女、地下街
私の中でぐるぐると見続けている、どこかの世界の話。雨街と呼ばれる地上と、それを避けて人々が逃げた地下街と、あとどこか知らない土地の断片的な話達です。
冷たい雨の降り続ける街だった。朽ちたビル、溜まった水、水は流れ落ちて街の低い場所へ集まり、水没した瓦礫が雨粒の波紋に揺らめいている。
ここは雨街。名前も、存在意義すら遠い過去に置き忘れてきた、雨の降り続ける街。人も、生き物も、草木も、死んだようにひっそりと、少なく呼吸を重ねる街。
嫌になっちゃうわよね
ぽつりと女が呟いた言葉に男は振り向く。朽ちかけの窓枠に肘をつき、女は億劫そうに口を開く。
「地下じゃ絶対に見られない雨なのに、こうやって、いざ地上で暮らしてみると気が滅入ってくるのよね」
「…人間はそこに無いものを望む生き物だからな」
「そうね」
会話は続かない。雨音が沈黙を強調し、それでいて沈黙は雨音へと成り代わった。
絶えず降り続ける雨はこの世界で人々の生きる気力を無くしてしまった。
「……そして、嫌になったから潜ったんだろうよ」
呟いた言葉が消えないうちに、男の気配は部屋から無くなっていた。
残った女は口元に指を当て、そっと息を吐いて目を伏せる。次に目を開いたとき、雨の冷たい空気が彼女の肺の中で渦巻いていた。
「…煙くらい外へ流しなさいよね」
ぴちゃ、ぴちゃ、と足音で水音が跳ねる。防水性に優れた靴は、降り続ける雨のお陰で進化してきた物だ。お陰で地下街へ続く暗く湿った洞穴内でも、濡れて足先から寒さを感じることはない。雨に対抗した結果最も雨に適した発明は、雨の降らない地下街では意味はないというのに。
雨街へ降る雨に害はない。ただ町が沈むだけ、雨が止まないだけ、日が出ないだけ。雨街に降った雨がどこへ行くのか、知る者はいないが、少なくとも地下街で暮らす人間の営みを支える程度は地下へと引かれている。