第4話:メイドカフェと、レンズ越しの絶対安全圏
初夏の湿気を帯びた風が、教室の澱んだ空気をかき混ぜる。
黒板に躍る『文化祭出し物』の不格好な文字。HRの喧騒は、すでに一つの狂熱へと収束していた。
「絶対、Aoistarのメイドカフェっしょ!」
「それな! 生コスプレ見たいし、集客エグいって!」
クラスの空気が爆発的に沸き立つ。文化祭の出し物が満場一致で決定した瞬間だった。
拍手と歓声の暴風雨の中心で、葵は嫌がる素振り一つ見せない。完璧なピースサインを掲げている。
「えー、仕方ないなぁ。みんながそこまで言うなら……とびっきりの魔法、かけちゃうぞ?」
パチン。あざといウインクの直撃を受け、男子数名がわかりやすく崩れ落ちる。
俺は特等席――最後列から、その狂騒を冷めた目で解剖していた。
大衆が求める「無敵で可愛い男の娘」。葵は寸分の狂いもなくそのパッケージを演じ切っている。だが、そこにあるのは残酷な消費構造だ。連中は「星野葵」ではなく、10万フォロワーの「Aoistar」というコンテンツに群がり、貪っているに過ぎない。
……俺が口を挟むことじゃない。それがプロデューサーの『契約』だ。
「――ストップ。顎の角度をあと三度下げて。視線はレンズじゃなく、右下」
休日の駅前広場。俺の冷徹な指示が、雑踏のノイズを切り裂く。
ジンバルの冷たい金属越しに伝わる、じっとりとした手汗。画面の中の葵は「クラスの人気者」を捨て、研ぎ澄まされたプロの顔をしていた。
「りょーかい。プロデューサー様の指示通りに」
葵がふわりと微笑んだ瞬間、録画ボタンをタップする。
電子音と共に、世界が切り取られた。俺の役割は、この四角い枠の中で葵を最もバズる形へ設計すること。BGMのビートダウンに合わせた0.5秒の静止。そこから意表を突くアンニュイな表情へのトランジション。俺の脳内の数式を、葵は持ち前の直感で完璧な映像へと変換していく。
「カット。完璧だ」
「やった! ねぇ悠真、今の私の『可愛さ』、100点満点で何点? ……うそ、もっと忖度なしで厳しく言って。じゃないとバズらないじゃん!」
録画を切った途端、葵はアンニュイな表情をかなぐり捨て、大型犬のように駆け寄ってくる。画面を覗き込む距離。シトラスの香りが鼻を突く。
「……75点。トランジション直前の瞬きがコンマ一秒遅い。背景の通行人のノイズも邪魔だ。場所を変える」
「えーっ、厳しすぎ! でも、そういう容赦ないとこ、嫌いじゃないよ」
容赦がないのは当然だ。俺はプロデューサーという「安全圏」から指示を出しているだけ。レンズという分厚い盾の裏側にいれば、俺が傷つくことは絶対にない。
「ほら、次行くよプロデューサー!」
楽しげに前を歩く葵の背中を、カメラ越しではなく、直接この目で追う。
その細い背中が、見えない鎖でがんじがらめにされているように見えたのは――強すぎる初夏の日差しのせいだと、俺は自分に言い聞かせた。




