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卜部くんとつれづれならぬ日々  作者: 土倉ミクロ
1 糴州螺連続殺人事件
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Chapter1:自慢したいの、そういう年頃①

 棚からとってきた新聞紙を、人目も憚らずにカウンターで広げた。流れ込んでくる文字の中からめぼしい記事を探す。足は家でそうするようにカウンターへと投げ出す。昼時にもかかわらず店の中に客は一人もいないから、店員らしからぬその振る舞いも心配することはない。最後に客が入って来たのは四十分近く前だ。


 店の隅っこではもう一人のアルバイトである緑川が、瓶底メガネの奥で床を睨みつけながらモップがけをしている。何も言わずせこせこ黄色い布を擦りつける。誰も踏まない床を磨くなんて関心を通り越してもはや呆れの域だ。だからこの店の床は、少し汚した方がいいのではないかと思いたくなるくらいにいつも綺麗だ。


 模範たる緑川を尻目に、僕は開店から一度も機能していないレジの隣で新聞を読む。漫画雑誌や成人向け雑誌はすぐ読み終わるうえに、のめり込んで客の来店に気がつかないときがある。読むなら新聞と決めていた。


 何のバイトをしているのかと知人に訊かれれば「コンビニ」と即答しているが、コンビニ店員もここまでくればそう呼んでいいのか怪しい。やることと言えば一日に数人やってくるかもしれない客を相手にして、後はひたすら暇を潰していくだけ。時折舞い込んでくる別の仕事さえ上手にこなせば、これで時給一五〇〇円が発生しているというヨダレもののアルバイトである。かれこれ一年近くバイトを続け、漢字と社会には強くなった。だがレジ打ちに関しては何も上達している感覚はない。この一年間で客の対応をしたのは百回あるかないかだった。


 レジの目の前には“にくまんフェア! 開催中!”と堂々記されたポップがぶら下がっている。一見冬のこの時期にぴったりな宣伝も、普通の客には関係がない。そもそも肉まんは取り扱っていないのだ。よくあるコンビニのレジ周りらしくなるよう店長が何も考えずに吊しているだけ。コンビニ乱立の戦国時代を堂々明後日へと駆け抜けるのが、この『ラッキーストア』だった。


 緑川の方を再び見直すと、彼はいつの間にか反対側の通路に移動していて、モップを傍らに置きながら雑誌棚の整理をしていた。購入どころか立ち読みすらされない新品の雑誌達だ。もっとも中身まで新品とは限らず、数年前の雑誌が「最新号」のプレートをぶら下げていることもある。


 改めて紙面へ目を落とす。一面を飾るのはやはりここ最近 東糴州螺ひがしうるすらを震え上がらせている『連続殺人事件』だった。またしても被害者がでたらしい。若い女ばかりを狙ったきわめて凶悪な事件だ。残虐な方法で楽しむように殺して回る犯人の姿を、警察は未だ掴めていない。これまでの被害者が被害者だけに僕は自分の心配をしていないが、それでも身近に殺人鬼が潜んでいるというのはいい気分ではなかった。もしかしたら数少ない客のうちの一人がこの殺人鬼かもしれないのだから。


 そんなことを考えながら新聞をめくっていると、入店時の軽快なメロディーが店内の静けさに割って入った。


「いらっしゃいませー」


 さっと新聞紙を折り曲げてカウンターの下に隠す。彼は客入りのときには誠実な店員でいるよう努めていた。


 久しぶりの客は、マフラーに首をうずめ、紺のブレザーと青系チェックのスカートを身につけた少女だった。まじめそうな雰囲気の彼女は、躊躇いがちに一歩踏み出し、辺りをきょろきょろと見回しながらレジに近寄ってくる。


