Chapter:1 自慢したいの、そういう年頃③
「相変わらず、連続殺人鬼様は忙しいな」
今日も今日とて一面を飾る連続殺人事件の記事に僕は独りごちた。
山村澄奈に依頼完了の旨の電話をしてから今日で三日目。電話越しの彼女は安堵するよりも喜び、自分に害をなす存在がいなくなったことを心から嬉しがっていたように感じた。
相変わらず人のいない店内では、無口の緑川が黙々と床をモップ掛けしている。今日の客といえば、いつだったか店で見かけたやつれた中年女性一人。この店の床は緑川の日頃の努力のおかげで常に新築のように輝いているが、そもそも汚れたことがあるのだろうかという疑問がいつも頭にあった。
そして相変わらず物寂しいレジに座った僕は、入り口近くのラックからとってきた新聞をくつろいだ姿勢で眺めていた。レジカウンターに土足のまま足を投げ出す自分の姿が客を遠ざける一因であるかもしれない。
殺人鬼の記事は一面に留まらず、中面へと続いている。これで一体何人の被害者が出たのか。
「あーあ……」
その記事内容にため息を吐いたのは僕ではない。
「一石二鳥のチャンスだと思ったんだけどなーだめだったかー」
振り返ると、しゃがみ込んだ黒川が在庫のスナック菓子を漁っていた。
いつも日常の大半を地下で過ごすという蝉に似た生態の黒川が、こうしてコンビニの店舗へ出てきているのは珍しい。その場合は大抵食糧や雑誌類やらを漁りにくるだけなのだが、そもそもここは彼の店。特に咎めるでもなく放ったらかしにしていた。
「一石二鳥? まあでもどう見ても殺人鬼、って人間じゃあなかったっすからね、大柳さん」
「やっぱりかーくっそ」
「そんな残念なんすか」
「まあね」
記事を指でなぞり読みする黒川は、被害女性の写真で指先を止めた。
「……なんかこの人見たことない?」
「いや、見たことないっす」
丸く縁取られた中に写るのは目元のハッキリとした、気の強そうな女性だった。
「真宮奈津美さん」
「知ってる名前っすか?」
「いや知らない」黒川は首を振った。「でもよくよく考えてみると、あのおじさんは下手をすれば連続殺人鬼と認定されかねなかったのか。これだけ殺してればまあ死刑は免れないよね。それを早めてやって、しかも絞首よりも遥かに楽な死に方をさせてあげたって事は、僕らの今回の任務は素晴らしいことなのかな!」
「そうっすね」
と僕は適当にあしらいつつ紙を何枚か捲る。「近々なんとかというアイドルグループが市民体育館でライブをやる」とか「何々組と何々組の組員が喧嘩をした」という記事が目に入ったが、得に気になる内容でもなかった。後者の暴力団に関する記事は両組の名前が似ており、どちらがどちらなのか頭のなかで溶解し、わけがわからなくなったので読むのを止めた。
新聞紙を閉じかけたとき、一つ目にとまる記事があった。
「ん?」
網掛けされた見出しにはこうあった。
『高校裏に女子生徒の惨殺死体』
市立糴州螺高校の裏山で昨夜十八時頃、帰宅途中の在学生が見つけたのは、体中に無数の刺し傷を負った制服姿の女子生徒の姿だった。その時点で既に息はなかったそうだ。奇妙なのははだけられた腹が格子状に切られ、そこに幾つかのマル印とバツ印が刃物によって付けられていたという点。警察は犯人からの何らかのメッセージであるという線で捜査を進めて行く方針ということだった。
殺害された女子生徒の名前には山村澄奈、そう記してあった。
「へ」
自分でもわかるくらい間抜けな声が、半開きの口から転がり落ちるように発せられた。二度見直し、やはり自分の読み間違いではない事を確認した。
糴州螺高校、女子生徒、山村澄奈、という単語から想起される人物は一人だけ。一週間ほど前にストーカー被害を訴え、相手を殺してほしいと黒川に依頼してきたあの優等生の少女だ。つい三日前には電話越しに会話をし、快活に返答するのをこの耳ではっきりと聞いている。少なくともその時点では生きていた。記事の端にひっそりとくりぬかれた顔写真は、確かに彼女のものだ。
