『金ヶ崎の戦い』の真実 其の三
『金ヶ崎の戦い』の真実 其の三
浅井長政は、順風満帆に戦国の世を駆け、義兄信長とともに天下に安寧をもたらするかと思われた。
信長は破竹の勢いで、天筒山を落としている。
翌日には、金ヶ崎城に籠もる朝倉中務大輔景恒が、援軍の望み無しとして城を明け渡した。
「もうすぐ越前入りだな」
一乗谷攻略の時は、刻一刻と近づいていた。
- 長政の屋敷にて -
「市、行ってくる」
寡黙な長政は、多くを語らない。
「ご武運を」
お市の方も、武家の妻として夫の出立を見送る。
生まれたばかりの初を抱くお市。
まだ幼い茶々の髪を優しくひと撫でし、長政は屋敷を後にした。
当時の慣例として、女性を出陣式には呼ばない。
もしかすると、これが最後の別れの場であるかも知れない。
そう思うと、市は恐ろしかった。
家同士が決めた政略結婚である。
とはいえ、子を儲けた以上、情も湧く。 市は、浅井長政の妻であった。
「どうかご無事で」
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
浅井家の招集に応じて、軍馬、国人、兵、人夫が続々とやってくる。
小谷城下には、多くの軍勢が集まり、ひしめいていた。
家臣たちが、長政の言葉を待ちわびている。
長政は、特別に誂えた黒漆塗総覆輪阿古陀形筋兜をかぶる。
身の丈6尺を超える長身が、黒漆塗本小札紅糸威二枚胴具足を纏えば、それはもうとんでもなく映える。
右手に軍扇をもち、左手に弓をもって居並ぶ兵達の前に立つ。
風格漂う軍装をまとう長政が、厳かに下知を下す。
「信長殿に合流するぞ、正義は浅井にあり、皆の者、我に続け!!」
堂々とした若き御大将だ、その姿は配下の者に勇気を与える
実力は、すでに証明されている。
何の心配もない、ただ長政に付いて行けばいいのだ。
「えいえい!」
「「「「「「おぉ~っ!!」」」」」」
「皆の者、ゆくぞ」
浅井家の宿老、海北綱親と雨森弥兵衛が、檄を飛ばす。
「「「「おう!!」」」」
磯野員昌、遠藤直経、樋口直房、三田村国定、新庄直頼 その他浅井家家臣がつづく。
兵たちも、そうそうたる軍勢に高揚した。
「いざ征くぞ」
長政の軍勢は、意気揚々と北国道を進み始めた。
浅井領の境から、金ヶ崎までは僅かに3里。目と鼻の先である。
勝手知ったる、浅井の領地だ。
長政の率いる軍勢の行軍に一切の支障はなかった。
しかし、ここで大きな齟齬が発生した。
『金ヶ崎の退き口』である。
なんと、信長が逃げ出してしまったのである。
お市から、陣中見舞いとして届けられた 『あずき』
これが、二人の男の運命を変えてしまった。
お市は、兄と夫が上手くいくようにせめてもの見舞いにと、贈り物をした。
昔から信長は市に甘かった、だから、その優しさを長政様にも分けて欲しかった。
しかし、信長はそれを見て、『袋のネズミ』と、解いた。
信長はすでに、お市の世話につけていた腰元から、浅井が戦の準備をしているという情報を得ていた。
長政が信長に加勢するという報告は、まだ届いていなかった。
そのために、深読みをしてしまったのである。
( とはいえ、あずきの袋の口を縛らなかったら、こぼれてしまうと思うのは私だけであろうか?
