第10話:狂騒の箱庭と、限界の操り人形
文化祭当日。教室は異様な熱狂に呑み込まれていた。
スピーカーから吐き出されるBGMの重低音が、PA(音響)席の長机を通して、俺の掌を絶え間なく震わせている。
クラスが出店した「Aoistarのメイドカフェ」は、予想を遥かに超える大暴走となっていた。廊下には最後尾が見えない長蛇の列。教室内はスマホを構える客でごった返している。むせ返るような人といきれ、パンケーキの甘ったるい匂い、無数のシャッター音。教室の酸素は異常に薄かった。
フロアの中心で、葵は完璧な「Aoistar」として立ち回っている。
「はいっ、オムライスお待ちどおさま! 美味しくなーれっ、もえもえきゅんっ!」
フリルを翻し、各テーブルで極上の愛嬌を振りまく。客席から熱狂的な歓声が上がり、フラッシュの瞬きが絶え間なく葵を照らし出す。
過労で倒れたという噂など微塵も感じさせない。誰の目にも「無敵で可愛いトップインフルエンサー」そのものだった。
だが、部屋の隅の暗がり――クラスの余り物として押し付けられたPA席から、俺は目を逸らすことができなかった。
「……ステップのリズムが、コンマ数秒遅れてる」
スライダーを操作するふりをしながら、俺の目は勝手にその姿を解剖し続ける。
契約なんて、もうとっくに俺が破り捨てた。俺はプロデューサーじゃない。ただの舞台袖の観客だ。なのに、体に染み付いた呪いのような分析眼が、こいつの隠した悲鳴を正確に拾い上げてしまう。
完璧に見える笑顔も、頬の筋肉が微かに痙攣している。トレイを持つ指先は震え、照明の下で異様な汗が滲んでいた。それを隠すための分厚いファンデーション。むせ返るほど強めに振り撒かれたシトラスの香水。
心身の限界なんて、とうの昔に超えている。
それでも葵は、レンズが向けられるたびに、条件反射で100点の笑顔を作る。
まるで、「いいね」と「フォロワー数」という見えない糸に四肢を吊られた、悲惨な操り人形だった。
『忘れられるのがどれだけ怖いか……悠真には絶対わかんないよ!』
決裂した屋上の叫び声が、大音量のBGMを突き破って鼓膜に蘇る。
――やめろ。もう笑うな。
それ以上自分を削り続けたら、お前の中にある「ただの星野葵」が完全に壊れてしまう。
機材に置いた指先に、じっとりと冷や汗が滲む。
マイクを切り、営業を中止させるべきだ。頭ではわかっているのに、体は鉛のように重く、椅子から一ミリも動けない。
俺にはもう、止める権利すらない。俺が勝手にステージを止めれば、葵が血を吐く思いで死守してきた「完璧な虚像」に泥を塗ることになる。自分から逃げ出して、あいつを一人で見捨てたくせに。最低の臆病者に成り下がった俺が、今さらどの面下げてあいつの覚悟を踏みにじるんだ?
卑怯な葛藤が、胸を激しくかきむしる。
その時。
フロアのど真ん中で。
完璧な笑顔を張り付けていた葵の足が――ガクンと、不自然に折れ曲がった。




