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一月八日 金曜日


ーーー鈴が鳴る。


厳かな雰囲気の中、巫女装束に身を包んだ少女が舞う。時に激しく、時に淑やかに。少女が神楽鈴を振る度に静けさに冴える音が空気を震わす。


その鈴の音は、一振り毎に邪を祓い、彷徨う御霊を成仏させると言われている。


下弦を過ぎた月を映す水面みなもは少女の舞を見守るように凪いでいる。


舞殿は海の上にあった。


霧ヶ浜海岸の一角に〝海神浦わだつみうら〟と呼ばれる南に細長い入り江がある。

入り江には桟橋が掛けられていて、岸から約50メートル程渡っていくと鳥居があり、そこを潜ると舞殿に辿り着く。


篝火が桟橋の両脇に焚かれ、それが海岸から始まって舞殿をぐるりと囲んでいる。

その海の回廊は幻想的な光景として人気がある。


舞殿から更に50メートル沖合には、海から突き出た〝龍神岩りゅうじんいわ〟と呼ばれる注連縄が括られた細長い岩がある。


その〝龍神岩〟こそ『龍神祭』の御神体である。


『龍神祭』とは、霧ヶ浜で毎年1月8日に、前年起きてしまった海難事故の鎮魂の為、またこの先一年海での事故が無いよう祈願の為に行われる祭事である。


小さな神殿である舞殿には女性しか入れない。勿論音楽を奏でる奏者は全員女性。そして神殿故に守護者が置かれる。


鬼門とされる艮の方角、つまり北東の方角と、裏鬼門とされる坤の南西の方角に一人ずつ。


巫女装束に身を包んだ水薙浅陽は、神殿の艮の方角を護るように配置されていた。


「(龍神祭か……)」


二年前までは別の人間が守護者役をやっていたのだが、昨年から彼女が務めていた。


彼女が水薙の当主たる資格である〈焔結〉を受け継いだからである。


やがて音楽が終わり、鈴の音が一際響き渡った。

ぱらぱらと疎らに拍手が起こった。


そしていよいよ神事は佳境を迎える。


舞殿の南側の桟橋の先端から巫女が御神酒を海に奉納。最後に沖から花火が上がれば『龍神祭』のメインイベントである巫女神楽は終了となる。


まもなく花火が幾つも打ち上げられると、拍手喝采が沸き起こった。




整備された〝海神浦わだつみうら〟の両岸は、普段から海浜公園として利用されている。『龍神祭』であるこの日は観覧客で一杯だった。


皇族等のVIPが観に来ることもあり、その際は舞殿の僅か数メートルの船上から観覧する。ただし舞殿から御神体である〝龍神岩〟までの直線上に入ることは何者であろうとも禁止されている。