こぼれたらこぼれたで、 『天下をとりこぼす』 とでも思うんだろう。
いやはや、信長のタロット占い観たいですね。)
すでに事態は動いてしまった。
織田方としては、長政から戦の手伝いの申し入れが届いたとしても、疑いを持って見るしかなかった。
たとえ長政が、申し開きに訪れようとしても、もはや信長は逐電した後であった。
長政の使者を務めた男は、呆然とした。
近すぎたがゆえに、連絡が間に合わなかったのだ。
長政は慌てた。
「こんな筈ではなかった……」
信長に諸手を上げて歓迎されると、ばかり思っていたのだから。
申し開きの使者のやり取りもうまく言っていなかった。
織田家中には猜疑心が、はびこっていた。
すでに撤退が始まっていたのが、痛かった。
しかし、長政にとって現実はさらに非情であった。
織田軍の動揺を見て朝倉軍が、反撃をしているのだ。
「ばかな!」
折悪しく、先ほどまで逃げていた朝倉勢が息を吹き返し、あろう事か信長の軍を散々に追い払ったのだ。
(信長を取りこぼすのが、揺るがない朝倉クオリティーである。)
突然の撤退戦だ、織田勢の被害は大きいと聞いた。
これさえなければ、まだ何とかなった。
攻撃をせずに信長軍を見逃せば、代わりに『朝倉は意地を見せた』として義景の首がつながったかも知れない。
もはや、後の祭りである。
長政は頭を抱えたが、真実を云って申し開きをしたところで 『天下の笑いもの』 である。
美意識にこだわる長政には、つらい現実であった。
「いっそのこと、朝倉が首を獲っておればよかったものを」
誰の首とは言わないが。
直経は、もはや後戻りは出来まいと分析していた。
信長は、朽木谷を通って逃げたと思われる。
浅井家をよく思わない朽木元綱は、ここぞとばかりに信長に恩を売り、あることないこと吹き込んでいるやも知れぬ。
「殿、いかが致します?」 海北綱親が今後の方針を尋ねる。
この状況は、家老の彼の手にさえも余るのだ。
「ひとまずは、様子見をするしかあるまい」
長政は、小谷へと軍勢を返した。
「もはや後戻りは出来ぬな」
当面の指示を、出し終えた長政。
兵に手伝わせ、甲冑を脱ぎながら独り呟くのであった。
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信長も頭を抱えた。
とりあえず命からがら、逃げて来られたのはよい。
突然の撤退だった割に、信長の予想したほどの被害もなかった。
殿を務めた者も無事に帰還した。
しかし、信長の軍は、その弱さを露呈してしまった。
尾張兵に、薩摩隼人のような戦闘力はない。
危なくなる前に逃げるからだ。
世間は、こう思うだろう。
「尾張兵は弱い、信長も然り」
その事実が、これからの天下取りに支障をきたすこととなる。
とりあえず、長政をもう一度取り込まないとマズイ。
あくまでも信長の本拠地は、岐阜・清洲なのだ。
浅井家が離反すれば、南近江・京・堺への道が閉ざされる。
築きあげたものが、一瞬で瓦解する危険性があった。
そのため、怒れる心を押し殺し、長政に対して、今回の件を許す旨の書状を送った。
その一方で、信長は、京近郊の諸大名から人質を取り将軍義昭の元へ送った。
自分自身が人質を持てば反発されると踏んだのだ。
大事出来の際にはすぐさま入洛するとして、あわてて京を離れて岐阜へと下っていった。
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将軍を担いだ信長の威光に陰りが生じた。
権力の匂いに敏感な連中が蠢く。
将軍義昭も信長の軛から逃れようと、画策をする。
彼の発した御内書が力を持ったのは、この金ヶ崎の偶然があったからこそである。
それまでは、御内書とは『愚痴と妄想が綴られた単なる紙切れ』だった。
しかし、この信長の逃走という珍事により、信長追討という絵に描いた餅がにわかに現実的となってしまった。
そして、比叡山が、三好が、本願寺すら、信長という男を見誤ってしまったのである。
そんなさなか、元亀元年(1570年)と、改元された。
そのおめでたい年号とは裏腹に、またもや、混沌とした時代に逆戻りをするのであった。
つまりは、誰が将軍を担いで京に上ったとしても、もうどうしようのない所まで幕府の権威が墜ちてしまったことを、義昭自身が露呈したのであった。
義昭は、自らの手で自分の屋敷の屋台骨に斧を振るっているのだ。
そのことに気付こうともしなかった。
以後、信長(諸大名)は、義昭を単なる物としてまた、便利な道具として扱うようになる。
(この時までは、将軍の威光で天下を治めようと、それなりに気を使っていたのだ)
金ヶ崎の退き口で、浅井長政の織田信長への評価も下がってしまった。
もはや呆れてしまったと云ってもいい、同盟者である義弟を疑ってあまつさえ逐電するとは……。
そして、こたびの書状。
長政の行動を許す旨が記されてはいるが、あからさまにその場しのぎの臭いがする。
「何をしておる」と激しく糾弾してしかるべきなのだ。
窮地の時に至って、相手におもねる態度が気にくわなかった。
「所詮は、我が身が可愛いだけの底の浅い男だったのか?」
長政は、六角家の圧力をわずか15歳の若さではねのけた英傑である。
桶狭間でコソコソしていた、信長とは違う。 (長政個人の感想です)
「清綱、直経、どう思う?」
浅井家に名将は数あれど、最後の最後に長政が相談するのはこのふたりである。
思えば、長政が久政の意に反し六角家に対し兵を挙げたのも、このふたりの同意があればこそである。
「流石にかような状況になってしまいましては、信長公に従うわけにもまいりますまいて」
「さよう、かの御仁はひとたび敵対した者を許せる器ではござらん」
「是非もなしか」
「かくなる上は、朝倉と共に織田を討ち果たすまで」
「朝倉も此度ばかりは、尻に火がついており申す」
「まずは、取りこぼしかけた南近江を手に入れるべきだな」
「「御意!!」」
かくして、二人は戦場で相まみえることとなる。
決着がつくのは、足掛け四年の歳月を要した。
後世の歴史家は皆、無責任にこう云う。
『この出来事がなければ、信長の天下取りも大分変わっていたであろう』 と。
かくして、金ヶ崎戦いの真相は闇に葬られていった。
『金ヶ崎の戦い』の真実 終わり
かくして、金ヶ崎戦いの真相は闇に葬られていった。
(主に信長の都合で。)
次回は、主人公が登場します。




