Chapter2:仁義なき戦い〜アイドル頂上決戦〜②
僕の抱いた予感は現実のものとなった。
「殺してほしい人がいるの」
椅子に腰を下ろすなりそう言ったのは、長い黒髪を二つに結った中学生くらいの少女だ。幼い顔にしっかりと化粧を施して、無理やり大人へと仕立て上げているそんな印象を受ける。仄かに漂う香水の匂いが彼女には不釣り合いで、居心地の悪さを覚えた。
「殺してほしい、ね」
「そうよ。ここは殺し屋なんでしょ」
事務所のデスクに足を投げ出し、踏ん反り返って少女は言う。
黒川は一目でブランド物とわかるような茶色いブーツを鼻っ柱に突きつけられ、さらにこの精一杯背伸びをする、まだ結婚もできないような少女に強い口調で言われ、明らかに不機嫌そうな顔をした。
「まあ殺し屋だけどさ…………君、学校で礼儀とか習わないの?」
「なに? 私は客よ。客に礼儀を求めるの? 客に合わせられないのは店の礼儀がなってないんじゃない?」
「……」
黒川の目は死んでいた。
間違いなく史上最年少かつ最悪の客だ、と僕は確信する。
「ま、まあとりあえず君の名前を教えてもらえるかな?」
このままでは仕事を放棄しかねない黒川に変わり、卜僕は精一杯の笑顔を浮かべて少女に話しかけた。これまでにないくらい高い声色で話しかけるが、しかし。
「はあ? あんたも殺し屋なの? あんたはただのコンビニバイトじゃないの? こんな頭にわかめ乗っけた殺し屋なんて私だったら殺すわ」
「クッ……だよねえ。僕は殺し屋じゃないけど、そこのオールバックのお兄さんは紛れもなく殺し屋だから。まあとりあえず名前だけ教えてあげてよ」
「クソガキ」と腹の底から喉をせり上がってきた言葉をなんとか飲み込み、歪んだ笑顔を何とか保った。だめだ、僕の手には終えない。結局自分が相手をすることになった黒川は、顔じゅうのシワを眉間に寄せて不機嫌さを示したが、僕は目を逸らした。
「というか、私の名前分からないの?」
「わからないよ」
黒川は即答する。
少女は一層不機嫌な顔になって、少し離れていた僕の耳まで届くほどの舌打ちをした。デスクの上に肘を突き、歯茎を剥くほど顔を歪めて「けっ」と吐き捨てる。
「沼川時乃よ」
「時乃さんね。中学生?」
「アインシュタイン」
「は?」
「アイドルグループ“アインシュタイン”七期メンバートキのんこと沼川時乃」
「学者さんかな?」
「死ね」
アイドルは冷酷に言い放ち、殺し屋に向かって中指を突き立てた。
曰く、彼女は今をときめく車市のローカルアイドルユニット“アインシュタイン”のメンバーであり、活きの良い現役女子中学生であり、未だつぼみの十五歳だそうだ。
可愛くなくは、ない。というのが率直な感想だった。学校のクラスで五番目くらいに可愛い、くらい。というのも、少女らしい純粋な魅力が無理に背伸びした化粧や服装で台無しになっていたからだ。大人も顔負けなくらいにメイクを施した顔は、とても中学生に見えない。勿論悪い意味で、だ。目の周りや頬の周りに少し消しゴムでもかけてあげた方が可愛くなるだろう。
そう言えば、と僕は思い出す。二日前店に暇つぶしに来た天姫が言っていた。日村アリア、という子だけがずば抜けて可愛く、他の子は彼女の引き立て役程度の可愛さである、と。日村アリアがどれほどに魅力的な顔をしているのかは知らないが、なるほど目の前の時乃を見る限り引き立て役という言葉はかなり相応しいように思えた。
「日村アリアっていう女を殺して欲しいの」
黒川が訊ねるより先に相手の名前を出す。早く殺してくれ、と急かすようだった。彼女の口から出された名前に驚きはない。むしろ当然のことにすら思える。個性輝き愛嬌煌めくアイドルでありながら、メンバーの引き立て役にしかならないという残酷な現実に対して憎悪が生まれないわけがない。加えて時乃のこの性格だ。憎しみが振り切れて殺意を抱いても何も疑問はなかった。
「それはアイドル仲間、かな」
黒川はわざとらしく訊ねた。
「そうよ。私が今この世で最も死んで欲しいと思う女」
「最近の若い子はおっかないなー。で、僕はその日村アリアって子のことを知らないんだけど、写真かなんか今持ってる?」
「それくらい自分で探しなさいよ。私は客で、客に仕事をさせる店なんてどこにもないでしょ」
突っぱね、時乃はそっぽを向く。黒川のこめかみには、皮膚の下にミミズでも潜り込んでいるみたいにくっきりと青筋が浮かんでいた。もし彼が拳銃を持ち歩く主義だったならば、懐から貫いたマグナムの銃口で問答無用に目の前の少女へ鉛玉をくれてやっているに違いない。
「……殺しの方法は?」
地を這うようのなトーンで黒川は訊く。
