2.珈琲
あけましておめでとうございます。
本当にのんびりした更新ですが。
夢を見ていた。子供の頃のこと。
歌うのが大好きで、練習の帰りはいつも歌っていた。
学校で覚えた歌、テレビやラジオの「みんなのうた」で覚えた歌、アイドルの曲、いろんな歌を大きな声で歌って帰った。
夕暮れ時は淋しかったのだろうか。
だからあんなに大きな声で、大きく手を振りながら調子を取って帰ったのだろうか。
夢の中で小さな自分をそっと抱きしめて、そっとつぶやく。
「大丈夫。あなたは楽しく暮らしていける。
不安に思うことなんて何もないよ。」
腕の中の私は、そっと抱きしめる私の腕をつかんで、とても冷静に言う。
「だったら、なぜあなたは泣いているの?」
私が、泣いている?
夢の中で、泣いている大人の自分に気が付いて、目が覚めた。
本当に涙が出ていた。ちょっとおかしくなって、笑いながら涙をぬぐう。
起きるにはまだ早い時間。
もう少しだけ、ゆっくりしていてもいいか、と思いつつ、どうしても珈琲が飲みたくなって、起きだすことにする。
5年間のカナダ暮らしは、自分を紅茶党に変えた。
でも、こんな朝は、やっぱり珈琲が飲みたい。
お湯を沸かしながら、愛用のフレンチプレスを取り出す。
珈琲は、昨日のライブの前に大好きな珈琲やさんで買ってきた、とっておきのものだ。
この珈琲を飲むと、珈琲は果実なのだ、と思う。それほどにフルーティーな香りと味だ。
贅沢価格ではあったが、この1か月だけはひとまず許すことにする。
お湯が沸いたので、フレンチプレスに注ぎ、温める。
一度お湯を捨て、既定の分量を入れ、再度お湯を注ぐ。
タイマーで時間を計り、ゆっくりとふたを押し下げる。
この時、なんとなく茶道でお茶を点てるときにも似た気持ちになる。
緊張感があって、でも怖いものではない。
真剣に何かと向き合っていて、心地よい感じ。背筋の伸びる感じだ。
少し大きめのマグカップに淹れて、ソファーに座る。
タブレットで新聞をチェックしながら、ゆっくりと珈琲を味わう。
「やっぱりおいしいなぁ。」
日本に戻って一週間。独り言にも慣れた。
カナダから戻ってきて最初の夜、ホテルで一息つきつつ私がしたことは、ウィークリーマンションを探すこと。
すぐに入れて、駅から近くて、ほんの少しだけ贅沢な空間であること。
期間は2か月。
幸い、友人の伝手で、多少贅沢な空間を割引価格で貸してもらうことができた。ガスコンロにソファーもあって風呂トイレ別、家具付きオートロック付、駅から徒歩3分。
贅沢だなぁ、と思いつつ、また珈琲を一口。
珈琲を飲んでいるのに、紅茶を淹れてあげた人のことをふと思い出す。
あれはほんの2日前の出来事。
「突然だけど、カンナのライブに一緒に行かない?
友達が急に都合が悪くなってしまって。もったいないし、どうかな?」
こちらに戻ってきたことを知らせていた人は少ない。
その数少ない友人からの連絡だった。
彼女とはいつ会うか決めようと話していたところでもあったので、ちょうどいい。
ライブの後に食事をしようということで、話はまとまった。
カンナ。4人組のバンド。
一応、ロックバンドなのかな、詳しくないのだけど。
独特の歌詞とその声が好き。
メロディアスなかわいい曲がシングルカットされていることが多いけれど、私はアルバムのギターがバリバリ(死語?)みたいな曲が好きなんだよね。
曲はボーカルの星川コウさんが作っている、らしい。
よく、アルバムを聴いていても、ライブで聞ける歌は何だか違う、ということもある。
違うけどもっといい、ってなることもあるけど、少しだけ残念に思うことも。
でも、カンナは、ライブの方が数十倍かっこいい。
コウさんの声も全く変わらない。変わらないというか、数十倍素敵になる。
バンドの演奏自体もよりかっこよく、迫力が増す。
ライブが好きになるバンドだと思っている。
久しぶりに見たカンナは、いい意味で全く変わりなく、いい意味でもっと進化していたように感じた。
コウさんの声がやっぱり好きなんだなぁ、と、実感した瞬間でもあった。
日本に帰ってきて、早々にライブでコウさんの歌が聞けるなんて、私はやっぱりついているんだろう、そう心から思った。
と言いつつ、どれだけライブに行っているかというと、まだ5回くらい。
好きになってすぐにカナダに行ってしまったから、聞ける機会がなくて。
アルバムは欠かさず聞いていたけど。
そんなバンドのボーカル、が、星川コウさん、なんだよなぁ。
うわー、そんな人に紅茶出しちゃったよ。思い出すだけでじたばたしちゃう!