報道陣も多数来るが乗船は許されず、海浜公園からの撮影のみ許可されている。


海浜公園には出店も多数出店されていて、毎年観光客で賑わう。


その地元の少年も、今年から舞う事になった幼馴染みを観に会場にやってきていた。


「まだまだかな」


などと知った風な口を利くのは、前年までの舞姫である幼馴染みの母親の舞を知っているからこそ出てくる言葉であった。


「さてと。何か食ってこうかな」


少年の家は母一人子一人の母子家庭である。父親の消息は不明だが、彼が物心つく前には既にいなかったので今では特に気にならなかった。


その唯一の母親が『祭』の主催者側なので、家に帰っても夕食など用意されているはずもなかった。


少年が何を食べようかと人混みの中を彷徨っていたところ人と正面からぶつかってしまった。

というよりも、相手が彼より背が低かったので彼には見えていなかった。


「す、すみませんっ」


衝撃が軽かったので彼は子供とぶつかったのかと思い手を伸ばそうとした。しかし……、


「………………っ!!」


その姿を見た瞬間、少年は時間が止まったような錯覚に陥った。


地べたで尻もちをついているのは、少年の同じ年頃の息を呑むほど可憐な少女だった。その少女は目は少年の顔を見て大きく見開かれていた。


そして少年の気のせいでないのならその綺麗な瞳から涙が一筋零れ落ちたように見えた。


「……〝……ぃ………〟」


少女の口が動く。彼には聞き取れない音が宙を舞う。


言葉にならない感情の様な何かが彼の奥底から湧き上がってくる、そんな不思議な感覚を覚えた。そして、


「……怪我はないかい?」


何故か、身内を気遣うような口振りで少女に声を掛けていた。


「あ……」


少女の少し驚いたような表情で少年はハッと我に返った。


「あっ、す、すみません。その、怪我は無いですか?」


少年は何故そんな口振りになったのだろうと不思議に思いつつ改めて少女に手を差し伸べた。


「あ……、大丈夫、です。ありがとうございます」


その手を取って少女はゆっくりと立ち上がった。


「(……見かけない顔だな。祭を観に来た観光客かな)」


少年の取った小さな手もそうだが、小柄で華奢な少女は触れれば壊れてしまいそうなほど儚げな印象を受けた。


「えっと……」


少女は握られた手を見ながら顔を赤くしていた。


「あ、す、すみませんっ」


少年は慌てて手を離した。

心なしか少女は少し寂しそうな表情を浮かべていた。そこに涙の跡は見られない。やはり気のせいだったのだと彼は思った。


「……こちらこそ申し訳ありません」


少女は丁寧に頭を下げた。


「こっちもちゃんと前を向いていたつもりなんですけど……」


「お気になさらないでください、〝に…………〟」


「え?」


祭の喧騒に掻き消されて、少女の言葉の最後の方は少年まで届かなかった。


「今なんて……?」


ーーーその瞬間少年の脳裏に、目の前の可憐な少女と雰囲気の似た見知らぬ少女の姿が浮かび上がった。


その少女も彼に向かって同じ口の動きで呼び掛けている。


「(今のは………………?)」


「あの……」


少女の声に少年はハッと我に返る。

すると少女は頰を少し赤くしていた。そこでずっと見つめていた形になっていたことに彼は気づいた。


「す、すみません。なんか引き留めちゃったみたいですね」


「いえ。あの……」


「本当にすみませんでした。それじゃあ……」


と彼女の前から立ち去ろうとした時、後ろ髪を引かれるような感覚があった。いや、実際に服の裾を掴まれていた。


「あ、あの……」


少女が俯きながら何かを伝えようとしていた。


「まだ何か……?」


そして何かを決意したように少女は少年を見上げた。少年は不覚にもドキッとした。


「あの……、さ、差し支え無ければ、お名前を伺ってもよろしいですか?」


「……名前? 俺の?」


少女の意図をはかりかねている少年だったが、哀願するようなその表情には凄まじいくらい抗い難いモノがあった。


「慧太郎。『薄雲慧太郎うすくも けいたろう』」


「うすくも、けいたろう……」


少女は噛み締めるように少年ーーー薄雲慧太郎の名を口にした。


「私は……」


少女が何か言おうとした時、不意に軽快な音楽が鳴った。少女のスマホが着信を知らせたようで、彼女がそれを確認する。


「たいへん。待ち合わせ場所に急いでるんだった」


どうやら待ち合わせている相手からの催促のメールであることが伺えた。


「(そりゃそうだよな。これだけ可愛いなら彼氏くらいいるか)」