「そうねえ……脳天に穴を空けて、脳みその空気の通りをよくしてあげて欲しいわ」
アイドルに相応しくない単語が言葉のあちこちに出る。
事務所の隅でメモ書きをしながら本を読んでいた僕は、憎しみのこもった笑みを浮かべる時乃を見て身震いする。あれでは憧れや理想を象った偶像ではなく、恨みと憎しみの籠った呪いの人形だ。憎悪など殺しにとっては掃いて捨てるほどの人気理由で聞き飽きてもいたが、それがアイドル同士というだけで随分と印象が違う。笑顔の裏に隠された、どろどろに淀んで煮える負の感情は計り知れない深さがある。どうしたって手元の文章に集中できなかった。中東の情勢に関する文献だが、それよりも少女たちの殺し合いの方が気になって仕方がない。
「にしても、何がそんなに気にくわないんだい?」
「全てよ。日村がこの世にいる、存在しているそれ自体が気にくわないの」
「存在ねえ」
「確かに可愛いわよ、あの女。こんな地方都市のローカルアイドルなんかやめて、全国規模のアイドルグループに所属したってやっていけるわ。きっと日本中が虜になるでしょうね」
「なら何も問題はないじゃん。君らのグループは彼女がいるおかげで注目してもらえるんでしょ?」
黒川がそう問うと、何もわかっていない、と言うように時乃は舌打ちをした。
「私たちはアイドルグループなの。部活とは違うの。一人が優れてるからって、アイドルグループは大きくなることはないわ。みんなが平等に愛されることこそアイドルグループには必要なことなのよ。私たちが影でなんて呼ばれているか知ってる?」
「引き立て役、だろ?」
薄ら笑いとともに即答した黒川を、本気の怒りを帯びた時乃の目が睨む。彼女は拳をデスクに叩きつけた。少女のものとは思えない重く鈍い音が事務所に広がる。
「そうよ! その通り! 日村アリア以外の“アインシュタイン”のメンバーは彼女をより魅力的に魅せるためのアイテムなのよ。同じように歌とダンスの練習をして、笑顔を撒いて媚びを売って。それなのにファンがつくのは日村だけ。これならバックダンサーでもやっていた方がマシ」
「なら彼女だけをどっかのでっかいアイドルグループに売り込んで、君たちだけで新生アインシュタインをやればいいじゃないか。プロデューサーもダメだなあ」
「そんなのとっくにしてるわよ」
「へえ」
「私たちは何度もプロデューサーに訴えてるし、プロデューサーも何度も日村に言ってるの」
そこで時乃は一旦言葉を切り、怒りを噛みしめるように歯を軋ませた。
「けど、彼女が頑なにグループを離れようとしないのよ。私はそんなところじゃやっていけない、大きいところに行くよりは小さいけれど温かいアインシュタインのみんなと仲良くやっていきたい、って薄っぺらい言い訳を添えてね!」
「それで殺そう、と」
「そうよ。悪い? 殺し屋さんが人の殺意に文句付けるの」
「いやいや滅相もない。殺しの理由なんて千差万別。みんな違ってみんないいってやつさ」
「なら殺して。たった一人のカリスマよりも、一〇〇人の凡人よ。あの女がいなくなった方がアインシュタインは成功する。私だって、他の子達だってもっと頑張れる。」
「よろしい。引き受けましょう。車市を彩るアイドルちゃんたちの血みどろの内輪揉めね。すっごく楽しいな」
黒川は嬉々として書類にボールペンを走らせ、最後に「殺し屋屋の存在について決して一度に多くの人へ知らせてはならない」という唯一絶対のルールを言い聞かせた。時乃は文句の一つでも言ってくるかと思ったが、すんなりと頷いた。案外、態度がなっていないだけで素直な性格なのかも知れなかった。
「最後に料金だけど、前払いと後払いどっちにする?」
「後払い。私はあんたを信用したわけじゃない。殺して、その死体を私に見せてくれたらお金は払うわ」
「いいのー? 現実の死体って結構キッツいよー。牛豚とかゾンビの死体とはわけが違う。ねえ、トベミネくん」
「まあ、最初は」
突然の投げかけに曖昧に頷く。確かに僕は初めて生の死体を前にし、あろうことか死体めがけて胃の中身をありったけぶちまけた。ただし、その死体が黒川によって仕立て上げられた前衛芸術的なものだったのも一因だ。
「ふん。いいわ。私は日村アリアの大歓迎よ。あの女の死体を見ながらご飯を食べるの。そうでもしないと気が済まない」
口角の釣り上がった口から溢れたのは、狂気を孕んだ言葉だった。
僕は、彼女に感じた素直な一面はただの錯覚だったのだと知り、そして時乃が秘めていたおぞましい考えから意識を逸らすように手元の本へと視線を戻した。だが、と逆説なのか、だからと順接なのか、黒川は楽しそうに笑っていた。