親愛なる寺崎の再生
「下松、下松さん」
不規則に体を揺さぶれられ、下松は目を覚ました。
競争する暗い雲が視界を覆い、その端には寺崎があった。
朝から気分が萎える。
「朝から気分が萎える、吐きそうだ」
「良かったYO、無事みたいで」
顔面に迫る寺崎の顔を押しのけ、下松は起き上がった。
寺崎の姿を下から上とスライドさせる。
顔の方は相変わらず健康的な太り方をしていて吹き出物の類は欠片もない。
田舎の大将という表現が一番似合うだろうか、どちらにしても下松自身とは似ても似つかぬ容姿をしている。
加えて衣服の方は泥やら草やらで汚れていた。
タキシードを着てる分、白よりはマシだが汚れが目立つ。
下松は顔をしかめた。
「お前……本当に田舎に里帰りでもしたのか」
「里帰り?」
「汚れすぎだ、汚い、社会人失格」
「落とし穴に嵌められた時に出来た汚れだYO。
大体お互い様だYO、下松さんも十分汚な……」
下松は寺崎を黙らせてから気が付いた。
下松のラフな服装も相当に汚れている、破れもしているし、血さえもついている。
一瞬、寺崎の仕業かと勘繰ったがものの数秒で考え直した。
こいつにそんな度胸はない。
では何故こんな……。
「どうしたんだYO、下松さん」
「やかましい、少し口を閉じていろ」
妙だ、といえば寺崎についてもそうだ。
下松は思った。
こいつは語尾に「YO」なんて付ける奴だったか?
寺崎の人物像、というより寺崎の記憶……。
記憶の捜索が捗らなかった。
霧の中を探り探り歩くような気持ち悪さに襲われた。
寺崎を眺める。
相変わらずの間抜けた顔をしていた。
「早く、家に帰らないTO!」
「は? 家?」
「タイムセールが始まるYO!」
「タイムセール……」
そうだ。
思い出した、タイムセールだ。
今日は六時から魚屋で鰯のセールがある。
今は財布がないから、家に帰って鰯を取りにいかないといけない。
「早く、鰯を取りにいかないTO!」
「は? 鰯?」
「鰯祭りが始まるYO!」
「鰯祭り……」
そうだ。
思い出した、鰯祭りだ。
今日は七時から町内の鰯祭りがある。
この祭りは町内の鰯が空を飛び回り、男達の汗と青春が爆散する。
今は水分がないから俺は飛べないのだ。
「早く、水分を取りにいかないTO!」
「は? 水分?」
「ソーラン節が始まるYO!」
「ソーラン節……」
そうだ。
思い出した、ソーラン節だ。
今日は八時から公民館でソーラン節がある。
ソーラン節とは一連のニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節だ。
独特の音頭、その歌詞よりソーラン節と呼ばれるようになった、俺の大好きな踊りだ。
「くそっ、何を俺は呑気に寝ているんだ!」
「踊ろうYO!」
「ああ!」
下松は踊った。
それは男女で踊るパヴァーヌだったが、気持ちが良かった。
下松は混乱した。
高揚感を感じながらも、何故踊ってるのかという疑問を捨てなかった。
記憶が混乱している。
虫食いのような穴でもなく、完全なる欠如したものでもない。
記憶の混乱。
強く酩酊した時の何倍も強い混乱が下松を襲った。
寺崎は笑顔だ。
ニ拍子のリズムを刻む足は心地良さげで爽やかだった。
下松は寺崎を殴った。
「な、……何をするんだYO!」
「何がソーラン節だ! ふざけるな!」
衣服の血や汚れが下松の頭を揺さぶった。
記憶が全否定される。
今日はタイムセールもない。
鰯祭りも、ソーラン節もない。
俺は芳本達の元へ向かわなければならない。
下松は寺崎の足を引きづるようにして駆け出した。