慧太郎は思春期真っ只中の高校二年生。〝龍神祭〟という一大イベントで、同年代の可愛い女の子とぶつかって名前を聞かれたりしたら期待の一つでもしてしまう。


「(別に期待してたわけじゃないし)」


誰に言い訳をしてるんだと慧太郎は少しだけ哀しくなった。


「すみません。あの……」


少女は急いでいるようで、そわそわしている。

慧太郎はまるで自分が引き留めているようで、少しだけ悪い気がした。


「じゃあ俺はこれで」


慧太郎は少女に背中を向けてその場から立ち去った。


「あ……」


少女の短い声にほんの少しの後ろめたさと、何故か既視感のような不可解な感情が慧太郎の胸の内に滲んでいた。


「でも、なんだろう……? 昔どこかで会ったような………………?」


ーーー…………け……


「え?」


人混みの中、慧太郎はノイズ混じりの誰かの声を聞いた気がした。


ーーー……そ…………け……


それは祭の喧騒とは別の、耳ではなく慧太郎の頭に直接響いてくるような、そんな声だった。


「まただ。なんだこれ、は……っ!」


その唐突な異変に慧太郎は気づいた。

周りの音が、動きが、凍りついたかのようにすべて止まっていた。


「……は? え?」


理解が追いつかない慧太郎。


ーーー…………そう……け……


謎の声はまだ続いている。だがノイズは次第に弱くなり、声は少しずつハッキリしてきた。


そのせいか慧太郎には何となく、〝それ〟が何処から聞こえているのか感じることが出来た。


「上……?」


慧太郎は時の止まった夜空を見上げた。


「流れ星……?」


だが、その矛盾・・・・に慧太郎はすぐに気づいた。


「……流れてるうごいてる!」


それだけではない。

その流れ星は一瞬では燃え尽きずに夜空を突き進んでいた。


「流れ星じゃ……ない?」


そして気のせいでなければ、その流れ星は落ちてきている・・・・・・・


隕石落下とか飛行機の墜落が慧太郎の脳裏に浮かぶ。どちらにしろ大惨事を引き起こすことには違いない。


だが、この時間の・・・止まった・・・・理解不能な・・・・・空間では・・・・むしろそういった・・・・・・・・現実的な・・・・災禍の・・・方こそ・・・おかしい・・・・のだと、慧太郎は直感した。


そして本能が彼に告げる。


ーーーあれはお前に・・・向けられた・・・・・シグナルなのだ・・・・・・・、と。


慧太郎は無意識のうちに駆け出していた。




花火が上がる中、一団が舞殿から退場する。

水薙浅陽はその殿しんがりにいた。


「……お腹空いた」


誰に言うでもない呟きは波の音で掻き消えた。


奉納の舞の途中、何人たりとも舞殿に上がり込むことは許されない。


だが五感を刺激するモノを遮る事は出来ない。


海神浦わだつみうら〟の両岸の海浜公園には今年も多くの屋台が出店している。


特に食べ物系の屋台から漂ってくるいい匂いなんかは浅陽の鼻と空腹を刺激しまくった。


そして浅陽が何気なく東側の海浜公園を見た時だった。


「ッ!?」


行き交う人混みの中に、漆黒の装束に身を包んだ赤い髪の少女を見た。


「ーーー悠陽?!」


浅陽が一団を追い越して駆けていく。


「ちょ、ちょっと、浅陽?!」


舞姫の声が届く間もなく、浅陽は巫女装束に身を包んだまま桟橋を駆け抜け海浜公園へと向かう。


「悠陽ッ……」


東岸の海浜公園にはすぐに辿り着き、キョロキョロとその姿を捜す。

だが、何と声を掛けようか迷うところもあった。


「悠陽、どこっ?」


人混みの中を捜し回る。キョロキョロしていたからか人とぶつかってしまった。


「あ、すみません!」


浅陽はすぐに謝ったが、相手は急いでいるかのようにそのまま走り去っていった。


「ったく。一声くらいあっても……」


ぶつかってきた失礼な相手のその後ろ姿には何となく覚えがあった。


「今のはたしか、『星明せいめい』さんとこの……」


「呼びましたか?」


振り返ると、浅陽と同じ巫女装束に身を包んだ美しい女性が立っていた。


「星明さん」


「しぃ〜」


星明と呼ばれた女性は人差し指を唇に当て浅陽に顔を寄せた。


「これでも一応ちょっとは名の知れた人間ですので、あまり大きな声で呼ばないでください」


「ちょっとだなんて、謙遜し過ぎですよ。『薄雲星明うすくも せいめい』と言えば今や知らない人なんていないくらい超が付く程有名な占い師。財界の大物や政治家、果ては海外の要人までが助言してもらいにくるって言うじゃないですか」