「あのー……」


「はい、いらっしゃいませ」


 笑顔を作って応じると、彼女はびくっと肩を跳ね上げ、震えた声でこう言った。


「お、おでん具無しマスタード多めでお願いします」


 僕は少し目を細めた。


「かしこまりました。どうぞこちらへ」


 レジを雑誌棚のところにいた緑川へ任せ、レジ裏の事務所へと少女を促す。入れ替わりで一つ前の客が事務所から出てきた。やつれたその中年女性は、入ってきたときよりは幾分か良い表情になっていた。「ありがとうございました」とにこやかに呼びかけると、彼女は小さな会釈をして店から出て行った。


 机とロッカーしかない事務所の奥に、トイレマークの書かれたドアがひっそりとある。ドアの前に立ち、マークの真ん中を二回、三回、二回のリズムで叩く。センサーが反応し、扉の奥で鍵の開く音がした。


「どうぞ」


 ドアの奥に便器はない。代わりに地下へと続く階段が待っていた。自動で点いた明かりを頼りに下っていけば、コンクリート打ちっぱなしの薄暗い通路に出る。壁と床しかない通路は狭く、カビ臭く、初めて来た人の不安感を少なからず煽る。傍らに立つ女子高生も例外ではなく、緊張からか唾を飲み込む小さな音が聞こえた。


「引き返しますか?」


「い、いえ。大丈夫です」


「そんなに身構えないでください。別にあなたを殺したりはしませんよ」


 彼女が一歩僕から離れた気がする。


 たかが数メートルの通路の先にあるのは粗末なアルミ製の扉。叩けば凹んでしむような安物だ。本当は頑丈な鉄扉にしたかったのだが、予算が間に合わなかったと店長は毎度悲しそうに言う。


 ノックをし、客を連れてきたと呼びかけた。


「どうぞ!」


 軽快な男の声がアルミ製の扉を通して返ってきた。


 この店は只のコンビニではない。客入りの少なさと時給の良さを差し引いて、それでも断言できる。ここは只のコンビニではない。


 かつて店頭に貼ってあった『コンビニ店員募集中』のチラシはほとんどが嘘っぱちであったし、今でも騙されたと思っている。だが今すぐやめるかとどうかはまた別の話だ。


「では、どうぞ」


 扉を開け、少女を中に招き入れる。


 蛍光灯が煌々と灯り、薄暗くカビ臭い廊下とは打って変わった明るい雰囲気の部屋だ。白を基調にした二〇帖程度の広さに、事務所然とした家具が置かれている。中央には横長のデスクがあり、男の後ろには書類やファイルを詰め込んだスチールラックが並ぶ。その奥には扉が二つあり、片方は更衣室兼シャワー室、もう片方は給湯室になっている。部屋の隅の観葉植物やデスクの上の彩り豊かな花の刺さった花瓶が、事務所の角々しさを削って柔らかさを与えていた。


「やあやあいらっしゃいいらっしゃい! 困ったときに頼れるお店! 殺し屋屋ラッキーマートへようこそ!」


 デスクに座っていた店長の黒川は立ち上がって少女を手招いた。彼は痩せすぎず太すぎずの体型に高級そうなスーツを身に付け、長めの髪をオールバックに纏めている。綺麗に整えられた眉とその間から通る一本線のように見事な鼻筋。浮かべる穏やかな笑みはいかにも紳士をしていたが、細められた目の奥にはいい知れない凄みのようなものが見てとれる。無警戒で近付けば、たちまち食われるような不気味さを持っていた。


 デスク裏の給湯室で紅茶を淹れて戻ってきた僕は、丁度男の背中越しに不安げな少女の顔を見た。ここに来た人間は大抵覚悟を決めているのだが、彼女はここに来たことを少し後悔しているようであった。


