一月十三日 水曜日①
登校した慧太郎が上履きを取ろうと下駄箱の扉を開けた。するといつも入ってない物がそこにあった。
「……紙きれ?」
ラブレターにしては簡素過ぎるし、送られる覚えが無いと考えかけて、無いこともないことに気づいた。
最近転入してきた一人の下級生なら、少し古風な所があるからこれくらいしそうだとは思った。
もしそんな彼女が恋文を書いたとしたらもっと可愛らしい物になるだろう。
しかし彼女の想いは直球なところがあるから、出すまでもなく突撃してきそうな気もして少し可笑しくなった。
勝手な妄想はさておきと、慧太郎はその紙きれを取り出し書かれている内容に少しギョっとした。
「どしたの、慧太郎?」
後ろから共に登校してきた恭香の声が掛かる。
慧太郎は紙きれをブレザーのポケットに突っ込んだ。
「どうしたって、何が?」
「今少しぼけ~っとしてたみたいだからさ」
「凛は大人しくしてるかなって思って」
咄嗟にそんなことを口にしていた。
「慧太郎、ちょっと過保護なんじゃない?」
「そうか?」
「そうだよね、麻衣?」
「そうそう。慧ちゃんは子供が出来たらぜったい甘やかすよね」
「あ、悪い。トイレ寄っていくから先行っててくれ」
「しょうがないわね。行こう、麻衣」
「うん」
二人はその場から去って近くの階段を上っていった。
その様子を見て再びポケットから例の紙切れを取り出す。
―――『木ノ花風花から手を引け』
ワープロソフトで入力、印字されたような文字でそう書かれていた。
「……手を引け、か」
まるで脅迫文のようだった。
思い掛けず知り合うことになった件の転入生、木ノ花風花。
まだ転入三日目ではあるが、彼女の事は学園中に知れ渡っている。
それは転入してきた月曜日の彼女のあの行動によるところが大きい。
その時の噂にあれこれ尾ヒレが付いているのを慧太郎も耳にしたことがある。
「俺から手を出したことは無いんだけどな……」
だが迷惑というわけでもなく、慧太郎も本来なら嬉しい筈なのだがどういうわけか困惑の方が大きかった。
「……ん?」
ふと誰かに見られている気がして、慧太郎は辺りを見回した。
すると、昇降口のすぐ外に仁王立ちして慧太郎の方を見ている人物がいた。
「士郎……」
ブリーチした金髪をオールバックにした、一昔前の不良風の格好をした緋野士郎は、慧太郎と目が合うと一年生の下駄箱へと歩いていった。
「あんな格好してても、きちんと学園には来てるんだな」
不良風の格好をし、少し疎遠になっていても元気そうなその姿を見られて慧太郎は少しホッとした。
「……さて」
名探偵ばりの洞察力があるわけでもない、ごく普通の高校生である薄雲慧太郎には、脅迫状めいた紙切れが下駄箱に入っていた案件はだいぶ手に余る。
だが、少々の蛮勇を奮いたがるのもこの年頃の特徴とも言える。
「誰かに相談したいところだけど……」
現段階ではまだ何も発生していない為、警察はおそらく動かない。
学園に提出すると騒ぎの種になり兼ねない。転入してきたばかりの木ノ花風花に迷惑が掛かる。
それは犯人とて脅迫状なんてものを作った以上は望んでいないだろう。
「(脅迫状を出しといて迷惑もクソもないけど)」
そこで真っ先に浮かんだのは母親である薄雲星明。もちろん母親としてではなく、高名な占い師としての。
しかしこの時間から慧太郎が教室に現れなければ、きっと恭香達に問い詰められ脅迫状が明るみに出るのも時間の問題だろう。
「先輩?」
不意に背後から掛けられた声に、ドキッという一際強い鼓動が相手に聞こえてしまうかと思うくらいに慧太郎は驚いた。
恐る恐る慧太郎が振り返ると、ダークブラウンのセミショートの髪が目に入った。
「そうか。織村がいたか!」
「はい?」
そこでタイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴った。
「頼む! 昼休みになったら屋上に来てくれ」
「え……?」
「お前に話したい事があるんだ」
「え?」
織村由梨はドキッとした。
「頼んだぞ!」
それだけ言って慧太郎は去った。
「えええええええええええッ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
