29年12月⬜︎日
事前準備はしっかりした。
1時間前には店に到着して、ぶちゃいくに餌を与えた。
もちろん、邪魔をさせないためだ。
彼女の飼っていた猫にそっくりだというので一番のお気に入り。
初回から彼女は他の猫には触っていない。
つまり、邪魔が入るとするならぶちゃいく。
お腹いっぱいになれば昼寝に入るはず。
しばらく私の幸せのために眠っていてくれ。
店外へ連れ出すという手もあるが、その場合は良い返事は期待できないだろう。
猫から引き離した時点で、いい返事は期待できない。それが猫好きという人種だから。
そもそも来ないという選択肢も存在する。
待ち合わせまでの時間を持て余しながらそんな心配をしていた。
待ち合わせの10分前に香澄が姿を現した。
猫ネックレスを今日も着けてくれている。
しかし、ぶちゃいくを堪能する為の猫エプロンまで装備済みで来店するとは思っていなかった。
準備万端──いや、方向性を間違えていないか?
ゆっくりと視線を店内一周させてお目当てを探す。
ぶちゃいくを見つけ、視線が釘付けになった瞬間に表情が変わった。
二匹分、いや、三匹分の餌を食べたはずのぶちゃいくは昼寝していなかった。先ほどまでは確かに丸まって目をつぶっていたはず。
匂いで香澄の来訪に気づいた? 犬であるまいし!?
もそっと起き上がるとノシノシと彼女に近づくと、そのまま猫エプロンにダイブする。
そのままぶちゃいくを抱え込むと私の前に移動し、会釈と共に席に腰を下ろした。
膝の上のぶちゃいくの背中を目を細めて撫でる。その瞳はぶちゃいくを通して彼女の飼っていた先代猫の姿をみているのだろうか。
時折り見せる微笑みがそんな取り止めのないことを考えさせる。
出会ってから早くも半年、ずいぶんと見慣れたと思うのだが会うたびに新たな発見がある。
深く息を吸った。
今日、ここに来た理由を思い出す。
「あらたまって話がある」
事前にそう言っていたはずなのだが、香澄の様子は普段と変わらない。
気にも止めていないのか、本当に何のことかわかっていないのか、どちらなのかは表情からは読み取れない。
本当に断るという選択肢がないと思っているのか?
嫌な考えが頭をよぎった。
確かに近くで推し活できるのは嬉しいが、推しの気持ちを無視するのは重大なルール違反だ。
彼女に社会の、男どものずるさから身を守る術を身に着けさせるという目的のために、私が彼女を罠にかけるのは不本意でしかない。
「話というのは──」
言葉が出ずに言い淀んでいると、香澄の視線が横にそれた。そしてそれは何かを追いかけるように動くと元に戻った。
厳密には私の肩に。
香澄の膝から降りたぶちゃいくが私の肩に登って来たのだ。
視線が私に──厳密には肩のぶちゃいくに向いている今がチャンスだった。
「私と結婚して欲しいのです。もちろん、嫌なら断ってください。これは私たち二人のことで家や仕事のことは関係ないと約束します。
できれば私を選んでいただきたい。そばであなたを見つめていたい。
ですが、あなたに選ばれないなら素直に諦めます」
余程予想外だったのか、くりくりした目をさらに見開いて口に手を当てたまましばらく固まっていた。
その間、ゆらゆらとぶちゃいくの尻尾がほっぺたを撫でてくる。
いや、質感的には殴られてると錯覚する程だった。
少しずつダメージが蓄積している最中にさらに追い討ちが入った。
「私が断ったら、二度と顔を見せないでくれるかしら?」
その真剣な眼差しから、本心からの言葉だとわかる。
きちんと嫌なことを拒否できるようになったのだ。推しの成長を素直に喜ぶべき──
「わかった。それがあなたの答えなら受け入れる」
素直な気持ちを口にできたと思う。
しかし、なぜだろう。
体の震えが止まらなかった。
悲しいわけでもない。寂しいわけでもない。
でも、何か大事なものをなくしたような喪失感に襲われていた。
自分でも気づかずないうちに、香澄に執着していたのだろうか?
考えがまとまらない──
ぶもぉー!!
ぶちゃいくに頬を張り倒された。
ご丁寧に両手で爪まで立てて──
くすくす笑い声で振り返ると香澄が声をあげて笑っていた。
口に手を当てているのに漏れていた。
最後にはお腹に手を当てて笑い転げている。
涙目になった彼女が目尻の涙を拭いながら口を開いた。
「そこまでいうなら結婚してあげてもいいわよ。大切にしなさいよ。
──本当にずるいんだから」




