王子ですが、悪役令嬢に婚約破棄を言い渡したら、許嫁の背後に俺にしか見えないナニカが爆誕した
俺の名はレオンハルト。一国の第一王子であり、今日この場で、婚約者ヴァレンティナに婚約破棄を言い渡す男だ
大講堂に集まった貴族たちの視線を集め、俺は隣に立つ可憐な聖女クロエの手を握り締め、声を張り上げた。
「ヴァレンティナ・フォン・ブランドー! クロエへの数々の嫌がらせの罪により、お前との婚約を破棄する!」
——もちろん、嫌がらせなどすべて嘘でっちあげだ。
ヴァレンティナは誰にでも親切で、悪事など犯すはずもない完璧に無実な令嬢。だが、地味で真面目すぎる彼女より、あざとく甘えてくるクロエの方が圧倒的に可愛かった。だから冤罪を着せて追い出すことにしたのだ。
勝った。これで鬱陶しい許嫁とおさらばできる——そう確信した、次の瞬間だった。
ズズズズズズズズズズ……ッ!!!!!
「……な、なんだ!?」
脳内を直接ぶん殴られたような激しいガラスの割れる音。
大講堂の天井が歪み、一瞬で氷点下まで叩き落されたかのような凄惨な冷気が吹き荒れた。
正面に立つヴァレンティナが、身に覚えのない濡れ衣と裏切りにポロポロと涙をこぼし、胸元をキュッと握りしめる。
「……ひぐっ、そんな……私、何もしていませんのに……酷いです、殿下……」
その悲痛な呟きと同時に、ヴァレンティナの背後の空間が黒くドロドロに溶け落ちた。
ズドォォォォン……ッ!!
現れたのは、体長四メートルを超える漆黒の巨躯。
無数の赤く光る眼球がギチギチと蠢き、鋭い牙が何重にも生え揃った地獄の魔神のごとき異形。
それが、重低音のデスボイスで俺を威嚇してきたのだ。
『オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ……ッ 無 実 の 小 娘 に 罪 を な す り つ け た な……殺 ス……ッ!!』
(ひ……っ!? な、なにあのバケモノーーーッ!?)
俺の顔面から一瞬で血の気が引いた。威圧感だけで皮膚が引き裂かれそうだ。
だが俺は必死で己の頬をバンバンと叩き、現実逃避を開始した。
(き、気のせいだ! 昨夜クロエとお茶会を楽しんだせいで幻覚を見ているんだ! 落ち着け俺、気圧されるな!)
「ふ、ふん! 言い逃れはさせんぞヴァレンティナ! 証拠ならいくらでも……」
俺は強がりながら、ビシッとヴァレンティナに指をさした。
すると異形が『オ オ オ オ オ オ オッ!!』と重低音の咆哮を轟かせながらスッと巨大な鉤爪を持ち上げ、俺の人差し指を「ぬるり」と丸呑みにした。
「ヒャッフぅッ!?」
ねっとりとした死の冷気。ぬめり気のある激しい舌触り。
『オ オ オ オ……嘘 を 吐 く な……小 娘 を 泣 か す な……次 は 腕 ご と 噛 み 砕 く……ッ』
頭の中に直接響く純粋な殺意。
(幻覚じゃなくてガチなやつだこれーーーッ!? 指! 指が溶ける!!)
「ひぃあぁぁぁぁっ!?」
俺は悲鳴を上げて指を引き抜き、後ずさった。
ふと周囲を見ると、貴族たちがヒソヒソと冷ややかな視線を送っている。
「……ねえ、殿下は何をお一人で指をくわえて叫んでおられるの?」
「さすがブランドー公爵家の令嬢……無実の濡れ衣を着せようとした殿下に、何か目に見えぬ圧をかけていらっしゃるのかしら……」
見えてない!? 周りの奴らにはあの四メートルのバケモノが見えてないのか!?
