第3話:都合の良い共犯関係と、プロデューサーという名の鎧
鼻先を掠める甘いシトラスの香りに、俺は思わず上体をのけぞらせた。
ギィッ。パイプ椅子の脚が床を擦る不快な音が鳴る。周囲のクラスメイトが何事かと視線を向けたが、葵の放つ熱に気圧されたのか、すぐに興味を失った。
「プロデューサー……?」
口の中で単語を転がす。ひどく現実離れした響きだった。
身を乗り出す葵の瞳には、打算と、それ以上の純粋な渇望が渦巻いている。昨日のバズりがもたらした熱狂が、まだその細い体から湯気のように立ち昇っていた。
「そう! 悠真のその頭ん中、最高に面白すぎ! ね、私の専属プロデューサーになってよ。二人で世界、揺らしてみない?」
弾けるような声が鼓膜を打つ。
――二人で世界、揺らしてみない?
その響きは、俺が閉じ籠っていた灰色の箱庭を叩き割るハンマーだった。断るべきだ。これ以上踏み込めば、また「キモい」「理屈っぽい」と泥を塗られる。今まで通り、モブとして息を潜めるのが正解だ。
だが、警告を鳴らす理性を嘲笑うように、昨夜の狂ったような再生数カウンターが脳裏にフラッシュバックする。
俺の頭の中にしかなかった「正解」が、初めて世界に証明された瞬間。
(……勝たせたい)
胃の腑の底から、黒くて熱い感情がふつふつと湧き上がる。自分の価値を証明してくれたこのおかしな奴を、俺の分析力でもっと勝たせたい。
だが、そんな切実な本音を晒すほど、俺は無防備になれない。
汗ばんだ掌をズボンの生地に擦りつけ、俺は冷たくて分厚い「鎧」を急造した。
「……条件がある」
意図的にトーンを落とし、事務的な分析官の声を作る。
「俺はあくまで裏方だ。表に出るつもりは一切ない。俺は的確な指示を出す。お前はそれに文句を言わず、完璧な『Aoistar』を演じ切る。単なるプロデューサーと演者。……それができるなら、引き受けてやる」
それは、打算で塗り固めた卑怯な予防線だった。失敗しても「演者の責任だ」と逃げられ、葵が離れていっても「ただのビジネス」と誤魔化せる。プロデューサーという肩書きは、俺と葵を繋ぐための、最高に都合の良い言い訳(鎧)だった。
しかし葵は、俺の臆病な冷たさなど気にも留めず、ニッと犬歯をのぞかせた。
「言ったね? 契約成立だ!」
ドン、と遠慮のない力で肩を小突かれる。制服越しに伝わる葵の体温は、俺のモノクロの日常を焼き尽くしてしまうほど、不器用で、ひどく熱かった。




