたように感じられた。


「叢丞」


「はい?」


「三年前のこと、やはり思い出せませんか……?」


「はい……」


三年前。涼香が大病を患っていたという日々。その期間の記憶だけが何故かすっぽり抜けてしまっている。


「そうですか……。〝力〟が戻ったから記憶もと思ったのですが…」


千風は哀しそうな顔をしている。


「すみません。でも〝力〟が戻ればいずれ記憶も戻るだろうってレインは言っていました」


「レイン……。もう一人の銀色の髪の彼女ですか」


千風は微睡む凛に目を向けた。


「んぅ……」


その凛がムクリと身体を起こした。


「凛、起きたの……?」


「そーすけ……」


凛は寝ぼけ眼で叢丞を見上げた。


「むずかしいはなしおわった?」


「母上、お話は以上でしょうか?」


「そうですね。ではその子に部屋を用意しなくてはなりませんね」


千風が家人を呼ぶ。するとすぐに女中長である妙他、数人の女中がやってきた。


「(早いな。まるで隣に待機していたような……)」


「凛殿を〝部屋〟にご案内しなさい」


冷たく言い放つ千風を見て叢丞の懸念が現実になる。


「かしこまりました」


そう応えるや否や、凛を無理やり連れて行こうとした。


「そーすけっ!」


凛がもがいて叢丞に縋ろうとする。


「母上?! いったい何を?!」


叢丞の言葉が聞こえないのかのように千風はその様子を見守っていたる。


「凛っ!」


叢丞は凛に向かって手を伸ばす。


「そーすけっ!!」


凛もその手を取る為に思い切り手を出す。


「坊ちゃん、失礼っ」


妙が叢丞に当て身を喰らわせた。


「ぐっ……」


後もう少しで届きそうなところで阻まれてしまった。しかし次の瞬間ーーー、


「そーすけっーーー!!」


部屋の中を暴風が吹き荒れた。


「こ、これは?!」


「そーすけをいじめるなっ!」


千風は吹き飛ばされないように咄嗟に結界を張った。そのすべの無い女中衆は襖や障子を突き破って部屋の外まで吹き飛ばされた。叢丞は身を屈めて何とかその場で踏ん張っていた。