 紅茶をを渡し、よくよく考えてみればこういう女子高生が来るのも珍しい、と思う。女子高生の客自体は少なくない。けれども大抵がけばけばしい化粧を施したり、髪を染めたり、時代遅れのルーズソックを履いたりとあまり女子高生らしからぬ少女達ばかりだ。そういう少女達は制服で来なければ十代には見えない。おまけに依頼内容が浮気男を殺してくれ、だとか親を殺してだとかいった物騒で後先考えないものばかりなのだ。勿論この店に来る時点でまともな神経を少し損ねているが、それでも節度というものがあるだろう。


 とにかく今この部屋の中にいる少女はそう言った肩書きだけの女子高生とは世界を住み分けているかのように女子高生らしかった。まっすぐ伸びた黒い髪は襟元のマフラーに挟まって横へ膨らむ。髪飾りにするのは小さなヘアピン一個で、それ以外の凝った装飾はない。制服のアレンジもブレザーの下にセーターを着ている程度。化粧をしているにはしているようだが、必要最低限で、元の顔の判別が点かないほど顔面をキャンバスして塗りたくってはいなかった。それでも、あるいはそれだからこそ男子からもてはやされそうな可愛い顔立ちをしている。清楚、優等生という言葉が彼女にはぴったりだった。


「ま、紅茶でも飲んで。僕はラッキーマート店長兼殺し屋屋黒川白介。よろしく」


 デスクに並べられたティーカップを、さも自分が淹れたもののように少女に差し出す。なかなか椅子にかけようとしない彼女を見て、黒川は僕を顎で促した。仕方がなく椅子を引いてやる。少女は俯きがちに動かしたのかどうかわからないくらいに小さく会釈をした。


「そういえば、黒川さん小説なんか読むんすか?」


「ん? これのこと?」


 家の屋根のようにしてデスクに伏せられていた本を、黒川は取り上げる。


「この間暇潰しに図書館に行ってみたら面白そうなのを見つけてね。レイモンドチャ

ンドラーのフィリップ・マーロウシリーズ。知ってる?」


「知らないっす」


「読んだ方がいいよー。面白いから。君は? 知ってる?」


 突然話を振られた少女は、慌てて首を振った。


「そうかー残念だな。読書はする?」


「ひ、人並みには……」


「おおー。文学少女って、感じするもんね。真面目そうだしさ」


「そんなこと……ないです」


 照れているのか彼女は頬を赤らめて目線を床に落とす。


「清楚って感じだよね、君! さ、立ってても何だし座って座って」


「失礼します……」


 肩にかけていたバッグを床に置き、厚手のブレザーを脱ぐと少女はほっとしたように息を吐く。得体の知れない空間に足を踏み入れた緊張感から解放されて安堵したように見えた。


「して、君の名前は?」


 にこりと微笑み黒川は尋ねた。


「山村澄奈、です」


「ほう澄奈さんか。見たところ学生みたいだね? 高校生?」


「高二です」


「高校生かぁ……とするとウルコーかな?」


 澄奈はこくりと頷く。


 ウルコーとは車市に二つある高校のうちの一つ、車市立糴州螺高等学校の略称である。


「いやあ澄奈さんみたいな子がうちの店にくるなんてね。びっくり」


 少しも驚いた様子なく黒川は言う。


「変、ですか?」


「ううん。ちっとも。大、歓、迎」黒川は下手くそなウインクをして続ける。「なぜ

なら僕はもっと気軽に殺し屋を利用してもらいたいと常々思っているから! 君みたいな若くて真面目で闇を知らなさそうな子がやってくるのは僕の思いが届いたという証拠! いい世の中になったってことだ!」


 万人が殺し屋を求める世界がよりよい世界であっては困る、と僕は心の中で一言付け足しておいた。


 部屋の隅のパイプ椅子に腰掛け、僕は客と黒川のやり取りを見守る。というのも、これがいわゆる別の仕事であるからだ。


 殺し屋屋。


 簡単に説明するならば、依頼主と殺し屋が直接やり取りをしない殺し屋ビジネスのことである。間に人間を入れて依頼の相談や殺し屋の手配を円滑に進め、殺し屋を利用したこともない一般人にも利用しやすくしよう、というコンセプトを元に始まった。殺し屋業界に吹く新しい風、陰鬱とした世界に風穴を開ける一発、と少なくとも