織村由梨は思わず叫んでいた。
そして昼休みになった。
授業が終わるや否や、慧太郎は恭香や麻衣が声を掛ける間もなく教室から出ていった。
そして混み始める前の購買で適当にパンを幾つかとコーヒーを買って屋上へと向かった。
「まだ来てないか」
屋上には誰も居なかった。
とくに立入禁止になっているわけではなく、ベンチだって置いてある。ただ真冬に屋上で昼ご飯を食べようという生徒が居ないだけのことだ。
しかしこの日は風も無い小春日和で、昼食後には眠くなること請け合いな程、優しく陽の光が降り注いでいた。
「誰も居ないのならちょうどいいな」
そして慧太郎はブレザーのポケットから一枚の紙を取り出し広げる。
―――『木ノ花風花から手を引け』
真っ白な紙には相変わらずそう一文だけ印字されている。裏返してみても穴が開くほど見ても変わるはずは無い。
増えていたり減っていたり、文章が変わっていたらそれはもう怪談だ。
慧太郎はその脅迫状を見ながらパンの包みを開ける。
ほのかなソースの香りにそちらに目がいった。
「焼きそばパンか。適当に取った割には当たりかもな」
と一口かぶりつく。
パンに塗られたマスタードのピリッとした辛さと、焼きそばのソースの甘辛さが口の中に広がる。
「……昨日の木ノ花の弁当の方が美味かったな」
そう言いつつ比べるのも馬鹿らしいとも思っていた。
「そう思うんなら、なんでこんな所にいるんですか?」
呆れるような声に顔を上げると、待ち人がそこに立っていた。その頰が少し赤いのに慧太郎は気づいていないようだった。
「悪いな、呼び出して。まあ座ってくれ」
パッパと空いてるスペースの埃を払うとそこに座るように促した。
「し、失礼します」
織村由梨は慧太郎が埃を払ったベンチに静かに腰をかけた。すると二人の間に置かれていた慧太郎の昼食が目に入った。
「みすぼらしいお昼ですね。普段はこんなのばっかりなんですか?」
「いつもはだいたい学食だな。でも今日は出来るだけ人目を避けたかったんだ」
「そ、そうですか。じゃ、じゃあよかったらなんですが、私のお弁当食べますか?」
「食べますかって、そしたら織村が食べる物がないじゃないか」
「代わりに先輩のパンをいただきます」
「なんでそんな……」
「い、いいからどうぞ」
そう言って織村由梨は可愛らしい弁当箱を慧太郎に差し出した。
「お、おう」
胸元に差し出されて慧太郎は受け取らざるを得なかった。
「ではこちらはいただきます」
織村は有無を言わさず慧太郎の手から焼きそばパンを奪い取った。
「それ俺の食べかけ……」
「なんですか。私が食べてはいけないんですか?」
「い、いや。いいんならいいんだ」
よく分からない迫力に圧されて慧太郎は引きさがった。
「……じゃあ俺もいただくぞ」
「ど、どうぞ」
昼休みになった途端に慧太郎が教室から消えた。
その少し後に織村由梨が訪れたと思いきや、教室を覗いただけで立ち去ってしまった。
更に少しすると木ノ花風花が前の日と同じように水薙浅陽と共に弁当を持ってやってきて、慧太郎の姿が見えないとなると少し気落ちした顔になった。
そして慧太郎が昼休みになるや否や教室から出て行き、織村由梨が教室を覗いただけで立ち去ったことを聞いた木ノ花風花が、
「そういえば由梨ちゃん、朝からソワソワしてた気がします」
「ああ、たしかに。もしかしたら薄雲先輩が織村を呼び出してたりして」
浅陽がそう言った直後、三人が顔を見合わせた。
「「「まさか」」」
「え……?」
冗談で言ったつもりの浅陽は三人が真に受けてしまったことに引きつった笑みを浮かべた。
そうしてやってきた屋上で件の二人が密会(?)している現場を見つけた四人は、階段室からこっそり密会様子を伺っていた。
「ちょっとちょっと、どういうこと?」
「先輩が由梨ちゃんに………」
「二人とも落ち着こうよ」
アワアワしている恭香とオロオロしている風花を麻衣が宥める。
その三人の様子を浅陽は微笑ましく眺めている。
その浅陽の胸にチクリと針で刺されたように微かな痛んだ。
「(ホント何なの、これ……?)」
『…………………………………………』
「何よ麻衣、余裕ぶっちゃって」
「え?」
その恭香の一言に麻衣は不意にどきっとした。