「凛……!」


吹き荒れる暴風の中、叢丞はどうにかして凛の傍まで辿り着いた。


「凛っ。僕なら、大丈夫、だから」


そう言って叢丞は凛を優しく抱き締めた。


「そー……すけ」


すると暴風は止み、凛は安堵の表情で気を失った。膝から崩れ落ちる彼女を支えるようにして叢丞もその場に座り込んだ。


「叢丞」


「は、母上、これは一体どういうことですか?!」


千風は真剣な眼差しで叢丞の目を見た。


「叢丞。あなたはその魔術師と名乗った少女と八澄家ここの地下で出逢い、そして龍をその身に宿していると聞いた」


「……はい」


「そして今しがた強大な〝力〟。どう考えてもただの・・・魔術師ではないでしょう」


千風は暗に彼女が危険な存在ではないかと危惧している。


「それは……」


叢丞もその事を理解しているからこそ二の句を継げなかった。


「地下に封じられていた以上、用心深く調べてみるに越したことはないのです。……これ以上、家族を亡くしたくはありませんから」


「っ!」


叢丞や涼香の父親であり千風の夫であった前当主は、七年前の谷曇の退魔行に参加し命を落としている。


詳しい事情を知らない叢丞だが、千風の気持ちは痛い程よく分かる。その彼女の判断が正しいということも理解出来た。


「そう……ですね。僕が浅はかだったかもしれません」


居住まいを正し、叢丞は再び千風に正対した。


「いいえ、叢丞。あなたが聡明な子で私は嬉しい限りです」


そう言って久しぶりに見た千風の笑顔を見て叢丞は心が温かくなるのを感じた。


「でも母上、始めから疑ってかかるのはよくないと思います。凛はとても良い子なのに」


「……そうですね。今は〝妖気〟をカケラも感じることはありませんし、もう無理矢理連れて行こうとはしません」


「ありがとうございます、母上」


叢丞は頭を下げた。


「ですが完全に信じる為にも彼女の検査はさせていただきます。その時は出来るだけ叢丞にも立ち会ってもらえるようにしましょう」


「お願いいたします」


「……それにしても、あなたは本当に優しい子に育ちましたね」


「そうでしょうか……。自分ではよく分かりません」


「涼香もそうですが、出会ったばかりのその子がすっかりあなたに懐いているのが何よりの証拠です」


千風が微笑みかける。叢丞は母に嫌われていると思っていたのが、自分の思い込みだったのだと安心した。


「そういえば母上、涼香のことなんだけど……」


「涼香がどうかしましたか?!」


予想外の反応に叢丞は少し驚いた。


「僕が地下に迷い込む直前のことなんですけど……」


叢丞はそれほど長くない一部始終を話した。


「そうですか、清九郎殿がそんなことを……」


「それと彼は帝國陸軍に招聘されたと言っていましたけど、何か嫌な予感がします」


「それには私も同意です。それも衛生兵ではなく、技術開発に関する部署だと聞きました」


医療系祈祷術師の家系である谷曇家。その家の人間が軍に入って衛生兵ではなく別の部署に配属された時点で何かあると勘繰ってもおかしくはない。


「ただでさえ本家であるということを笠に着た横暴な態度が目に余るというのに……」


「本家、ですか……」


そう呟いて千風は顔を曇らせた。


「母上……?」


「彼の件に関しては私の方で預かります」


「ですが……」


「叢丞、あなはたその子についていてあげなさい」


「凛にですか? まあ、この様子だと放っておいてもついてきそうですけど」


気を失っても服の裾から手を離さない凛を見て叢丞は苦笑した。


その時、柱時計がボーンボーンと時報を鳴らした。


叢丞が時計を見ると二つの針が丁度上を向いて重なっていた。


「どうやら昼餉の時間のようですね」


千風が立ち上がる。


「昼餉の後で彼女を部屋に案内させましょう。今度は無理矢理にではなくね」


「はい」


そして叢丞が凛を起こそうとした時、


「……ごはん?」


凛がむくりと起き上がった。


「うん。お昼ごはんの時間だよ」


「ごはん!」


凛のとろんとしていた目がパッチリと開き、その口からは大量のヨダレが溢れてきた。


「凛、ヨダレが……」


「これは少し多めに用意しなくてはならないようですね」


千風はまるで子供が一人増えたかのように、とても優しい笑みを浮かべていた。




午後になって、電話で訳を話し剣術の稽古を休ませてもらう旨を伝えると、咲夜は叢丞の部屋まで乗り込んできた。


「叢丞……、お前〝力〟が」


そして叢丞を見るなり言った。


「さすが咲夜。やっぱり分かるんだ。僕自身はまだはっきりと分からないんだけど」