黒川はそう思っているようだ。


 文字通り、殺し屋、屋である。


「殺し屋業界っていうと、澄奈さんみたいな若い子からの依頼は皆無でさ。うちを利用してくれる人と言えば怖いヤクザのおじさんとかばっかりでもう毎日ビビりまくり」


「はぁ……」


「だから君みたいな優しそうな子が来てくれるだけで心の安らぎになるし、目の保養にもなるし、金にもなる。一石二鳥どころか三鳥四鳥ってこと! 改めて出会いに感謝だ!」


 一方的に礼を述べ、黒川は澄奈の白い手をぎゅっと握った。握手のつもりらしかったが、端から見れば怪しい男がいたいけな少女に襲いかかっている図としか捉えられなかった。


「じゃあ早速本題に入ろうか、と」


 スチールラックから書類の詰まったファイルを取り出し、中から一枚A四サイズ用紙を抜く。


「上のレジ前で見たと思うんだけど、今うちの店はにくまんフェアってのやってるんだ」


「はあ」


 肉まんを扱っていないのに堂々とポップをつり下げている詐欺まがいのフェアのことだ。


「まあフェアの内容は憎みっこ無しで爽やかに殺しましょう、っていうだけのこと。つまり『憎まんフェア』。復讐嫉み妬みを理由にした殺しじゃなければなんと料金四割引! お得でしょ!」


「……爽やかに殺す?」


 澄奈は首を傾げた。


「そう。殺す方も殺される方も気持ちよくできるようなそんな殺しを目指してるんだ」


 とにかく殺し屋の存在や利便性をもっと一般の人間にも知ってもらいたい黒川は、殺し屋の持つ陰湿なイメージをどうにかして取り払おうと必至である。闇に紛れてこそこそと殺すのではなく、白昼堂々大手を振って人殺しが出来る、そんな風に殺し屋の認識を変えたがっているのだ。世も末とはまさにこのことを言う。


「なんか、思ってた殺し屋と違う……」


「おっと!」


 澄奈の反応に黒川はすかさず自分のポケットから黒いボールペンを抜き、 ファイルから取り出した書類に何やら数字を書き込んだ。


「殺し屋が自分の想像と違う、そう思ってもらえただけで殺し屋屋としては多いに満定です! 特別に二〇〇円引きしてあげちゃう!」


「あ、ありがとうございます」


 わずかに嬉しそうな様子で澄奈は礼を述べた。たった数分で彼女の中での殺し屋のイメージは大分払拭されたようで、ここにやってきた当初よりも大分軽い表情になっている。時々わずかながらに口元が笑うのも見えた。


「いやあ! 今日は気分がいいねトベミネ君!」


 僕の本名は卜部峰。だから黒川は僕の名前を漢字の苦手な中学生よろしくトベミネと呼ぶ。うらべみね、と正しく呼んだことは一度たりともなかった。


「そうっすね。黒川さんの日頃の行いがいいからですよ」


 人を殺しまくることに「いい」要素などどこにもないのはわかりきったことだ。


「それでは澄奈さん。まずはここに名前、電話番号、住所を書いてください。必須事項です」


 ペンと用紙とを受け取り、澄奈はさらさらと枠を埋める。記された住所は店からそう遠くはなかった。


「なるほど。いいところに住んでる。ではここから先は口頭での解答で結構。いくつか質問するので、正確に答えてね」


「はい」


 いよいよ殺しの取引に入るとなって、澄奈がごくりと唾を飲む音が聞こえた。


「そう身構えないで。リラックスリラックス。ではまず殺したい相手の名前を」


「それが」


 彼女は首を横に振った。


「わからないんです」


「ほう?」


「殺してほしい相手というのは、一ヶ月前くらいから私につきまとってくるストーカーなんです」


「ストーカー」


「はい。一ヶ月前くらいから学校帰りに後ろからずっと付いてきたり、私の携帯に電話がかかってきたり。四、五回声をかけられました。ほぼ毎日です。そのせいで私外出るのが怖くなっちゃって……学校の帰りは男友達に家まで送ってもらうんです。でも一人で外出しなくちゃ行けない時とか、夜に歩かなくちゃ行けない時とかは、気持ちの悪いあの男の人が脳裏から離れなくて……」