「ク、クロエ……助けてくれ! あれが見えないのか!?」
俺が隣にしがみつこうとすると、クロエもまた泡を吹きかけていた。
「で、殿下……っ! ああぁぁぁ……あ、足元が……っ!」
クロエの視界では、ヴァレンティナの背中から伸びた黒い触手がドレスの裾を締め上げているらしい。
『オ オ オ オ オ……冤 罪 を 企 む 悪 毒 猫……潰 ス……ッ』
「嫌ぁぁぁぁぁぁっ!! た、助けてぇぇぇ!」
クロエは発狂し、俺を力任せに突き飛ばすと、髪を振り乱して大講堂の外へ逃げて行った。
何もない空間で一人で暴れて走り去るクロエを見て、貴族たちの冷笑が突き刺さる。
「……まあ、聖女様が突然暴れ出して殿下を突き飛ばしたわ」
「無実のヴァレンティナ様を陥れようとした報いで、お頭が狂ってしまわれたのね……」
違う! 狂ったんじゃない! 触手だ! 冤罪への罰として触手に締め上げられてたんだよあいつ!!
パニックになる俺の目の前に、完全になす術を失った無垢なヴァレンティナが、涙目で悲痛な面持ちで歩み寄ってくる。
「レオンハルト殿下……私、何のお役に立ちませんでしたのね……追放でも、何でも受け入れますわ……」
ドシン。ドシン。
彼女が一歩歩くたび、背後の異形が巨大な足を踏み鳴らし、巨大な口から黒いヨダレを垂らして迫ってくる。
『オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ……ッ 逃 げ ら れ る と 思 う な よ……貴 様 の 魂 を 噛 み 砕 く……ッ』
「ひぃぃぃぃぃ! 来ないで! 来ないでくれえぇぇぇ!」
俺はプライドも何もかも捨て、大講堂の真ん中で見事なスライディング土下座を決めた。
「お、俺が悪かった! 嫌がらせなんて全部嘘でっちあげだ! 全部俺とクロエが企んだ冤罪なんだよおぉぉ! だから頼む、その背中の化け物を引っ込めてくれぇぇ!!」
大講堂がしーんと静まり返った。
何もない空間に向かって土下座し、自らでっちあげを自供して号泣する俺。
周囲の貴族たちは、完全に軽蔑の目を向けていた。
「……殿下、ついに誰もいない空に向かって冤罪を告白し始められたわ……」
「無実のヴァレンティナ様を陥れた罰で、神の天罰でも下ったのかしら……あまりにも惨めね……」
「……え? 背中……? 殿下、私の背中に何か付いておりますか?」
ヴァレンティナが不思議そうに振り返ろうとした。
すると異形はサッ……!と超高速で彼女の死角(真後)へと回り込み、必死で可憐なポーズを取って空気に成りすました。
ヴァレンティナは「……? 何もありませんけれど」と首をかしげ、前を向くと、異形は再び俺に向かって極上の威嚇顔(変顔)を作り、低く唸った。
『オ オ オ オ オ……ッ』
(見えてない! 本人は自分の背中のヤバさに全く気づいてない!!)
俺は悟った。
このままでは俺だけが「冤罪を企てた挙句に突然発狂して土下座した愚劣な王子」として廃嫡され、さらにこの怨念に魂を食われて死ぬ、と!
「ヴァ、ヴァレンティナ様ぁぁぁ! 私が愚かでした! 全部私が悪かったです! 一生かけて罪を償わせてください! 掃除も洗濯も全部私がやりますからあぁぁぁ!」
「まあ……! 殿下……本当ですか? 私の濡れ衣が晴れたのですね……?」
パッとヴァレンティナの顔に澄み切った笑顔が戻った。
シュゥゥゥゥゥ……
その瞬間、俺を殺しかけていた恐ろしい異形は、爽やかなパステルピンクの煙となって綺麗に消え去った。
「良かったですわ! 私、本当に恐ろしい罪人にされてしまうのかと……」
「は、はは……そんなわけないじゃないか……(あいつ消えた……生き延びた……!)」
俺はガタガタと膝を震わせながら、涙目で必死の笑顔を作った。
周囲の貴族たちは、ヴァレンティナの無実が証明されたことに盛り上がり、パチパチと温かい拍手を送っている。
「まあ……ヴァレンティナ様の無実が証明されて良かったわ」
「自爆して反省された殿下を許されるなんて、ヴァレンティナ様はなんてお優しい……!」
俺の威厳は完全に地に落ち、無実のヴァレンティナの聖女級の評価だけが爆上がりした。
こうして、俺の浅はかな冤罪追放計画は完全に粉砕された。
これからの俺の使命はただ一つ。無実の彼女を二度と傷つけず、あいつを永遠に降臨させないことだ。
(終わり)




