ケンカ
日常の本の一コマです。
とても些細なことだったと思う。
決してケンカをしたかったわけじゃないのだ。
ただ解って欲しかっただけなのに。
ーー大事になってしまった。
珍しくケンカした。
昨日の夜。
いつもならすぐに仲直りできたのに。
昨日のは出来なかった。
なぜなんだろうと考えてはみるが、答えなんてない。
売り言葉に買い言葉だったと思う。
知らず口をついて出たコトバだった。
付き合って結婚して以来、初めての大ゲンカにどうして良いのかよくわからない。
一人になってソファーでうずくまる。
そこにあったクッションを抱えてごろりと横になった。
テレビの上には写真がある。
結婚式の時のものだ。
なんて幸せそうな笑顔だろうか。
では、今は?
仕事に追われる毎日。家事に追われる毎日。
クタクタで気遣う余裕なんてさらさら無い。
たまにお出かけしていたのなんて遥か昔。
今では休日さえ予定を合わせる事に四苦八苦している始末。
こんな事ではとても子供なんて望めないし。
そんな想いが積もり積もって吹き出したのだ。
ーーもう、私の事なんてどうでもいいんでしょう?どっか行っちゃえ!
ついカッとなって口から飛び出したコトバ。
本当に居なくなるなんて思ってなかった。
いつもは私よりも遅く起きてくるのに、今日に限っては違った。
朝、いつもの時間に起きたらもう彼は居なかった。
書き置きも無かったし。
何も、無かった。
こんな事は初めてで、動揺し過ぎて仕事を休んでしまった。
もしかしたら、彼に私が休んでいる事がバレているかもしれない。
同じ会社の違う部署だから。
いや、でもそんなヒマなんて無いはず。
だって、彼の所は今、会社を挙げての大きなプロジェクトを抱えていたから。
それを私は、知っていたのに。
でも、言い訳をすればだ。
そのお陰でこちらも目の回るような忙しさなんだ。
本来ウチの部署の仕事じゃない仕事まで飛んできて、やったことの無い仕事をさせられて。
だからというわけではない、とは言い切れないけれど、気が立っていたのも事実で。
悪い事をしたな、と思ってはいるのだ。
「………。」
うだうだと転げていても何一つ改善されないのは分かっているのに。カラダが動く事を拒否していた。
その内、うたた寝していた。
昨日はあまり寝られなかったからか。日頃の疲れからか。
気づくと夕方だった。
夕方を告げる放送が外で流れる。
良いな、子供は。なんて、走り行く小学生を見ながら思ってしまう。
いや、しかし子供の世界はそれはそれで大変だったような気がする。
ベランダで風に吹かれているとやっと眠気から解放される。
まだ重いカラダを引きずって買い物に出掛けた。
スーパーで買い物をしようと思ってきたが、しまった。メニューが全く決まっていない。
何にも作る気になれなくて、結局朝ご飯のためのパンだけを購入して帰路につく。
本当に、自分は一体何をしているんだろう。
たった一回の大きなケンカでこんなに何も手に付かなくなるなんて思わなかった。
知らず、自分の中を占める彼の割合にびっくりする。
今日は、もし、彼が帰ってきてくれたなら、いつものあの定食屋さんに行こう。
そして謝ろう。
イラついていたとはいえ、言いすぎたのは自分なのだから。
やっと顔を上げられた。
夕焼けがとても綺麗だ。
いつものこんな時間に外にいないから、ものすごく久しぶりな気がする。
なんだか泣けてきた。
こんなに仕事と結婚生活に疲れていたなんて思いもしなかった。
本当に余裕が無かったんだなと、改めて思い知る。
ちょっとだけいつもは通らない公園を通って帰る。
少し時間がかかるけど、でも散歩なんてしばらくしてないから楽しくなってきた。
公園のベンチですぐそこの自販機で買った紅茶を飲む。すごくホッとする。
少しだけ、今の働き方で良いのか考え直してみても良いのかもしれない。
元々そんなキャリア志向では無いのだから、ただ忙しいだけの日々にしがみつく気もないわけで。
それなら専業主婦は嫌だけれどもう少し自宅ワークを増やしたり、働き方を変えてみるのもアリではないか。
出社しないと出来ない仕事では無いのだから。
ーキィ……キィ………
不規則な軋む音に反射的に顔を上げた。
さっきまで遊んでいた子供達はみんな居なくなっていたはずで。
スーツ姿のサラリーマンがブランコに乗っていた。
夕陽を背負っているせいで顔は見えないが、きっと、とても疲れている人なんだとなんとなく思う。
手に持っていた紅茶に目を移し、またぼんやりする。
鳥の鳴き声も、走る風の音も遠く聞こえた。
街頭に光が灯って明るくなる。
影が、地面の影が長く伸びていて、ふと、それが妙に気になって顔を上げる。
「…………。」
「…よぅ………」
目の前に彼が立っていた。
遠目でしかも逆光でそうとは分からなかったけど、なんとなくブランコのサラリーマンだと思った。
ベンチの隣に腰掛ける。
こんな時間にここにいるなんて思ってもみなくて、驚いたまままだ一言も発せずにいる私に彼は苦笑する。
笑うととっても幼い子供のようになるその顔は、それがとても好きだった事を思い出す。
こんな事さえ、遠くに追いやってしまうほど疲れていたのかと思うと、なんだか情けなかった。
ーごめんな、いつも。
その言葉に顔をあげて彼を見つめてしまった。
「ちが…….あたしこそ…本当にごめん…なさい…」
すんなりと出てきた言葉と一緒に目からもなんだか水分が溢れたがそんなことは気にしていられなかった。
彼がものすごく優しく笑ったから。
その後は2人で手をつないで馴染みの定食屋さんでご飯を食べて、ほんの少しの時間だったけれど散歩して帰った。
こんななんでもない日常が本当に大事だったのだと。
たったこれだけの時間さえ持てなくてすり減るのはもう我慢出来なくて。
明日、会社にこんなのは嫌だと言ってみようと思う。
たった一度の人生だもの。
二人の時間も、一人の時間も、あなたの時間もとても大切なのだから。
それを大切にしたいのだ。
いつもどうやって仲直りしているのか、自分ではよくわかりませんが、理想です(笑)