「ずっと〝力〟の無い生活をしてたんだ。少々使い方を忘れているのかもしれんな」


「そうなのかな……。まだ実感がわかないや」


叢丞にはまるで他人事のように思えてならなかった。


「それに関しては今後も視ていこう。それより、電話で言ってた事を詳しく知りたい」


「それは構わないけど、稽古の方はいいの?」


「それは父に任せてきた。というよりもむしろ父が聞いてこいと言ってな」


水薙の家では当主は直系の女性、伴侶となる男性はその補佐を務める決まりとなっている。その為、女性の地位が高い。


次期当主である咲夜は現当主の母の次に高く、事態の把握をする為に忙しい母の代わりに送り出された。


「ちょっと長くなるよ」


叢丞は縁側の障子を閉め切ると、千風に話したのと同じ事を話した。


「……なるほど。その〝レイン〟という少女の封印と、お前にかけられていた封印らしき術が反応して、〝力〟が少しずつであるが解放され始めたと」


「そんなところだと思う」


「ふむ」


咲夜はあごに手をつき考え込む仕草をしている。


「その〝レイン〟……いや〝凛〟か。ひょっとしたら龍神伝説と関係があるかもしれないな」


「彼女もそんなようなことを言っていたよ。でも陰陽師じゃなくて魔術師だと名乗ったよ」


「魔術師……。欧州の術師か。だがその違いは大した問題じゃない。地下に封印されていたという時点で、お前の家の使命と重なる」


邪悪な妖魔を封印しそれを守り続ける八澄家の使命のことを咲夜は言っている。


「それは邪悪な妖怪だって聞いてるけど、彼女がそうは見えないよ」


「それは分からないぞ、叢丞」


「え?」


「何らかの機を狙っていて今は大人しくしているということも考えられる」


「そう、なのかな……」


「まあ、お前の見立てなのだから、そう間違ってもいないだろう」


龍を封じた陰陽師。

八澄家の地下に封印されているという邪悪な妖魔。


そして〝応龍〟をその身に宿し、地下に封じれらていたレイン。


一見、すべてが符合するようだが、叢丞はそれに納得出来ないでいた。


「それにしても〝応龍〟か」


「そう呼んでも大袈裟じゃないって、レインは言ってたよ」


「なら、これからは少し警戒する必要があるかもしれないな」


「でも今は抑え込んでるって……」


「しかし、龍を封印した陰陽師は月に一、二度程度だが暴れたという言い伝えもある」


龍神祭の発端の一つである〝龍神伝説〟には続きがある。


暴れ回っていた龍を陰陽師が自らの身に封印した。しかし月に一度か二度、その陰陽師が化け物の姿になって暴れ回ったという物だ。


「それを知った陰陽師は自らを封印し眠りに就いた。最早疑いようもなく、彼女がその〝陰陽師〟だろう。そして彼女が暴れたというのはおそらく……」


「満月の晩、ということだよね」


妖魔ーーーつまり闇の眷属の活動が満月になると活発になるというのは叢丞達の中では常識として存在する。


「その通りだ。そして十中八九、その妖気にいざなわれるようにして他の妖魔も姿を現わすだろうな」


「そしたら一番に狙われるのは……」


「真っ先に弱い女子供が狙われるだろうな」


同時に叢丞の頭に浮かんだのは、妹の涼香だった。


「だからと言って、彼女を殺してしまうというのは下の下だろうな。封印が解かれて〝応龍〟が復活してしうだろうからな」


「そんな選択肢は初めからないよ。だって彼女は自ら犠牲になって封印の器になってるんだから。彼女だって被害者には変わりはないよ。〝応龍〟のね」


「叢丞らしいな」


「そうかな」


二人は同時に微笑んだ。


「まあ、〝応龍〟への対策は追い追い考えるとしてだ、奴の妖気に釣られて出てきた連中なんだが……」


「ねえ、咲夜。そいつらは僕達でなんとかしない?」


「なんとか、とは?」


咲夜は真面目な顔で訊き返した。


「〝応龍〟をどうかしようとかはさすがに無理だろうけど、有象無象の妖魔なら今の僕達でも対処出来るんじゃないかな」


「……ぷっ、あはははははは!」


突然咲夜が噴き出して笑った。


「な、なんだよ。僕何かおかしなこと言った?」


「いや、悪い。そうじゃないんだ」


「じゃあなんだよ?」


とまったく同じ事を考えていたんでな」


「同じ事を? じゃあ何で笑うのさ」


「なんだか嬉しくてな。それで具体的にはどうするんだ?」


「そうだね……。まずは夜の見廻りかな」


少し考えるような仕草をしてから叢丞はそう答えた。


「それは肝要だろうな。そうだ、こんな事もあろうかと先日お前にやったあの刀、あれを使う時が来たようだな。お前のことだから使い所が無いと部屋にでも飾ってあるんだろう?」