「それだけ自分の未来に不安を抱いている方が多いんですよ。それより先程はどうしたのですか?」


星明は舞殿から退場する際に浅陽が駆け出した理由を訊ねた。


「少し気になる人を見かけたんです」


「気になる? 素敵な男の子でもいましたか?」


「ち、違いますっ! でも大事な人……に見えたんです」


浅陽の真剣な目を見て、星明はその人物に察しがついた。


「それで思わず駆け出しちゃって。結局見つからなかったんですけど、その代わり星明さんとこの息子さんとぶつかってしまって」


星明は妙齢に見えるが、そう見えて四十代半ばであった。


「うちの『慧太郎けいたろう』と?」


「はい。ぶつかったのに一言も無しに人混みの中に消えちゃいました」


「一言も無しに? あの子が?」


星明は息子である慧太郎が走っていったという方を少し訝しげに見ていた。


「ーーーッ!?」


その時だった。浅陽は頭上から圧迫するような気配を感じ取ったのは。


「一体なに……ッ?!」


夜空を見上げると、流れ星が地表目掛けて落ちてきている。


「この強大な魔力……、ただの流れ星じゃなさそうね」


強大な魔力の持ち主で、浅陽が一番に頭に浮かべたのは相棒とも呼べる白銀の魔術師。


だが彼女は、久遠舘を離れるワケにはいかないようなことを言っていたので、浅陽が誘ったにも拘らず祭の観覧にも訪れてはいない。


「まさか、この魔力を感じて……?」


浅陽は星明を見るが、星明は首を横に振った。


慧太郎あのこにはそんな〝力〟はまだ・・無い筈です」


それでも慧太郎がその魔力を追っているのは、浅陽の目から見て間違いはなさそうだった。


ーーードクンッ!!