「私……? あ、あれ。慧ちゃんが何か渡すよ」
ちょうどよく慧太郎が織村由梨に何かを渡そうとしているのが見えた。
四人の視線が再び屋上の二人に集中する。
慧太郎は巾着袋から小さな弁当箱を取り出してそのフタを開けた。
「おおっ!」
そこには半分程敷き詰められた白米と、色とりどりのおかずが所狭しと並んでいた。
「すごいな。これ全部織村の手作りか?」
「はい。これでも昔から嗜んでますので」
「なるほど。確かにこの出来は一朝一夕の代物じゃないな」
「でも昨日の風花の弁当にはさすがに負けちゃいます」
「そりゃそうだろ。あれはプロが作ったって言うし無理もない。でも俺はこっちの家庭的なのも好きだぞ」
「そ、そうですか…………って、そうじゃなくて! 話があるんじゃないんですか?!」
「おお、そうだった」
咀嚼した玉子焼きを飲み込むと慧太郎は件の脅迫状を織村由梨に見せた。
「これって!?」
脅迫状に書かれている文書を見て、織村はその大きな目を更に大きく見開いた。
「脅迫状……?」
「……に見えるよな?」
「どうしたんですか、これ?」
「今朝来たら下駄箱に入ってた」
「そうですか。でも、どうしてこれを私に?」
「木ノ花が転入してきて三日。織村はもう親友と言ってもいいくらいに木ノ花と打ち解けあっている。だから信用出来ると思った」
「信用って、ずいぶんと簡単に信じられるんですね。楽観的というか、お人好しにも程がありますよ」
少し呆れたようなジト目で慧太郎を見る。
「そうかな。別に普通だと思うけど」
当然だと言わんばかりの慧太郎を見て織村由梨は、何かを諦めたかのように溜め息を吐いた。
「それで? 私に話して、それからどうしたいんですか? 脅迫状を作って先輩の下駄箱に入れた犯人を見つけたいんですか?」
「出来ればかな」
「出来ればでいいんですか?」
「『手を引け』とは書いてあるけど、俺から近づいたわけじゃない。むしろ木ノ花の方からやって来たって感じだろ?」
「たしかにそうですね」
木ノ花風花のことを思い浮かべたのか、織村は呆れたように笑う。
「でも俺から離れたりしたら木ノ花は悲しむかなと思うんだ」
「自意識過剰ですね」
「かもしれない。でも転入初日の事、聞いてるだろ?」
頷く織村。むしろその時の出来事を知らない生徒の方が珍しいくらいだった。
「好きなんですか、あの子のこと……?」
「確かにかわいいとは思う。でも何て言うのかな、そう言うのじゃなくて……守りたいって言うか」
その理由は慧太郎には分からない。本能がそう告げているような感覚だった。
「守る、ですか……」
その言葉をかみ締めるように織村由梨は呟いた。
「さすがはあの子の〝兄〟ですね」
「なんだよ、織村まで俺が木ノ花に感化されたとか言うのか」
「ふふっ、そんなところです」
織村は爽やかな笑顔を浮かべた。
「なんか笑いあってるよ?」
「いい雰囲気ですね……」
麻衣から見ても屋上の二人は、最近まで話した事もない二人にしてはいい雰囲気に見えた。
「でも二人が思っているような雰囲気とも違うみたいだね」
「まあ確かにそうね……」
麻衣の顔を見る恭香。
麻衣は「なに?」と首を傾げた。
恭香は「ううん」と首を横に振った。
「あの、いい加減あたしらも食べません? 昼休みあと半分もないですよ」
胸の微かな痛みを誤魔化すように、というよりも空腹にそろそろ耐えきれなくなった浅陽が声を掛ける。
「そうね。それに、慧ちゃんにも何か理由があってのことかもしれないし」
「そうだけど……」
ふと恭香は嬉しそうな笑みを浮かべている風花を見た。
「ねえ、風花ちゃん。悔しくないの?」
と、恭香は自分の事は棚に上げてひそひそ声で訊いた。
「そうですね。正直、先を越されたなぁって思います。でも……」
「でも?」
「……あの顔をされている時は、いつもーーーの事を考えてくださっている時の顔なので」
そう恭香にも聞こえない独り言のように呟いた。
「え? なに?」
「……いいえ。何でもありません」
と唐突に木ノ花風花は立ち上がった。そして、
「それでは私達もお昼ご飯を食べにいきましょう」
颯爽と階段を降りていく。
浅陽はその後ろについていく。
残された二年生二人はキョトンとそれを見送る。