叢丞の誕生日に咲夜から贈られた一振りの刀。ズバリ咲夜の言う通り使い所が今のところが無いので部屋に飾ってあった。


「そして幸いなことにお前の〝力〟も戻り始めた。勘を取り戻す為にも早速今夜からでも……」


突然咲夜が言葉を切ると、人差し指を口に当て縁側に面した障子を睨みつけた。


「咲夜?」


「しっ!」


静かにしろという合図で叢丞は口を噤んだ。その様子から誰かが話を盗み聴きしているのだと叢丞は察した。


そして咲夜は音を立てずに障子に近づくと、躊躇いなく一気に開け放った。


「ッ!?」


障子を開け放ったそこには・・・・誰もいなかった。

そこには居なかったが、叢丞が一歩部屋から出ると、隣の部屋との境目にある柱の所に居た犯人かれを見つけた。


「宗十郎?」


谷曇清九郎の弟、宗十郎。彼が少し顔を青くして立っていた。


「そんな所で何をしていた? まさかあのお坊ちゃんに言われて何かを探っていたのか?」


咲夜が威嚇するように宗十郎に訊いた。


「い、いえ、わ、私は叢丞様が本日の剣術の稽古をお休みしたというのを耳にしたので、どこかお加減でも悪くしたのかと訪ねようとしたのですが……」


「それで今の話を聞いちゃったんだ」


「は、はい……」


宗十郎はシュンと縮こまってしまった。


「それでどこまで聞いた?」


咲夜が尋問のように訊ねるので宗十郎はますます萎縮してしまった。


それを見た叢丞は宗十郎に歩み寄り、目線の高さを合わせるように屈んだ。


「怒らないから、言ってごらん」


すると宗十郎は恐々と叢丞の目を見た。そして叢丞の優しげな目に安堵したのか少し表情を和らげた。


「あ、あの……、あまりよくは聞き取れなかったんですけど、……妖魔が出るかもしれないから夜の見廻りに行こうということくらいしか……。何かあったのですか?」


宗十郎の目や表情を見る限り、嘘や隠し事は無さそうなのは叢丞には分かった。叢丞は咲夜に目を移すが彼女も同じ意見のようだった。


「どうしようか?」


叢丞は咲夜に訊いた。


「あのお坊ちゃんならいろいろやりようはあるんだが、宗十郎は叢丞おまえと同じで人畜無害だからな」


乾いた笑みを浮かべる叢丞。


「だから叢丞おまえに任せる」


「……この家にいたらおそらくすぐに凛と鉢合わせることにはなるんだ。どうせなら全部話しちゃおう」


それを聞いた咲夜は盛大な溜め息を吐いた。


「分かった。じゃあは、また誰かが盗み聴きでもしないか見張ってて…………ん?」


咲夜は何かの音に耳を傾けるように虚空を見た。


「咲夜?」


「今誰かに呼ばれたような……」


とそこへ……、


「兄様。沙耶ちゃんが咲夜ちゃんを迎えに来てますけど、咲夜ちゃんいらしてるんですか?」


「ッ!?」


涼香がやってきた。

そしてその涼香の言葉を聞いて宗十郎がピクリと反応した。


「邪魔してるよ、涼香」


「咲夜ちゃん、いらしてるならお茶くらいお出ししたのに」


「叢丞が事情があって今日の稽古を休むというから、詳しい話を聞きにな。内容が内容だけに早急に聞いた方がいいと思ってな」


「あ、凛さんの事ですか」


涼香は合点がいったようだった。


「凛さん? どなたですかその方は?」


宗十郎がそう訊いたところ、


「咲夜様ぁ〜!!」


「ッ!!」


建物を回って沙耶が姿を現した。それを見た宗十郎がまたピクリと動いた。


「どうした、沙耶? わざわざ迎えに来たのだから、それなりの用があるのだろう?」


「は、はい。咲夜様にお客様がいらしてます」


「客? 今日はそんな予定は無かっただろう?」


陰陽道の家系である水薙家には、仕事の依頼等で来客が度々ある。次期当主である咲夜も水薙家としての仕事に慣れる為にそれに同席する事が多くなった。


「それがお仕事のお客様ではなくて、こちらの方で……」


沙耶は竹刀を構える振りをした。


「剣客か。このご時世にまだいるのか」


咲夜は一瞬楽しそうな表情をしたが、すぐに真剣な顔に戻った。


「悪いが今日はそれどころではない。明日仕合うから今晩は水薙家うち泊まってもらえ」


「わ、分かりました!」


そして沙耶が踵を返したその時、


「さ、沙耶殿!」


宗十郎が彼女を呼び止めた。


「何ですか、宗十郎様」


「そ、その、今から帰られるのなら、私が、送っていきます」


「い、いいですよ! 谷曇家のご子息様に送ってもらうなんて恐れ多い。それにこちらにいらっしゃるということは咲夜様や叢丞様達とお話をしていたんじゃ……」