勝手に思い出してニヤニヤしていた私の視界に、ふとタブレットのスケジュール画面が目に入り、笑いが引っ込む。
特に明確なスケジュールは入っていない。
挨拶をすべきところは回り終わった。
あとは好きな時に好きなところに行って好きな人に会う。
そんな生活を許した、1か月。
それが終わったら、私は自分の人生をもう一度考え直す期間にする。
それが2週間。残りの2週間でどうするか決める。だからここの期限は2か月。
もしそれ以上の期間、いる場所が決まらなくても、ここは一旦出るつもり。
もっと安いところに引っ越すことにするだろう。ここは2か月の夢の場所なのだ。
このままここにいると、なんだか気が滅入ってきそうだ。
お天気もいいし、散歩がてら美味しいブランチを食べに行こう、と決める。
ああ、今日は何曜日だったかな?博物館に行くのも、いいかもしれない。何をやっていただろう。
私は急に楽しくなって、夢中になってタブレットで検索をはじめた。
思いついたものを片っ端から。
何かを忘れるには、何かに夢中になることが手っ取り早い。
本能ってそういうところばかり、敏感に働いてバランスを取ろうとするんだなぁ。
散々迷って、以前から気になっていたギャラリーに行ってみることにした。
興味のある染色作家さんのギャラリーで、常設展示だけの期間だが、いろいろ楽しめるだろう、と思ったのだ。
結果、ギャラリーはたいへんによかった。
美しい作品が並んでいて、買えないまでもうっとりだった。
唯一計算外だったのは、思っていたより点数が少なかったこと。
美術館レベルを想定した自分が間違いで、思いのほか時間が余ってしまった。
昼食には少しだけ早く、さてどうするか、立て直すためにも何処かで落ち着きたい、
そう思ったところに思い出したのが、少し歩いたところにある珈琲やさんだった。
しばらく訪れていないその珈琲やさんが、まだあることを祈りつつ、ほんの少し早足で向かう。
あった!
変わらない佇まいに安心しながらドアをあける。
店内をながめると、思ったより空いていた。
まだ早い時間のせいか。
店員さんにあいさつをしながら、窓側のお気に入りの席に落ち着いた。
改めて店内を見回すと、他にお客さんは1人。
2人がけテーブルが5つほど、あとはカウンターに5席ほどの店内、一番奥に座っている。
メニューに視線を移そうとして失敗した。思わず座っている人を二度見した。
驚いた表情でこちらを見ていたもう一人のお客さんは、星川コウさんだった。
あまりのことに声が出せずにいると、普通に笑いかけられた。
「こんにちは。アサミさん、ですよね?」
「こんにちは。すみません、あの、驚いて。」
自然に話しかけられ、慌てて返事をする。
相変わらず少しだけ飄々とした雰囲気。今日はメガネをかけている。伊達かな?
「もしよかったら、ご一緒しませんか?ああ、俺がそっちに行った方がいい?」
うーわー、ご一緒だって。鼻血出そう。
「あの、よろしいんですか?お一人でくつろがれているところに。」
思わず答えると、苦笑しながら返事が返ってくる。
「たいしたことしてるわけでもありませんし、嫌じゃなかったら、ぜひ。
暇なんで、少し話し相手になってやってください。
あ、こういうのはおじさんっぽいかな、言い方が。」
面白い。そんなこと言うんだ。
「おじさんって、そんなお年でもないでしょう?」
「あなたから見たら、結構なおじさんなんじゃないかな。
あ、どうする?窓際がいい?」
「あ、いえ、そちらにお邪魔します。」
荷物を持って一旦奥の席に向かうと、コウさんは立ちあがって椅子を引いてくれた。
じぇ、ジェントルマンすぎる。
お水とメニューはお店の人が運んでくれて、一息つく。
正面を見れば、うっすら微笑む星川コウさんの顔。
・・・こ、困ったことになったような気がする、ちょっとだけだけど。
えーっと、そんなことより注文注文。