突如、浅陽の心臓が強く脈打った。


『五芒の扉 五星の交叉ーーー

星が導く四獣五皇ーーー』


「この声ーーー?!」


それは時折浅陽が聞く彼女の中の謎の少女の物。その声と共に浅陽の目の前に輝く五芒星が現れた。


「ちょっーーー!?」


浅陽が〈焔結〉を喚ぶ際に出現する五芒星が彼女の意思に関係なく浮かび上がる。


「浅陽さん?」


『暁告げる鐘の声 赤烏となって舞い上がれーーー』


更には、炎がその五芒星をなぞっていく。


「まさか、〈焔結〉が自分から出てこようとしてんの?!」


五芒星に手を翳し浅陽はそれを押し留めようと試みる。


「こんな人混みで何しようってのよッ!」


浅陽は抑えようとしているのだが、あまり持ちそうになかった。浅陽よりも〝彼女〟の方が〝術師〟として格上なのだと改めて思い知らされた。


「(人混みを掻き分けてたんじゃ間に合わない!)」


そう判断した浅陽は、海神浦わだつみうら海浜公園の東側に広がる砂浜に逸早く出る為に、砂浜側の出店と出店の路地に入り、星明や出店の主が声を掛ける間もなく跳んだ。


肌を刺すような凍てつく空気を焼き払うようにして浅陽の右手に〈焔結〉が顕現する。そして浅陽は音も無く砂浜に着地した。


『手間が省けた。礼を言う』


「えーーー?」


浅陽の視界が遠のく。そして意思とは関係なく砂浜を駆け出した。




霧ヶ浜海岸は東西に凡そ二キロ砂浜が広がっている。夏は海水浴客で賑わい、冬場でもマリンスポーツをする為に客が訪れる。


その海岸の西の端に海神浦海浜公園がある。

『龍神祭』の期間中である今は、海浜公園から一〇メートルおきに篝火が焚かれている。


その砂浜を慧太郎は駆ける。

と、砂浜の東の端に篝火とは違う光が見えた。


落ちた、というよりも舞い降りた光が、慧太郎を待っているかのようにそこで淡く瞬いている。


「はぁっ、はぁっ……」


普通の地面を走る時とは違い、砂地なので地面を蹴って走ることは難しい。足腰を鍛える為のトレーニングの一つに数えられるくらいだ。


部活にも入らず、運動らしい運動は体育の授業だけ。そんな慧太郎が、心肺が苦しくなるのも構わずに霧ヶ浜海岸の砂浜を駆け抜ける。


「はぁっ、はぁっ……」


慧太郎が現場に到着すると、役目を終えたとばかりに淡い光は夜に溶けるように消えた。


「これは……」


砂浜には小さなクレーターが出来ていた。そしてその底に人の様な姿が横たわっているのが見えた。


その時、彼の頭上から光が射した。

見上げた先の雲が少し晴れ、その隙間からスポットライトのような月の光が地上に降り注ぐ。


そしてクレーターの底にいる人物を照らし出した。


「女……の子……?」


ぼろぼろになった着物を着た少女がそこに横たわっていた。


慧太郎は今にも崩れて埋まりそうな砂のクレーターを降りていく。


「まさか、空からこの子が降って来たっていうのか……?」


慧太郎が女の子を抱き起こす。


「っ!?」


少女は精巧な人形のような整った顔立ちをしていて、月明かりに照らされたその顔は幼いながらも美しいと慧太郎は思った。


「……ぅん…………」


少女が僅かに身じろぐ。起きる気配は無い。

瞬間、慧太郎は背筋が薄ら寒くなる気配を感じ取った。


「これは……」


慧太郎は見えてはいけないモノが視えてしまうといった〝特技〟を持っているわけではない。

だが『そこにナニか居る』というのが何となく解る。


それは彼の母親が【顕現者マテリアライズ】であるということに由来していると思われる。


月がまた雲に隠れた。

すると慧太郎は複数の黒い影に囲まれているのが薄っすら見えた。


「なんだ……コイツら……」