大柳春臣の顔がちらつく。あの晩自分たちは殺し損ねたというのか。僕は首を振る。ターゲットは間違いなく殺した。やったのは串屋だ。万が一にも殺し損ねるはずがない。あの夜死体を検めなかったのが少し悔やまれた。いくら寒かったとはいえ、死体の確認は自分の仕事だ。これでもし殺しそびれた大柳がゾンビのように這い上がり、山村澄奈を殺したとなれば黒川に怒られるに違いない。殺されはしないだろうが、生爪の一枚くらいは剥がされるかもしれない。気が重かった。
しかしもし大柳が死んでいたならば、この彼女の死体は誰によるものなのか。あの真面目そうな少女が恨みを買って殺されるなどという想像はあまり浮かんでこない。となれば彼女がここ最近で関わった危ない人間として思い当たるのは一人しかいなかった。
「黒川さんこれ知ってます?」
隣に移動していた黒川へそれとなく尋ねる。
「ん?」
開いてみせた新聞紙を、彼はだるそうに受け取る。ざっと眺めて適当な場所に投げ出した。
「ああ。澄奈さんね」
片手に持ったスナック菓子を口に放り、咀嚼ついでに雑談するような口調でこう言う。
「殺した、よ」
どうして、という疑問が湧くよりも先に、自分のせいではなかった安心が胸を降りる。生爪を剥がされずにすんだ指先を握った。
「でも何でっすか?」
「これ見てこれ」
黒川は一台のスマートフォンをこちらに投げてよこした。
画面に表示されているのは、短文投稿機能が評判のSNSサイト。画面は爽やかな水色で、左端に『やまむー』というアカウント名が載る。その下にはどこの学校に通っているだとか、好きな歌手だとか食べ物だとかが書かれていた。プロフィール画像に設定されている女の子二人組のプリクラ写真のうち、片方は見覚えのある顔だった。かなり加工が施されているが、この顔立ちは山村澄奈で間違いない。
「これがどうしたんすか?」
先日抱いた澄奈のイメージとは少し離れるが、至って怪しいところのないプロフィール画面である。
「投稿を読んでみなって」
黒川はため息を一つついて促した。
澄奈の投稿は三日前の十一月二十九日で途切れている。その最後の投稿を読み上げてみた。
「『あ、そうそう。みんなもね(*´∀`*) 殺して欲しい人がいたら仇霧通り裏にあるラッキーマートに行くといいよぉ!』」
さらにその一つ前も。
「『やっとあのおやじ殺してもらえた〜♪ ほんとうざすぎたっヾ(。`Д´。)ノ これで明日から安心して眠れ
る〜zzz』」
全然関係のない自撮りの写真と一緒に彼女の些細な“呟き”がネットに流れていた。
「あっちゃー。これはやっちまってますね」
「ほんとほんと。勘弁して欲しいよね。これで僕らが闇討ちでもされたらどう責任とってくれんのさって話よ。こっちは命のやり取りを仕事にしてるんだからさあ。君たちみたいに机に向かって爆睡かましてるお気楽
なもんじゃないんだよー、って」
「大丈夫そうなんですか? いろいろと」
「ああ。大丈夫大丈夫。この投稿から三分後には投稿を消させ、一時間後にはもう殺したから。ネットの世界
の三分はかなり痛いけど、まあ文句ないスピードだと思うよ」
「仕事早いっすね」
「いやあ優秀なホームズ君のおかげだよ。特にああいう頭の足りてなさそうな若者は普通のお客より厳重にチェックするからね。最速発見最速殺害。まさに今回はその理念通りのいい働きをしてくれたよ彼らは。ちなみに、ルールを破ったのも最速だったよ」
ホームズ君、とは黒川の下につく私兵の殺し屋の総称だ。串田のような殺し屋とはまた別の契約形態で黒川と手を結んでいた。全国に二二一人いる彼らは、主に黒川に害をなす人間の先制殺害を任務とし、今回の山村澄奈のような人間の処理も彼らの重要な役割の一つである。情報屋レベルのネットワークを持ち、どんな些細な動きも逃さず邪魔者を特定し排除する。その働きはさながら探偵のよう。犯人を探し出し、殺す探偵だ。
「そういや死体が簡単に発見されてますけど、いいんすか?」