「ほら先輩方。お昼休み終わっちゃいますよ」
風花の声に我に返った恭香は、まあいっかと階段を降りる。
「麻衣?」
恭香はついてこない幼馴染を振り返って呼んだ。
「え?」
「ほら、ご飯食べに行こ」
そして手を差し伸べる。
「あ、うん」
ふと屋上を振り返る麻衣。
「(結構お似合いかも、あの二人。でも……)」
そう思う度に麻衣は胸の奥がチクチクするような感覚があった。
「(これって私が慧ちゃんのこと好きってこと? ……ううん、違う。どちらかと言うとこれは…………罪悪感?)」
「麻衣?」
「ううん、なんでもない」
麻衣はその手を取って階段を降りていく。
よく分からないモノはとりあえず時間が解決してくれるだろうと、この時なんとなく感じていた。
織村由梨は一瞬、階段室の方をチラッと見て小さく微笑んだ。
「織村?」
慧太郎に呼ばれた織村由梨はなんでもないと首を振った。
「わかりました。私も風花を守るために学内では出来るだけ一緒に居るようにします」
「ありがとう」
「ところでねぇ……水薙さんには何で声を掛けなかったんですか? 彼女の方が風花に付きっきりなのに」
「たしかに水薙なら心強くはあるんだけど、織村も言った通りあいつは付きっきりだろ? 木ノ花の護衛と言ってたからな」
「そうですね。二人一組みたいなもんですし、ほっぽってくるワケないですよね」
そこで織村由梨ははたと気づいた。
「センパイはどう動くんです?」
「そうだな。とりあえず今日は木ノ花に会うのはやめとこうかな」
「風花はガッカリすると思いますよ」
「大袈裟だな。今日会えなくても、明日会えるだろ」
さも当然のように言い切った慧太郎。それを聞いた織村由梨はというと、盛大な溜め息を吐いた。
「な、なんだよ?」
「いえ。相変わらずだなと」
「相変わらず?」
「いいえ。こちらの話です。さあ、お昼を食べてしまいましょう。お昼休みも残り少ないですから」
「そうだな」
そして再び織村由梨の作った弁当に箸をつける慧太郎。何故かその味は懐かしい味がした。
それだけでなく、最近まで面識の無かった人間とこうして昼を共にしているのに、恭香達幼馴染と食べているような不思議な感覚が慧太郎の中にあった。
「どうしよう……」
少女は濃い霧の中を歩いていた。
「あれがない……」
下を向きながら探し物をしていた。
「あれがないとおこられちゃう」
空腹にも拘らず少女はソレを探し続ける。
「そーすけ(・・・・)におこられちゃう」
少女は濃い霧の中を彷徨う。
紛失くしたモノを探し求めて。
ここ何日か薄雲一家が龍宮家に寝泊まりしているせいもあって、帰り道が一緒である恭香は昼休みの件もあって非常に気まずかった。
慧太郎は慧太郎でまた何かやらかしたかなと見当違いをしていた。
そして【龍宮神社】に帰り着いてからもそれは続き、やがて辺りも薄暗くなってきて夕飯が近くなってきて、何か話題が無いか探していた恭香がふと気づいた。
「あれ? そう言えば帰ってきてから凛ちゃんを見てないわね」
「言われてみればそうだな。いつもなら帰ってくるなり犬のように駆け寄ってくるのに」
「なに、慧太郎? 寂しいとか思っちゃってるわけ?」
「そんなことはないけど……」
実は少し寂しく感じていた慧太郎。
それよりも、どういう訳か妙な胸騒ぎを覚えた。
「ちょっと探してくる」
そう言って慧太郎は玄関から出て行こうとする。
「探しに行くってもう真っ暗だよ? もうすぐ夕ご飯だし帰ってくるよ」
「そう……かな」
胸騒ぎは先程よりも慧太郎の胸を騒つかせる。
「慧」
慧太郎の母親である薄雲星明が奥からやってきた。
「凛さんが〝神社の外〟に出てしまって戻っていないようです」
「うん。それは今聞いた……」
「急いで探してきなさい」
「でもおばさん、外はもう真っ暗ですよ」
恭香の言葉は聞かず、星明はじっと慧太郎を見つめている。その目は慧太郎が凛と出会った数日前の晩のように強い光が灯っていた。
凛という少女が慧太郎を破滅に導くかもしれないと宣告したあの時のように。
「わかったよ。ちょっと行ってくる。ちなみに場所とか占ってくれると嬉しいんだけど」
それに星明は首を横に振った。
「それが霧がかかっていてよく見えないの」
「霧? 霧ってもしかしてこの辺りに昔から伝わっているあの霧のこと?」