「そりゃあ怖いね。警察には行ったの?」


「いえ。友達が、警察に行っても意味ないって。どうせまともに取り扱ってくれないよ、っていうんです。警察よりもいいところがあるよ、ってここのお店を教えてくれました」


「ほうご友人からの紹介でこの店に。一応友人割り、ってのがあるんだけどさっき言ったにくまんフェアの方が割引率高いからこっちで処理しときますね、と」


 用紙に書き込み、黒川は質問を続ける。


「そのストーカーの特徴はわかる?」


「ええ。小太りで、いっつも高級そうなコートを着ています。髪は少し白髪まじりで長め。腕時計もはめていた気がします。一見すると身なりのいい中年男性って印象で

す」


「でも女子高生を付け回しちゃうようなド変態、と」


「はい」


「写真なんて……ないか」


「ごめんなさい、持ってないです」


「ううん、大丈夫。他に知ってることはある?」


「他には……特にないです」


「年齢的には四、五十代?」


「それくらいだと思います」


 2人の会話をそばの壁に寄りかかって聞いていた僕は、ふと先ほど上で読んでいた新聞記事を思い出した。


 若い女性ばかりを狙った連続殺人事件。この事件の起こりは丁度一ヶ月くらい前だった気がしないでもない。だが僕も毎日朝夕新聞を読むような性格をしてはいないので、正確な事件の始まりを把握してはなかった。


 もしこれが連続殺人鬼ならば、それを殺すことはこれから起こるであろう何人もの被害者の命を救うことと同じ。殺し屋の有益さを広く世間一般に知らしめる絶好の機会となりえるのではないか。ちらりと黒川の方へ目を向けると、彼も同じことを考えていたようで口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「今日のお客は二件とも匿名、か。やれやれ骨が折れるな」


「私以外にもストーカー被害のお客さんが?」


「いや、それはまた別件。お客の依頼をお客に流すわけにはいかないからね。匿名が

くるのは結構珍しいから。ちょっと呟いてしまっただけ」


「お手数をおかけしてごめんなさい」


「何言ってんの! 君はお客さんなんだから堂々として! お客さんのどんな無茶な依頼にも応える、それが殺し屋屋のモットーだから。女子高生がストーカーを殺すという結論を出すなんて本当に嬉しいよ。やっぱり殺しってのはさくっと決めてさくっと実行しないと。躊躇ってたら被害に遭うのは自分なんだから」


「……そうですよね。自分の身を守るためなら」


「うんうん! 殺られる前に殺る! それが鉄則だから!」


 昨日までの一般人が殺しを肯定するようになるのは、この店ではよくあることだ。ここに来た時点である程度は人を殺すという事実を認めているものだが、しかしそれでも日常に暮らす人。心のどこかに殺しを忌避する部分は存在する。黒川の軽快なノリと、ただの会社の事務所然とした店の内装が人の内側にある殺しのハードルを知らずのうちに取り払って行くのだ。店に入る前と出たあとで人格ががらりと変わったような人間を、何人も見たことがある。殺しに対する認識の変化など日常的なのだ。


