第13話(完結後・読者へのご褒美番外編):シトラスの余韻と、ファインダー越しの特等席
前半は明るく、後半はシリアスに振り切ったので、読んでくださった皆さんへの感謝を込めて、番外編を書きました。少しでも笑顔になっていただけたら嬉しいです。
初夏の日差しが、駅前広場のアスファルトを白く照らしている。
日陰のベンチでスマホの時計に目を落とす。待ち合わせ時刻の三分前。
ふいに、雑踏のノイズを縫って、爽やかなシトラスの香りが鼻先をかすめた。
「よっ、悠真。おまたせ!」
顔を上げると、初夏の陽射しを跳ね返すような明るい笑顔があった。
フリルのついた軽やかなブラウスに、膝丈のスカート。丁寧に巻かれた毛先に、完璧なメイク。どこからどう見ても、10万人が熱狂する「Aoistar」の姿だ。
だが、文化祭のあの日のように、息が詰まるような匂いはない。すれ違う風に乗って漂うシトラスは、驚くほど自然で、穏やかだった。
「……今日は随分と気合が入ってるな。男同士、気楽に行くんじゃなかったのか?」
「たまにはいいじゃん。今日は誰かの『いいね』のためじゃなくて、私が着たいから着てきたの。この香水も、純粋に好きな匂いだし」
へへっ、と犬歯を見せて笑う葵。そこにもう「期待に応えなきゃ捨てられる」という悲壮な強迫観念はない。
「ほら、早く行こ! 新しくできたクレープ屋、絶対食べたかったんだよね!」
葵がズンズンと歩き出す。すれ違う通行人が、次々とハッとして葵を振り返る。
以前の俺なら、目立つことを恐れて身をすくめるか、プロデューサーとして『周囲の視線をどうエンゲージメントに変換するか』を計算していただろう。だが今、俺の足に重い鎧はない。ただ「親友の隣」という特等席を、堂々と歩いている。
クレープ屋のテラス席。
葵は限界まで生クリームが詰まったクレープを、口の周りを白く汚すのも構わず、大きな口で頬張っていた。
「んーっ! やっぱ甘いものは正義だね!」
「少しは周りの目を気にしろ。完璧な格好のくせに、食い方が完全に男子高校生だぞ」
俺が手渡した紙ナプキンで口元を拭いながら、葵はケラケラと笑う。
「いいの! 悠真しか見てないんだから」
そう言うと、葵はスマホを取り出し、カメラアプリを立ち上げた。
俺の顔のすぐ横に自分の顔を寄せ、強引にシャッターを切る。カシャッ。画面には、露骨に嫌そうな顔をする俺と、満面の笑みでピースを決める葵が並んでいた。
「よし、いい感じ! ……あ、でもこれ、SNSには上げないよ」
「当たり前だ。炎上するわ」
「ふふっ。これは、私のカメラロールの『お気に入り』フォルダ行き。誰にも見せない、私だけのバズ写真」
嬉しそうにスマホを胸に抱き、葵はストローでアイスティーを飲む。グラスの氷がカラン、と涼しげな音を立てた。
俺はカバンから自分のスマホを取り出し、レンズを葵に向けた。
「えっ、何? 悠真も撮ってくれるの?」
「……まあな。動くなよ」
画面越しの葵。
脳内の冷徹な分析官は、もう何も喋らない。
『顎の角度を三度下げろ』とも『トランジションのタイミングが遅い』とも思わない。構図の美しさも、バズるための計算式も、ここには一ミリも存在しなかった。
初夏の光の下で、大好きなシトラスの香りをまとい、口の周りにクリームをつけた親友が笑っているだけだ。
「……はい、チーズ」
俺は、分析も計算もすべて手放して、ただシャッターボタンをタップした。
あとがき
最後まで『キミのスカートが青春を揺らす』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
本作は、「SNS時代の承認欲求」と「本当の自分を見せる恐怖」をテーマに描いた青春物語です。
主人公の悠真は「傷つかないための観客席」に逃げ込み、葵は「見捨てられないためのステージ」で虚像を演じ続けていました。ベクトルは真逆でしたが、二人が抱えていたのは、全く同じ「ありのままの自分を否定されることへの恐怖」でした。
いいねやフォロワー数といった「わかりやすい数字」や、「キャラとしての役割」が、自分の価値を決めてしまうように錯覚しがちな現代。
その息苦しいノイズの中で、10万人の無責任な歓声よりも、たった一人の親友が不器用に放った「こいつは俺の最高のダチだ」という宣言が、どれほど心を救うのか。それを形にしたくて、この物語を綴りました。
また、息を呑むようなシリアス展開が続いた文化祭編を共に耐え抜いてくださった読者の皆様へのささやかな「ご褒美」として、番外編(第13話)を添えさせていただきました。
虚像を維持するための分厚い鎧ではなく、ただ自分が好きだからという理由で服と香水を纏って笑う葵。そして、計算も打算もなく、ただその鮮やかな時間を残すためにシャッターを切る悠真。
あのテラス席に漂ったシトラスの香りが、少しでも皆様の心に爽やかな余韻として残ってくれれば嬉しいです。
役割(鎧)を脱ぎ捨てた二人の、不器用で最高にカラフルな青春は、これからも続いていきます。
読者の皆様の日常にも、彼らのように鮮やかな風が吹き抜ける瞬間がありますように。
最後まで彼らの物語を見届けていただき、本当にありがとうございました!
八月永遠




