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第1話:観客席の冷たい方程式

 黒板を引っ掻くチョークの音が、ひどく耳障りに響く。


 生温かい春の風が、机の上のプリントを頼りなく揺らしていた。俺――佐藤悠真の日常は、限りなくモノクロに近い。教室という箱庭の最後列。そこが俺の「安全な観客席」だ。


 斜め前の席では、クラスの一軍が昨日のバラエティ番組の話題で沸いている。会話のテンポ、相槌のタイミング、笑い声の周波数。少し観察するだけで、誰が場を支配し、誰が必死に空気を読んでいるかなんて、痛いほど可視化されてしまう。だが、俺は口を挟まない。ノートの端に無機質な幾何学模様を増殖させ、ただ息を潜める。


 分析力を隠し、モブキャラとして生きる。それが、この灰色の学校生活を生き抜くための唯一の生存戦略だった。


 ふと、乾いた土ぼこりの匂いが鼻腔を掠めた。


 途端に、鼓膜の奥で「あの声」が再生される。


『うわ、佐藤。何マジになってデータとか分析してんの? キモッ』


 中学二年の体育祭。クラス対抗の大縄跳び。


 回数が伸びず淀みきった空気を変えたくて、俺は全員のジャンプの癖や滞空時間を計算した。背の順という非効率なテンプレを捨て、最も回数が跳ね上がる並び順をノートに書き出し、震える手で提案したのだ。


 俺の頭の中にある「正解」が、みんなを救えると信じていた。


 だが、カースト上位の男子はノートを一瞥し、ヘラッと笑い捨てた。


『大縄なんて、みんなで気合いで飛ぶから楽しいんじゃん。理屈っぽいのやめようぜ!』


 その場を支配した、同意と嘲笑の渦。


 徹夜で組み上げた緻密な分析は、一秒も検討されることなく「ノリが悪い」の四文字でゴミ箱へ蹴り落とされた。


 血の気が引き、背筋を冷や汗が這い下りる。ヘラヘラと笑って誤魔化すことすらできず、ただ自分の上履きを見つめていたあの情けなさ。


 あの瞬間、俺の中でカチャリと冷たい音が鳴った。


(――世界は『正解』なんて求めていない。声のデカい奴の『感情とノリ』だけで回っているんだ)


(――自分の内面を晒しても、汚されるだけだ。もう二度と、自ら舞台には上がらない)


 ……いや、どうでもいい過去だ。


 俺は思考を強制終了させ、黒板へ視線を戻す。何か思いついても、即座に飲み込む防衛本能。


 目立たず、波風を立てず、平穏なモブキャラとしてやり過ごす。それが絶対に傷つかない唯一の方法なのだ。


 間の抜けた終業のチャイムが鳴る。


 俺の灰色の日常は、今日も誰に認識されることもなく消費されていくはずだった。


 ――10万人の『いいね』を纏った、あの「男の娘」が転校してくるまでは。

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