真冬の夜中にも拘わらず慧太郎の全身に汗が噴き出した。嫌な感じの汗だ。


影達はジリジリとクレーターの縁に集まってくる。

だが次の瞬間、黒い影の一つから火柱が上がった。


「ッ!?」


断末魔の叫びをあげる間も無く影は消滅した。

他の影に動揺が伝わる。しかしそれも束の間、今度は幾条もの稲妻が次々に影に直撃して消滅していく。


「一体何が……?」


困惑する慧太郎の前に、輝きを放つ翼が舞い降りた。

右が炎の、左が紫電の一対の翼。


「大丈夫か?」


声をかけられ慧太郎はハッとした。

炎と紫電が照らす中に浮かび上がるのは、白衣びゃくえに緋袴の巫女装束を纏った少女。

そして翼の正体は少女の持つつるぎだと気づいた。


「お前は……」


自分を守るように影達との間に立ち塞がったその少女に慧太郎は見覚えがあった。


「水薙の、……妹か?」


数える程しか会った事のない地元の名士の娘。それが水薙浅陽であった。


「ちっ! この魔力に釣られて出てきやがった亡霊共か」


浅陽(?)は黒い影を見て吐き捨てるように言った。


その姿は慧太郎の記憶にある彼女とは少し違って見えた。


声と姿は面影がある。

だが鋭い眼とその身に纏う雰囲気、そして口調もどこか彼の知る物ではなかった。


その彼女が肩越しに慧太郎を見た。そしてその腕の中の少女を見て目を見開いた。


「その娘は……!?」


「え……?」


それを隙と見たのか亡霊が浅陽(?)に飛びかかる。


「ちっ」


浅陽(?)は舌打ちすると左手に持つ紫電のつるぎでそれを迎撃した。


「すぐに片付ける。そこで大人しくしていてくれ」


言うや否や、浅陽(?)は砂浜を駆けて亡霊を次々と斬り伏せた。


凄いと思うと同時に慧太郎は思った。


「綺麗だ……」


見事な舞いを見ているような心地だった。思わず口にしてしまうくらい。


まもなく亡霊を悉く殲滅した浅陽(?)が再び慧太郎の前に戻ってきた。炎のつるぎが松明代わりとなって慧太郎の周りを照らす。


「……ん…………」


女の子が再び身じろぐ。そして薄っすらと目を開けた。


「大丈夫か?」


女の子の目が慧太郎を捉えた。


「……そー…………すけ?」


「そう……すけ?」


誰かと勘違いしているのだろうと慧太郎は思った。だが『そうすけ』と呼ばれた瞬間、慧太郎は胸の奥に炙った縫い針が刺さったような僅かな痛みが生まれたのを感じた。


「よかっ……た……」


それだけ言って微笑むと女の子はまた気を失った。


「そうすけ……だと……!?」


浅陽(?)は慧太郎を見て驚いていた。


「まさかお前、〝叢丞そうすけ〟なのか……!?」




『(そうすけ……?)』


浅陽は意識の奥でその様子を、別の場所でモニタリングしているような感覚で見ていた。


『(どう見ても『星明せいめい』さんとこの息子さんにしか見えないんだけど……)』


薄雲星明うすぐも せいめい』と言えば国内においては知らぬ者は居ないと言われる程の高名な占い師である。


そして【異能研】に所属しており、『龍神祭』において舞殿の南西である坤の方角を守護していたのが、何を隠そう彼女である。


『(それとも〝そうすけ〟って、人の名前じゃなかったり……、ん?)』


浅陽はふと、右手の辺りにじんわりと熱が生まれたのを感じた。


『(なに……これ?)』


その熱は腕を伝って段々と上がってくる。

嫌な感じはしない。むしろ心地よいくらいの温かさ・・・だ。



ーーーやはり……には剣の才能があるようだな



『え?!』


不意に、見知らぬ記憶がフラッシュバックする。



ーーーそれは、お前にしか出来ない事だ。……行けっ!