いつもなら死体は一部の人間を除いて見られないよう工作しているのだが、どういうわけか今回ばかりはあっさりと警察に見つかりこうして地方紙に掲載されていた。下校途中の高校生にも発見されてしまうということは、いらなくなった人形を粗雑に道端に捨てるとの同じ感覚で死体を扱ったのに等しい。
「これはねわざと見つかるようにしたの。淡い男の恋心を弄んだ鉄仮面女は公衆に晒されて死んでなお苦しめ、っていうホームズ君の心からの怒りを体現したのさ。あとはまあ、適当に道端に死体を転がしてても、今は全部殺人鬼くんの仕業にしてくれるし」
ストーカーが男の淡い恋心と呼べるのかいささか疑問ではあったが、僕は深く突っ込んだりはしなかった。少なくとも自分には一生縁がなくていい恋心だと思った。
「それにしても、黒川さんあれだけ頑張って声作ったのに。キャラ崩壊させてまで忠告したのにガン無視じゃないすか」
「キャラ崩壊ってなんだよ、もう。僕はいつも真面目でしょ」
要するに山村澄奈は、店についてあまり公にしてはならないという唯一絶対のルールを見事に破り、全世界へ向けて中身のない薄っぺらな文章とともにこの店の情報を流出させてしまったのである。
「これ消さなくていいんですか? ずっと残しとくのはまずいと思うんですけど」
「ああもちろん消したよ。それは僕の携帯にとってあるログ」
携帯を受け取った黒川は、もう何度と読んだであろう彼女の言葉を再度冷めた目で眺めた。
「この子さ、エンコーしてたんだよね」
「え? 澄奈さん?」
「他に誰がいるってのさ。黒髪清純優等生風の山村澄奈さん。で、串田くんが殺した大柳って人は彼女のエンコー相手。奥さん子供そっちのけでだいぶ貢いでたみたい。ゾッコンってやつ。大柳は澄奈さんに結婚申し込んでたらしいよ。きもちわりー」
「援交相手に結婚申し込むって並大抵の気持ち悪さじゃないっすよ」
「澄奈さんも澄奈さんで、どっか高級ブランドのネックレスをくれたら結婚してあげるって言ったらしくてさ。云百万云千万とかするやつ。で、本当にくれたんだと」
「うっわ」
「まさか本当に買ってくるとは思わなかったから彼女はそのままトンズラこき、大柳はストーカーに成り果てたのでしたちゃんちゃん。全部ホームズ君の調査結果です」
「どっちもどっちっすね」
「ほんとほんと」
初めて彼女を見たときにその『まともさ』に感心したが、かといって彼女の正体を知って悲しみが生まれるわけでもない。人には裏の裏まであるというのがこの業界の常識であり、今回はその表の姿が女子高生だったというただそれだけの話だ。
読みかけの新聞を手元に引き寄せ、僕は思い出したように尋ねる。
「そういやこのお腹にあったマルとかバツとかってなんですか? 警察は犯人の何らかのメッセージだろうって言ってるらしいですけど」
「あーそれは僕とホームズ君とでやったマルバツゲーム。殺すのに手こずるような相手じゃなかったからちょっと退屈だと思ってさ」
「死体でですか」
「いやいや」
黒川は首を振った。
「まだ生きてたよ」
「うわ。というか黒川さんも行ったんですか、殺し」
「うん暇だったからね。いやあ、勝ったほうが好きな殺し方をしよう、って賭けをしたんだけど負けちゃった。必勝法があるんだね、あのゲーム」
「まあ黒川さんが手を出すと酷いっつかー汚くなるから……」
「今度からは絶対負けないよ」
袋の中のスナック菓子を全部口に流し込み、黒川は続けた。
「最近多いよね」
「何がですか?」
「事の重大さを考えずにSNSに写真とかあげる人。ネットの即時性と広域性がどれだけのものかを理解してないんだよねえ」
やれやれと首をすくめてみせる。
「これくらいは平気だろ、ってことなんすかね」
「そう、その根拠のない自信。言ってやりたいよ。おいしい仕事をありがとう、って」
黒川はカウンターの上に置いたスマートフォンをつつくように操作する。表示されている山村澄奈のプリクラ画像を払うようにごみ箱へ送った。