ハッと我に返ったように宗十郎は二人を振り返った。すると二人は優しく微笑んでいた。


「話は今度にしようか。だから行っておいで、宗十郎」


「沙耶も遠慮せずに送ってもらうといい。は涼香がお茶を淹れてくれるというのでもう少しお邪魔させてもらうよ。いいよな、叢丞?」


「もちろん」


「じゃあすぐにでもお茶を淹れてまいりますね」


そう言って涼香は楽しげに台所へ向かった。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


沙耶は宗十郎に頭を下げた。


「そ、それじゃあ行ってまいります。行きましょう、沙耶殿」


そうして二人は母屋の角を曲がっていった。


「微笑ましいよね」


「しかしまあ、沙耶は気づいてないみたいだがな」


と、その時―――、

入れ替わるようにしてドタドタドタドタと廊下を駆ける音が近づいてくる。そして……、


「そーすけ! あそぼっ!」


叢丞を見つけるなりそれ・・は飛びついてきた。


「凛?! ちょっ……、いきなりどうしたのさ」


「つまらない」


「は?」


「そーすけ、ちっとも遊びに来ない」


「来ないも何も、凛はお昼ご飯食べたら寝ちゃったじゃ……ん? 凛、その着物」


凛は、叢丞と出会った時に着ていた洋装ドレスではなく黒を基調にした着物を着ていた。


「ちかぜが着せてくれた」


「母上が……。そっか、最近なんだかキナ臭くなってきたみたいだから」


「それより凛とあそぶっ!」


「……今から?」


「そう!」


何の躊躇いもなく元気に言った。


「ちょっと待て」


まるで自分の存在を主張するかの如く咲夜が制止した。


「叢丞、その子が〝凛〟か……?」


「ああ、そっか。話だけでまだ紹介してなかったね。この子が凛だよ」


凛は状況が飲み込めないのか、きょとんとしている。


「凛、この人は水薙咲夜。僕のいいな……友達だ」


今度は咲夜が惚けている。


「咲夜……?」


「え? ああ、水薙咲夜だ。咲夜で構わない」


「サクヤ……?」


「そうだ。咲夜だ」


「うん! サクヤ! 凛はね、凛だよ」


「あ、ああ。よろしくな」


すっと咲夜が近づいてきて耳元で言う。


「まるで幼子だな」


「レインが言うには新しく出来た人格だそうだから、生まれたばかりだそうだ」


「なるほど、だから友達か」


咲夜が安心したような顔をした。


「気になった……?」


「え? い、いや、別にそんなことは……」


珍しく慌てる咲夜。


「許婚って言ってもわからないだろうからさ」


「そ、そうか。……って別にそんなことは無いだろうと言っているだろう」


さっきから咲夜の珍しい表情の連発だ。


「そーすけ……」


突然凛が二人の間に割り込んできた。


「ケンカよくない」


「別にケンカじゃないよ」


「ほんと?」


「ああ」


確認された咲夜が答える。


「兄様、咲夜ちゃん。お茶をお持ちしました」


そこへお盆にお茶を載せた涼香が戻ってきた。


「あ、凛さんもこちらにいらして……」


涼香は凛がいるのを見て、そして固まった。


「に、兄様……」


小刻みにプルプルと震えている涼香。その手に持ったお盆の上では湯呑みに注がれたお茶が波立っている。


「涼香?」


そこでようやく叢丞は涼香の様子がおかしいことに気づいた。


「な、何をなさっておいでですか?」


「何って、さっき咲夜と話をしてたっていうのきいたよね。それよりもお茶がーーーっ!」


涼香からお盆を受け取ろうとして叢丞は気づいた。自分の身体が重いことに。


それもその筈、重いのは凛が叢丞に抱きついているからである。


「兄様に抱きつくなんて、そんな羨ま……いえ、ふしだらなっ!」


「涼香、なに言って……」


「ふ、ふふ……、不潔です~っ!」


「あっ、す、涼香っ……!」


涼香はお盆にお茶を載せたまま、どこかへと走り去ってしまった。


「すずかどうした?」


状況を飲み込めてないのか、凛はきょとんとしていた。


「八澄の家は知らぬ間に賑やかになったな」


咲夜は何やら楽しげに皮肉った。


「騒がしくなった、の間違いじゃないの……?」


叢丞は頭が痛くなるような思いがして、深く溜め息を吐いた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