『(ひょっとして、あたしの前世とか……?)』


しかしそんな前世の記憶ふたしかなモノではないと浅陽の直感が告げていた。


『(……違う。これはきっとーーー〝彼女〟の記憶。……でも)』


その〝記憶〟に何か引っかかりを浅陽は感じた。


『(なんだろ? 喉まで出かかってるんだけど……)』


既視感デジャヴにも似た感覚が浅陽を襲う。


「時が来た、ということか」


『(え……?)』


浅陽はその呟きに聞き覚えがあった。


「水薙の妹、だよな……?」


その声に浅陽は我に返った。




「水薙の妹、だよな……?」


慧太郎は女の子を抱き起こした態勢のまま浅陽(?)を見上げて言った。


「え? あ、そうだけど……。あれ、声が……」


「どうかしたか?」


「えっと、なんでもない」


言っても理解出来ないだろうと浅陽はとりあえず誤魔化した。


「それでその子はなに?」


「さあ」


「さあって……」


「流れ星を追い掛けてきたらここに倒れてた」


それだけ聞けば何処と無くロマンチックに聞こえなくもない。が、事態はそんな暢気な状況を許さないかのように進行する。


「慧太郎」


慧太郎が声のした方を向くと、そこには母親である薄雲星明こと薄雲明子が立っていた。


「母さん。この子……」


「その子は、あなたを破滅に導くかもしれない」


「え?」


少女の無垢であどけない寝顔を見る限り、慧太郎にはそうは思えなかった。


だが高明な占い師である彼女の助言は、世間一般では一考どころか指針そのものと言わしめる程に価値がある。


「でも放っておけないよ」


それでも慧太郎は母親の言葉を跳ね除け、自身の意志を貫いた。


「ちょっーーー」


口を挟もうとした浅陽を星明が制止する。


「慧太郎。これは助言ではなく、警告です」


「!?」


浅陽は驚いた。

星明の警告はほぼ宣告と言ってもいい程の的中率を誇る。


それを自らの息子に躊躇いなく突きつけた。いや息子だからこそ彼を守ろうとした上での決断だろう。


そしてそれは慧太郎自身も十分過ぎる程に分かっていた。しかし彼はそれに抗う姿勢を崩そうとしない。


「いくら何でもこんな寒空の下に放っておけないじゃないか。それに……」


「それに?」


「……呼ばれた気がしたんだ」


「呼ばれた?」


「魂が引きつけられる、そんな気がした」


その言葉に星明は驚愕の表情を浮かべた。


「慧太郎、まさかあなた〝力〟に……、【顕現者マテリアライズ】に目覚めたというの?」


魔力や呪力は普通の人間には扱うことは出来ない。だが誰しも扱う素養は備えている。ただそれに気づかないで一生を終える人間の方が大多数なだけである。


そしてその素養には生まれという・・・・・・才能・・が大きく関わってくる。


代々〝力〟を受け継いできた浅陽の家、水薙家が分かりやすい例だろう。

そして慧太郎の母親である星明も【顕現者マテリアライズ】だ。即ち慧太郎にはその才能が備わっていることになる。


また、魔力や呪力は普通の人間には感じ取ることは出来ない。


偶に勘の鋭い人間がいるが、それでも「何か感じる気がする・・・・」程度だ。


だが慧太郎は、流れ星しょうじょの魔力を感じ取った。そしてそれを「呼ばれた」と表現したということから、彼の中の〝力〟に共鳴したと、星明は判断した。


「この子が何で空から降ってきたのかは分からない。母さんの言う通りこの子が世界を滅ぼすのかもしれない。でも行く当ても無さそうなこの子を放っておく理由にはならないよ」


そう言って慧太郎は少女をお姫様抱っこで抱きかかえた。そして親子で見えない火花を散らしはじめた。


「(居づらいなぁ〜)」


口を挟むわけにもいかず、浅陽は星明の少し後ろで控えていた。


やがてその強情さに折れたのか、星明が盛大な溜め息を吐いた。


「……まったく、誰に似たのか」


「間違いなく母さんだよ」


浅陽は心の中でそれに同意した。


「一先ず様子を見ることにします」


「母さん!」


「慧太郎、その子を連れてついてきて下さい」


「ついてきてって、どこに行くの?」


「ついてくれば分かります」


そう言って星明は先導するように歩き出した。その少し後ろをついて行くように慧太郎も歩き出した。


浅陽は慧太郎を追い越し、星明に並んだ。


「【龍宮神社】、ですか?」


「さすが、水薙家の次期ご当主様」


星明は茶化すように言った。


「べ、別に当主とか関係無いじゃないですか。【顕現者あたしたち】なら当然の選択ですよ。あそこには〝御神木〟がありますし」


【龍宮神社】の境内には、樹齢千年以上と言われる大きな楠木がある。


その樹には不思議な〝力〟があり、夏の強い陽射しも、冬の吹き荒ぶ寒さも、その周りでは涼風のように穏やかになる。


それは結界の役割も果たし、【龍宮神社】の境内では、妖魔の荒れ狂う意志も、悪者の欲に塗れた心も、一切働かなくなる。


それら幾つもの理由が重なって、その樹は〝御神木〟と呼ばれている。


そういった理由で星明は、息子を破滅に導くかもしれない少女を【龍宮神社】に連れていくことにした。


「ホント、不思議な樹ですよね。楠木って話ですけど、ただの楠木じゃないですよね」


「あれは〝命を司る樹〟だと伝わっていますね」


「〝命を司る樹〟、ですか」


浅陽は遠くでライトアップされた御神木を眺めた。


「それで、星明さん」


浅陽は一歩前に踏み出して、星明の方を振り返った。


「なんですか?」


「星明さんがあそこまで警告する程のあの子は、一体何者なんですか?」


その問いかけは、浅陽が予想を遥かに超えた答えで返ってきた。


「〝彼女〟は慧太郎だけではなく、世界を破滅に導く〝モノ〟です」




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