「さ、質問を続けよう」


 ぬるまった紅茶に一口付け、黒川は逸れかけた話題を再び元に戻す。


「ターゲットの情報を確認した、から……殺し方はどういうのをご所望? ちなみに

この殺し方によって料金が変わるからね。でもどれも確実性だけは保証するよ」


「殺し方……」


「そうだね。オーソドックスに行くならナイフとか拳銃とか。ちょっと特殊なのだと爆薬とかあとは最近新しく入ったのが要塞屋! これおすすめ! 圧倒的火力で敵をねじ伏せる! 殺したい対象が大規模組織だったりするとこういう一騎当千型の殺し屋はとっても便利! まあ今回はストーカー一人だからそこまでする必要はないけどね」


 少し考え、黒川は付け足す。


「勿論相手への恨みが抑えきれないからミンチにしてやりたい、ってのならそれでもいいよ。多分原型がなくなるくらい派手に殺してくれると思う!」


「いえ、さすがにそこまでは」


「だよね。じゃあ今回は初めてだし、学生だし最安値の人にしておこうか。安心して。一番安いけど腕は確かだから。失敗なんか絶対しないよ。串屋って言うんだ、その殺し屋。暗殺系で仕事の速さと静かさには業界でも定評のある男さ。彼にしとく?」


「そうします」


 業界での定評や腕の良し悪しなど一般人には分からないことだというのに、黒川に乗せられた彼女は即答だった。


「そらきた。よしじゃあ串屋基本料金二〇〇〇〇円からにくまんフェアの四割引して一万二千円。そこから値引きと学生値引きで計一七〇〇円引き。合計一〇三〇〇円。どう?」


「じゃあ……それでお願いします」


「わかりました、と。料金は前払いと後払いが出来るけどどっちにする? 前払いは返金無し、どんなことがあってもターゲットを殺す。後払いはターゲットを殺したくなくなったらキャンセルできる。勿論返金するよ。逆にこっちがターゲットを殺せなかった場合も返金する。あと、一応言っておくとどちらの形態でも僕と依頼主の両方が死んだら無効になるから」


「前払いにします。どうしてもあの男の人には死んでもらいたいので」


「ひゅう。言うねぇ」


 今までとは一変した低く静かな声色に返ると、黒川は言った。


「さて、じゃあ契約の最終段階に入ろうか」


 先ほどまでの軽快な態度はない。睨みつけるくらいに鋭く澄奈を見つめた。


「殺し屋屋にはお客様に守って頂きたいルールが一つだけあります。それはあまりこの店の存在を言いふらさないこと、です。ビジネスとしてよりよく世間に殺し屋の存在を認知してもらいたいのは我々とてやまやまではありますが、これはあくまで人殺し。いくら言葉で取り繕ってみせようと、法は我々を正当化しません。国家権力全てに逆らうだけの力を我々はまだ備えていないのですから、急速に殺し屋屋の存在が世間に知れることはよくありません。そうなれば我々は生きていけなくなる。だから広く大勢のいる場所で我々の存在を言いふらさないよう注意してください。せいぜい近しい人に口頭で伝えるくらい。それだけ守って頂ければ、我々殺し屋一同はあなたに極上の日常生活をプレゼントしますので」


 黒川の言葉を深く吟味するように目を二三度しばたたかせ、澄奈は短く「はい」とだけ返した。


「考えたくないことではありますが、もしあなたがそのルールを破った場合我々はあなたに死を持ってそれを償ってもらいます。特別な訓練を受けた私の部下が殺しに行きます。これは比喩でも脅しでもありません。たかが情報を零した程度で殺されるわけがないだろう、と高をくくることなく細心の注意を払ってくれますよう我々はあなたに期待します」


「わかりました」


「よし、じゃあこれらを踏まえた上で澄奈さんは殺しの依頼をする?」


 軽快な口調に戻り、黒川は最後の問いを投げかけた。


 澄奈はショートカットを揺らして強く頷いた。


「はい! では契約成立! 二週間以内に朗報をお届けできるようがんばります!」


 黒川の高らかな宣言は、狭い地下室にやかましいくらい響いた。


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