「私も聞いたことがある。この辺りは夜になると海から霧がやってきて出歩いてる人を海に連れ去ってしまうって言い伝えがあるって」
「〝豊玉毘売伝説の霧〟のことですね」
玄関の引き戸を開けて巫女装束を纏った女性が入ってきた。
年齢は慧太郎らと同じくらい、背丈は恭香くらいで、纏う巫女装束は『龍神祭』の神楽舞で恭香が身につけていたような一般的な物とは意匠の異なっている。
そして何より、瓜二つと言っていい程恭香とソックリだった。唯一、その緋色がかった瞳だけが二人を見分けるポイントだなと慧太郎は瞬時に理解した。
「おかえりなさい、まつりさまっ」
幼い頃から世話になる事も多かったのにその女性を見かけた覚えの無かった慧太郎が訊ねようとしたところに、恭香がその女性を出迎えた。
それどころか慧太郎の母親である星明が廊下に正座して首を垂れた。
二人の態度の差に慧太郎は混乱する。
「ただいま帰りました、恭香さん。そう言えば〝我が家〟にお客様がいらしてるのでしたね」
まつりと呼ばれた女性は見た目よりもずっと、おそらく星明よりも貫禄があるように慧太郎は感じ取った。
その緋色がかった瞳と慧太郎の目が合う。すると女性は春の陽射しの様な笑みを浮かべた。
その笑みは慧太郎の胸を異様な程に高鳴らせた。
「(恭香とソックリなのに、なんでこんなにドキドキするんだ……?)」
かと言って慧太郎は恭香にドキッとさせられる事が無い訳ではない。
小さい頃から知っているから気安い間柄ではあるものの、昔との違いを思い知る事も多々ある。
だがそれ以上にまつりと呼ばれた女性には目を奪われるほどだった。
理由は分からない。だが慧太郎は目が離せないでいた。
「ん、んんっ!」
恭香の態とらしい咳払いで慧太郎は我に返った。見ると恭香はいつものお冠の時の表情で、廊下の奥へと消えてしまった。
「ふっ、ふふふ……」
軽く噴き出すようにまつりが笑った。
「あ、えっ……?」
「申し訳ありません。ですが、こんなことならもっと頻繁に帰ってくるべきでしたね」
「頻繁に?」
まつりは慧太郎に向けて今一度にこっと微笑むと、頭を下げ続けている星明の方を向いた。
「いい加減頭を上げて下さい、星明。〝我が家〟に帰ってきてまでそうされては息が詰まってしまいます」
その言葉から、まつりが【異能研】の人間で星明よりも立場が上である事が分かる。だが立場だけではない何かを慧太郎は感じていた。
「それではお言葉に甘えて」
と星明が頭を上げた。
「星明、今夜は少々霧が濃いようですが何か感じますか?」
「今はまだ。ですが良くない兆しが出ております」
「そうですか。その上凛が神社の敷地から出てしまっていると……」
そこでまつりがまた慧太郎を見た。
「あなたは何か心当たりのようなモノはありませんか?」
「心当たりって言われても、凛と出会ったのもつい最近ですし。あの子の行動範囲なんて……」
言いかけてはたと慧太郎は気づいた。
「そう言えば〝あの屋敷〟には一人で行ってたな」
「〝あの屋敷〟?」
まつりが訊き返す。
「はい。三峰さんって人が管理しているっていう屋敷なんですけど……」
「なるほど。八澄の屋敷ですか。確かにあそこなら彼女が向かうのも頷けます。星明、大至急【旧八澄邸】へ人を向かわせなさい」
「了解いたしました」
星明がスマホを取り出して何処かへ連絡を入れる。まつりもまた玄関から出て行こうとしていた。
ふとその時、慧太郎の脳裏に浮かんだ場所があった。
「……砂浜」
「え?」
まつりが立ち止まり振り返る。
「あ、いえ。あの子と出会ったのも砂浜だし、それにどうしてから分からないんですけど、とても気になるんです」
「分かりました」
まつりがチラッと星明の方を見ると、通話中だった星明は頷いて砂浜へも人を送るように指示を追加していた。
「それでは私達も参りましょう」
「え?」
「あの子を捜しに行くのでしょう?」
慧太郎は一度廊下の奥を見た。
「恭香さんはあなたが心配なだけですよ。ですが、私がついてますから安心してください。それに……」
「それに?」
「きっと砂浜に行けば、〝彼女〟にも逢えるでしょうから」
玄関の外の闇へ消えるまつり。一瞬躊躇われたが、慧太郎はそのあとについていった。